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機械じかけの女神の迷宮  作者: 山口
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第一章第三節

 放棄街区。

 簡潔に述べるなら、それは廃墟となった街の迷宮である。

 帰還のために設置された魔法石の魔力量が十分であることを確認し、ディーターは赤茶けた空を見上げる。

 吹き抜ける風は乾燥していて、細かい砂がぱたぱたとディーターの革鎧を叩いた。

 壁や天井が朽ち果てた木造家屋、あるいは苔むした石造りの半壊家屋が土がむき出しの道に沿って並んでいる。

 先程まで見ていた、煉瓦造りの建物が主流なクラウゼンの街のそれとはかけ離れた光景。


 迷宮。


 探索者たちが『迷宮に潜る』という言い方をするので勘違いされがちだが、それは入り口から地下に潜るようなものではなく、『迷宮が存在する空間に転送される』という類のものだった。

 迷宮が果たして『どこに』存在しているか、転送の機序はどうなっているのか、大学で高等教育を受けた研究者たちがその謎を探っているが、未だ解明の端緒すら掴めていないというのが現状である。

「エレン、大丈夫?」

「うむ。ディーも大丈夫そうだな。気分が悪くなったら、すぐに言うんだぞ?」

 互いに声を掛け合い相手に問題がないことを確認して、クラウゼンの街の中央にあるものよりも、かなり小さい黒色の『門』から離れ、黄色い砂でうめつくされた地面の上に腰掛ける。

 転送直後は、転送酔いと呼ばれる目眩、場合によっては意識混濁が起こる場合があり、ある程度時間を置いてから出発するというのが探索者たちにとっての鉄則だ。

 ただ、その時間をぼんやりしていてももったいないので、ディーターとエレンは肩を並べて放棄街区の地図を確認する。

 多くの探索者が出入りした結果として、ほぼ完璧な地図が作成されており、ディーターが持っているのは組合を通じて購入したものだ。本来、地図の売買にはかなり厳しい制限があるのだが、『魔石使い』の『酔狂』だからと、お目溢しされた部分がある。

 ともあれ、放棄街区・第一層は『門』を中心に放射状に道が広がる構造をしている。

 八本の大通りがあり、そこから離れない限り見通しはいいが、一本路地に入るとかなり入り組んでいたりするので、初心者は大抵大通り上を探索する。

 地下の第二層に進む階段が六つ発見されており、地図にも記載されているが今日はそこへは近づかない。

 実際問題、半日という制限の中で第二層まで進んでその日のうちに戻ってくるとなれば、ただ歩くだけ、ということになってしまうし、探索者組合からディーターの護衛に派遣されているのがエレン一人というのは『遠出をするな』という組合からの警告でもあった。

 俺が今してる『探索』は、やっぱり『酔狂』の部類だよな。

 第一層の地図しか購入が許されなかったのもそういうことだと、ディーターは思う。

 けれど、探索者になるのは幼い頃からの夢だったのだ。

 たとえ、剣術士にはなれなくても、せめて、自分の中で折り合いがつくまでは迷宮を探索したい。

「それで、今日はどこの地区に行くのだ?」

 隣で地図を覗き込むエレンの腕が、ディーターに触れる。鍛えぬかれた、ディーターよりも余程堅い腕だった。

 エレンの役職は『騎士』

 腰に佩いた龍牙鋼の長剣を武器として戦う、前衛の戦闘職だ。剣術士と似たようなものと思われがちだが、大槍・大槌を用い、重装兵並みの全身鎧を着込んでの騎乗戦闘をも得意とする点が剣術士と違う。

 俺も、エレンみたいにそっちの才能があったらよかったのに。

 見つめる視線に気付いたのか、

「ん? どうした、ディー?」

 エレンが淡く微笑みながら顔をあげた。

 頬と頬、場合によっては唇が触れてしまいそうな距離なのだが、エレンはその辺りに頓着しない。

 だからディーターも気にせず、地図の右下の方を指差した。

「南東地区にしよう。この辺は下層への階段もないし、鉱脈もないから他の探索者を巻き込む心配もない」

「うむ。同業の探索者を罠にかけたとなったら、リーゼロッテ支部長殿にどんな目に遭わされるかわからんからな」

 笑いを含んだエレンの言葉だったが、ディーターにとって笑い事どころではなく、

「うん……」

 滅入った表情で頷き、エレンをさらに笑わせたのだった。




 放棄街区・第一層に出現する二種類の魔物のうちの一種、それが緑色の肌をした子鬼、ゴブリンだ。

 ディーターの腰ほどまでの身長しかなく、棍棒や短剣、革鎧で武装したゴブリンは常に二体以上で行動し、相手が自分たちより強いと見れば即座に逃走し、弱いとなったら執拗につきまとってくるという嫌な性質をもっている。

 ゴブリンを片手間にあしらえるようになって探索者として一人前、とはよく言われることだが、『ゴブリンの壁』を越えられない探索者は実は存外に多い。

 体格は小柄でも成人男性以上の膂力があるし、皮膚そのものも人間に比べると遥かに硬い。

 また、意外と警戒心が強く、探索者を待ち伏せて奇襲する程度の知能を持っているし、一旦撤収した後多くの仲間を引き連れて多勢でもって探索者に襲いかかるということもやってのける。


 そんなゴブリンが三体、大通りの脇道を歩いていた。

 それぞれが棍棒、短剣、鉈を腰にぶら下げており、三匹とも革鎧を身に着けているが、棍棒を持った一匹だけ三角形にとんがった帽子をかぶっている。装備品の多さがゴブリンの序列を示しているから、棍棒のゴブリンがこの三匹で一番偉いということになる。

 鼻をひくひくさせながら、ゴブリンはきょろきょろと周囲を見回していた。

 これは陰湿で臆病なゴブリンの習性のようなものなのだが、そのうちの短剣のゴブリンが、

「ぎぃっ!」

 小さな声を上げて足を止めた。

「ぎ、ぎぎ、ぎぃっ!」

「ぎぃ、ぎっ!」

「ぎぎぃっ!」

 短剣のゴブリンの声に応じて、残りの二匹がぴょんぴょん飛び跳ねつつ叫びだす。

 ゴブリンに高度な言語は存在しない、というのが多くの迷宮研究者たちの見解だ。

 せいぜい、警戒、集合、逃走などの合図として単語を叫んでいるに過ぎない、と。

 短剣のゴブリンが発したのはおそらくは警戒を促す声で、その指先が指し示ていたのは、地面から突き出した真っ赤な半球だった。

 見るものが見れば、それは魔法石、それも火の魔力が込められたものであるのは明らかだったのだが、不思議と迷宮の魔物たちは魔法石に対する警戒が薄い。

「ぎっ、ぎっ!」

「ぎ、ぎぃっ!」

「ぎぃっ!」

 恐る恐る、あるいは興味津々とも見えるような足取りで、三匹のゴブリンは地面から付き出した魔法石に近づいていく。

「ぎぎ……」

「ぎぎぃっ」

「ぎっ、ぎっ!」

 一定の距離に近づいたところで三匹は顔を見合わせ、ぎぃぎぃ、と声を上げる。

 彼らの中で何かしらの意思疎通があったのか、鉈のゴブリンを先頭に三匹はじりじりと魔法石に近づいていく。

 やがて魔法石が射程に入ったところで、ゴブリンが鉈を振り上げーー同時にディーターは魔法石を励起する。

 魔法石を中心に、赤い光を帯びた魔力回路の幾何学模様が地面の上に浮き上がった。

「ぎっ?!」

 ゴブリンが異変に気づくと同時、魔法石から放出された魔力が回路の規定する現象をその場に顕現する。

『火炎柱』の魔力回路を通して解放された火の魔力は、魔法石を中心とした狭い一帯にいくつもの炎の柱を発生させた。

「ぎぎぎぃっ!?」

「ぎぎゃぁっ?!」

 ゴブリンたちを包んだ炎の柱は、回路上を荒れ狂い、ゴブリンの絶叫が響きわたる。

 同時に、ディーターとエレンは脇道から飛び出していた。

 ほんの数秒ほどの短時間で炎の柱は消え、装備ごと黒焦げになった鉈のゴブリンが倒れ伏したが、魔法石から距離があった残りの二体は大火傷を負って叫んでいるとはいえまだ立って動いている。

「ディーは左!」

「わかった!」

 こちらに気付いて逃げ出そうとするゴブリンの背後にエレンが駆け寄った。

 踏み込んだ右足ごと体を沈め、抜き打ちざまに剣を一閃。

 半分焦げたゴブリンの首が赤茶けた空を舞った。

 ディーターは探索者組合を通じて特注してもらった三連射が可能な試作型連弩を、やはり半分焦げたとんがり帽子のゴブリンの背中に向け、斉射。

 背中に三本の矢を突き立てられたゴブリンは前のめりに吹っ飛んで、地面の上を滑ったあと、動かなくなる。

 ディーターとエレンが、それぞれ自分の役割を果たしたことを頷き合って確認した直後、黒焦げになっていたゴブリンの体をその体内から滲みだすようにしてあふれ出してきた白い光が包んだ。続いて、二匹のゴブリンの体も。

 光が一瞬大きく輝度を上げ、破裂するようにして消えた時、ゴブリンの死体は装備ごとあとかたもなく消え去っており、かわりに、そこには三つの方形の水晶ーー魔結晶が残されていた。

 手のひらに乗る大きさのそれをエレンが拾い上げ、透かし見るように掲げた。

「小振りな火の魔結晶が一つ、水の魔結晶が二つ、か」


 迷宮から産出される魔法石・魔結晶。それは迷宮内の魔物を倒すことで得られるものなのだった。

 迷宮近隣が継続的に発展するためには魔法石・魔結晶が必要で、だからこそ迷宮からそれらを持ち帰る探索者を支援する組合が存在するわけである。

 なぜ、魔物が魔法石・魔結晶となるのか。

 バウスネルン卿が記した『真説・迷宮考』にそれを説明する仮説はあるが、未だ確かめられたわけではない。


「やっぱり、一網打尽は難しいかぁ」

 呟いてディーターはとんがり帽子のゴブリンが倒れていた地面の上に転がっていた三本の矢を回収する。ついでに地面に半ば埋め込まれていた半球状の魔法石も回収。両手のひらを広げたくらいの直径の鉄の円盤の中央に埋め込まれた拳大の魔法石の魔力は、ほとんど消費されていた。

「魔術士の魔力行使とは変換効率が違うからな、仕方あるまい」

 魔術士は魔法石に込められた魔力を、魔力回路を必要とせずに直接自らの思うがままに行使する。

 実際には魔術士も頭の中で回路を組んでいるのだと言われているが、それを魔法石上に魔力回路として再現できる彫刻士はいないし、頭の中の回路をこうと説明できる魔術士もいない。

 今回ディーターがやったように、魔力回路を刻んだ魔法石で擬似的な魔法を行使するという手法は魔力の無駄な損耗が大きく、魔法の威力としては格段に落ちる。

「もっと効率のいい魔力回路が刻めないか、クリスタに相談しないとなぁ」

 クリスタ、とはディーターの馴染みである、魔力回路を魔法石に刻む彫刻士のことだ。

 魔石使いのディーターは魔力回路に魔力を充填することはできるが、魔力回路の形成については門外漢だ。

 一方彫刻士の方は魔力こそ見えないが、魔力回路を通じてどのように魔力が顕現するかということについて膨大な知見を持っており、両者は非常に近しい関係にある。

 商売上の相棒と言い換えてもいい。

 彫刻士は情報の拡散を嫌うので、魔石使いは特定の一門の彫刻士としか付き合わないことが多い。

「うむ。クリスタ殿は若いが確かな腕を持っているからな。必ずや妙案を授けてくれるだろう」

「うん。この炎撃罠をもっと高効率化・小型化、ついでに安価にできたら、なりたて探索者が迷宮から帰ってこない、ってことも減らせると思うんだ」

『酔狂』の迷宮探索かもしれないが、ディーターはそれを『酔狂』で終わらせたくない。

 といっても、迷宮深部を踏破して『主』を撃破、というのはもう半ば諦めてはいた。

 だから魔石使いという立場で迷宮探索に貢献したいと、『酔狂』のついでにクリスタとともに試作した魔法石を用いた罠の実地試験を行っているのである。

 魔力が扱えるかどうかは才能によるが、魔法石に込められた魔力を励起し、魔力回路を通じて顕現させることは魔力回路に制限が刻まれていなければ、ほぼ誰にでも出来る。

 だから、こういった魔力回路を刻んだ魔法罠、というのはこれまでにも存在していた。

 だが、魔力変換効率が悪いために威力が低く、さらに魔法石を用いているために値もそれなりに張る。

 上層をうろうろする駆け出し探索者にとっては高いが、中層・下層では威力不足。

 商品として成り立っていない、というのが魔法罠の現状だ。

 それを少しでも変えたい、とディーターは思う。

 安価で威力のある魔法罠を作ることが出来たのなら、戦闘の才能がなくとも迷宮探索に貢献できるだろうから。

「もう十分情報も取れたし、今日はここまでにしようか」

「うむ。そうだな。頑張るディーのことを、お姉ちゃんは誇りに思うぞ」

 何をしても褒めてくれる、そんなエレンにどう反応していいかわからず、とりあえず照れ笑いしながら炎撃罠と自ら名づけた円盤をディーターが腰に引っ掛けた、その瞬間だった。

「ミヤァオゥ!」

 甲高い鳴き声が空気をと震わせた。

 続いて、男性の絶叫が大通りの方から響いてくる。

 乾いた風に血の匂いが交じった。

「……ディー! お姉ちゃんの後ろに!」

 即座に反応したエレンがディーターの襟首を掴んで、強引に自分の背後に押しやった。

 同時に、響きから声の発生源をある程度絞り込んだらしいエレンは、ディーターの肩を押してその場に座らせようとする。

「ディーはここに! 絶対に大通りに出てきては駄目だぞ!」

 言うが早いか、エレンは大通りに向かって駆け出していた。エレンに押され体勢を崩していたディーターも慌てが後を追うが、身体能力の差もあってエレンとの距離はあっという間に開いていく。

 大通りに飛び出していったエレンに遅れること数秒、ディーターは脇道から顔だけだして大通りの様子をうかがう。

「ミヤァァァオウッ!」

 先ほどと同じ大音声にディーターは思わずびくりと体をすくめた。

 成人が四人横に並んで歩ける大通りをほぼ塞ぐほどの大蜘蛛と、

「アラクネーか!」

 それの進行方向を塞ぐ形で対峙するエレン。


 アラクネー。

 放棄街区・第一層にごく稀に出現する、蜘蛛の胴体に猫の頭部が付いた大型の魔物だ。

 頭部以外の全身を覆った黒光りする外骨格は硬く、生半可な武器は通用しない。壁や天井を這いまわる三次元機動を得意とし、口と尻から吐き出す糸に絡め取られたなら脱出は困難。

 第一層を探索する初心の探索者が屋内で遭遇したらまず生き残れない、厄介な魔物だ。

 そのアラクネーは猫の頭部から汚らしい涎を周囲に振りまきながら、黒い剛毛と外骨格に覆われた八本の脚を、地面や壁に出鱈目に突き立てながらエレンに向かって驀進してきている。

 黄色い土煙を上げるアラクネーの脚に引っ掛けられそうで引っ掛けられない、そんな微妙な位置に人影を見つけ、ディーターは息を呑んだ。

「……エレン! アラクネーの足元に、人!」

 一人は長い髪を後頭部で結わえ、着物と呼ばれる防御力はほぼ皆無な黒い布地に身を包んだ男性で、額から血を流していた。何か鉄板のようなものを担いだまま、器用に、だが必死の形相でアラクネーの爪から逃れている。

 もう一人は栗色の髪をした女性で、厚手の革鎧をまとった背中に自分の身長の半分ほどの幅のある弩を背負っていた。こちらには怪我らしい怪我はないようだ。

「エレン!」

「ディーは下がっていろと言った!」

 再び叫んだディーターの方を見ようともせず、エレンは身を低くして逃走中の二人とすれ違った。

「このまま振り返らずに『門』まで走れ!」

「かたじけない! 恩に着る!」

 エレンの声に男性が応じ、ディーターの眼前を二人が横切った。

「エレン!」

 こういう事態に何もできないことを歯がゆく思いつつ、それでも応援したくてディーターは叫んだ。

 逃げずに立ちふさがるエレンを警戒したのか、八本ある脚のうち六本を器用に使って自身の勢いを殺して後退しつつ、アラクネーは鋭い爪を備えた前脚二本を振り上げた。

 エレンは剣の柄に手をかけ、勢いのままに身を低くしてアラクネーの体の下に潜り込む。

「ミャアッ!」

 アラクネーの爪がが振り下ろされるよりも先に、エレンは脚の隙間をぬうようにしてアラクネーの右側面へと抜けていた。

「ふっ!」

 身を翻し、鞘に収められていた剣を一閃。先ほどゴブリンと屠った時と同じく鞘走りで剣速を増した、東方の剣術士や騎士たちが得意とする居合抜きだ。

「フギャァッ?!」

 ディーターでは視認することも困難な神速の一撃が、アラクネーの右側の三本の脚を切り飛ばしていた。

 右側を支える脚を失ったことで、緑の体液を撒き散らしつつ体勢を崩したアラクネーの胴に脚をかけてその背に駆け上り、エレンは頭部めがけて竜牙鋼の剣を振り下ろす。

「ミギャァッ?!」

 頭部を真っ二つに割られたアラクネーはばたばたと暴れるが、そこから振り落とされないように体勢を保ちつつエレンはさらに斬撃を加えていく。

 苦し紛れにアラクネーが伸ばした前肢を一瞥もすることなく叩き落とし、返す剣の一撃がアラクネーの頭を割る。

 その姿を、ディーターは見惚れるような面持ちで見つめていた。

 放棄街区はクラウゼンの街に存在する八つの迷宮の中で最も易しい部類だと思われている。だが、一対一でアラクネーをこれほどまでに簡単にあしらうことができる探索者は、そう多くはないという現実がある。迷宮では難敵は複数で取り囲む戦術が基本で、難度の高い迷宮では20人近い探索者が組むというのも珍しいことではないのだ。

「ギャフベロハギャベバブジョハバ!」

 アラクネーの断末魔が響き渡る。

 どすんと、黄色い地面の上に倒れ伏したアラクネーの横に、エレンがふわりと優雅に舞い降りた。

 同時にエレンが持つ竜牙鋼の剣の柄に仕込まれていた魔法石の励起状態が解除される。

 いくらエレンが竜牙鋼の剣と高度な技術を持っているとしても、女の膂力でアラクネーの外骨格を切り裂くのは難しい。だからエレンは風の魔力を自らの剣に乗せて切りつけたのだった。

 日常の生活に魔法石が用いられているように、武器にも魔法石は活用されている。

 だが、近接武器を振るいながら魔法石を制御するのは容易なことではなく、それができて初めて一流の探索者になる資格を得ることができる。

 自分がなりたいと夢見ていた、理想の探索者の姿をエレンに見てディーターの胸は熱くなる。

 剣についた緑の体液を血走りで払いのけたエレンは、路地から顔を出すディーターに笑いかけた。

「ディー、怪我はないか?」

 聞かずもがなのことを問いかけるエレンに、やや頬を紅潮させながらディーターは頷いた。

「あ、うん、大丈夫。エレンは大丈夫? 怪我とかないよね? エレン、すごく、格好良かったよ?」

 照れ隠しに見ればわかることを問いかけてしまっただけでなく、余計なことまで口走ったディーターの言葉にエレンは嬉しそうに、物凄く嬉しそうに頷いた。

「うむ。怪我などないぞ。ディーが側にいて応援してくれるなら、お姉ちゃんは無敵だ」

 思わずディーターが耳まで赤面してしまう台詞を吐いたエレンの背後でアラクネーが白光に包まれる。

 そこに残されたのは先ほどディーターが『炎撃罠』に使ったのと同程度の大きさの魔法石だった。

「……う、うむ。アラクネーが魔法石になったな。やったな」

 先の発言の直後に自分が恥ずかしくなってしまったらしいエレンが顔をそらしつつ呟いた。

「……あ、うん。この大きさなら結構な値段になるね」

 応じるディーターも、残された魔法石を回収しつつ、身に覚えがあるので深くは追求せず、

「……」

「……」

 頬を染めつつ向かい合った二人は、

「む……時間的にもそろそろ『門』に戻るべきだな」

「……そうだね」

「ディー、一応言っておくが、『門』に戻るまでが探索だぞ?」

「わかってるよ」

 それぞれに周囲を警戒し魔物の気配がないことを確認してから、並んで歩き出した。

「……」

「……」

「ディー」

「うん?」

「さっきも言ったが、戻るまでが探索だ。不意にまたアラクネーに襲われるということもありうる。そういう時に、はぐれてしまっては困る。というわけでだな、その……」

「……うん」

 隣から控えめに伸ばされていたエレンの手を、ディーターは強く握りしめた。

「むう……」

 呻くように呟いたエレンの表情は、言葉の響きとは裏腹にいかにも晴れやかだった。

「エレン、いつも申し訳ないけど、『門』への案内は任せていいかな」

「ふふ、お姉ちゃんに任せておけ!」

 むふー、と鼻から息を吐いて満足気にエレンは頷いた。

 ディーターがエレンと組み始めてすぐの頃だった。迷宮から帰還しようとしたところでディーターが転倒し、エレンに手を引かれて『門』に引き上げて以降、なんとなく理由をつけて二人で手を繋いで帰るのが慣例となっていた。

 幼い妹達に両手・両足にしがみつかれていたディーターは女性との接触に抵抗はないし、同じように兄姉にあれやこれやと可愛がられていたエレンもそこは同様だった。

 誰かの体温や息遣いを感じているとなんとなく安心する。いつも家族全員での雑魚寝という生活を送っていたディーターはそんなふうに思うのだが、エレンの方がどう感じているのかは確認したことはない。

「エレン、今日の夕飯は何にしよう?」

「ふむ。ディーは何が食べたい?」

「肉! 羊は昼に食べたから、夜は牛がいいかな!」

「ディー、肉が好きなのはわかるが、野菜を食べることも健全な体作りのためには大事なのだぞ?」

「え? なんで? 肉が食べられるのに、なんで草食べるの?」

「む。やはりそういう認識か……ディー、いいか、物事は何事も調和というものが大事なのだ。どちらか一方に偏っていてはだな……」

 帰途で本日の夕食を何にするかを決めるのもいつものことなら、互いが互いの知らない面を知り、あるいは知らないことを再確認するのも、いつものことなのだった。


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