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16年目の片想い  作者: 雪本はすみ
第1章 お久しぶりです
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 故郷の冬は、今年も穏やかだった。

 こんなに空が広かったっけ、と電車の中から窓の外を見て思う。


 何年たっても、高層ビルや高層マンションとは縁のない町。あるのは山と、川と、お寺と神社と遺跡。そしてたくさんのクスノキ。


 神尾山地かみおさんちの北端が市域のほとんどを占める、人口約三万人の雛条市ひなじょうし。山地の西麓にたたずむ古い町が、私の生まれたところだ。

 山の稜線と平行して走る電車の窓の向こうには、冬枯れの澪入山みおいりやまが見える。


 澪入山は、神尾山脈の一部をなす、標高四百メートルほどの山。

 山頂には戦国武将が築いたと言われる城跡があり、桜と紅葉の名所としても名高い。その季節になると、各地から大勢のハイカーが訪れる。


 けれど、この町で最も有名なのは、山の奥深くにたたずむ伝説のクスノキ。

 雛条は、“クスノキと出会えるまち”というキャッチフレーズが示す通り、いたるところにクスノキの古木がある町だ。


 神社やお寺にあるのはあたりまえ。公園や道路脇はもちろん、駅のホーム、住宅街のど真ん中、学校や病院の中庭にも、たいてい大きなクスノキが生えている。

 そして、その中でも最高齢と言われているのが、澪入山の伝説のクスノキなのだった。


 樹齢およそ九百年。

 私が最後に見たのは、高校三年の秋だった。


 今もあの場所で、やさしい静かな音を奏でているのかな。

 冬空の下の澪入山を見て、私は思いをはせる。


 朝の天気予報では、午後から雪が降るようなことを言っていた。確かに寒いけれど、見たところそんな気配はなさそうだ。

 雛条の市街地は典型的な瀬戸内式気候で、一年を通じて安定している。冬も比較的穏やかで、雪が降ることはめったにない。


 カーブを描いたレールの上を、電車がわずかに傾きながら走る。左手に見えていた神尾山脈が、後ろに遠ざかっていく。西に進路を変えた急行列車は、徐々に速度を上げる。

 このまま三十分ほど急行列車に乗って西に向かえば、人口十四万人の大都市、『上滝』の市街地に辿り着く。けれど、今日はそこまで行かず、私は次の停車駅で電車を降りた。


 山はわずかに遠のいてシルエットになっているけれど、ここも都会と呼ぶにはほど遠い。

 それでも駅前には大きなバスのロータリーがあり、映画館やスポーツクラブなどが併設された大型ショッピングセンターがあり、居酒屋やコンビニが軒を連ね、こじんまりとしたビジネスホテルが建っている。


 高校時代、友達と「遊びに行く」と言ったら決まってこの町だったことを思い出して、私はわずかに頬をゆるめた。あの頃の世界というのは、本当に狭かったんだなあと思う。


 電車の窓に、うっすらと自分の顔が映りこんでいる。

 でも。

 変わったのは外の世界だけで、私自身は何も変わっていないのかもしれない。


 電車を降りると、枯葉の匂いのする冷たい風が、ホームを渡った。せっかく早起きしてセットした髪が乱れてしまわないかと、心配になる。


紗月さつき、こっち」


 駅の改札を出たところで、高校時代のクラスメイトだった松川亜衣まつかわあいが手を振っていた。私は笑顔になって、数ヶ月ぶりに会う友人に駆けよる。


「久しぶりー」

「元気だった?」


 まっ先に口から出たのはそんな言葉で、それから、お互いにはっとして。


「あけましておめでとうございます」

「今年もよろしくお願いします」


 他人行儀に、年始の挨拶をする。ちょっと照れながら。

 亜衣は高校を卒業したあと地元の短大に進み、上滝市内の食品会社に就職した。

 卒業後に故郷を離れた私とは、お正月とかお盆とか、私が実家に帰ってくる機会にしか会えないけれど、七年たった今でも付き合いが続いている数少ない友人のひとり。


「いつ帰ってきたの?」


 歩きながら、亜衣が聞く。


「大晦日。明日の午後には帰るつもり」


 仕事始めは四日で、あまりゆっくりしている時間がない。


「今日の同窓会に集まるのって、何人くらい?」


 今度は私が聞く。


「百人くらいかなあ」


 首を傾げる亜衣の横顔を見て、ますますきれいになったなあと思う。

 小さく整った丸い顔は透き通るように白くて、ふくよかな頬はほんのり赤く染まっている。腰まで伸びた長い髪は、ゆるふわのウェーブヘア。

 高一の春に初めて会ったときの彼女は、真っ黒に日焼けしていて髪もベリーショートで、まるで男の子みたいだった。


 私たちが通っていた雛条高校──通称“雛高”(ひなこう)は、市内にある唯一の高校だ。標高三百メートル、澪入山を越えた山地の中腹にある。


「うちのクラスはまあまあ優秀だよ。健吾が脅したから」


 亜衣が楽しげに言う。


「なんて?」

「出席しなかったら行方不明者リストに載せるって」


 笑いながら、ふたりで横断歩道を渡る。会場のビジネスホテルまでは徒歩十分。

 有村健吾ありむらけんごくんは亜衣と同じく雛高の同級生で、今回の同窓会の幹事だ。彼も上滝市内の会社に勤めている。

 ちなみに有村くんと亜衣は、高校時代、野球部副キャプテンとマネージャーという関係だった。紆余曲折の末にふたりが付き合い始めたのは、卒業式の後。


 で、有村くんが幹事をしているってことは、たぶん。


市之瀬いちのせが副幹事らしいんだけどさー」


 亜衣が言う。やっぱり。


「本人は嫌がってたらしいんだけど、健吾が無理やり頼んだみたいで」


 やっぱり。


「なんか、しぶしぶ引き受けたっぽいんだよね」


 ……やっぱり。


「だいたい市之瀬って、昔から協力的じゃなかったもんねー。体育祭とか雛高祭とか、学校行事になると、さぼりたがってさあ。なーんか、そういうの馬鹿にしてたっぽいよね」

「えっ、違うよ」


 私が思わず反論すると、亜衣は面食らった顔をした。


「市之瀬くんはただ……ちょっとめんどくさがりなだけで、馬鹿にしてたわけじゃないと思う」


 亜衣は不思議そうに首をかしげて、「ふーん、そうなんだ?」と言う。


「そう言えば、紗月と市之瀬って幼なじみだったっけ」


 うん、と私がうなずくと、亜衣は興味深そうに私を見た。


「市之瀬って、昔っからあんななの?」

「あんなって?」

「つまり……冷めてるって言うか、飄々としてるって言うか、表情がないって言うか、感情がないって言うか」


 私は考えこんでしまった。

 確かにそう見えるかもしれない。でも、私の印象はちょっと違う。それを説明しても、わかってもらえなさそうな気がする。それに……。


 何を話しても、私の気持ちが──ずっと隠してきた気持ちが、伝わってしまいそうで。どう話せば、自然に、普通に、ただの幼なじみに聞こえるのか、わからなかった。

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