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はじまりは

 玄関のドアを開けると、お母さんの絶叫が響いた。

 あまりの素っ頓狂な声に、僕たちもびっくりしてお互い顔を見合わせる。

 慌てて玄関の扉を大きく開き、何事かと奥を見た僕達五人は、狭い玄関で固まって動けなくなってしまった。

 つんと、生臭い、なんとも言えない不快な臭気が鼻をつく。

 目の前には僕達に向かって来るお母さん。

 今まで出かけていたのか、コートを着たままだったし、鞄も下げたまま。

 更には両手に大きなビニール袋を三つ持ったまま、短い廊下を駆けてくる。

 その後ろから迫ってくるのは、灰色の水。

 玄関の靴を履きながら僕達を外へ押し出す。

 灰色の水はお母さんの後ろで大きくうねる。

 規模は小さいけれど、何年か前にテレビで何度も見た震災の時の津波を思い出した。

 あれに呑み込まれたら死んでしまうと、直感が訴える。

 そう感じながらも、僕たちはやっぱり硬直して動けなかった。

「逆流してる、逆流! あんたたち、管理人さん呼んで……」

 お母さんは最後まで言えなかったし、管理人さんを呼ぶこともできなかった。

 あのうねりに、お母さんも僕達も呑み込まれてしまったんだ。と、何が起こったかもわからないのに、何故か理解している自分がいた。



 そして、ボールのような何かが僕の頭に当たり跳ね返った。

 それは僕の前に落ちて三回バウンドすると、そのまま転がって二十メートルぐらい進んで止まった。

 ようなではなく、正しく僕の相棒の青いサッカーボールだった。

 二十メートル?

 家の中で?

 ハッと顔を上げると、そこは僕の家ではなく、マンションの中でもなく、街の中でもなく……。

 ただただ、僕は唖然として周囲を見回すしかできなかった。

 そこが自分の住んでいる町ではないことぐらいすぐに分かった。

 山へ遠足に行った時に見る景色に似ている。

 こんな所、僕の家の近くにはない。だって、僕の住んでいる町には山も林もない。電車に乗って三十分ぐらいするとあるかもしれない。

 家の近くでないことは分かったけれど、何故自分が今そこにいるのかが分からない。

 有名なネコ型ロボットのポケットから出てくる、有名な道具であるドアの名前が、ネコ型ロボットの声で頭に響いた気がした。

 そんな道具でも使わないと、今自分が置かれた状況を説明できなかった。

「あんたたち、怪我はない?」

 僕の背後で声がした。

 って、お母さん?

 僕が振り向くと、お母さんは全員に声をかけながら、一番小さい陽乃ちゃんの手を握っていた。

「痛い所はないね?」

 みんなが頷くと、お母さんは僕を振り返る。

「樹、あんたも大丈夫……」

 僕はそれに応えようと口を開いた。でも、お母さんがもう僕を見ていないことに気が付いて、声を出すことをためらった。

 口をつぐんだ僕はお母さんの視線の先を追いかける。

 そこにあったのは僕の青いサッカーボール。

 それと、そのボールを拾おうと腰を屈めた金色の髪の男の人だった。

「すげー!外人だ!」

「なんか変な服着てるよ」

「お母さん?」

 みんなが口々に話し始めると、お母さんは我に返ったように僕の手を取って引っ張った。

 そのまま僕達を自分の後ろに置いて、立ち上がる。その右手は僕を掴んでいたけれど、陽乃ちゃんの手を握っていた左手は自由になっていた。だから、僕だけが、お母さんが少し震えているのが分かったのだ。

 男の人がボールを持って僕達に近づいてくる。

 近づくと、男の人がとても大きいことに気づいた。

 僕の友達のお父さんの中で一番大きな人よりも背が高い。

 太陽がその人の後ろにあって、始めは顔は良く見えなかった。それでも、近づくと表情が分かるようになる。

 固く閉じられた唇と、しわの寄った眉間。

 何か決心したかのように、お母さんの手の震えが止まった。

「あんた達、今週給食当番だった子はいる? 樹、輝、どっちかそろそろ当番じゃなかった? 給食着を持ってたら出して」

 男の人から視線を外さず、僕達へ尋ねる。

 僕はまだだったけど、弟は当番だったらしい。慌てて給食着を手提袋から出す。

 同じように駿成が手提袋を漁った。「僕もだよ」と、言いながら。

 そうなのだ、僕たちは学校から帰ってきたそのままの格好だったものだから、背中にはランドセル、手には体操着と上履きの入った手提袋を提げていた。

 お母さんがそれらを受け取っていると、男の人が膝をついた。

 たくさん運動した時のように息が荒くて、つらそうだった。

 その時、陽乃ちゃんがびっくりして声を上げた。

「血がいっぱい!」

 僕たちは一瞬彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 でも、お母さんは分かってたみたいだ。

「手当てします! 血を止めます」

 給食着を引っ張り出し、三角巾と裏返した巾着を手にすると、男の人の服を脱がそうとした。

 彼は何か呟いてお母さんの手を掴み、僕たちの左側にある細い道を指差した。

 そして、また言葉を発する。

 何を言ったのかは分からなかった。聞こえなかったのではなくて、分からなかったのだ。

「外人さんだから日本語じゃないんだよ」

「英語だったら樹が分かるんじゃないの?」

 同級生の二人が無責任なことを言ってる。

 分かる訳ないじゃないか。英語ならお母さんも少しは分かるだろうし、これは明らかに英語じゃないし。

 でも、指差す方へ行けって言ってるのは間違いないと思う。

「歩けますか? えっと、駿成! あんたが一番大きい。杖になってあげて。重いと思うけど。誠也君、陽乃ちゃんの手を繋いで、空いてる方で駿成の荷物を持ってあげて。樹、輝はお母さんが持ってた荷物持ってきて」

 みんなに指示を出すと、お母さんは男の人の怪我の部分を押さえながら、彼の半身を肩に担いだ。

 僕のお母さん小さくないし、大きい方だとずっと思ってたけど、この人といるととても小さく見える。

 駿成が反対側に入って持ち上げようとするが、さすがに無理である。でも、お前は杖になれって言われただけなんだから持ち上げる必要はないんだよな。杖の意味が分かってない気がする。

「駿成、駿成。こうやって手を肩に置いてもらうだけでいいと思うよ」

 駿成の肩に手を置いて、僕は説明してやる。

「あ、そうなの?」

 やるべきことを理解した駿成と僕のやり取りを見ていた男の人が何やら一言呟いて、駿成の肩に手を置いた。

「向こうに連れて行けばいいのね? 行くよ。誠也君、陽乃ちゃん、樹、輝、は ぐれないでよ。意識がもってくれると良いんだけど……出血量多すぎるよね?」

 後半は誰かに聞かせるためではなかったようだ。


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