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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第83話

 深夜。首相公邸の一室は、珍しく穏やかな空気に包まれていた。

 ゲート構想の公開実証実験の成功。

 それは、この数ヶ月、地獄の釜の底で綱渡りを続けてきた沢村と九条にとって、久しぶりの、そしてあまりにも大きな一筋の光明だった。

 国民の熱狂は確かに新たな行政需要を生み出してはいたが、それ以上に、この国が一つになって未来へ向かっているという確かな手応えを、彼らにもたらしていた。


 本体の沢村は、縁側で静かに夜の庭園を眺めている。

 その隣には、淹れたての緑茶の湯呑みが置かれていた。

 一方の分身は、アメリカのトンプソン大統領と、ゲート技術に関する国際標準化機構の設立について、比較的穏やかな雰囲気で意見を交換していた。


 九条の本体は、この束の間の平穏を利用し、アステルガルドからもたらされた『地震予知魔法』の膨大なデータを、自らの超高速思考でディープラーニングにかけていた。

 その分身は、インド政府から送られてきた五千ページの「回答書」を、もはや写経に近い精神状態で読み解いていた。


 無限の執務は続く。

 だが、その空気には以前のような悲壮感は薄れていた。

 我々はまだやれる。

 この国を前に進めることができる。

 そんな、ささやかな、しかし確かな自負が、彼らの心を支えていた。


 その、あまりにも人間的な、そして脆い安らぎは、何の前触れもなく、しかし完璧なタイミングで、粉々に打ち砕かれた。


「――あら、良いお茶を飲んでるじゃない」


 声はソファの上からした。

 いつからそこにいたのか。

 ゴシック・ロリタのドレスに身を包んだKAMIが、まるで最初からその部屋の主であったかのように、優雅に脚を組んで腰掛けていた。

 その手には、沢村が飲むはずだった湯呑みが握られており、彼女はそれを上品な仕草で一口すすると、心底つまらなそうに眉をひそめた。


「…渋いわね。やっぱり私は甘い方が好き」


 四つの身体が凍りついた。

 全ての回線が、瞬時に、そして丁重に切断される。

 沢村と九条の四つの身体は、まるで罪を見つかった子供のようにソファの前へと集い、深々と、そして無言で頭を下げた。

 神の気まぐれな巡察。

 いや、この平穏を予期していたかのような、悪魔的なまでの訪問だった。


「あなたたち、最近少し調子に乗ってるんじゃない?」


 KAMIは湯呑みをテーブルにこつんと置くと、その赤い瞳で四人の男たちを、値踏みするように見つめた。


「ゲートが上手くいって、異世界との関係も良好。世界も一応落ち着いてる。

 それで、少し仕事が楽になったとでも思った?」


 その言葉は、彼らの心の最も深い場所を、的確に抉っていた。


「残念だけど、あなたたちに平穏な老後なんてないわよ。

 さあ、次の仕事の時間よ」


 彼女は、にこりと、この世で最も美しい、そして最も残酷な笑みを浮かべた。


「次のプロジェクトを発表するわ。

 次は、この現代社会にダンジョンを作るの」


 その言葉は静かだった。

 だが、沢村と九条の耳には、世界の終わりを告げるラッパの音のように響いた。


「……だんじょん…?」

 沢村の喉から、か細い声が漏れた。

「はい?」と九条もまた、その完璧なポーカーフェイスの下で、必死にその単語の意味を探っていた。


「ダンジョン。迷宮よ、迷宮」


 KAMIは呆れたように言うと、指先で空中に向かって何かを描く仕草をした。

 すると、部屋の中央に置かれていた日本の伝統工芸品である美しい螺鈿細工の地球儀が、にわかに淡い光を放ち始めた。

 そして、その表面がまるで水面のように揺らめき、その内部構造がホログラムとなって部屋の中央に投影された。


 だが、それはもはや地球の内部構造ではなかった。

 地殻の奥深く、複雑に入り組んだ洞窟が、まるでアリの巣のように無数に広がっている。

 その洞窟の中を、緑色の肌をした棍棒を持つ小さな生物や、牙の生えた巨大な狼のような影が、蠢いているのが見えた。


「これがダンジョン。あなたたちの世界の地下深くに、こういう異空間を私が創り出すの」


 彼女はホログラムの地球儀を指先でなぞった。

 すると、日本の、例えば富士山の麓あたりから光の柱が地下へと伸び、その異空間へと繋がっていく。


「そして、あなたたち人間は『冒険者』となって、このダンジョンに挑むのよ」


 ホログラムの映像が切り替わる。

 そこには、ヘルメットを被り、最新鋭のアサルトライフルやコンバットナイフで武装した兵士のような人間たちが、チームを組んで洞窟の中を進んでいく様子が、リアルタイムの映像のように映し出されていた。

 彼らがゴブリンの群れと遭遇する。

 銃声が響き、緑色の血飛沫が舞う。


「ほらね? ちゃんと装備を整えれば、大した脅威じゃないわ。むしろ良いスポーツになるくらいよ」


 映像はさらに奥深くへと進む。

 冒険者たちが、洞窟の壁に埋まっている青白く輝く鉱石や、巨大な水晶をピッケルで採掘している。


「そして、その奥には、金銀財宝、希少金属、そして『魔石』と呼ばれる夢のエネルギー資源が、無限に眠っている。

 一攫千金のチャンスよ。

 人々は、富と冒険を求めて、この新しいフロンティアに熱狂するでしょうね」


 その、あまりにも具体的で、そしてあまりにも蠱惑的なプレゼンテーション。

 沢村と九条は、もはや反論の言葉さえ見つけられずに、ただ呆然とその光景に見入っていた。


「……お待ちください」


 最初に我に返ったのは九条だった。

 彼の声は珍しく震えていた。


「KAMI様。そのモンスターとやらは、本当にそのダンジョンの中から外に出てくることはないのですか…?

 例えば、渋谷のど真ん中にダンジョンの入り口が開いて、そこからオークの軍団が溢れ出てくるなどという事態は…」


「まあ、将来的にはそういうイベントも面白いかもしれないけど」


 KAMIのその無邪気な一言に、九条の顔が引きつった。


「でも、最初は大丈夫よ。ちゃんと安全な場所にしか作らないから。

 それに、ダンジョンから得られる恩恵は、そのリスクを遥かに上回るわ」


 彼女は、悪魔の囁きのように、このプロジェクトがもたらすであろう「飴」を提示した。


希少金属レアメタルや『魔石』が国内で無限に採れるようになれば、あなたたちがいつも頭を悩ませてる資源問題も解決できるわよ? どう? 悪い話じゃないでしょう?」


 資源問題の解決。

 その、あまりにも魅力的で、そして抗いがたい提案。

 だが、沢村はその甘い罠には乗らなかった。

 彼の脳裏には、モンスターの脅威よりも遥かに恐ろしい、現実的な悪夢が広がっていた。


「…KAMI様。仮に、仮にその安全性が100パーセント保証されたとしても、です」


 彼は絞り出すような声で言った。


「その『冒険者』という新しい人種。彼らは一体何なのですか?

 法律上、彼らはただの一般市民です。

 その一般市民が殺傷能力のある武器を手に、治外法権の迷宮に潜り、モンスターを『殺し』、そして手に入れた『宝』をどうするのですか?

 現行法では、それはただの器物損壊であり、窃盗であり、そして何よりも無許可の私闘です!

 この国を、法の及ばない無法者たちが闊歩する、西部開拓時代に戻すおつもりですか!」


 その、あまりにも正論な、そして絶望的なまでの現実の指摘。

 それにKAMIは、心底うんざりとしたという顔で、大きなため息をついた。


「……はぁ。だから、そのためのルールをあなたたちが作るんでしょうが」


 彼女は、ホログラムの地球儀を指先一つで消し去った。


「冒険者ライセンス制度、ダンジョン内での活動を規定する特別法、モンスターから得られる素材や魔石の所有権と取引に関する新しい税法…。

 そういう面倒くさい書類仕事は、全部あなたたちの専門分野でしょ?

 私は、面白い『舞台』を用意してあげる。

 その舞台の上でどうやって踊るのかを決めるのは、あなたたちの仕事よ」


 究極の、そしてあまりにも無責任な責任分担(という名の丸投げ)。


「とりあえず」


 と彼女はソファから立ち上がった。


「この話、いつものように四カ国でちゃんと話し合って決めてくれる?」


 彼女は、まるで近所のコンビニにでも行くかのような軽い足取りで、部屋の中央へと歩み出た。


「いつ作るかはまだ決めてないわ。

 まあ、あなたたちの準備が整うのを、少しは待ってあげなくもないから。

 とりあえず、そういう話があるってことだけ、頭の隅にでも置いといてちょうだい。

 じゃ、詳しい仕様書とか、参考にした並行世界のデータとか、あとであなたの端末に送っておくから。話、よろしくねー」


 そして彼女は、振り返りもせずにひらひらと手を振った。


「じゃ!」


 その一言を残して、ゴシック・ロリータ姿の神の代理人は、来た時と同じように、ふっとその場から姿を消した。


 後に残されたのは、絶対的な静寂と、そして四つの身体を持つ、抜け殻のような二人の男たちだけだった。

 彼らは数分間、誰一人として動けなかった。

 まるで巨大な隕石が自らの執務室のど真ん中に落下してきたかのような、圧倒的な現実の前に、思考が、感情が、全てが麻痺していた。


 やがて、本体の沢村が、ゆっくりと、ゆっくりと顔を上げた。

 その顔には、もはや絶望の色さえ浮かんでいなかった。

 ただ、全ての感情が抜け落ちた完全な虚無だけが、そこにあった。

 彼は隣に立つ、同じように虚無の表情を浮かべている腹心の男に、静かに、そしてどこまでも力なく問いかけた。


「…………九条君。……我々は前世で一体どんな大罪を犯したのだろうな…」


 その、あまりにも哲学的で、そしてあまりにも情けない問いに、九条は答えなかった。

 ただ、彼の分身の一人が、無言で机の上の鳴り止むことのないホットラインの受話器を、そっと持ち上げただけだった。

 ワシントンのトンプソンに、この新しい、そして絶望的な地獄の始まりを告げるために。


 彼らの眠らない、そして終わりのない戦いは、またしても新たな、そしてより困難なステージの幕を開けたのだった。

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― 新着の感想 ―
前世ではなく並行世界の自分の罪をどこかの並行世界の自分が被る説を推したいw 多分複数の並行世界の罪を一身に背負ってるんだろうなと想像すると楽しいw
総理「(おかしいな、こないだちょっとデレてくださった気がしたんだけどな)」 九条「(ええ、まるで別人。人が変わったように…)」
いくらなんでもあまりにも傍若無人すぎませんかね。 神に等しい力を持ったにしてももともとはごく普通の日本人だったでしょうに。 理不尽な真似ばかりしてると読むほうもつかれてしまうのですけれど。
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