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機械じかけの女神の迷宮  作者: 山口
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第一章第二節

 探索者たちが待ち合わせや仲間探しに使う一階は閑散としていた。

 もうほとんどの探索者が迷宮に向かったのだろう。

 ここも二階と同じで中央が長机で仕切られ、向こう側では組合の職員たちが忙しそうに走り回っていた。

 掲示板に貼りだされた『魔術士求む! 若い女性なら尚可!』と書き込まれた紙片を一瞥して苦笑し、ディーターは待ち合わせ場所へと向かう。

 組合直営宿舎との渡り廊下に近い一角では簡単な食事や飲み物が供されており、そこで杯を傾けていた女性がディーターに気がついて片手を上げた。

「む。ディーター、もう終わったのか?」

「うん。待たせてごめんね、エレン」

「いや。もう少し時間がかかるかと思っていた。存外早く支部長殿の引き止めを振り払ってこれたのだな?」

「ああ、うん……機嫌が良かったみたいでね……」

「そうか。それは重畳だ」

 炎のように赤い髪を項でまとめた、東方民族に特徴的な切れ長の瞳をしたエレンは、ディーターの迷宮探索の仲間であり、同時にフェルケ探索者組合から派遣された護衛兼監視である。

 希少な魔石使いに、『酔狂』の迷宮探索などで命を落とされてはたまらない、ということだ。

 また、護衛が女性であることにも当然理由がある。

 エレンは東方的美貌を備えた女性で、迷宮から産出される龍牙鋼を薄く叩いて伸ばしたものを鉄鎖で編み上げた鎧は体に密着し、リーゼほどではないがエレンの女性らしい体の曲線を浮かび上がらせている。

 つまり、エレンはディーターの護衛と監視だけでなく、ディーターを誘惑する役割も担っているのだ。

 探索者組合が希少な職業に就いている人間に対しよくやることだと、ディーターは養成校の実地研修で世話になった魔石使いの先輩から聞かされたことがあった。

 結婚し、家庭を持った探索者の多くは迷宮に潜るのをやめ、安定を求めるようになる。

 あてがわれる女性探索者も、金を稼げる役職の男との結婚できれば様々な危険が存在する迷宮に潜らなくてもよくなる。

 組合、女性探索者、双方に利益があり、場合によっては希少役職の男性にとってもそうだ。

 俺みたいな冴えない男があんな美人の嫁さんをもらえたのは組合のおかげだ。

 魔石使いの先輩はそう言っていたが、ディーターは魔石使いの仕事だけに専念する探索者生活など送りたくはない。

「それで、今日はどこの迷宮に潜るのだ?」

 ただ幸いというか、エレンの場合は三番目の役割をあまり意識していないようで、そもそも聞かされてすらいない可能性があるのではないかと、ディーターは思っている。

 エレンは武人一辺倒で、一緒に迷宮に潜るには頼もしいのだが色恋沙汰、というか人間関係の機微には疎いようなのは二月ほどの付き合いでわかっていた。

「今日も放棄街区にしようと思ってるよ。昨日試した炎撃罠をもうちょっと使ってみたい」

「うむ。放棄街区か。初心者探索者用の簡単な迷宮だな。ディーターにはもってこいのところだ」

 全く悪気のないエレンの言葉に、びくりとディーターは体を震わせた。

「剣術士を志していたと以前きいたが、魔石使いの職に就けて僥倖だったな。ディーターの体力と打たれ強さ、それに逃げ足の速さは評価できるが、近接戦闘の才能は皆無だからな。おそらく、支部長殿と一対一で戦っても勝てはすまい」

「……だよね」

 ディーターはわかっていた。わかっていたのだ。自分に剣術士になる才能がないことを。

 村では牧羊犬とともに羊を追い回していたため、かけっこは早い。父や兄とはよく殴りあいの喧嘩をしていたから、自然と打たれ強くもなった。村で剣術・拳術を教えていたマルクス先生もそこは褒めてくれた。だが、組手となるとてんで駄目だった。

 相手の木剣を受けようと木剣を掲げたら、掲げたすぐ脇を斬撃が通過し痛打される。

 振り下ろした木剣が手からすり抜けて彼方へ飛んでいくこと日に数回。

 ディーターが勝てるのは、どちらかの体力が尽きるまでひたすら殴りあう乱打戦の形に持ち込めた時だけで、実戦でそれをやったら命がいくつあっても足りない。

『ああー、うん……ディーはね、全体をよく見通せてるんだけど、近くが全然見えてないんだよな……剣術士とかじゃなくて、もっとこう、なんというか……そう、ここで父上の後を継いで羊飼いとして暮らすのがいい。うん、きっとそうだ』

 それでも迷宮探索者になるという夢を諦められず、村を飛び出してクラウゼンの街に来たはいいが、そこでもディーターの夢は打ち砕かれた。

 自分は、可憐な美少女魔術士を守る剣術士には到底なれないのだと。

「ディー! どうした?! 気分が悪いのか?!」

 口から魂の一部を吐き出していたディーターの肩をエレンが掴んでがくがくと揺さぶった。

「……いや、なんでもないよ」

 おそらくリーゼロッテ支部長殿は誘惑ではなく、『こっち』の方向でこちらの意志を挫くことにしたのだろう。そうディーターは判断する。

 悪意のない、客観的な意見。それは実に効果的だった。

「ディー! もし体調が悪いなら隠さずに私に……お姉ちゃんに言うんだぞ?! いいな?!」

「うん……大丈夫だよ、お姉ちゃん」

 蒼白な顔でディーターは力なく笑った。

「そうか。なら、いいんだ」

『お姉ちゃん』という言葉に反応し、むふー、と満足気にエレンは息を吐いて頷いた。

 実のところ、クラウゼンに探索者を目指してやってくるディーターのような元・羊飼いはほとんどが南方の草原地帯の出身だから、東方出身のエレンとの間に血縁関係はない。

 八人兄妹の末っ子で弟妹が欲しかったというエレンは、初対面時に、

『私のことをお姉ちゃんと思うように!』

 と臆面も無くいってのけてディーターを困惑させた。

 エレンは実際にディーターより二歳ほど年上で、『お姉ちゃん』扱いすると喜ぶ。大変無邪気に、喜ぶ。

 本当にディーターを弟のように思っているようで、こき下ろす時も決して悪意はなく、だからディーターもエレンを憎めない。

「じゃあ、エレン。そろそろ迷宮に向かおうか」

「うむ。そうするか、ディー」

 エレンは杯を置き、二人はフェルケ探索者組合の扉を押し開けた。

 せっかくの探索に向かうディーターの足は、正直なところほんのちょっとだけ、重かった。



 通例として、迷宮は国もしくは街の中心に位置する。

 迷宮が生まれて、そこに人が集まるから、当然としてそうなるのである。

 そして、これは慣例ではあるが迷宮の東西南北に四つの探索者組合が配置される。

 北に、戦闘職を管轄するアルムガルト探索者組合。

 南に、魔法関連職を管轄するフェルケ探索者組合。

 東に、多数の商人を擁し実質的には商会であるハンクシュタイン探索者組合。

 西に、鍛冶職人などの戦闘支援職を統括するシュトルム探索者組合。

 実際に迷宮に潜るのはアルムガルト探索者組合とフェルケ探索者組合に所属する迷宮探索者で、単に『探索者組合』という場合にはこのどちらかを指すことが多い。

 また、あまり知られていないことであるが、実は四つの探索者組合の母体は同じである。

『探索者はもっと連帯すべきだ』と、353年ほど前に『暗点城跡』を攻略しカレンベルク公国の創立者となったラングハイム卿が探索者組合の設立を提唱した。

 ただ、安寧による停滞を好まなかったラングハイム卿は組合をそれぞれの役割によって四つに分けて競争を行わせるようにし、現在に至っているのである。

 探索者組合の本部は今でもカレンベルク公国にあるが、当の組合職員にもそれを知らない人間は多い。



 ディーターはエレンと並んで南大通を北上して迷宮を目指して歩いていた。

 意外なことだが、多くの探索者たちは早朝から迷宮に向かい夕刻に帰ってくる。

 だから大抵の場合、迷宮近くは昼過ぎには人通りが途絶えている。

 昼過ぎに迷宮近くに探索者たちがいるのは、単に休暇か夕刻にならなければ侵入できない迷宮がある場合などに限られている。

 だが、クラウゼンの街の場合はちょっと事情が異なる。

 多くの探索者がすでに迷宮に潜った後だというのに、迷宮に続く大通りの人の流れはまだ途絶えてはいなかった。

 串揚げ等の料理を提供している屋台や、耳飾り等の装飾品を売る出店が左右にひしめき合っている大通りを歩いている人々の内、三割が探索者で二割が街の人間、残りの半分は明らかな観光客だった。

 クラウゼンはまだ一五年程度の歴史しかない街で、国ですらない。

 それでも近隣から観光を目的としてクラウゼンの街を訪れる人間は多い。

 理由は単純だ。

 クラウゼンには複数の迷宮が存在する。

 複数の迷宮を擁する街というのは、非常に珍しい。


『放棄街区』

『非可換諸島』

『永劫農場』

『背理病棟』

『戯曲架線』

『虚数教会』

『配位廃城』

『礼賛海溝』


 以上が、クラウゼンの街と繋がっている迷宮である。

 八つもの迷宮が同時に存在する地は史上初と言っていい。

 平野のど真ん中に生まれた迷宮の初期調査の結果が知れ渡ると、命知らずの探索者たちが組合が整備をするより前に大挙して訪れた。

 人が集まれば金が集まり、それがさらに人と金を呼ぶ。

 しかも各迷宮がなかなか歯ごたえがあるとなれば、有名探索者も興味を示し『高名な誰それがクラウゼンに向かったらしい』『じゃあ俺も行ってみるか!』『複数の迷宮があるなら一つくらい制覇できるかも?』『きゃぁー! 漆黒の狂戦士(役職名)エーベルハルト様が今はクラウゼンにおられるそうよ! 会いに行っちゃおうかしら、きゃぁー!』そんな感じで、今でもクラウゼンの街は肥大を続けている。

 迷宮の発見からこっち、クラウゼンの街は常にお祭り状態で、その活況をひと目見よう、そして祭りに参加した気になろう、という観光客もひっきりなしなのである。

 そういう冷やかしを嫌う探索者もいるが、ディーターはそうではない。

「あ、エレン。サーフォク羊の香草焼きがあるよ。あれ、お昼ごはんにしようよ」

 多くの人と物が集まるところでは、美味しい料理が食える。それをディーターは知っている。

「む。そうだな。店主、香草焼きを二人分、あと葡萄汁も頼む」

「あいよっ!」

 威勢よく応じた店主は鉄板の上で香草とともに焼かれていた羊肉を包丁で一口大に刻んでから、木製へらを器用に操って焼き物の皿の上に移し、その上にぱらぱらと生の刻んだ香草をふりかける。

 皿を受け取ったディーターは屋台の横に設置された飲食用の机の方に歩いて行く。その後を、支払いを終え葡萄を絞った汁の入った焼き物の杯を両手に持ったエレンが続く。

 観光客で埋まった机の端の方に席を確保し、向かい合わせで腰掛けた二人はともに手を合わせる。

「いただきます」

「いただきます」

 木製の串を羊肉に突き刺して口元へと運ぶ。羊肉の生臭さを香草の鮮烈な香りが消していて、かつ塩加減も絶妙だ。

「おいしい!」

「うむ。そうだな。ただ……これまで疑問に思っていたことなのだが、ディーターは元々羊飼いだったのだろう? 羊の肉を食べることに抵抗はないのか?」

「ないよ」

 エレンの問いにディーターは即答した。

 羊飼いの暮らしは質素だ。朝食は黍の粥、昼食はなく、夜は麦の粥か麦の粉を水で練って固めたものが一つか、二つ。

 肉が口にできるのは年に二回、村を挙げて行う新年の祝いと夏に行われる近隣羊飼いの会合の時だけ。その時だけは羊をつぶして、豪勢な食事が振る舞われた。

 抵抗がない、どころか、ディーターにとっての『ごちそう』とは羊肉のことなのである。

 色々不本意な状況ではあるが、食べたくなった時に羊肉が食べられるという点に置いて、村から出てきてよかったと、ディーターはそう思うのだ。

「そうか」

 説明を受けたエレンは柔らかに微笑んだ。

「ディーターに魔石使いの才能があってよかったな。剣術士などを目指していた日には、命がないか、ろくに稼げず残飯を漁ることになっていただろう」

 ぐ、とディーターは息を呑む。いっそ、悪気があってくれればとすら思う。

「どうした? ああ、ディー、ほっぺに香草が付いているぞ?」

 手を伸ばしてディーターの頬、というか唇の端についていた赤い香草の欠片をつまみ上げるとエレンは自分の口に放り込んだ。

「本当に困ったやつだ。お姉ちゃんがいなければ、恥をかいていたところだぞ?」

 ディーターの頭を撫でながら、照れたようにエレンは笑う。

「あ、うん。ありがとう……」

「うむ……」

 ふと二人の間に微妙な沈黙が落ち、しばらくは肉を喰むもそもそとした音だけが響いていた。

 ディーターは上に兄が一人、下に妹が四人いる。父・兄はまさに野生児を体現するようながさつな人間で、ディーター自身や母・妹達も少々汚れていて当然という環境で育ったため、こんな風に細やかに気を使われることに慣れていない。

 エレンは兄や姉を参考に『お姉ちゃん』っぽく振舞っているつもりなのだが、まだそれに慣れておらず、自分が時に兄や姉に対して思ったように、ディーターに鬱陶しがられていないかどうか、気になって仕方がない。

『なんか当初の思惑と違うけど、あれはあれで面白いから良し!』

 とは、人選を行ったリーゼロッテ支部長の言だ。

 エレンは東方に存在する、歴史あるローテンベルガー王国の騎士の家の出で、武者修行という名目でクラウゼンを訪れていた。

 最初に仲間を組んだ探索者の男たちに迷宮内で襲われ、返り討ちにして以降、迷宮探索に積極的になれずにいたのだが、『本国にいると本家・分家の家督争いに巻き込まれる可能性が高いから、状況が落ち着くまでは帰ってくるな』と武者修行に送り出された身だから国に戻るわけにもいかず、悶々とした日々を過ごしていた。

 そして、探索者組合は希少役職者をたらしこむための人材ーー見目麗しく、出自も確かで、特定の仲間がいない探索者をいつでも探している。

 そんなわけで、以前からエレンに目をつけていたリーゼロッテが魔石使いの少年の護衛を打診したのである。

 軽度の男性不信に陥っていたエレンだったが、とりあえず話だけでも、とリーゼロッテの言葉を聞く姿勢を示したのが運の尽き。

 農村から出てきた世間知らずだが、魔石使いという要職にある純朴な少年。そんな少年に対して八方から伸ばされるであろう悪の誘惑を切り払い、正しい道に導かねばならない。

 リーゼロッテによってかなり歪められた話を聞いたエレンは、魔石使いの少年ーーディーターを護ることに騎士道を見出してしまったのだった。

 ゆえに、『期限は定めず』という条項が契約書にあっても躊躇なく承諾した。

『ついでに家族になっちゃってもいいのよ?』

 というリーゼロッテの言葉を斜め上に解釈したエレンは、

『む。ではお姉ちゃんということで』

『……は?』

 リーゼロッテを絶句、そして大爆笑させたのであった。


「ごちそうさま」

「ごちそうさま」

 ディーターとエレンの二人は同時に食事を終えていた。

 双方ともに切り替えが早いというか、仲の良い大家族で育ったせいで細かいことは気にしない性質なので先ほどの妙な間のことはすっかり頭の中から追い払って、てきぱきと食事の後片付けをする。

 エレンが備え付けの布巾で机を拭いている間に、ディーターは屋台の横に設置されていた大きな箱の中に陶製の皿と盃を放り込む。陶器の割れる音が響いてくるが、こういう屋台で供される陶器は使い捨てなので問題ない。

 屋台に対する衛生管理は非常に厳しく、黴の生えた器を使い、食中毒でも起こそうものなら店主は営業停止だけでは済まない。具体的には、探索者たちから闇討ちに遭う。

 お腹も程々に満たされたところで、二人は再び迷宮に向かって歩きながら打ち合わせを続ける。

「ふむ。ディーター、再度確認だが、今日は放棄街区で先日の炎撃罠をもう一度試すということでいいのだな?」

「……あ、うん。そうだね」

「階層はどうするのだ?」

「第一階層にしようと思ってる。放棄街区の場合、下層に潜っても危険度が上がるだけで、旨みはないし」

「ふむ。妥当だな」

 エレンはあくまでディーターの護衛という立場なので、迷宮探索の方針はディーターがたてる。それがあまりに無謀であれば諫言はするつもりだったが、今のところディーターは『身の程をわきまえている』のでそういう事態にはなっていない。

 細かな打ち合わせをしているうちに、クラウゼンの街の中央、迷宮の入り口へと到達していた。


 迷宮の入り口、といってもぽっかりと地下に続く穴が開いているわけではない。

 二階分くらいの高さの、黒い石で組まれた直方体の建物。

 それが、クラウゼンにある迷宮の入り口だ。

 迷宮の入り口は鉄柵で囲まれ、鎧を身に着けた探索者組合の職員が警護と巡回を行っている。

 迷宮に入るには鉄柵の東西南北に四探索者組合が共同で設置した門を越えなければならない。

 エレンとディーターは南側の門にある受付に近寄り、顔見知りの門番に片手を上げる。それに気付いた門番も手を上げて応じた。

「お、ディーター。相変わらずの、のんびり出動じゃねえか」

 鎧はつけていないが鍛えあげられていることが、だらしなく着崩された探索者組合の制服の上からでもわかる茶色の短髪の男が、にやにやと笑いながら言った。

 顔の右半分に青い竜を象った文様があるが、これは刺青ではなく毎朝自分で描いているらしい。理由は『当然、かっこいいからだ!』

「しょうがないじゃん。午前中は別の仕事があるんだからさ」

 がさつで頭の悪い感じが兄によく似ているせいか、ディーターも気安く応じた。

「ああー、はい、はい、魔石使い様は大変だわな。いや、いや、いつも、いつでも、感謝しておりますよ。俺が風呂で汗を洗い落とせるのも魔石使い様のおかげでございます」

 門番は大げさに両手を上げるが、不思議とこの門番がおどけたように言うことだと不愉快に思えず、むしろディーターは微笑んだ。ついでに、拳を掲げて振り下ろす。

「感謝は言葉だけじゃなくて、態度でも示してほしいな」

 ディーターの拳をぱっと受け止めた門番は、そのまま絡めとるようにして腕を引っ張り受付の奥の方にディーターを引っ張りこんだ。

「……で、エレオノーラさんとはどこまで進んでるんだ?」

 逃げられないようにがっちりと肩、腰を抑え、門番はディーターの耳元で囁いた。

「どこまでって……別に」

 こういう下世話なところも兄に似ていて、ディーターは思わず苦笑する。

「おま……何いってんのお前? エレオノーラさんの美貌と、なんつーか、乳房的な何かに、下半身からこう、そそり立つ激情? みたいなのはねえのかよ? 組合公認だろ? 俺だったらもう、しっちゃかめっちゃかだぜ?」

 意味不明な言い回しも兄そのもので、ディーターは時々この門番が、別の人間の皮を被った兄なのではないと疑ってしまうことがある。

「いや、だって、エレンは『お姉ちゃん』だしね」

 言葉と同時、ディーターの体は強い力で突き放された。顔を上げれば、驚愕と恐怖の入り混じった表情。

「あ、いや、うん。そういう特殊な性癖が存在するってのは理解できるぜ? けどなあ……」

「カミル殿、ディーターに何か? 日が落ちるまでの時間も短いので、早く受付をして欲しいのだが」

「あ、はーい!」

 怪訝そうな表情のエレンに覗きこまれて門番カミルは営業用の明るい声をあげ、受付に行くついでとでも言わんばかりにディーターの背中を突き飛ばした。

 たたらを踏んで踏みとどまったディーターは、

「何すんだよ!」

 そう叫びつつ、村で兄と暴言と暴力の応酬をしていた頃を思い返して微笑んでいた。


「えーっと、今日放棄街区に潜ったのは、10組39人だな。うち、7組28人は午前中で帰還してる」

 各迷宮に潜っている探索者の員数管理が門番兼受け付けであるカミルの仕事だ。

「まあ、これは新人やら、新規に仲間を組んだ連中が『慣らし』を短時間で切り上げたってだけで、何か問題があったわけじゃあねえ」

 各迷宮での出来事を把握するのも門番の組合員としての業務だ。

 それにしても、とディーターは思う。

「10組か……やっぱり、放棄街区は人気無いんだね」

 何を今更、とでも言いたげにカミルは片方の眉を跳ね上げた。

「まあな。三層までしかなくて、二種類の魔物しか存在しない迷宮なんぞ、功名心あふれる探索者どもは相手にしねえだろうよ」


 放棄街区。

 クラウゼンの街に存在する迷宮で、最初に踏破されたものである。

 ただ、『攻略』されたかどうかについては議論が紛糾するところだった。

 本来、迷宮の最深部には『主』と呼ばれる魔物が存在し、それを打ち倒した者が『王』となる習わしだ。

 しかし、放棄街区には『主』に相当する魔物がどこにもおらず、第三層で行き止まりとなっていたのである。

 クラウゼンの街のような複数の迷宮が存在する例は多くはなく、また、八つある各迷宮が深部で繋がっている場合があることが明らかになってから、さらに議論が紛糾した。

 八つの迷宮は実は一つの迷宮として扱うべきなのではないか。

 放棄街区以外の迷宮が最深部まで踏破されていない以上、そう判断するのは時期尚早だ。

 いや、放棄街区の、下層へ続く道がまだ発見されていないだけなのだ。

 そんなこんながあって放棄街区を訪れるのは新人か、さらなる下層への道が存在すると信じる探索者という具合に二分されているのであった。

「三つの迷宮が存在したザルデルン連合国の場合は迷宮が入り口含めて完全に三つに別れてたから、各迷宮を攻略した『王』たちが合議制で治めるってやり方がまかり通ったが、ここは入り口が一つだからな。どうなることやらな。あ、そうだエレンさん、今晩一緒にお食事でもどうです?」

 物憂げに言ったカミルはその直後になんの脈絡もなくエレンを食事に誘い、『夕飯はディーターと食べる予定だ』ときっぱり断られて、ディーターに怨み心頭の視線を向けた。

 カミルの視線を笑って受け流し、二人で迷宮に潜る手続きを終えて関門を越える。

 迷宮の入り口、それは黒色の石で囲まれた建物の内側に向けて、小さくへこんだ半円形の領域だった。

「放棄街区へ飛ばす。異論はねえな?」

 半円形の窪みの上部に設置された魔法石に手をかざしながら言うカミルに、エレンと視線を合わせてからディーターは頷いた。

「問題ないよ」

「うっし、じゃあ、念願の探索だな。しっかりやってこい」

 カミルが転送の魔法石を励起。

「んで、ちゃんと帰ってこいよ」

 同時にディーターとエレンの視界は白い魔力の奔流に呑まれ、意識は遠のいていく。


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