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「コンサートホール」  作者: 史部 次郎
1/7

チューニング


 本当に、バイオリンはため息をつくのだろうか。

 それが、中学でバイオリンを学び始めたきっかけだった。

 そう考えるきっかけは、ある戦争映画をたまたま観てしまったことだった。いまにして思えば吹き出したくなるが、こんな話になる。

 それは、後に赴くこととなるヨーロッパに、ユーロという通貨単位が誕生する前、まだブラウン管テレビのボディも赤かった。

 小学二年で自分の部屋が与えられ、小学六年でその部屋にテレビが入ると、徐々に自分の興味が親のそれと離れていく。日本の中流家庭に生まれた男子の平均的な発達段階であろう。そんなある晩、日曜洋画劇場で観た戦争映画のワンシーンにこんなフレーズがあったのだ。

「身にしみて、ひたぶるに、うら悲し」

 それは、ノルマンディー上陸作戦の開始を告げる英国BBC国際放送の暗号であり、ヴェルレーヌの「落葉」という詩の一節を引用したものだった。

 そのときは何の事やらさっぱり分からず、翌日朝一番で、担任の蜷川(にながわ)先生に尋ねた。語彙力もまだ未熟な小六が、どこまで自分の意図を説明し得たかは分からない。

 とにかく、奇妙な言葉をきっかけにとんでもない殺し合いが始まったこと、その言葉に引きつけられたのだが、いつもと使っている言葉ではなかったこと。だから興味を持ったこと。それらは伝え切れたと思う。

 すると先生は、「上田敏詩集」という文庫本を貸してくれた。なぜ、先生がその本を職員室に置いていたのかは不明だ。今度会うことがあったら聞いてみたい。

 詩集にはこうあった。


 秋の日の ヴィオロンの ためいきの

 身にしみて ひたぶるに うら悲し


 ヴィオロンという言葉がさらに分からないので、昼休みに教卓へ行くと、バイオリンだよと先生。自分がカレーを二杯平らげる間に、先生はまだ牛乳を味わいつつ、カレーの最後のひとすくいを口に運んでいたと記憶している。

「あんたたち、もうちょっと落ち着いて食べなさい。特にチョロQ!」

 月に二度、給食の献立表に躍るカレーライスの一語。毎回、男子達は早食い競争、大食い競争をしては先生から怒られる。

 自分が敵いそうもない相手でも、牛乳を吹かせさえすれば勝てる。それは最後の手段だが、毎回どこかの班でその禁じ手の餌食になる男子は出るため、蜷川先生の苦労は絶えなかったと思う。これも機会があったら詫びたい。

 チョロQを学校に持ってきたためついたあだ名は、中学卒業まで自分について回ったが、チョロQはいま一個も残っていない。興味の対象は、バイオリンやクラシック音楽へと移行し、気がつくと楽団のコンサートマスターとして、いまチューニングのため席を立とうとしている。人生とは、何がきっかけでどう流れ出すのか。

 いつもチューニングの瞬間、この思い出が蘇る。

 ほとんどの楽団員は、小学校に通う前から音楽教育を受けている。自分のスタートは一〇年近く遅かった。ために苦しいことも多々あったが、努力を重ね、趣味のレベルからコンクールのレベルをくぐり抜けここまできた。確かめたかったからだ。

 バイオリンはため息をつくのだろうかと。

 つくのかもしれない。

 このような時には。

 

 ファーストオーボエがA音を出してくれた。この国の教科書には「ラ」と表記されている。

 それを受け取り、立ち上がった自分が弓を下ろしていく。ゆっくりと。

 その音を基準に、各パートがチューニングをしていく。

 弦楽器は、ペグにほんの少し力を加える。管楽器は、ジョイントやチューニング管を抜き差しする。打楽器はリムの調律ねじを回す。聴衆が集まると、ホールの音響が変わってしまうため、開演直前のチューニングはどうしても欠かせないプロセスなのだ。

 この時間は、聴衆にとってもチューニングの時間だと思う。これから始まる演奏のために、携帯電話の電源が落ちているかを確認したり、ペットボトルで喉を潤したり、プログラムを鞄にしまったりと、コンサートを聴く体勢を整えていく。

 様々な土地の様々な会場で、様々な人々に音楽を届けてきたが、いつもその様相は違っていた。

 S席八千円のホールと、中高生の音楽鑑賞会とは全く異なる。定期演奏会と招待演奏会もまた異なる。音響のいい会場と野外ステージもしかり。いつも何かが必ず違うため、その時々に合わせて、楽団は聴衆とともにチューニングをしていく。

 その中でも、今夜は絶対に忘れられないチューニングである。

 一二〇〇名収容のホールに観客はわずか数十名。普段は、ジャケットやドレスなどフォーマルな装いが目立つ日本のホールだが、今夜はその数十名のほとんどは普段着である。スニーカー、フリース、スウェット、ジーンズ。そんな出で立ちだった。

 携帯電話の電源を落とすようにという放送も無かった。ライトシアンの発光体が客席にポツリポツリと浮かんでは消える。待ち受け画面はそれぞれ異なっているはずなのに、ステージからは同じ色に見える。メールや留守電を確認しているらしい。いつもは見られない光景である。

 当然だと思う。いつまた、大きな揺れが自分たちを襲うか。

 自分も楽団員も、マエストロも、聴衆もみな不安なのだ。

 それでも、みなここに集ったのだ。

 音楽を聴くために。音楽を届けるために。

 チューニングを終えた者から、弓を離し、唇を離していく。打楽器パートはマレットを置く。なんとしても、最終楽章まで届けたい。その覚悟を固めて。肺に息をため、下腹部に力を入れてマエストロを待つ。ため息どころではない。楽器と人とが一体となった演奏体としての緊張感がみなぎってくる。

 覚悟を伴う緊張感は、なんとも心地よい。それはいつも変わらない。

 覚悟はやがて客席へも染み渡っていく。

 携帯電話が閉じられる音が、かすかに場内の不安な空気を震わせ、続いて衣擦れも聞こえなくなる。舞台袖のマエストロとアイコンタクトをとる。そして、マエストロが指揮台への一歩を踏み出す。

 二〇一一年三月一一日二〇時〇五分。

 東北地方太平洋沖地震と命名された巨大地震は余震を頻発させている。余震と呼ぶには激しいその揺れの中、リハーサルが進められた。これから先、どんなことが起こるのか想像もつかない中、いまマエストロがタクトを握る。

 ここは総武線錦糸町駅の北口にある「トリフォニーホール」。これより始まるのは、グスタフ・マーラー作曲「交響曲第五番嬰ハ短調」である。補足すると、本年はマーラーの没後百年にあたる。

 


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