第3話「シギルの選択」
時は少しだけ遡る。
俺はここで物乞いがさらわれているという噂を聞いて、この小さな町、ブルックに来ていた。
最初は物乞いの売買くらい日常的に行われているじゃないかと、情報屋の世間話を半分適当に聞いていたのだが、その売買にある組織が関与している可能性があるとのことで、早々にこの町にまでやって来た。
事前に聞いた話では、ハーネスという男が関わっていて、どうやらそいつが実行犯らしい。
調べていると憲兵を脅したり、町のものを壊したりとかなりの嫌われ者のようだ。この国の親衛部隊に所属していたらしく、態度はさておき実力はかなりのものだ。
酒癖が悪いのか、今日もこの酒場で酒を飲んでいる。
「へっぶし!」
「......」
「へっぶし!」
モリスギの花粉のせいか、さっきからくしゃみがうるさい。
ハーネスの動きを注意深く観察している時にこの騒音は、集中力を削ぎ取っていく。
ギンリスの串焼きを一本つまみ、前歯で肉を一気に引き抜いて苛立ちを噛みしめる。木ノ実を食べる動物の肉だけあって、噛むほど甘みのある肉汁が溢れてくる。こいつはうまい。
肉を楽しんでいると、さっきまでギルドカウンターで騒音を奏でていた女がこちらに向かってトボトボと歩いてくるのが見えた。どかっと隣の席に座るとやる気のなさそうに品書きを眺めては酒を注文しだす。
自分もここ最近来たばかりではあるが、この町を調査した際には見なかった顔だ。身なりからしてどこぞの冒険者だろうと思われる。こいつも花粉にやられているのか、さっきから鼻水をすする音が聞こえてうるさい。
邪魔をされる前に花粉用の香水を自分につけておくことにする。
合わせて余計な邪魔をされないように話をしておこう。念には念をだ。
とりあえず適当に話をしつつ、遠回しにハーネスに近寄るなと話そうとした時だった。少し面白い会話になる。
「嘘、ですね」
この女は自分の返答をさらりと嘘だと言い切った。
確かに警戒心もなく適当に言ったことではあるが、生業にしている俺の嘘を簡単に当てて来るとは少し意外だった。
「ほほう、なんで嘘だとわかるんだい?」
「自分でも不思議なんですが...... 心の中でそう聞こえるんですよ。」
女の勘というやつだろうか——
ふと昔のことを思い出す。
今の世界には3つの国、キンブル、ゼウス、ウルベルクがあるが、昔はもう一つアルベウスという国があった。
アルベウスの王女は真実の女王と呼ばれ、ありとあらゆる嘘を見抜く力があったと言われている。
実際にあって話したことはなかったので本当かどうかは不明だったが。
本当に嘘を見抜く事ができるのだとすると、この女はもしやーー。
「昔の王女様でそんな不思議な......」
そう口に出した時だった。
ハーネスの甲高い笑い声が響いた。
とりあえず忠告を先にしておかなければならない。
身を乗り出して女に説明をする。
途中どこまで話をしておくか迷ったが、嘘を見抜くというのならあえて真実を話してやることにした。
嘘を見抜くことが本当にできるのか、好奇心が湧いている。
自分の身なりは決して良いわけではないが、仕事柄それなりの値段のする装備品をつけている。
この女がどこまでものの価値を知っているかは定かでないが、物乞い出身だと言えば、誰もが嘘だというだろう。
それほどこの世界の貧富の差は大きいのだ。
だがこの女は何も疑いもせずにさらりと言い返してくる。
「そうですか、身寄りのない子供を養えるほどこの世界は優しくないですからね。」
9割ほどが、そんな風には見えませんよと否定するのだが——
もう少し色々試してみようかと会話を考えていると、足元に子供がいるのに気づいた。
物乞いの子供だ。少し離れたところにもう一人いる。
床に落ちている残飯を拾い集めているようだ。
(それにしても床に落ちている残飯の量が多くないか?)
ふと気になって床全体を流し見ると、床にキラリと光るものを見つけた。
(あれはギルか?)
少し目線を上に持っていくと、そこにはハーネスがいる。
もう一度視線を下に持っていくと、物乞いの子供がそれを拾い始めていた。
ガッシャン!
ハーネスがテーブルを蹴り飛ばし、下にいた子供を捕まえて強引に引きずり出す。
なるほどと思った。そうやって餌に食いついた魚を釣り上げるのか。
子供も少しは罪悪感はあっただろうが、こんな世界だ。落ちていれば拾う。
もしかしたら誰かのものかもしれないとわかっていてもだ。
ふと女の方を見ると、険しい顔してその様子を見ている。
盗っていないと主張する子供に何やら複雑な感情を抱いているようだ。
さて、この状況になったのならば、あとは経過を見守るだけだ。
子供たちの連れて行かれる先に用がある。
「あ"あ"!!」
テーブルの下からもう一人が声をあげて走っていく。
どうやら兄妹らしい。
いとも簡単にハーネスに蹴り飛ばされ、テーブルに激突した。
まあ、死にはしない。
物乞いならこれくらいのことは乗り越えなければやっていけない。
それに商品の価値を下げるようなことまではしないだろう。
バンッ!!
唐突にテーブルを叩いて女が立ち上がった。
(こいつ、警告したのに何をやっている!?)
ここで状況をややこしくすると面倒だ。慌てて女を止めに入るが遅かった。
「乱暴はやめなさい!」
目の前の問題に対して、眉間に指を添えて状況を整理する。
とりあえずこのまま喧嘩が始まったとしても女は負ける。そのあと予定通りにことは進むと思うが、面倒ごとを避けて犯行を諦めるかもしれない。
おそらくハーネスは協力者に過ぎないはず。主犯は別でこの様子を見ていることだろう。主犯が誰なのかはまだわかっていない状況で逃げられたら計画は台無しだ。しかも女が余計なことをベラベラと喋っている。好奇心に負けてありのままを話したのがまずかったか。この機会を逃せば次はない状況になる。
そう思考を巡らせていると、急に肩を叩かれる。
バカ女が俺の肩に手を置いてにこやかに目で助けを求めている。
知ったことではない。
あまりにバカらしく素っ頓狂な声が自然と出た。
矛先がこちらに向き、対処を考え始めた時だった。
「ハーネスさん、うちの店でこれ以上の騒ぎは勘弁してください!」
厨房の方から店長が姿を現した。
どうやらこの状況に我慢できず飛び出してきたようだ。
「この子達は一旦こちらで預かりますので......」
「しょ、しょーがねーな、今回はブロスさんに任せるわ。」
どうやら主犯自らお出ましのようだ。明らかにハーネスの態度がおかしい。
ブロスが子供を厨房に連れて行った。
とりあえず犯行は進んでいる。後を追わなければ!
懐からレステルを取り出す。
この場から音を立てずに存在を消して移動するにはこいつが良い。飲むタイプはあまり味が好みではないが即効性に優れている。
瓶の栓を抜き、一気にあおる。
席を立ち、厨房へと走った。
ちらりと後ろを振り返ると、ハーネスと女が喧嘩を再開している。
ハーネスはご立腹のようだ。仕事を邪魔された挙句、主犯のブロスから仕事をもらうことはもうないだろう。
あの女の剣の腕はわからないが、生半可な腕では命はない。
物乞いとは違って商品ではないし、あそこまで怒らせてはどうしようもない。
だが女はハーネスを無視して厨房へ行こうとしているようだった——
(なぜ物乞いの子供を気にかけている?)
(嘘を見抜く女...... もしやブロスの嘘にも気づいたのか?)
今はそのことは置いておこう。
俺は物乞いを連れて行ったブロスの後を追った。
ガキの安否も女の安否も今はどうでもいい。なるようにしてなっただけのことで、自己責任だ。とりあえず子供達が連れて行かれる先を突き止めなければならない。
これからブロスは取引に向かうだろう。
あとは気付かれずに後を追うだけだ。
厨房を覗き見る。
ブロスが子供達に食事を与えていた。
物陰に隠れ、様子を見る。
「やあ、君たち危なかったね。お腹空いていたのだろうからこれでも食べなさい。」
「......」
子供達はお互いの顔を見合わせて頷くと、ブロスからパンを受け取り噛り付いた。
「よしよし、これから安全なところに連れて行ってあげるからね。」
この場所から子供達をどのように運び出すのか気になっていたが、その疑問もすぐに解消された。子供達の手からパンが落ち、うつらうつらと首を振り始めた。
(パンに何か仕込んでいたな......)
完全に眠ったことを確認すると、大きな麻袋を取り出し、子供達を入れた。
そして裏口を開け、運び出す。
裏口のドアが閉まり、戻ってこないことを確認してこちらも裏口へと向かう——が厨房の床に違和感を覚えた。
(罠か......)
どんな罠かはわからないが、上からの圧力で発動する仕掛けのようだ。後をつけられないよう用心していたのだろう。
他の罠がないか確認しながらゆっくりと進む。
裏口のドアまでたどり着き、ドアノブを掴んだ時だった。
ドズン!!
すごい衝撃と共に床が揺れた。
その衝撃で棚などに置いてあった皿や鍋が一斉に床に落ちる。
そう、床に落ちた。
パコンッと何かが外れる音に続いて、金属音のけたたましい音が響いた。
(あの罠は警報だったか!)
慌てて厨房内を見渡すも、隠れるところはない。
レステルの効き目は切れているし、予備は持ってきていない。
(変装のために軽装できたのがまずかったな......)
ガチャリとドアノブが回るのを目視。
ドアが開く——
チッ
考えている暇はない!
息を止めて、足元に転がっている瓶を拾い、中身を空中にぶちまける。
「グファ! な、なんだれ れ へ」
「へっくしょいぃ!!」
投げつけたのは足元にあった香辛料だ。肉などにかけると美味しい。
そしてもう一瓶、白い粉が入ったものをぶちまける。
あたり一面が真っ白に染まる。
「くそ、何も見えねぇ!」
「へっくしょび!」
本当にくしゃみの音はうるさい。全くもって不愉快だ!
音のする方へ蹴りを入れる。
腹部に減り込む感触。
「ごはっ!」
白かった視界が次第に晴れていく。
一つ小さな呼吸をして天秤にかけていた事柄を明確に意識化する。
(さてと、どちらを選択すべきかな。)
うずくまったブロスの頭を強引に上げる。
「やあ、ブロスさん。」
「だ、誰だてめぇ......」
「来るのが遅いので様子を見にきちゃいましたよ。」
「な!? い、いや違うんですよ。ハーネスのやつがしくじりやがって!」
「誰もあんたを責めているわけじゃあない。早くいつもの『鍋』を持ってきてくれないですかねぇ。」
「す、すみません! すぐに鍋を持っていきますので! 命だけは!」
そう言ってブロスは鍋を抱え、慌てて厨房を出て行った。
外にいた子供達を厨房に戻し、解毒剤を鼻から流し込む。
しばらくすれば目がさめるだろう。
外から悲鳴が聞こえる。
俺はため息をついた。
自分の選択が正しかったことを願いたい。
急いで厨房を出た。
目の前に3人の取り巻きがニタニタと戦いの様子を見ている。
後ろから延髄を叩き気絶させる。
急いでハーネスの影を探す。
各方向から照らされる光の関係で影が薄い。
女が倒れ、ハーネスの動きが止まる。
そしてハーネスの後ろに、くっきりと影ができた。
斧を振り上げた瞬間を狙って一気に走る。
懐から藁抜い人形を取り出し、ハーネスの影に突き刺した。
やれやれ、当初の目的を捨てて取った選択が失敗に終わってしまうところだった。
正直単なる好奇心であり、確証も何もないことではあるが、ここで切り捨てるにしては勿体無いほど重要案件でもある。
この女の『嘘を見抜く力』が本物ならな——
静止したハーネスに成り行きの説明と自己紹介をする。
「テメェ、ペテンの!」
もう覚えていないかと思ったが、ちゃんと覚えていたようだ。
ただの脳筋だと思っていた。
まあいい、後はこいつに嘘を吹き込めば終わりだ。
ブロスの時と同じく、体に触れ適当な嘘をついた。
左手の指輪に紋章が浮かぶ。
この指輪は通称、デミウルゴスの目。
触れた相手へ嘘を信じさせる神秘魔道具の『模造品』である。
原物の効力は凄まじく、相手の認知を書きかえるほどと言われている。
しかし、ある事件をきっかけに国が滅び、そして魔道具も失われたのだ。
そして、その関係者と思しき女が目の前で倒れている。
自分の選択が正しかったことを強く願いながら、懐から高級ポーション(この酒場が買い取れるほどの)を取り出し、女へ向けて無造作にふりかけた。
ふつふつとこみ上げる怒りは膨れ上がるばかりだ。
こいつにいくらつぎ込んだのかと思うとギリギリと歯ぎしりが止まらない。
ああ、全くもって不愉快である。
俺はこの女からギルというギルを全て巻き上げてやろうと誓うのだった。