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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

〜契約は大事〜

父の思惑、母の策略

作者: 海川そら

拙作『契約は大事です』の補完話になります。

未読の方は、『契約は大事です』を先にお読みいただきますよう、お願い申し上げます。お手数をおかけして申し訳ありません。

説明のため、地の文がとても多いです。興味のある方だけ、お読みいただければ、と思います。

「ライラ、君、レンに何か言ったかい?」

「『やっちゃえ』って言ったわ。あなたのところに、ようやく言いにいったのね、あの子」


 楽しそうに笑った妻に、ローレンス・ゼーラントは息をついた。


「エドバートのところの宝飾技術をゼーラントに持ってくるから、予算をくれって言ってきたよ」

「あの計画、わたしも一緒に考えたのよ? けっこういいでしょう?」

「うん。なかなか素晴らしかったね。――狙いは、セシリアの婚約解消かい?」

「そうよ。あんな息子、いらないわ」


 ゼーラント伯爵令嬢である娘のセシリアと、エドバート伯爵令息フリックの婚約は、エドバート伯爵領が持つ宝飾技術を、ゼーラントに取り込むために結ばれたものだ。婚約と同時に、エドバートからは宝飾技術が提供され、ゼーラントからは宝石原石を相場より安く譲り渡す契約が結ばれている。


 笑顔を保ったまま吐き捨てたライラに、ローレンスは肩を小さくすくめた。


「そんなに駄目だったかな? 宝飾技術はこれからの領に必要だし、なにより、夫は愚かなほうが、セシリアがやりやすいかと思ったんだけど。女性が領主を務めるには厳しい国だからね」

「ローレンス。愚かすぎるのも考えものよ。役に立たないばかりか、足をひっぱるような婿は邪魔だわ。小さい頃はもう少し可愛げがあったのに」


 ライラの言葉に、「そうか」とローレンスはうなずいた。


「レンなら、セシリアの盾にも武器にもなるわ。少なくとも、あの子の邪魔はしない」


 その言葉に、つねに娘セシリアのそばにいる少年を思い浮かべる。


 レン。――レン・サウザンド子爵令息。彼がセシリア付きの護衛になって、一年になる。十三歳という若年ながら、セシリアに忠実に仕えていると報告を受けている。ライラに鍛え上げられた魔法の腕は大人に引けを取らず、剣での戦闘もかなりこなすと聞いた。このまま成長すれば、セシリアのよい護衛になるだろうと、ローレンスは思っている。


 レンは、ハウザー侯爵家の元・三男だ。実母が彼を産んで亡くなったという理由で、侯爵家で冷遇されていた。

 その実態は、実母付きの乳母だった女が、画策してのことだった。侯爵が領地経営に忙しく、家内まで手が回らないのをいいことに、妻気取りで侯爵家を取り仕切っていたのだ。

 妻ではないのに、という使用人たちの不満は、あとに残された可哀そうな長男たちのために、亡くなった奥様にお子たちを託された自分が奮闘している、という美談で覆い隠し、それから、三男を母を殺した罪人に仕立てあげることで、跡目である長男やスペアの次男、実母を慕っていた使用人たちとの間に連帯感を作り上げるという、なかなか悪辣な手をとっていた。敵を外側に作り出せば、内部の不満はその敵に向く。為政者がよく使う手だ。


 侯爵自身は、妻が亡くなってすぐ、侯爵家領地で起こった流行病の対応に追われていた。生きていれば、乳母の障害になっただろう前侯爵夫妻は、その流行病で死んだ。

 その時期、侯爵家の子どもたちと乳母は、タウンハウスに避難していた。そこで乳母により、侯爵家の兄たちに、母を奪った三男への悪感情が醸成されただろうことは、想像に難くない。

 さらに、流行病でさえ三男のせいにして、彼が呪われているということにしてしまえば、彼に近づこうとするものはいないと、乳母はふんだのだろう。

 実際、そうなった。すべてはレンが呪われているせいだと密かに吹き込まれた母方の親類も、レンに無理してまで会おうとはしなかったというから、闇が深い。


 レンが育ったというタウンハウスの使用人たちも、実母の死も流行病もレンが引き起こしたことだと思い込み、主家の人間であるはずのレンに、ひどい扱いをしていた。乳母は、レンに同情を抱く人間を排するために、流行病で身内をなくした人を、領地からわざわざ雇わせることまでしていたというから恐れ入る。

 侯爵自身は、そんなことになっているとは、露ほども知らなかったそうだが。

 レンに呪いなどかかっていないことは、のちにレンの魔法を調べたという魔法研究所の研究員によって証明されている。


 乳母としては、できれば家庭教師も断りたかっただろうが、こればかりは、侯爵が家庭教師に対面での報告を義務付けていたので、それはできなかったとみえる。

 おかげで、レンが読み書きを奪われることがなかったのは幸いだ。


 どうして、そこまでレンを嫌ったのか。乳母自身に、侯爵の妻が亡くなったのはレンのせいだ、という思いがあったのか。乳母はそれについては語ることなく処刑されたから、真相は闇の中だ。


 ハウザー侯爵も、馬鹿な男だ。

 妻の忘れ形見を、妻に似ていて会うのが辛いという理由で避け、そのうち仕事で手が回らなくなり、会いたくても会えなくなった。仕事がひと段落する頃には、乳母に家内の実権を握られ、必要な情報はあがってこないようになっていた。三男は、乳母以外の誰にも会いたがらず、父を嫌っているという嘘の情報に踊らされた。

 それでも、会おうと思えばいつでも会えたのに、ずっと放置していたことを、妻によく似た顔でなじられるのを怖がり、彼が八歳になるまで顔を合わせることもしなかった、怠惰で卑怯で臆病な男。


 だが、まさか、そんな醜悪で卑劣な行いを、当家の娘セシリアが、光のあたる場所へひきずり出すとは思っていなかった。


 五年前、王宮の庭で行われたプレデビュタントの場で、セシリアが泣き出した。

 おおやけの場で泣き顔を見せるような子ではなかったので、「令嬢が泣いている」と、王宮の使用人に呼ばれて驚いた。あわてて駆けつけると、セシリアを慰める王太子殿下と、困ったように肩をすぼめて座っている、ずいぶんと痩せた男の子がいた。

 灰茶色の髪に顔の半分以上がおおわれていたから、人相も、どの家中の子かも、すぐにはわからなかった。

 それでも彼が、セシリアが泣くほどのことをしたのだと思い、鋭くにらみつけたのを、ローレンスは覚えている。

 

 結局、それはセシリアの演技で、レンを助けるためにしたことだとわかった。

 王宮という場で、大胆で無謀なことをする、と、ローレンスは苦笑したものだ。もちろん、セシリアは、ライラから後でこっぴどく叱られていた。妻のあまりの剣幕に、セシリアが、今度こそ本気で泣いていたのが懐かしい。


「現状、エドバート伯爵令息に瑕疵はないから、婚約は解消できないよ」

「構わないわ。レンの計画がうまくいくとも限らないから」

「……殺さないでね」


 婚約関係にある子息を始末したことがばれると、やっかいだ。


「やあね。婿に来るのよ? 家の中で何があっても、外にもれたりしないわ」

「お願いだから、殺さないでね」


 それには答えず、ライラはにっこりと笑った。ローレンスは吐息する。

 わざわざ命を取らなくても、ひと一人、無力にする方法はいくらでもある。四肢をそぐとか、薬で考えることができなくするとか。


 ローレンスは頬杖をついて、ライラを見た。


「そもそも、セシリアは、レンがあの時の子だって、気づいていないだろう?」

「気づいていないわね」

「あのときは髪で顔もよくわからない状態だったし、がりがりだった体格もかなり良くなったし、声変わりもしたから仕方ないと思うけどね」

「甘いわ、ローレンス」


 ライラの、結い上げず、背に流したままの金赤色の髪がゆれる。セシリアにも受け継がれた色だ。


「セシリアったら、汚れた服を直してもらったお礼を返しただけのつもりだったじゃない? しかも『礼は返した。あとは自分で頑張って。このあとのことは、わたしには関係ない』って態度だったでしょう? 自分の領地のことじゃないからって捨て置かないで、自分が引いた弓の矢がどこへ飛んでいったのかくらいは、きちんと見届ける習慣をつけてもらわないといけないわ」


 ライラがそう判断したのなら、ローレンスが反対することはできない。


「君たちは大変だね。私はただの伯爵だから、自分の家のことだけ考えていれば、いいんだけど」

「そうよ、たいへんなの。どこから矢が飛んでくるか、わからないんだもの。――これであの子も、よその領地のことでも、自分がしたことの行末くらいは、気にするようになるでしょう。自分の行いが返ってきて、自分の人生を左右するって、わかればね」


 自分のちょっとした思いつきで手を出した相手が、それを一生の恩に感じ、何年もかけて体と魔法を鍛え上げ、自分を追ってくるなんて、セシリアは想像もしていないだろう。ましてや、それが、夫になるかもしれないとは。

 ローレンスだって、八歳の子どもがそこまで思い込み、一年後にセシリアに仕えたいとやってくるなんて思ってもいなかった。


「でも、セシリアには言わずに、放っておくんだよね?」

「自分で気づかないとダメよ。レンにも口止めしてあるの」


 いたずらっぽく笑って、ライラは人差し指を唇にあてる。


「厳しいなあ」

「仕方ないわ」

「性教育もずいぶん早くから行っていたものね」

「それこそ仕方ないわ。子どもを作ることを狙って、襲われることもあるから」

「君たちをそんな目に合わせる気はないけどね」

「ええ、わたしも、わたしの子をそんな目に合わせるつもりはないわ」


 セシリアは、部屋で勉強している頃合いだ。その傍らで、護衛のはずなのに一緒に勉強させられているレンの姿を、ローレンスは思い浮かべる。


「レンはそんなに見込みがあるかい?」

「あの子は、セシリアのためなら、なんでもするんじゃないかしら」


 レンはゼーラントに来た後、ライラによって、みっちり一年以上、魔法と剣の手ほどきをされていた。その後、修行と称して外国にまで送り出されたのには、少し同情した。

 外国から一年後に帰ってきたときには、体格も声もすっかり変わっていて、ずいぶんと驚いたものだ。

 

「ーーわかった。予算をつけておくよ」


 この計画を機に、領主代行も務まるようレンの教育を進めておくことに、ローレンスは決めた。

 レンが侯爵家を離れるときに渡された鉱山からは、緑玉がとれる。持参金としては充分だ。珍しい宝石を握っていることは、セシリアを守る盾のひとつになる。


「ありがとう、ローレンス。上手くやるわ」

「レンに上手くやらせる、の間違いだよね」

「ひとを上手に動かすのが、腕の見せどころなんじゃない」


 ローレンスは苦笑をもらす。


「本当に君は、レンがお気に入りだねえ」

「努力する子は大好きよ。――妬いてる?」

未成年(子ども)に妬かないよ」

「あら、残念」


 おどけて肩をすくめるライラの横に座りなおして、ローレンスは彼女の金赤の髪にふれる。


「王家が、レンの件に迅速に対応したのは、うちのお姫様が関わっていたからだよね」


 王家は、プレデビュタントの場で騒ぎを起こしたセシリアを咎めることなく、事態の収拾を急いだ。王太子殿下みずからが対応にあたり、レンを侯爵家に帰さず、王宮に止め置いたのも、そのためだ。

 その後も全てを秘するように、侯爵家の家中のこととして、おおやけにすることはなかった。


 レンの悲惨な境遇が表に出た経緯には、セシリアが深く関わっている。

 ローレンスは、セシリアが関わっていることだったから、当時ありとあらゆる手段を使って、この件の情報を集めた。だから、世間に流布していない詳細な情報まで知っている。ローレンス以外で、ここまでの事情を把握しているのは、王家と当事者の侯爵家、母方の子爵家くらいだろう。

 ひとりの毒婦に二家がいいように操られ、幼子をひどい境遇に置いていたという醜聞など、侯爵家も子爵家も表に出したいとは思わないだろうから、王家の対応は、ありがたかったことだろう。


 セシリアが王宮で騒いだときも、周囲の子どもたちの中で、会話の内容を詳しく聞いていた者はおらず、「何か泣いて騒いでいる子がいる」くらいの認識だったようだ。

 王族がすぐに子どもたちを遠ざけるよう指示をしただろうし、セシリアも近くに他の子どもがいないことは、一応確認したと言っていた。

 そのおかげか、ハウザー侯爵家の醜聞は、社交界に出ていない子どもたちの間では、一切話題にのぼることはなかった。


 しかし、大人の間で話題にならないはずはなく、知っている者は知っている話として、社交の片隅で密かに囁かれた。

 さすがにレンのことは、子どもに聞かせる話ではないとの自重が働いたようで、子どもたちの間では、ハウザー侯爵家の名前がでるときに、前置きのように話される話題のほうが有名になった。

 爵位の差をものともせず結婚した侯爵とその妻のロマンスが、『真実の愛』と呼ばれ、とくに女子には憧れの的になるなんて、その愛の結末を知っている身としては、皮肉な笑いにしかならない。


 ハウザー侯爵家の醜聞を耳にすることなく、きっかけだけを与えて、その後を放置したセシリアは、あれがハウザー侯爵家のことだったとは、今も気づかないままだ。当時者の彼が、自分の後ろで護衛しているなんて、思ってもいない。

 その迂闊さを、ライラは案じている。

 セシリア自身に気づかせて、深く感じ入ってもらいたいようだから、ローレンスは口を出さない。

 いつ、セシリアはそのことに気づくだろう。成年までに気づかなければ、今度はライラの鉄拳が落ちそうだ。


 王家が内々におさめた真意について、当時は口に出さないままだったローレンスの問いに、ライラが空色の瞳を細めた。


「そうね。訴えたのがセシリアだったから、王家は迅速に、内密に処理したんでしょうね」


 セシリアが必要以上に注目されることを、ライラは望んでいない。ライラの子のセシリアが訴えたことだから、王家は迅速に対応した。そして、ライラの意を受け、セシリアが発端だったことを隠匿するために、すべては内密に侯爵家の家中のこととして処理された。


 王家としても驚き、対応に困ったことだろう。セシリアがプレデビュタントの場で、あんなことを騒ぎ立てると思っていなかっただろうから。あのときの王太子殿下の気持ちを考えると、気の毒になるくらいだ。


「君たちは、ブリューダ国の王位継承権持ち(お姫様)だものね」


 ブリューダ国は、この国からさらに南に行ったところにある、海に浮かぶ島々を拠点とする海洋国家だ。海を渡る技術に長け、船を使った貿易を行っている。彼らを通じてでないと手に入らない物資もあり、周辺国がなにかと気を遣う存在だった。

 ライラはその国の、直系の王位継承者だった。それがなんの冗談か、今はローレンスの妻におさまっている。


 ブリューダ国の王位継承権は、結婚をしても失われない。海の上で、嵐や大型魔獣に出くわせば、一気に大勢の人間が死に、王位継承者がいなくなる可能性があるからだ。ライラは死ぬまで継承権を持っているし、ライラの子であるセシリアにも、継承権がある。そして、それはセシリアの子にも受け継がれるものだ。唯一、他国の王族との婚姻のときだけ、継承権の放棄が行われる。

 野心をもつ者に利用されないよう、ライラは、産む性であるセシリアに早期から性的な知識を与えて、自分の身を守れるように教育した。そして、無理やりその身を奪われないために、つねに護衛を配している。

 いつかブリューダに必要とされるかもしれないセシリアに、ライラは王族としての教育を施すことを怠らない。それでも、ローレンスの意向をくんで、セシリア自身に剣を持たせることだけはなかった。


 ブリューダ国の王族は、国の強大な戦力であり、つねに前線に立つことが要求される。ライラも海の上で、ずっと魔獣を相手にしていたと言っていた。

 ローレンスとしては、王位に呼ばれることなく、小さな魔獣が出るくらいの伯爵領で、二人とも最期まで穏やかに暮らしてほしいと、心から願っている。

 領主には必須となる剣をセシリアに習わせなかったのも、愚かな男を婚約者に選んだのも、玉座からセシリアを遠ざけるための布石だったのだけれど。


 彼女たちに課せられたものを苦く思う気持ちを隠して、ローレンスは懐かしい話題をあげる。


「セシリアのあの泣きまねは、確信犯だよね」

「そうね。王太子殿下が、セシリアがブリューダ国の王族と知っていて、無下にできないとわかっての所業だったわね」


 ライラの空色の瞳がきらりと光る。


「手っ取り早いからって、ブリューダの権威を振りかざすことを選んだんだもの。ずいぶん怒ったわね。――あなただって、王宮というおおやけの場で騒ぎを起こしたこと、ちゃんと叱ったでしょう?」

「もちろん」


 一介の伯爵家令嬢が、王族の関わるおおやけの場を乱して、咎められないはずがない。セシリアが他国の王籍を持っているから、不問にされただけだ。

 いつもそう都合よく他者が動いてくれるはずはなく、領主の権限が強固だからこそ、王家にも他家にも、つけ入る隙をみせるわけにはいかなかった。

 

「レンを助けたい一心ならともかく、自分がしてもらったことの礼を返したかっただけなんて、呆れちゃうわ。そんなことのために、ブリューダの王族であることを利用するなんて。あのときは、王権の使い方を本気で叩き込んだわね」

「他国の王族である自分が訴えれば、悪いようにはならないって思ってたんだよ」

「その見通しが甘いのよ。レンの存在からして、『なかったこと』にされたかもしれないのよ?」


 王族や侯爵家にしてみれば、そのほうが話は簡単だったかもしれない。レンは、自分が消される可能性があることもわかっていたらしい。

 セシリアには思いつかなかったその可能性は、信頼できる大人がいたか、いなかったかの違いだったのか。それとも、根本的な性格の差か。

 少なくとも、レンには、セシリアが見えていない部分を補うだけの目が備わっているということだろう。


 ローレンスは、叱られて泣いていたセシリアの顔を思い出す。


「セシリアが叱られて泣いたのは、あれが最後じゃないかな」

「そうだったかしら?」

「レンを助けたことよりも、そのあと君に叱られたことのほうが印象が強いみたいだよ」


 ライラは微妙な顔で黙り込む。


「……それは、レンに悪いことをしたかしら」

「まあ、でも、彼は気にしないんじゃないかな」


 つぶやいて、ローレンスはライラの金赤の髪にもう一度ふれる。ブリューダの王族に伝わる、その色。


「レンは、セシリアがブリューダの姫だって知っているよね」

「教えてはいないけれど、察していると思うわ」

「うん。そういうことなんだね」


 一年、手ずからレンを鍛える中で、ライラは彼になにかを見出したのだろう。だからこそ、レンはブリューダ国に修行に行かされた。セシリアが王族であると知った上で、守れるだけの体と頭と伝手を手に入れるために。


 ごろりと横になって、ローレンスはライラの膝に頭を預ける。


「ローレンス?」

「ちょっと疲れたから、甘えさせて」

「どうしたの? 珍しいわね」

「君はいつだって、私の予測を飛び越えていくから。……君がここにいることが、いまだに信じられないんだ」


 ライラの手が頭を撫でるのを感じながら、ローレンスは目を閉じる。


「ときどき、ここはあの海の上の船の中で、夢でも見ているんじゃないかと思うよ」

「やあねえ。子ども(セシリア)までいるのに」

「うん。そうだよね」


 ライラが、ローレンスの耳元に口を寄せた。


「安心して。わたしがいなくなるときは、ちゃんと次の人を用意しておくわ。どこかの侯爵家のようにはしない」


 ローレンスは一瞬、唇を噛みしめてから、言葉を絞りだす。


「――いらない」

「ローレンス?」

「君がいなくなっても次はいらない。君が海に戻るというなら、今度は私が付いていくから」

「あなたのいちばん大事な領地は、連れて行けないわよ?」

「それまでにセシリアとレンを鍛えておくから。もう少し待って」


 ライラが故郷の海を、とても愛していたことを、ローレンスは知っている。

 ライラの指がローレンスのくすんだ金色の髪をやさしく梳く。歌うような甘い声が降ってくる。


「行かないわよ。わたしの故郷は、ここだもの。あなたの瞳があれば、それでいいの」


 驚いて見上げたローレンスに、ライラは艶やかに微笑む。


「言ったでしょう? あなたの瞳は、海の色だって」


 初めて会ったライラが、ローレンスの瞳を海の色だと言って笑ったことを、ローレンスは昨日のことのように覚えている。

 それから何度もローレンスの瞳の色を確かめるようにのぞき込んでくる空色の瞳を、瞬きすら忘れて見つめていたことも。


 ローレンスの顔が、くしゃりと歪む。


「うん。ありがとう」


 ライラは落ちてきた自分の髪をかきあげた。


「ゼーラントの魔獣は小物すぎて、ちょっと物足りないけど」

「いや、お願いだから、領から出て魔獣退治をしないでね」

「セシリアも来年には学園に入学するし。冒険者をするのもいいなと思うのよね」

「ライラ!?」


 あわてて飛び起きたローレンスに、ライラは空色の瞳を細めて、大輪の花のように笑う。


 その後、奇跡のようにライラの腹に宿った新しい命により、ライラが冒険者になる話は立ち消えになったことに、ローレンスが胸をなでおろしたことは、誰も知らない。


皆様のもやっとが、少しでも解消できているといいのですが。

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― 新着の感想 ―
母親はいいけど父親は好きになれませんな。 王族であり継承権がある以上、万が一の時に娘が苦労するしか無い決断(剣を持たせない)をするなど愚の骨頂ですよ。しかも自分の感情のために。親心だとしても娘がそれを…
お母様があまりにもつよつよでした。 いやーーーすごいぜ。そりゃセシリアもレンも14歳ながら英才教育された結果がああなのがよくわかりました。 セシリアはレンのことに気づけるのか、それともママンの怒髪天…
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