第二部 第三十一章~第三十六章
プロジェクト・ゼロ:第二部 —— 断片の福音と鋼鉄の檻
第一部で自らの出生の秘密——「全人類のストレスを吸収し混沌を撒き散らす概念的特異点」であることを知ったエリカ。教団という古い檻を壊した彼女の前に、今度は「科学」と「資本」という名の現代的な檻が迫ります。
第三十一章:代々木の朝、漆黒のドローンは舞う
第一部の激闘から数週間。代々木の雑居ビルには、以前にも増して騒がしくも平穏な時間が流れていた。エリカは自らが「人造聖女」であるという衝撃の事実を、驚くほどあっさりと(というより、自分を特別視する材料として)受け入れ、今日も今日とてソファに寝そべって新作の高級アイスを頬張っている。
「九条! このアイス、金箔が少なすぎるわ! 私の神々しい細胞を維持するためには、もっとキラキラしたものが必要なのよ。今すぐスイスまで買いに行ってきなさい!」
「……エリカ様、スイスはコンビニ感覚で行ける場所ではありませんワン。……おっと、暗示がまだ少し残っていましたね。失礼しました」
九条は眼鏡を拭きながら、平然と紅茶を注ぐ。その横では、マリアが「聖母の輝き」を維持すべく、狂ったような速度で事務所の窓ガラスを磨き上げていた。
「……マリアさん。……その窓、もう透けて見えません。……鏡になってます」
段ボールから煮干しを齧りながら零士が呟く。その平和な光景を切り裂くように、窓の外から「キーン」という鋭い高周波音が響いた。
突如として、事務所の窓の外に数十機の漆黒のドローンが静止した。それらは軍事用とも教団用とも異なる、極めて洗練された、まるで高級車のような流線型のデザインをしていた。
「……なに、これ。警察庁の新型?」
リンが即座に拳銃を構えるが、ドローンの群れは攻撃してくる気配を見せない。代わりに、ドローンの中心から立体ホログラムが投影され、一人の男が映し出された。
「……お久しぶりです、九条。……そして初めまして、我々の『最高傑作』、エリカ様」
ホログラムの男は、銀髪を完璧にセットし、純白の白衣を纏っていた。彼の胸元には、世界最大級のバイオテクノロジー企業『エーテル・ダイナミクス』のロゴが輝いている。
「……セバスチャン。君が今の『エーテル』の技術責任者だったとはね」
九条の瞳が、かつてないほどに冷たく沈んだ。
第三十二章:不可視の拉致、あるいは「契約」
「九条、知り合いなの!?」
リンの問いに、九条は答えなかった。ホログラムの中の男——セバスチャンは、慈愛に満ちたような、しかしどこか機械的な笑みを浮かべた。
「彼女は我々の資産だ。九条、君が彼女を『野生』に放ったおかげで、貴重なデータが十分に集まった。……そろそろ、彼女を専用の『ゆりかご』へ戻させてもらうよ」
「断る。彼女は今、私のクライアントだ。……真一、小雪、排除を」
九条の号令と共に、二人の暗殺者が動いた。しかし、ドローンが放ったのは弾丸ではなく、目に見えない「ナノマシン霧」であった。
「……っ!? ……体が、動かない……。……糸が、手に……張り付いて……」
「……エリカ様を守らねば……ならぬのに……。……眠気が……」
最強の暗殺者たちが、戦う間もなくその場に膝を突いた。物理的な攻撃ではない。神経系に直接干渉する、最新鋭の抑制剤である。
「……九条! なによこれ、体が勝手に浮き上がるんだけど!? ちょっと、放しなさいよ!」
エリカの体が、ドローンが放つ牽引ビームによって宙に浮いた。彼女の「混沌の加護」すらも、あらかじめ彼女の波長を解析している『エーテル』の技術の前には、ノイズとして処理されてしまう。
「待ちなさい! 彼女をどこへ連れて行く気よ!」
リンが放った弾丸は、ドローンの周囲に展開された電磁防壁に弾かれた。鷹見が屋上から放った狙撃も、計算された回避運動によってかわされる。
「……九条。彼女には『世界を管理するOS』になってもらう。……君が望んだ平和を、我々が資本の力で完成させるんだ。……さらばだ、旧時代の魔術師よ」
漆黒のドローン群は、エリカを吊り下げたまま、音もなく加速し、代々木の空へと消えていった。
事務所に残されたのは、深い沈黙と、飲みかけの紅茶の香りだけだった。
「……九条さん、どうするんですか……。……エリカ様がいなくなったら……この事務所、ただの『暗殺者が住んでるボロビル』になっちゃいます……」
零士が震える声で言った。九条はゆっくりと眼鏡を外すと、それをデスクの上に置いた。
「……おやおや。私の私物を無断で持ち出すとは、困った企業ですね。……よろしい。……『エーテル・ダイナミクス』。彼らに、現実よりも過酷な『倒産』の悪夢を見せてあげましょう」
九条の瞳に、第一部の時とは違う、獲物を追い詰める猟犬の火が灯った。
第三十三章:かつての盟友、現在の仇敵。九条新の秘められた「罪」
エリカが連れ去られた後の事務所は、まるで嵐が過ぎ去った後の廃墟のようだった。粉々に砕け散った窓ガラスが夕日に反射し、床に散らばったティーカップの破片が、唐突に訪れた日常の終わりを告げている。
麻痺ガスからようやく回復した真一と小雪は、自らの不覚を呪うように膝をつき、拳を床に叩きつけていた。
「……私の一生の不覚だ。エリカ様を、あのような得体の知れない機械の群れに奪われるとは……! 九条殿、今すぐ私を、あのドローンを追撃する砲弾として射出していただきたい!」
「……ジョニー、ごめんなさい。……私がもっと、空気を刻めていれば……」
沈痛な面持ちの面々をよそに、九条はただ一人、窓際に立ち、遠ざかるヘリのエンジン音に耳を澄ませていた。その背中は、第一部で見せた「全てを掌握する指揮官」のそれではなく、自らの過去という名の亡霊と向き合う、一人の「共犯者」の影を帯びている。
「……セバスチャン。彼は、私が警視庁の極秘プロジェクトにいた頃の、唯一と言っていい理解者でした」
九条が静かに口を開いた。リンは壊れた椅子を直しながら、彼の横顔を鋭く見つめる。
「九条、あんた、さっき言ってたわよね。エリカが『人造の聖女』で、あんたが作ったって。……あいつと、何をしてたのよ」
「……当時の警察庁は、増大するサイバー犯罪と社会不安を、物理的な武力ではなく『精神的な調和』で解決しようとしていました。そのために、周囲の人間のストレス値を読み取り、それを無害な『笑い』や『混乱』に変換して放出する触媒——つまり、歩くパワースポットのような存在を作ろうとした。それが『プロジェクト・エリカ』です。私はプロファイラーとして、彼女に植え付ける『無垢なる精神』の設計図を書き、セバスチャンは工学者として、その肉体とナノマシンの制御を担った」
九条は自嘲気味に微笑み、棚から一冊の古びたノートを取り出した。
「しかし、セバスチャンは変節した。彼は彼女を単なる調和の道具ではなく、世界を裏側から統制する『電子の神』にしようとした。……私は、自分の書いた設計図が怪物に変えられる前に、彼女を施設から連れ出した。……それが、私の人生で唯一犯した『私的な誘拐』という名の罪です」
「……じゃあ、あいつはあんたへの復讐と、研究の完成のためにエリカを……」
「ええ。セバスチャンにとって、エリカ様は私と彼の間に生まれた、歪んだ『子供』のようなものなのでしょう。……リンさん、代々木署の管轄を超えますが、付き合っていただけますか? 次の舞台は、東京湾に浮かぶ海上要塞研究所『オーシャニス』。そこが、我々の現像の最終地点になります」
第三十四章:潜入! 海上研究所・メイドと暗殺者の競演
東京湾の冷たい波飛沫の中に、その巨体は鎮座していた。メガフロート技術を結集した海上要塞研究所『オーシャニス』。周囲を最新の迎撃レーダーと水中ドローンに守られたその場所は、まさに鉄壁の檻だった。
九条とリン、そして鷹見が潜水艇で正面から陽動を仕掛ける中、排気ダクトから音もなく潜入した影が二つあった。
「……ふふふ。ここがエリカ様を閉じ込めた汚部屋ですのね。……わたくしの新しい雑巾が、汚れに飢えて泣いていますわ!」
マリアが、ブランド物のメイド服に多機能防ガス洗剤を忍ばせ、優雅に着地した。彼女の瞳には、かつての聖女の慈愛ではなく、掃除に取り憑かれた者の狂気が宿っている。
「……マリアさん。……あまり大きな声を出さないでください。……センサーが、鳴ります。……ここは、私の『糸』で、掃除します」
隣に並ぶ小雪が、指先から極細の銀糸を放った。糸は空気中の赤外線センサーを正確に避け、通路の奥へと伸びていく。
二人の前に、警備用のアンドロイド部隊が立ち塞がった。彼らは『エーテル・ダイナミクス』の最新技術により、感情を排した冷徹な殺戮機械として設計されている。
「警告。侵入者を確認。即時排除プロセスを開始する」
「……排除? 失礼なことを。わたくしがやっているのは、環境美化運動ですわ! 新流儀・聖母の舞、その名も『全自動・強制除菌旋風』!!」
マリアが手にした特注のデッキブラシが、プロペラのような速度で回転を始めた。彼女は機械の関節部分に高濃度の腐食性洗剤をピンポイントで叩き込み、精密回路を瞬時に「清掃(破壊)」していく。
「……小雪、次は……貴女の番ですわ!」
「……了解。……雪見流・微細解体。……汚れと一緒に、関節も……刻みます」
小雪の鋼線が、マリアが弾き飛ばしたアンドロイドの四肢を空中で捕らえ、音もなく八等分に切り裂いた。メイドが磨き、暗殺者が刻む。二人の息の合った(?)コンビネーションにより、防衛ラインは次々と「無塵室」へと変貌を遂げていく。
その頃、中央管制室では、セバスチャンがモニター越しに彼女たちの進撃を眺めていた。
「……九条、君の連れてきた『欠陥品』たちは実に騒がしい。……だが、エリカの再構築はもう止まらない。彼女はまもなく、自我を捨て、純粋な管理AIとして目覚める」
セバスチャンの背後、巨大な培養槽の中で、無数のケーブルに繋がれたエリカが静かに目を閉じていた。
「……さあ、九条新。君の『暗示』は、この鋼鉄の論理に勝てるかな?」
研究所の最深部、運命の歯車が激しく火花を散らしながら加速を始める。奪還作戦は、単なる救出劇を超え、二人の男の「理想」を賭けた最終決戦へと突入しようとしていた。
第三十五章:エリカ覚醒! 混沌の女神の高解像度な反撃
海上研究所『オーシャニス』の最深部、メインサーバー・ルーム。 無機質なアラート音が鳴り響き、巨大なホログラム・ディスプレイには「フォーマット完了まで:01:00」という非情なカウントダウンが赤く点滅していた。
「……ようやくだ。九条、君が彼女に植え付けた『無駄な自意識』という名のバグが消える。彼女は今、この瞬間、地球上の全ネットワークと同期し、人類を最適化する冷徹な女神へと昇華するのだ」
セバスチャンが狂気的な歓喜に声を震わせる。培養液の中で無数の光ファイバーに繋がれたエリカは、ぴくりとも動かない。彼女の脳内には、数兆テラバイトという天文学的なデータが直接流し込まれ、その「個」としての自我は情報の荒波に飲み込まれようとしていた。
だが、その時。 施設の全スピーカーから、システム音声ではない、極めて不機嫌そうな「舌打ち」が鳴り響いた。
『……ちょっと。なによこれ。データの画質が低すぎて、私の美しさが表現しきれてないじゃない!』
「……な、何だと!? フォーマットは最終段階のはずだ!」
セバスチャンが驚愕してコンソールを叩く。しかし、モニターに映し出されたのは管理ログではなく、エリカの「自撮り画像(AI生成による16K超高解像度版)」だった。
『世界中のストレスを吸収しろっていうから、とりあえずネット掲示板のアンチコメントを全部吸い取ってみたわ。……おえっ、不味すぎる! こんなの、タピオカ三千杯飲まないとやってられないわよ!』
エリカの意識は、消去されるどころか、ネットワークを逆に「食んで」いた。九条が設計した「ストレス吸収・混沌変換機能」が、世界最大級のスパコンと連結したことで爆発的に進化。彼女は論理的なAIになるどころか、**「全世界のネットの不条理を背負った究極のワガママ娘」**へと覚醒したのである。
「馬鹿な……! 数式の嵐の中で、なぜ自我を維持できる!?」
「セバスチャン、君の計算違いですよ」
自動ドアを蹴破り、九条が姿を現した。背後には、ボロボロになりながらも誇らしげなマリア、小雪、そしてリンたちが控えている。
「エリカ様の自意識は、論理では測れない。彼女は『自分が世界の中心である』という一点において、宇宙そのものよりも強固な確信を持っている。……どんなに巨大なデータをぶつけようと、彼女にとっては『私のための演出』に過ぎないのです」
『その通りよ、九条! さあ、このダサい研究所を、私のステージに作り替えなさい!』
エリカの叫びと共に、海上研究所全体が「再起動」を開始した。 警備ロボットたちは一斉に機能を停止し、次の瞬間、アイドルのバックダンサーのような軽快なステップで踊り始めた。殺傷用のレーザーサイトは色とりどりのサイリウムのような光に変わり、要塞全体をド派手なディスコへと変貌させていく。
「……っ、ぐああっ! 私の……私の完璧な論理が、エリカ色に染まっていく……!」
セバスチャンが絶望に打ちひしがれる中、培養槽のガラスが内側から粉砕された。 大量の液体と共に、光り輝くナノマシンの衣を纏ったエリカが、優雅に着地する。
「……ふぅ。ちょっと寝不足気味だけど、最高の目覚めね。……さて、セバスチャン。あんたの顔、左右のバランスが悪くて私の視界を汚してるわ。九条、こいつを今すぐ現像しなさい!」
「承知しました、エリカ様」
九条が静かに指を鳴らす。
「新呪文、その名も『全人類が、自分が今まさに、実は「エリカ様という偉大な太陽」の周りを回る、ただの「取るに足らない小石」であり、逆らうことは宇宙の法則に反すると確信してしまう』!」
セバスチャンは、自分の存在そのものが「塵」であるという圧倒的な劣等感に襲われ、その場に跪いた。彼は泣きながら、エリカの靴の汚れをハンカチで拭き始める。
第三十六章:代々木、世界を呑み込む
数日後。プロジェクト・ゼロの事務所には、以前にも増して豪華なタピオカの山と、最新鋭のサーバーラックが並んでいた。 エリカは『オーシャニス』のメインサーバーを代々木の地下に引き込み、今や世界中の情報を指先一つで操る「デジタルの女神」と化していた……が、やっていることは変わらない。
「九条! ネットニュースの私の写真、少し鼻が高すぎるわ! 全世界のサーバーを書き換えて、もう少し可愛く補正しなさい!」
「……はいはい。ネットの根幹を揺るがす修正依頼ですね、承知しました」
九条が苦笑しながらキーボードを叩く。リンは、国家予算規模のハッキングを日常的に行うようになったこの事務所を見て、もはや警察手帳を出す気力すら失っていた。
「……ねえ、九条。……これで本当に良かったの? 彼女、文字通り『神』になっちゃったじゃない」
「いいんですよ、リンさん。……神様がワガママなのは、神話の時代からの定番です。……それに、彼女が全人類のストレスを吸い取り続けているおかげで、ここ数日、世界の紛争発生率が3%下がったというデータもあります。……まあ、その分、代々木の混沌指数は何倍も上昇していますが」
窓の外を見れば、小雪と零士が、AI制御された最新鋭のドローンを「カモメの代わり」に煮干しで手懐けて遊んでいた。
代々木の雑居ビル。そこは、国家も科学も宗教も、すべてをマヌケな喜劇へと変換してしまう、世界で唯一の「現像所」。 九条新と、彼に選ばれた不完全な仲間たちの物語は、新世界という名のキャンバスに、より一層鮮やかなカオスを描き続けていく。
第二部完
(第三部へつづく)




