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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第8話

 あの日、橘栞が「異世界征服」というあまりにも突飛な次なる目標を定めてから、数週間が経過していた。

 彼女の日常は何も変わらない。日中はWebデザイナーとしてコードを書き、夜はスキルウィンドウを眺めながら次なる実験計画を練る。

 だが、彼女の内面では明確な戦略が着々と構築されつつあった。


『異世界への扉』。

 そのスキルを解放し、未知の世界を開拓、資源を確保する。そのための対価が、今の彼女にはまだ足りない。日本政府という供給源サプライヤーは、確かに優秀だった。彼らは、栞が要求する「高価値な不要物」を国家の総力を挙げて忠実に、そして効率よく提供し続けてくれた。

 しかし、それでも足りないのだ。

 日本の国力だけではあまりにも遅い。プログレスバーが目標値に達するまで、数十年、あるいは百年以上かかってしまうかもしれない。不老不死となった彼女にとって、それ自体は耐えられない時間ではない。だが、橘栞という人間の本質はどこまでも合理的で、効率を求めるプログラマーのそれだった。無駄な待機時間は、彼女の最も嫌うところだった。


「……サプライヤーを増やすしかないわね」


 深夜。自室の窓から眠らない街の光を見下ろしながら、彼女は静かに結論を下した。

 もっと巨大で、パワフルで、そして潤沢な「対価」を支払えるクライアント。

 そんな存在に心当たりは一つしかなかった。

 世界の覇権国家、アメリカ合衆国。

 彼らを、この壮大な「ゲーム」のプレイヤーとして新たに引きずり込むのだ。


 その頃、首相官邸では沢村総理と九条官房長官が、アメリカ政府から派遣された特使との極秘会談を終えたところだった。

 特使が退出した応接室には、凍るような緊張と深い疲労だけが残されていた。


「……もはや限界だな」

 沢村は、深くため息をつきながらソファに身を沈めた。

「『日本が独占している例の『戦略的優位性』に関する技術情報を、血盟たる同盟国として即時共有することを要求する』か。丁寧な言葉だったが、内容はほとんど脅迫だ」


「仕方のないことです」と、九条は冷静に答えた。「彼らからすれば、我々は一夜にして核兵器以上の力を手に入れた、最も危険で最も信用ならない同盟国なのですから。彼らが最も恐れているのは、我々がこの力を彼らに牙を剥く形で使用すること。あるいは、中国やロシアといった他の敵対国にこの力を提供することです」


「我々にそんなつもりは毛頭ないというのに」


「言葉だけでは誰も信じません。彼らが欲しいのは、具体的な『力』の正体と、それをコントロール下に置くという『保証』です。そして、我々はそのどちらも提供することができない」


 秘密はあまりにも重すぎた。

 彼らが対話している相手は、国家でも組織でもない。気まぐれで、底が知れず、そしておそらくは人類のことなど何とも思っていない、一個人の超越的な「力」そのものなのだ。そんな不確定要素を、どうやって同盟国に説明し、納得させろというのか。

 彼らは八方塞がりだった。アメリカからの圧力は日に日に強まっている。このままでは、外交関係の破綻、あるいは経済的な報復措置も免れないだろう。


「……どうすればいい、九条君。我々は一体…」

 沢村が弱々しく問いかけた、その時だった。


 空気が揺れた。

 応接室の何もない空間が、水面のようにわずかに波打った。

 沢村と九条は息を呑んだ。この感覚には覚えがある。

 次の瞬間、その空間からすぅっと、まるで最初からそこにいたかのように、あのゴスロリ姿の少女が姿を現した。


「!」


 警護官が、部屋の外から異変を察知して飛び込んでくる。しかし、彼らは部屋の中央に立つ少女の姿を認めると、銃を抜くこともできず、ただ凍りついたように立ち尽くした。

 一ヶ月前、官邸の地下で繰り広げられたあの神の如き御業が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。


「……何の御用でしょうか」

 沢村は、どうにかそれだけを口にした。心臓が、嫌な音を立てて脈打っている。


 少女は部屋の中を興味なさそうに見渡すと、まるで世間話でもするかのような平坦な口調で言った。


「あなたたち、アメリカとの関係で困ってるみたいね」


 その言葉に、沢村も九条も背筋が凍るのを感じた。

 今、この部屋で二人きりで話していた内容。完全に盗聴されていた。いや、この存在にとっては、盗聴などというちっぽけな概念さえ不要なのだろう。彼女は、ただ知りたいと思ったことを知ることができるのだ。


「都合がいいわ」と、少女は続けた。

「ちょうど私も、アメリカに用事ができたところだから」


「……用事と申されますと?」


「ビジネスの話よ」

 少女は、くるりと沢村の方を向くと、とんでもないことを当たり前のように告げた。

「アメリカ政府にも力を与えることにしたわ。もちろん、彼らが相応の対価を支払うのならね」


「な……!?」


 沢村は絶句した。

 この国だけの秘密。この国だけの、絶対的なアドバンテージ。それが今、失われようとしている。

 いや、それ以上に、この力が世界に拡散した時、一体どんな混沌が訪れるというのか。


「お言葉ですが」と、九条が冷静さを保ちながら一歩前に出た。

「それはあまりにも危険です。この力が複数の国家の手に渡れば、世界のパワーバランスは完全に崩壊し、破滅的な軍拡競争を招きかねません」


「知ったことじゃないわ」

 少女は、九条の懸念を鼻で笑うかのように一蹴した。

「あなたたちがどんな争いをしようと、私には関係ない。私の目的はただ一つ。効率よく対価を集めること。そのためには、日本だけじゃ供給が追いつかないのよ。分かる?」


 その赤い瞳には、人類の平和や安定など微塵も映ってはいなかった。

 ただ、自らの目的を達成するための、純粋で冷徹な合理性だけがそこにあった。


「だから、あなたたちに私の代理人エージェントを命じるわ。アメリカ政府に、私のビジネスプランを伝えなさい」


 少女は、一方的にその「プラン」の内容を語り始めた。


「まず、私が要求するのは『資源』よ。最優先で引き取るのは、あなたたちと同じ、処理に困っているゴミや廃棄物。特に、高価値なものが望ましいわね。でも、それだけじゃ足りないでしょうから、金や貴金属、レアメタルでも特別に受け付けてあげる」


 少女は、少しだけ考える素振りを見せた。


「私にとっては、その辺のガラクタも純金の延べ棒も、本質的な価値は同じなの。どちらも等しく対価に変換できる、ただの『リソース』だから。ゴミがなくなったら、貴金属で支払えばいいわね。とりあえず、対価になりそうな物はありったけ寄越すようにと伝えなさい」


 その言葉は、彼らが信じてきた経済や価値という概念そのものを、根底から愚弄するものだった。この存在の前では、人類が血眼になって奪い合ってきた富は、道端の石ころと何ら変わりはないのだ。


「そして、提供する『力』について」


 少女は、楽しそうにその小さな手を宙に掲げた。

 すると、その手のひらの上に、半透明の無数のウィンドウが、まるでカタログのように展開され始めた。そこには、おびただしい数の「スキル」の名称と、その簡単な説明文が記されている。


「対価として力を与えると言っても、具体的にイメージできないでしょうから、メニューを用意してあげたわ。例えば…そうね。アメリカの軍人さんたちは、こういうのがお好みかしら?」


 少女が、一つのウィンドウに指で触れる。

【超身体能力付与(兵士向け・グレード1)】

【効果:対象の筋力、持久力、反射神経をオリンピック選手級まで恒久的に引き上げる】


「兵士に直接スキルを与えることができるわ。もちろん、対価次第でグレードを上げることも可能よ。自己治癒能力を付与したり、痛覚を遮断したり。あなたたちが百年かけても開発できないような完璧な『超人兵士』が、数日で数個師団分出来上がるわ」


 あるいは、と少女は別のウィンドウを示す。

念動力サイコキネシス付与(個人向け)】

【効果:対象に初歩的な念動力を与える。熟練度により、拳銃の弾丸程度なら静止させることが可能】


「念動力も便利よ。一人の要人がこの力を持っているだけで、暗殺の成功率は劇的に下がるでしょうね。テロの爆弾を未然に処理することもできるかもしれない。一人くらい持っていても、損はないわ」


 カタログは、次々とページがめくられていく。

『限定的未来予知』『高等物質解析』『超高速思考』『難病治癒』……

 それは、人類が夢見てきたあらゆる奇跡のリストだった。

 そして、その奇跡が、今や金やゴミと引き換えに売買可能な「商品」として提示されていた。


「…とまあ、こんな感じよ。このカタログを、アメリカさんにも見せてあげなさい。きっと喜ぶわ」


 少女は、満足げにスキルのカタログを消した。

 沢村も九条も、もはや言葉を発することができなかった。

 彼らは今、歴史の転換点を目撃している。

 神が、人類にその力の安売りを始めたのだ。

 世界は、もはや後戻りのできない場所へと足を踏み入れようとしていた。


「じゃあ、そういうことで」


 少女は、まるでデパートのセール会場の場所を教えるかのように、軽い口調で言った。


「アメリカ政府には、あなたたちからうまく伝えておいて。交渉の窓口は日本。あなたたちを通して、私にコンタクトするようにとね」


 そして、少女はくるりと背を向けた。


「じゃあね」


 そのあまりにも場違いな、少女らしい別れの言葉を最後に。

 ゴスロリ姿の使者は、来た時と同じように、ふっとその場から姿を消した。


 後に残されたのは、絶対的な静寂と、二人の呆然とした男だけだった。

 沢村は、崩れ落ちるようにソファにへたり込んだ。

 情報量が多すぎる。彼の脳は、処理能力の限界を超えていた。


「……九条君。私は、夢でも見ているのだろうか…」


「いえ、総理」

 九条は、床に落ちていた、少女が現れた際にこぼれ落ちたと思われるレースの切れ端を震える指で拾い上げた。「これは、悪夢のような現実です」


 彼は、ゆっくりと顔を上げた。その目には、恐怖と、そしてそれ以上に、興奮とも野心ともつかないギラギラとした光が宿っていた。


「総理、お分かりですか。我々は、もはや神の秘密を抱える哀れな孤立国家ではありません」

 九条は、沢村の肩を掴んだ。

「我々は、神の力を世界に仲介する、唯一無二の『総代理店』に任命されたのです。世界の覇権は、ワシントンにも北京にもない。この東京に、この我々の手の中に、転がり込んできたのですよ!」


 その言葉に、沢村ははっと顔を上げた。

 そうだ。これは危機ではない。機会チャンスなのだ。

 日本はもはや、アメリカの顔色を窺う必要はない。対等に、いや、それ以上の立場で彼らと交渉することができる。

 神の力をちらつかせながら。


 沢村は、ゆっくりと立ち上がった。その顔からは、先ほどまでの疲労の色が嘘のように消え去っていた。

 彼は、執務室の机の上に置かれた、アメリカ大統領府へと繋がる赤色の直通電話ホットラインを静かに見据えた。


 これから彼は、人類の歴史上最も奇妙で、そして最も重要な外交交渉を始めなければならない。

 それは、神の威を借りる一人の男が、世界の覇権国家に新たな世界のルールを突きつける、前代未聞の交渉。

 その成功を、彼の背後で冷たい赤い瞳をした「神」が、値踏みするように見ている。

 沢村は、ごくりと唾を飲むと、震える手でその受話器を持ち上げた。

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― 新着の感想 ―
これで資源投入されて、近隣の惑星から採掘できる様に成れば、そこを枯渇させずに次々に増やす。
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