第1話「冒険者アリル」
こんな世界は嘘だ
生きる道しるべが必要だというのに
他者の都合にばかり振り回されて
どれが本当なのか全然わからない
それでも選ばなければならない
探さなければならない
たくさんの選択肢から
嘘を被った真実を
これは真実か
私が選んだ選択は正しいか
わからない
たとえそれが真実だとしても
悩み続けるのだろう
そんな世界は嘘で満ちている
****
嫌な出来事はどうしても記憶に残ってしまうものだ。だからその時のしつけというのはとても性格に大きな影響があると私は思う。その影響が自分にとってマイナスならトラウマと言うべきかもしれない。
王家に生まれた私の生活は幸せだった。暖かいベッドもあったし、時間になれば暖かいご飯が用意されていた。必要な服もメイドのルシアが毎朝着せてくれた。何も不自由などない生活ではあったけれども、子供の頃どうしても欲しいものがあって、父や母だけでなくルシアや執事のセバスにまで泣きながらねだった物があった。滅多に城を出ることはなかったが、父の付き添いでたまたま靴屋に訪れた時に見つけてしまったのだ。真っ白なまるで宝石のように輝いていた靴を。物が欲しいと思ったのはこれが初めての経験だった。散々泣いたが買ってはもらえなかった。子供の頃は足のサイズはすぐ変わってしまうもので、ルシアが新しい靴を用意してくれたばかりだったのだ。部屋に戻ってからも落ち着かなくて、考えれば考えるほど何かを憎まずにはいられなかった。結局行き場の無くした感情は廊下にあった壺にぶつけることになった。
感情をぶつけた後にやってくるのは怒られると言う後悔だ。この壺の値段や価値について散々怒られ、ついには欲しいものが手に入らなくなると言う焦りから、ついこの事実を隠そうとした。だがこの壺を大切にしていたセバスに気づかれて父にこっぴどく叱られた。でも、誰一人私が気にしていたお金のことや欲しいもののことは言わなかった。壺を割ったことを隠そうとした私のその行いについて怒られたのだ。
セバスはこういった。
「お嬢様が欲しいものとこの壺は何の関係もございません。」セバスには申し訳ないことをしたと思った。
「私はこれが壺で良かったと思っております。」
続けて出た言葉に私は驚きが隠せなかった。
この壺が人だったら? そう聞こえて震えが止まらなくなった。
「私は優しい姫さまのままでいて欲しいのです。」
セバスは最後に優しく頭を撫でてくれた。しわくちゃだけど大きな手が暖かかった。そしてメイドのルシアが真っ白な靴を私にこっそりプレゼントしてくれた。暖かいってこういうことなんだなと、さっきまで怖くて泣いていたはずなのに部屋に戻ってからは嬉しくてずっと泣いていた。とても暖かい時間がこのまま続けば良いと白い靴を履いては脱いでを繰り返しながら思っていた。
だが——
そんな出来事の一週間後に、私はその本当の恐怖を知ることになる。
****
へぇぇぇっぶしゅぃ!
うへぇ—— ダメダコリャ。
止まらない鼻水をずるずるとすすりながらため息付きでうなだれる。
「あ、あのぉー大丈夫ですかアリルさん?」
受付嬢が引きつった顔で聞いてくる。
「あ、すみません。花粉がすごくて」
袖でぐしぐしと拭いながらへらへらと答えた。
「討伐対象がモリスギでしたね、ご苦労様です。今年は大量発生してて困っていたんですよ」
やれやれといったお決まりのポーズを決めてから、受付嬢は報酬の入った袋をポンと目の前に置いた。
ん——?
「報酬これだけですか? 依頼を受けた時は確か300ギルだったかと」
明らかに軽い、どうみても軽い、100ギルもないように見える。
「実は...... 応募者が想定より多くて賞金額が減ってしまったんです」
受付嬢はさっきまでの困った顔を消し去って舌を出しながら笑顔で答えた。
ああ、その笑顔——
殴りたい。
「この街に来たばかりのアリルさんにはちょうどよくて、穴場な稼ぎ依頼だと思ったんですが、結構花粉症の方が多いのか目を真っ赤にした冒険者さんがたくさん依頼を受けに来たもので......」
そこそこの報酬だけど分配制だったのが仇となったか。
へっぶし!—— ダメダコリャ。
酸素不足と腹の立つ笑顔で頭がクラクラしてるので、報酬を受け取りプイッと踵を返す。受付嬢が笑顔で手を振って見送っている様だが顔も見たくない。まあ、嘘は言ってないしとりあえず空腹でも満たしてこの気持ちを落ち着けるとしよう。
だらだらとテーブルに向かい、どかっと椅子に座って品書きを貪る。
「うーん、今日は贅沢な食事を期待してたんだけどなぁ」
この街の案内所に隣接されている酒場は結構有名な料理があると聞いていたのに本当に残念ね。
とりあえずエールねエール。仕事後のエールは全世界共通でしょう。
「あ、店員さーんエールをひとつぅ!」
はーい、と近くにいた店員娘が注文を聞いて厨房へと走っていく。この酒場はなかなかの賑わいで店員さんもバタバタと忙しそうに走り回っている。
「ほい冒険者のねーちゃんエールお待ちっ!」
ガチムチ店員のおっさん(多分店長だろう)がエールをテーブルに置いて去っていく。
冷気を放つグラスを見て思わずゴクリと喉を鳴らす。垂れた前髪を左の耳にかけ、キンキンと冷えたグラスを持ち上げる。注がれた黄金色の液体を一呼吸してから一気に喉に流し込む。
ゴクッゴクッ ゴクッ ぷはっ
「くぅ〜これよこれ!」
ほろ苦く、余韻に香ばしさのある味が喉を通して幸せを届けてくれる。
ああ、鼻水となって消えていった体内の水分が補給されていくぅ!
ゴン! とグラスをテーブルに叩きつけてテーブルの上に突っ伏す。お酒はそんなに強くないけれどなんだか疲れが出て来てしまった。名物の"ギルガモロース・ガチムチーズ添え"にありつけなかったというのも理由かもしれない。
トントン——
テーブルをこつく音が聞こえて、顔を半分あげて目だけでその方向を見る。
「やあ、お嬢さん。お疲れみたいだね。」
フードを被ったままの初老がかなりの笑顔で話しかけてきた。
どうやら隣のテーブルについていたらしい。椅子に座ったまま体だけこちらに向けている。
どうしてこうも飲み屋の親父は絡んでくるのか......
「そうやって若い女を口説いてるんですね」
少し皮肉に言ってやる。
弱っている人によってくる奴は、よほどのお人好しか下心全開のどちらかだ。
下心ならその立派な髭をむしって差し上げよう。
「まあ、そんなところだねぇ」
ご自慢と見える髭をいじりながらそう答えた。
——何がそんなところなのか。
「嘘、ですね」
チッ、ただのお人好しだったか。
「ほほう、なんで嘘だとわかるんだい?」
即答えた私の回答に興味が湧いたのか少し目が輝いて見えた。
「自分でも不思議なんですが...... 心の中でそう聞こえるんですよ。」
自分でもどうしてなのかわからないけど、いつからか相手の顔を見ると嘘がわかってしまう。
「昔の王女様でそんな不思議な——」
「ガッハハハハ!」
突如割り込んできた汚い笑い声で初老が何を言ったのかよく聞こえなかった。
声の主をちらりと見る。かなり体格の良い男が酒を振り回しながら騒いでいる。かなりの迷惑になっているようだが誰も何も言わないようだ。
初老の男がテーブルに乗り出し、小声で言ってくる。
「あれは鬼神のハーネスだよ。」
「お知り合いなんです?」
「いや、有名人だけれど面識はないね。旅人の君は聞いたことないかな。」
どうやらこの町では有名人らしい。鬼神と言うだけあって体格はよく仕上がっている。だけど気持ち悪い。
横にはセンスのない大きな斧が立てかけてある。
「あまり見ない方が良いよ。」
「そう?」
つい疑問を投げてしまったが、確かに気持ち悪いし見てはいられない。
「彼が有名なのはその強さもあるんだけど、何より人格の悪さにあるんだよ。」
「人格の悪さ?」
見た目も悪い——と付け加えておこう。.
「聞いた話ではかなりやばい仕事を好んで受けているらしい。」
「受付ではそんな仕事見たことないですよ?」
「いやいや、そういった仕事は個人同士でやっているんだ。まあそれを中心にやっているギルドもあるんだけれどね」
「そんな危険な人なら追い出すか憲兵にでも相談すれば良いのでは?」
「誰も彼に勝てないのさ。それにこの町に来る前は国の親衛部隊にいたらしくコネもあるみたいでね。」
初老の男は難しい顔で何かを言うか迷っている仕草をする。
「まだ何か?」
「実は物乞いの子供らが何人か行方が分からなくなっているんだ。」
唐突にそう言われたが、なんとなく話の内容が見える。
「つまりあのハーネスが誘拐していると考えているんですね。」
うむ、といって髭をさすりながら寂しように口を開く。
「皆、そのことを知ってはいるものの、物乞いの子供らだから町のみんなも関与したがらないんだ。」
寂しそうに語る初老の目は、少し遠くを見ていた。
「実は僕も物乞い出身でね......」
なんとかしてあげたいんだ。そう続きそうな言葉をため息に変えて吐き出した。
「そうですか、身寄りのない子供を養えるほどこの世界は優しくないですからね。」
初老の苦悩はよく理解できるからか、特に詳しく聞くことを辞めた。
なんかしんみりとしてしまったので話題を変えて——
ガッシャン!
何かが割れる音でビクッとなり、音の方を見やる。
先ほどまで見ていたハーネスが立ち上がり、子供の襟首をつかんでいた。
「このクソガキ、ちょこまかと足元探りやがって!」
怒鳴り声が酒場に響き渡り、さっきまで騒がしかった酒場に何やら緊張が走る。
「放せ!」
子供、いや少年か。手を振りほどこうと暴れながら叫んだ。
チャリン チャリリン
少年の上着から何かが床に落ちた。
ハーネスは音の正体を拾い上げ、しばらく眺めてから周りに見せる。
「おい見てくれ! このガキは床を這いながら俺たちの金を盗んでいたぞ。」
周りからどよめきが湧き、不信感は少年に向けられた。
少年はどうしていいのかわからないのか、目を開いて口をパクパクして
「ぼ、僕はとってない!」と叫んだ。
——盗ってない、そう思いたいだけでしょう?
少年は驚いてはいるが、嘘を言っている......
「ああ? じゃあこの上着から落ちたギルはなんだ。」
ハーネスは少年をグイッと顔に近づけて睨んだ。
このご時世、物乞いの子供らが酒場で酔っている人からギルを盗むのはよく聞く話だ。この少年も身なりからして物乞いなのだろう。物乞いがギルを持っている可能性もあるが、床に落ちた30ギルも持っているとは考え難い。
皆の表情が曇る——
初老の男も少し複雑な表情でその現場を見ている。
窃盗をした物乞いの末路がどうなるのか誰もが分かっているのだ。しつけが可能な子供は労働力として高く売れる。そうと分かっていながらもこの状況では誰も助けようとしない。初老の言っていた通り物乞いに関わる理由もないのだ。
「盗みを働いた罪人は罰が必要だよなぁ!」
ハーネスは少年の首を掴み高く持ち上げた。
「あ"あ"!!」
自分の足元から叫び声が聞こえて思わず椅子ごと後方に倒れるかと思った。
テーブルの下を覗くと、テーブルの脚にしがみついた女の子が泣きながら唸っている。
いつの間にこんなところに——
「お兄ちゃんを離して!」
そう言ったかと思うと、女の子が泣きながらハーネスめがけて走った。
ハーネスの足にしがみつき足を必死に引っ張る。
「んだ? このクソガキが!」
ハーネスは足を振り出し、しがみついた女の子を遠くへ吹き飛ばした。
バキッ!
女の子はテーブルの足に激突して声も出せずうずくまった。
少女の手からは、汚れた野菜や芋の破片がこぼれ落ちる。
実際に窃盗を行う物乞いを見たことがあるが、彼らは必ずグループで行動する。一人で窃盗をする者はむしろ直接食べ物を盗む。おそらく空腹に耐えれず思いつきでそうなるのだろう。もし計画的に行動するなら厨房か倉庫を狙う。
ではなぜあの兄妹は食べかすを持っているのだろうか? 盗みに来たわけでなく、お腹を空かせた妹のために酒場の床に落ちた食べかすを拾いに来ていただけなのではないか。
ではギルはどうだろうか? たまたま目に入ったところにギルがあったから盗んだのだろうか。
それとも——
「ケッ、こいつも同罪だなぁ」
ハーネスは少年の首を掴んだままうずくまった女の子に近づいていく。
少年の顔が絶望の表情へと変貌していく。
「やめてよぉ、やめてくれよぉ......」
無力さを嘆くように懇願した願いは、誰にも届いていない。
さすがに胸糞悪い。
バンッ!! 思いっきりテーブルを叩く。
全部の視線が私に突き刺さってくる。
初老の男がびっくりして止めようとするが遮って叫ぶ。
「乱暴はやめなさい!」
気持ち悪い顔をしたハーネスの取り巻きたちが、こぞって馬糞でも突っ込んだごとく汚い口を開いて喋り出す。
「おいおいおいおいおーい。何を見てたんだねーちゃん。どう見てもギル盗んでるじゃねーか」
「その目は何穴だコラァー」
節穴と言いたいのだろう—— こいつとことん殴りたいわぁ。
「盗んだとしても乱暴して良いと思っているの? そもそもそのギルが盗まれたものかわからないじゃない。」
ハーネスが首をゴキゴキと鳴らしながら低い声で言う。
「物乞いが30ギルも持っているなんて考える方がおかしいだろう。たまたま目についた鞄にギルがチラ見えしていたら盗るだろう? 物乞いなら。」
「わざと見えるところに置いて、盗ませた可能性だって......」
「なんでそんなことしなきゃいけねーんだよ。」
「そうやって物乞い捕まえては、売り払っているそうね?」
「テメェ! 何を根拠にそんなこと言ってやがる!」
ズンと重い一歩で威圧してくる。
根拠ならここにいるわ。ビシッと言ってやる。
「この方から聞いたのよ!」
ポンと肩に手を置いて、ですよねー? と目で協力をお願いするも——
「ふは?」
素っ頓狂な声をあげて、初老の男は止まってしまった。
なんとかしたいと意味ありげにしていた割には使えなかった——
後でたっぷりその髭むしってあげますね。
「その男がそう言ったのか? ええどうなんだコラァ!」
少年を床に放り投げ、凄い形相でハーネスが近づいてくる。
「ハーネスさん、うちの店でこれ以上の騒ぎは勘弁してください!」
厨房の方から、先ほどエールを運んできたおっさん店長(仮)が血相を変えて走ってきた。
「この子達は一旦こちらで預かりますので......」
周りにも目配せし、ここで落ち着きましょうと無言の承諾を得る。
ここの常連なのだろうハーネスも、渋々と店長へと答える。
「しょ、しょーがねーな、今回はブロスさんに任せるわ。」
誰も敵わないと初老の男は言っていたが、このブロスという男には従っているじゃないか。さすがに出禁を食らうのは部が悪いと思ったのだろうか——
この様子ならなんとか落ち着きそうだ。
ふう、と安堵のため息を吐いて初老の髭を掴んだ刹那——
「この子供達にはちゃんと事情を聞いてから憲兵に判断を委ねましょう。」
ブロスがそう言った。
——言ったのか?
ぎゅっとお腹のあたりが締め付けられる。
——事情を聞く? 聞く気もないのに?
ブロスは子供達を抱えて厨房の方へと向かう。
——憲兵に委ねる? この人の言う憲兵を私は知らない。
何かが抜けたように足の感覚がない。
疑問がものすごい勢いで脳内を疾走してるからか世界が真っ白になっていく。
なんで——
この男は——
嘘を言ってるの?