シーン4
はた目にはバッドエンドだけど、見方を変えればハッピーエンド……ていうやつをメリーエンドだと思っていたバカがここに一人。
正しくはメリーバッドエンドだったようです。もしくは「Open-ended」
公園が見えてくると、さやは一目散に駆け出した。
「おい、転ぶなよ」
一応注意しておく。別に転んで怪我したって構わないが、それでなかれでもしたら面倒だ。
果たしてさやは、転ぶことなく公園の入り口について、俺のほうを見て手を振る。
「パパー、はやくー」
「わかったつーの」
ちょっと歩幅を広げて歩くと、すぐに公園の入り口に着いた。
そういえば、通勤路にこんな場所あったな、と公園について思う。
毎日通る場所なのに、どうして公園だと気付かなかったのかといえば、そこに何もなかったからだ。
木製のベンチがいくつか設置されているだけ。後は何もない小さな広場みたいな状態。
ブランコか滑り台くらいあるだろうと思ってたが、本当に何もない。
そんな公園なのに、さやは嬉しそうに中心のほうに行ってバスケットボールをつきはじめる。
「おもしろいか?」
どうしても疑問に思ってしまい聞くと、「うん!」と元気な声が返ってきた。
さやがそう言うならいいのだろう。
「突き指しないようにな」
それだけ言って、ベンチに座る。
あまり綺麗とは言えないが、地面よりはましだろう。
さやの様子を見る。
いいドリブルだ。バスケの選手になれるんじゃないか。なんてそんなボールさばきのはずもなく、時折変な場所に飛んでいっては、それを追いかけている。
楽しいのか、それ。とは思うが、子供っていうのは何でも楽しめるものなのかもしれない。
暇だ。こうして何もすることがない時には、どうしても嫌なことを考えてしまう。
考えるのをやめるため、いつもの癖で目が酒瓶を探すが、どこにもそんなものがあるはずもなく、俺はため息をついた。
俺はさやを、義父実家に預けただけとはいえ、半ば捨てたようなものだ。
その俺がさやにパパと呼ばれ、こうして公園に連れ出してきている。
義父に「まだやり直せるんだぞ」と言われた気がして、俺は思わず顔をしかめた。
やり直せるって、なにをだよ。美夏はもういない。取り返しはつかない。美夏が望んでいた、親子三人の暖かな暮らしなんてものはもう実現しないんだ。
「だからって、さやを捨てたのか?」
自分の中のもう一人の自分が、責め立てるように言う。
さやは美夏を殺した。
「美夏が望んだことだろう?」
それでも、俺はさやを許すことができそうもない。
「だから、さやを遠ざけた」
そうだ。
「さやのために」
それもある。
恨まれつつもそばにいるよりはいっそ切り捨てていなかったことにしたほうがいい。
「ねえ、健二」
ふと、声が変わった。
「本当にさやが憎い?」
美夏の声だった。
「そりゃ憎いはずだ」
「はずって何?」
「だって、お前が死んだ原因なんだぜ?」
そう言うと、美夏はため息をつく。やれやれって感じのその仕草に、懐かしさを覚えつつ苛立ちを感じた。
「俺がどれだけお前のことを愛していたか……」
「わかってるわよ。私も愛してるわ」
「だったら」
「でもね」
俺の言葉を遮って、美夏は言う。
「今生きてるのはさやなのよ」
「でも!」
駄々をこねるような自分の声に嫌気がさす。
それでも言わなきゃいけなかった。
「美夏のほうが大切なんだ!」
だから、美夏の忘れ形見とはいえ、さやを許すことはできない。許してしまえば、さやは美夏より大切な存在ということになってしまうから。
「もう、私はいいのよ」
「そんなこと言わないでくれ……」
「なくなってしまったものをいつまでも大切にするより、今あるものをきちんと見てあげて」
涙が、目からこぼれる。本当に情けない。
腕を伸ばし、美夏を抱きとめようとするが、その存在を一切つかめずに腕は彼女をすり抜ける。もう、手に入らないものだと、美夏自身が言うように。
「大丈夫。あなたならできるわ」
そう言って、美夏は消えていく。
そのかけら一つでも掴みたいと、俺は腕を伸ばすが全く触れられない。
そうしているうちに、俺はベンチから落ちた。
「パパだいじょうぶ?」
目の前に、さやの顔がある。
「俺……寝てたのか?」
「うん」
「そうか」
変な夢だった。
美夏より、さやを大事にしろ。そう美夏に言われる夢?
なんでこんな夢を見たのかわからないが、少し混乱して、今はそうっとしておいてほしかった。
「大丈夫。続き、遊んで来い」
俺はそう言て再びベンチに座る。
さやは頷いて、走っていった。
さっきの夢、本や漫画で時々見かける、天国からのメッセージってやつなのだろうか。そう考えて首を振る。
そんなわけあるか。ファンタジーじゃあるまいし。
バスケットボールが跳ねる音が聞こえてくる。
さやはよく跳ねるバスケットボールが楽しいのか、だんだんと地面につく速さが上がっている。まるでバスケのドリブルのように。まあ、使い方は正しくなってるが、当然のことながらフォームは全然だめだ。
「さや」
「なーにパパ? あっ!」
話しかけると、集中が途切れたのか、変な方向にバウンドしてきたボールが俺のほうに転がってくる。
俺はそれを手に取って、地面に軽くついてみる。
やはり結構放っておいただけあって、空気は抜けているが、まだ全然大丈夫そうだ。
ドリブルをしてみる。手まりみたいに上から叩くのではなくて、横から手を吸い付かせて反則ギリギリくらいまで手に持つような感覚で地面に叩きつける。
久しぶりだから、体が覚えているか不安だったが、意外と何とかなるものだった。
「ほら、こうすると早くドリブルできる」
「さやもやりたい! あのクルクルも教えて!」
クルクル? ああ、指の先でボールを回すやつか。
ドリブルをしながらさやの指を見る。下手すると、ボールが上に乗っただけで折れるんじゃないか?
「やめたほうがいいんじゃないか?」
「やりたいもん!」
まあ、さすがに本当に折れたりはしないだろう。
俺はそう思って、ドリブルから素早く、そして優しくパスをする。突然のことにびくっとしながらもきちんと胸の中に収まるボールに驚くさやが面白い。
「まずは五本の指でボールを支えるんだ」
「できたー」
「じゃあ、そのまま手首を捻ってボールを回転させる」
「こう?」
「もっと地面に水平にな」
「よくわかんないよ」
そう言うさやの手を取って、実践させつつ見本を見せてやる。
するとすぐにさやはボールを地面に水平に回せるようになった。
「うまいぞ」
そう言って、さやの頭を撫でると、嬉しそうに満面の笑みを見せてくる。
いつの間にか、俺も笑っていた。
「そしたら、こうやって、指で受け止めるんだ」
「わかった」
「突き指しないようにな」
まあ、たぶん無理だとは思うけど、さやにやらせてみる。
案の定、さやの指はボールの重さに耐えきれずに地面に落ちる。
そのボールを追って、さやが駆けていく。
俺は笑って、さやのその様子を見守った。俺も最初は失敗したな、と懐かしい気分になる。
そのさやは、ほぼ全力疾走だろう速さでボールに駆け寄り、そのまま取ろうとしたが、ボールを誤って蹴飛ばしてしまった。
勢いのついたボールが公園の外へ飛び出す。
さやはそのことに気づかずにそのままボールを追っていく。今のさやにはボールしか見えていないのだろう。
「さや!」
俺は駆け出した。
嫌な予感がした。
ボールを追って車道に出たさやがそのまま車に轢かれる想像が、不意に湧き出てくる。
跳ね飛ばされて、倒れたさやに駆け寄った時、すでに彼女は死んでいる。
その光景に、美夏が死んだ時と同じ感情が沸き上がった。
あんな悲しい思いは二度としたくない。
「さや! とまれ!」
力の限り叫んだ。俺はこれ以上大きな声で叫んだことはないし、おそらくこれからもここまで叫ぶことはないだろう。
いや、もしかしたら……もし俺が、今目の前にあるもののほうが大切に思えて、他ならぬさやが許してくれるのなら、彼女が危険なことをするたびにこういった機会はあるのかもしれない。
そんな未来を想像して、こんな時なのに幸せな気持ちになる。
だから絶対に、さやを失うわけにはいかなかった。
そして、車道に出そうになったさやを半ばタックルするように抱き留めた。
ボールが公園の向かい側の家の塀に当たって、弱弱しくこちらに転がってくる。
車なんて、全然通っていなかった。
俺の心配のしすぎか……。
「どうしたの? パパ」
さやが不思議そうに腕の中からこちらを見る。
一瞬、その顔が美夏と重なる。やっぱりよく似ている。
「さや」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「気をつけなさい。今車が来ていたら引かれるところだったぞ」
「ごめんなさい……ボールなくしちゃったらかなしむとおもって」
しゅん、と顔を俯かせて謝るさや。
反省して、落ち込んでいるようで少し胸が痛い。それが、俺を思っての行動だったというのがさらに罪悪感で心を抉られるようだ。
しかし、さやが死ぬ想像をしてしまったとき、俺はさやを守りたいと思えた。
恨んでしまったり、憎んでしまったりせずに、ただ純粋に娘を守りたいと思える。そんな父親になれる気がして、なりたいと思った。
そしてここは、父親として叱らなければいけない場面だっただろう。
しかしいつまでもそんな顔されてると、こっちの胸が痛む。だから、その頭をくしゃくしゃと撫でまわしてやった。
「パパ?」
上目遣いの瞳。よろこんでいいの? と聞いてくるようで、とてもかわいい。
「……今度は俺と一緒に遊ぶか?」
「うん!」
元気に頷いて、ボールを取りに走るさや。車道に出る前に一度右左確認をしている。
うん。それでいい。
「はい、パパ」
ボールを渡してくるさやの頭をなでてやる。
「なんだ。左右確認できるじゃないか」
「えらいでしょ?」
「ああ、えらいぞ。
もうちょっと離れて、パス練習しよう」
さやは、俺に背を向けて駆け出していく。
そのさやに聞こえないように、俺は小さく囁いた。
「ごめんな、美夏」
俺は、今目の前にあるさやのほうを大切にする。
今思えば、俺は不器用だったんだ。一つのものしか大事にできなかった。
でも、美夏のことも大切だからさ、これからは……。
「両方、大切にできるように努力するよ」
そう、誰にともなく誓った。
「パパー! どうしたのー?」
公園の端のほうまで行ったさやがこちらに手を振っている。
そんなに遠くまで行ってどうするんだ。というか、あそこまで届くほどの強いパスなんてさやがとれるわけないだろう。
「もっと近く来いよ!」
手招きしてやると、また元気に駆け寄ってくる。
あっち駆けたり、こっち駆けたり……子供って本当に元気だな。
そんなことを思っていると、今度は近すぎる距離まで駆けてきていた。衝突してくる勢いで、本当に衝突してきた。
五才の女の子に跳ね飛ばされるほど、俺は弱くない。きちんと受け止めてやると、さやはとても楽しそうに笑った。
この親子の話はこれでおしまい。