4.それは私が恋する恋じゃない
工作部に入った長谷川君は、毎日ではないけれど、週に一、二度は部室に顔を出してくれる。
佐竹君のアドバイスで、ペーパークラフトをやってみることにしたみたい。この前、私が情報を流した活版印刷のワークショップで佐竹君に会った時、「あいつ器用だし、小学校の頃は折り紙で薔薇とか作ってたし、たぶんペーパークラフトとか気に入ると思いますよ」って言ってた。
それを聞いてから長谷川君に紙で薔薇作ってほしいって頼んでみたら、目の前で折ってくれたわ。立体の薔薇。なんかすっごく細かく折り目入れてからさらに折って、気がついたら薔薇になってた。すごい。他にも折り紙でいろいろ作ってくれたけど、長谷川君ったら普通にうちの部向きじゃないか。どうして今まで入らなかったの。
ペーパークラフトに関しては、展開図からオリジナルで作る高崎君が三年にいるから、部室に来たらその子と一緒に作ってる。女子じゃなくて男子でよかったと思ったのは内緒。
それよりも気になるのは、長谷川君が中庭に面した窓際の席を定位置にしたことだ。
パート練習で原田さんが中庭に出ること多いし、当たり前なんだけどね。別にあからさまにじっと外を見ているわけじゃないから、知らない人は外を気にしてるってわからないかもしれないけど、私は「あ、いま原田さんのこと見てるな」とか思って苦しくなっちゃうわ。
でもやっかいなことに、私は恋している長谷川君が好きでもあるから、原田さんを見て幸せそうな姿にときめいてしまうのも本当。苦しいけど見ていたい。矛盾してるなぁ。
ああそうだ。長谷川君と原田さんの繋がりは、中学が同じっていことだった。部活や委員会は違ったみたいだから具体的なことはわからないけど、少なくとも中学が同じなら好きになるようなことがあっても不思議じゃない。
でも本当に、あのラブレターから二人はどうなったのかしら。
告白をしたなら、それなりのアクションがあると思うのだけど、振られたにしては長谷川君ったら静かにいとしそうに原田さんを見ているし、返事をもらっていないのかしら。それとも、無記名で想いを告げる一方的なラブレターだったのかしら。よく、わからない。
ちくちくと刺繍をしながら、本人に聞かなければわからない疑問を巡らせ頭を悩ませるのも、嫌いじゃない。恋ゆえに悩むのも、素敵なことだわ。
ちなみに高校最後の作品は刺繍にした。実用品というよりは、額に入れて飾る系の。手芸だと特に実用品かぬいぐるみとかかわいいのばかり作ってたし、最後はそういうのもいいかなって。まぁ、赤とピンクとオレンジと白を多用したかわいい系の図柄だけど。けっこう順調に進んでて、夏休みまでに完成しそうだよ。
今日も吹奏楽部のパート練習の音が聞こえてきた。それを聞きながら、長谷川君も窓際でせっせと展開図を切って折ってる。
「長谷川、お前の携帯鳴ってんじゃねぇの?」
「え? あ、ありがとうございます」
高崎君に言われて携帯を手にした長谷川君が、慌てて耳に当てる。電話がかかってきたようだけど、音も振動もなかったし授業中は電源を落とさず音と振動を切るタイプなのかな。モニターが光れば電話やメールの通知わかるし。
「原田先輩どうしたんですか?」
……原田先輩?
そう言った長谷川君は、窓を開けて外を見る。私もつられて外を見る。そしたら原田さんが携帯を手にこっちを見上げていた。
「部活入ったんです。工作部」
携帯を使っているから二人ともそんなに声は張り上げてないし、外の原田さんの声はなんとなくしか聞き取れないけど、同じ部室にいる長谷川君の声は聞き取れる。中庭から原田君が見えて、部活はいったんだーってわざわざ電話をしてきたってことかしら。というか、電話をする仲なの? そこまで親しかったの?
「先輩にペーパークラフト教えてもらってるんですけど、うまくできたら見せます。原田先輩はコンクール近いんですよね? 練習がんばってください」
原田さんは笑顔だ。長谷川君も笑顔を向けている。傍目から見たら、仲が良い先輩後輩に見えるんだけど、あのラブレターを知っている私には疑問しか浮かばない。
なんで告白した側とされた側が、付き合ってもないのに笑顔で会話ができるの? やっぱり、無記名ラブレターで原田さんは長谷川君の気持ちを知らないの?
それから少し話して電話を切ると、長谷川君は窓を閉めてまた作業を再開した。高崎君が「原田知ってるのか?」って聞いてくれたから、思いっきり聞き耳立てたよ。
「兄貴の彼女なんです」
「へぇお前兄貴いるんだな」
「ひとつしか違わないですけどね。高校は違うところ行ってます」
そのあと、「どこ?」とか会話が続いてたけど、それどころじゃないよ。いま長谷川君なんて言った? 「兄貴の彼女」って言わなかった? どういうこと? お兄さんの彼女が好きなの? というか、あのラブレターは?
「この前兄貴に、原田先輩の下駄箱にバースデーカード入れて来いって頼まれて、すごい緊張しましたよ。どっからどうみても、俺がラブレター入れてるみたいだし」
って、長谷川君がなんか言ったよ。なんか言った! バースデーカード? 頼まれて? え、じゃああれって長谷川君が原田さんに宛てた手紙じゃなくて、頼まれて入れただけなの? なのに、あんなに真っ赤になって上履きのまま走り去ってしまうくらい緊張したの? 私が一目惚れしちゃうくらいかわいかったの?
「手渡ししたり郵送するより、朝来たら下駄箱にバースデーカー入ってたら喜ぶだろって兄貴言ってたんですけど、そういうこと思いつくロマンチストっぷりがすごいですよね」
「俺は恥ずかしくてそんなのできねぇ」
「俺だって自分のことじゃそんなのできませんよ」
そう言ってのほほんと笑ってる長谷川君と高崎君。私は笑ってられないよ。お兄さん素敵とは思うけど、そういう問題じゃないよ。
というか、長谷川君が原田さんを見る目はなんだったの? あれが恋をしていない眼差しだった? 私の妄想入りまくってた?
……いやいや、でも考えてみてよ。
どうして長谷川君は、中庭の見える咳を定位置にしているの? たんに窓際が好きってだけの可能性もあるかもだけど、ぼんやり吹奏楽部を見ている時があるのは、やっぱり原田さんが原因なんじゃないの? 知り合いだから見ているだけ?
わかんない。わかなんないよ。もし長谷川君が原田さんのことを「兄貴の彼女」って思っているだけだったとしたら、私が恋したのはなんだった? 長谷川君の恋に恋をした。恋してがんばっている姿に一目惚れした。なのに全部、勘違いと妄想だったことになっちゃう。
とっても楽しかったわ。恋をして、楽しかった。こうやって長谷川君と親しくなって、工作部に入ってくれるまでがんばったわ。私は、恋をしたらがんばりたい。
長谷川君は恋をしていないの? 原田さんに恋をしていないの? それとも恋はしている? お兄さんの恋人だから気持ちに蓋をして、ただ見ているだけなの? がんばったりはしないの?
「先輩」
隣に座っていたさっちゃんが、声をかけてくれた。ちょっと心配そうな顔をされちゃった。
さっちゃんにはこの前一目惚れのことを含めて話したから、全部知っている。だからきっと、今の私の心境もなんとなくわかっているんだろう。ひどく、自分勝手な感情も含めて。
私は恋している人が好き。恋をして、がんばっている人が好き。そこに一目惚れをしてはじまったこの恋は、根本が違うとなると揺らいでしまうんだろうか? ……疑問系じゃないね。揺らいでいるから、考えてしまっている。
だって本来なら喜ぶべきところでしょう? 好きな人がしていると思っていた恋が勘違いだったとしたら、うれしいはずよ。なのに動揺してる。揺らいでる。最低。
長谷川君のことを知っていくうちに、長谷川君自身にだって恋をしているつもりだったわ。毎日が楽しくて、知っていくことがうれしかった。なのに、なんで、私は。
「今日は、帰るね」
立ち上がった私に、さっちゃんは少し迷ってから「お疲れさま」って見送ってくれた。
***
帰るとは言ったけど、荷物を持って部室から出ただけで、まだ学校からは出ていない。一人になれる場所で気持ちを落ち着けたかった。ひとまずは階段のかげに隠れて深呼吸をする。こういう時、深呼吸って大事だよね。
しばらく少し落ち着いてから、何も考えずにぼんやりと突っ立ってみる。考えないってことも大事。どうせすぐにいろいろ考え出しちゃうんだから、混乱しすぎている時はちょっとの時間でもいいから何も考えずにいるの。本当は眠ってしまうのが一番スッキリするけど、今はできないのが残念。
五分くらいは突っ立っていたかな。もしかしたら、もう少しぼんやりしていたいかもしれない。でもおかげで、少しは気持を持ち直した。
よし、今のうちに帰ろう。家に帰ってから、またぐるぐる考えよう。
そう思って靴を履き替えようと下駄箱に向かったけど、ここに来てしまうと、落ち着けた心があっさりと乱された。
しょうがないよ。私はここで長谷川君に一目惚れをした。今となっては、なんとも滑稽な気持になって泣けてくるよ。私はいったい、何に恋をしたんだろうね。
「先輩? 帰ったんじゃなかったんですか?」
背後から、声をかけられた。聞き間違えるはずがない。長谷川君だ。
慌てて振り返ったら、帰り支度を済ませた彼が立っていた。まだ下校時間じゃないけど、きりのいいところで各自勝手に帰るから、この時間に長谷川君が下駄箱にやってきてもおかしくない。おかしくないけど、会いたくなかった。
だってほら、お腹の底から上ってきて喉をすり抜ける。疑問を、言葉を、音にしてしまう。
「……長谷川くんって」
ダメだ。これは、ダメ。だってこれは、恋した理由は間違いなかったと自分自身を慰めたいだけの質問。
「原田さんのこと好きだよね?」
だけど堪えきれず、言葉は音になる。でも、長谷川君は驚いた顔をした後に、笑ってくれた。私が好きだと感じた笑顔ではなく、困ったような曖昧な笑顔。
「兄貴の恋人です」
「……でも、見てるよね」
「そうですか?」
「見てるよ」
私は見てたから。原田さんを見ている長谷川君を、好きだと感じたから。
しばらく沈黙してから、長谷川君は口を開く。穏やかで甘くて、ほのかに切なさをのせた声で言った。
「そのうち消えるのを待つ想いです」
消えるのを待つ想い。それはつまり、原田さんが好きだということ? だけど叶えるつもりもなくて、ただ消えるのを待っているというの?
「お兄さんの恋人だから?」
笑うだけで答えてはくれない。でも、そのほほ笑みがなにより答えだ。
「がんばればいいのに」
「がんばって叶えたいわけじゃないんですよ」
ゆっくりと、私の中で想いが溶けて薄れていく。ああ、長谷川君の恋は、私が好きな恋とは違う。私が恋する恋は違う。
芽吹いた想いを、育てて叶えたいとは思っていない。叶えるんじゃなくて、静かに枯れてしまう時を待ったいるだけ。がんばる恋じゃない。がんばったりしない恋。
確かにお兄さんの恋人だというなら、積極的にアプローチはしがたいし、万が一叶ったとしてもあまり気分の良い結果にはならないかもしれない。だから、最初から叶えるつもりはないんだろう。それもきっと、ひとつの恋の形。恋の慈しみ方。私とは、違うだけ。
もしかしたら、長谷川君は気がついているのかもしれない。というか、気がついたんだろう。だから、蓋をしていた想いを少しだけ見せてくれたんだと思う。私の想いを、やんわりと拒絶してくれたんだと思う。
叶えたいわけじゃない。でも、だからって想いを捨てる気もない。消えるのを待つと言うことは、消えるまで大切に抱いていくっていう意味なのかな。
「兄貴に頼まれてバースデーカードを入れる時、改めて決めたんです。俺は二人が幸せでいてくれたらいいって、だから俺だけがこの想いが消えてるまで大切にしていればいいって、決めたんです」
それもきっと、優しくて素敵な恋。でもやっぱり、私の恋する恋じゃない。
「そっかぁ……」
私はぎゅっと鞄を握りしめ、無理矢理笑顔を作った。
「話してくれてありがとう。じゃあ、またね。高崎君と作ってたペーパークラフトが出来上がるの楽しみにしてる」
ゆっくりと、長谷川君に背を向けて自分の下駄箱に向かった。
この下駄箱ではじまった恋だから、ここで終わらせることができてよかったのかもしれない。上履きのまま走り出したい衝動も抑え込んで、私はちゃんと靴を履き替えて校舎を出る。
一目惚れだって、確かに恋だ。でも、そこからもっともっと育っていく恋と、冷めてしまう恋がある。今回は、後者だった。冷めてしまう恋だった。違うからって、冷めた恋。
知らない人を知っていくことも、恋に恋して育んでいくことも、本当に楽しかった。一目惚れをしてからの日々は、明るく彩られた素敵な日々だった。それは本当。
だから私が恋の終わりに告げるのは、いつもと同じこの言葉。
――恋する楽しさをくれて、ありがとう。
身勝手な恋でも、恋。たぶん大学生くらいで佐竹くんと付き合うと思う。