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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第72話

 その日、日本の日曜の朝は、いつもと同じ、しかしどこか歪んだ静けさの中にあった。

 公園では子供たちが遊び、商店街は買い物を楽しむ人々で賑わい、多くの家庭では少しだけ遅い朝食の匂いが漂っていた。だが、その平和な日常のすぐ水面下では、一つの巨大な、そして答えの出ない問いが、国民一人一人の心に重たい錨のように沈んでいた。

 世界は変わってしまった。

 我々は、この国は、これからどうなるのか。


 その声なき問いに火をつけるかのように。

 国民的な人気を誇る日曜朝の討論番組『サンデー・クロスファイア』の、けたたましいオープニング音楽が全国のお茶の間に響き渡った。


『――おはようございます! XX月XX日日曜日。ニッポン放送系列『サンデー・クロスファイア』、今週も始まります!』


 司会の黒崎謙司が、にこやかな、しかしその目の奥に、これから始まる闘牛の行方を見定める闘牛士のような鋭い光を宿して、カメラに向かって語りかけた。

 彼の目の前のテーブルには、今日の日本の縮図ともいえる異色の論客たちが顔を揃えていた。

 政府を代表し、この難問の矢面に立たされる若宮特命担当大臣。

 政権追及の急先鋒、野党第一党の女性論客、立花議員。

 元・国土交通省事務次官にして安全保障のリアリスト、柳田公一。

 リベラル派の論客として知られる憲法学者の香山教授。

 そして、時代の寵児、IT企業のカリスマ創業者、朝倉氏。

 彼らがこれから繰り広げる言葉の戦争を、スタジオの観覧席と、そして日本中の何千万という人々が固唾を飲んで見守っていた。


「さて皆さん。今週、世界に、そして我が国に衝撃が走りました。言うまでもなく、我々が議論するテーマはこれしかありません」

 黒崎がそう言うと、スタジオの巨大なモニターに衝撃的な映像が映し出された。それは、先日の四カ国会議の直後、アメリカ国防総省と中国国防部、そしてロシア国防省が、ほぼ同時に発表した短い声明の映像だった。


『――我が合衆国軍は、同盟国及びKAMIとの協力の下、新たな脅威に対応するための次世代能力獲得プログラムを開始する』

『――人民解放軍は、科学技術の発展と超常領域の研究を、さらに推進する』

『――我が国は、国家の防衛能力を新たな次元へと高めるための、あらゆる努力を惜しまない』


 婉曲的ではあったが、その声明が意味するところは誰の目にも明らかだった。

 アメリカ、ロシア、中国が、神から奇跡――魔法を学ぶ!?

 モニターの映像が、日本の官邸前で不安げな表情でマイクを向ける記者と、それに対して「慎重に検討しております」と歯切れの悪い答弁を繰り返す九条官房長官の姿に切り替わる。

 しかし、日本は『検討中』!? いったい、どういうことなのか?


 VTRが終わったスタジオに、重い沈黙が流れる。

 黒崎は、その沈黙を破り、真正面に座る若宮大臣に、最初の、そして最も鋭い槍を突き立てた。

「大臣。単刀直入にお伺いします。世界は、魔法という新しい軍事革命の時代に、我々の目の前で突入しました。その中で、なぜ我が国だけが『検討中』なのか。国民はシンプルに、そして深刻に不安に思っています。『日本は、またしても世界から乗り遅れるのではないか』と。まず、この点について政府の明確なご見解を」


 いきなりの核心を突く質問。

 若宮大臣は、用意してきた完璧な、しかしどこか頼りない笑顔で、よどみなく答えた。

「黒崎さん、ありがとうございます。まず国民の皆様にご理解いただきたいのは、政府は決してこの問題を座視しているわけではない、ということであります。因果律改変能力…いわゆる『魔法』が持つ防衛上のポテンシャルについては、我々も最大限の関心を持って分析を進めております。しかし、これは単なる新しい兵器の導入とは、全く次元の異なる問題です。我が国の戦後のあり方そのものを、根底から問い直す、極めて重い国民的な課題であると我々は認識しております。故に、拙速な判断を避け、国民的な議論を尽くした上で、慎重にその道を定めたい。それが、政府としての現段階での偽らざる方針であります」


 その優等生的で、そして官僚的な答弁。

 それに、待ってましたとばかりに野党の立花議員が、氷のように冷たい声で噛み付いた。

「――綺麗事ですね、大臣」

 彼女は、若宮大臣を侮蔑の色さえ浮かべた瞳で睨みつけた。

「国民的な議論? 慎重な検討? 聞こえの良い言葉を並べていらっしゃいますが、要は政府がこの歴史的な転換点を前に、ただ怯え、立ち竦み、決断を先送りしているだけではありませんか! 乗り遅れるわけにはいかないのです! アメリカも、中国も、ロシアも、今この瞬間もKAMIから提供された『補助輪』を使って魔法を使える兵士を一人、また一人と生み出している! 我が国が一年後、ようやく重い腰を上げた時には、世界の軍事バランスはもはや取り返しのつかないほど変わってしまっているかもしれません! それでも、あなたは慎重にと仰るのですか! これは、明らかな外交的敗北であり、安全保障上の自殺行為です!」


「いや、しかし、我が国には我が国独自の…」


「独自の何です!? 平和憲法ですか!? その神聖にして侵すべからざる憲法も、他国の魔法兵士の前では、ただの紙切れになるのですよ!」

 立花議員の激しい追及。スタジオの空気が一気にヒートアップする。

 その政治的な応酬に、呆れたという顔で割って入ったのは、IT企業の創業者、朝倉氏だった。


「まあまあ、お二人とも。僕から言わせれば、その議論自体がもう古いんですよ」

 彼は腕を組みながら、まるで未来の世界から来た預言者のように語り始めた。

「あなた方は、魔法をいまだに『軍事』という二十世紀の古い枠組みでしか捉えていない。違いますよ。因果律改変能力は、兵器じゃない。究極の『テクノロジー』なんです。考えてもみてください。物質を無から生み出す。傷を一瞬で癒す。情報を空間を超えて伝達する。これは、エネルギー革命であり、医療革命であり、情報革命そのものです。この技術を最初に国家レベルでマスターした国が、次の時代のGoogleやAppleになる。次の世界の覇権を握るんですよ。軍事利用なんて、その応用例のほんの数パーセントに過ぎない。なのに、なぜ最初の入り口から『自衛隊が』という小さな話になるんですか? 乗り遅れるという意味では立花先生と同意見ですが、私が言いたいのは防衛の話じゃない。国家の未来の、全ての産業の話をしているんです!」


 そのスケールの大きな、そして魅力的なビジョン。

 若宮大臣は、ぐうの音も出ないという顔で唇を噛んだ。


 その熱狂的なまでの技術待望論に、静かに、しかし決定的な冷や水を浴びせたのは、憲法学者の香山教授だった。

「……朝倉さん。あなたの仰る輝かしい未来のビジョン、理解できます。ですが、我々は、その夢の果実を口にする前に、その果実が毒を含んでいないかどうかを確かめる義務があります」

 彼女は穏やかな、しかし決して妥協を許さない法学者の目で、スタジオの全員に問いかけた。

「そもそも皆様。自衛隊が魔法や奇跡を学ぶということを、簡単にお考えではないでしょうか。その法的根拠は、一体どこにあるのですか?」


 その根源的な問い。

 スタジオが、水を打ったように静まり返った。


「現行の自衛隊法、あるいは、いかなる法律にも、『魔法』や『奇跡』といった超常的な能力の定義は存在しません。それは兵器ですか? 装備品ですか? あるいは、隊員の特殊な『技能』ですか? まず、その法的な位置づけを明確にしなければ、一歩も先に進むことはできません」

 彼女は続けた。その言葉は一つ一つが、この国の戦後七十年以上の歴史の重みを背負っていた。

「そして、仮にこれを何らかの形で法整備できたとしましょう。その時、我々の前に立ちはだかるのが、憲法第九条です。この国は、国際紛争を解決する手段として、国による戦争の発動や武力による威嚇、武力の行使を永久に放棄しました。そして、その目的を達成するため、陸海空軍その他の『戦力』を持たないと。…さて皆様。一個師団に匹敵するというロシアのプーチン大統領が見せたあの身体能力。あるいは、ローマ教皇が見せた人の心を癒し、支配するあの光の奇跡。これが、『戦力』にあたらないと、一体誰が断言できるのですか?」

「KAMIは言いました。『使い方次第だ』と。それはつまり、人を癒す力は、人を殺す力にもなりうるということです。指先一つで人間の脳の分子結合を緩め、その存在をこの世から消し去ることさえ可能かもしれない。そのような、無限の可能性と無限の危険性を秘めた力を、『専守防衛』の範囲内であると、どうやって説明するのですか?」


 その理路整然とした、そして誰もが目を背けてきた本質的な問い。

 スタジオは、重い、重い沈黙に包まれた。


「そして何よりも私が恐れるのは」と、香山教授は声を潜めた。「自衛隊の力が増すことによる、文民統制シビリアン・コントロールの崩壊です。我々国民は、選挙で選んだ政治家を通じて、自衛隊という実力組織をコントロールしてきました。ですが、隊員一人一人が人知を超えた力を持つようになった時、そのバランスはどうなりますか? 我々は、本当に彼らをコントロールし続けることができるのでしょうか?」

 彼女は最後に、最も恐ろしい可能性を口にした。

「あるいは、彼らが自らの意志で、この国を、そして世界を変えようと思い始めたら…?」

 それは、現代の魔法による二・二六事件。

 その悪夢のような未来図。


「……香山教授のご懸念、もっともです」

 黒崎が重い口調で言った。「だからこそ今、国民の間からこういう声が上がっています。『自衛隊が学ぶなら、まずは民間でその安全性を研究し尽くしたあとではないのか?』と。大臣、この『民間から先に』という意見について、政府はどうお考えですか?」


 その問いに、若宮大臣は待ってましたとばかりに頷いた。

「はい。それこそが、我々が『慎重な検討』と申し上げている最大の論点であります。この未知なる力を、まずは医療や防災、産業といった平和的な分野で、国民の皆様の幸福のために活用できないか。その可能性を、今、政府内で真剣に議論しているところでございます。軍事利用は、あくまでその最後の、最後の選択肢であると…」


 その理想主義的で、そして国民受けのする答弁。

 立花議員でさえ、それに正面から反論することは難しい。

 だが、その甘い空気を容赦なく斬り捨てた者がいた。

 安全保障のリアリスト、柳田公一だった。


「――ちゃんちゃら、おかしいですな」

 彼は、吐き捨てるように言った。その声には、理想論に付き合うことへの隠しようのない苛立ちが滲んでいた。

「若宮大臣。香山教授。あなた方は、今この瞬間も、世界のどこかでアメリカ、中国、ロシアの兵士たちが、血の滲むような訓練でこの『魔法』を軍事技術として習得し続けているという、厳然たる事実から目を逸らしておられる」

 彼は、カメラのその向こう側の、平和な日曜の朝を過ごす日本国民に直接語りかけた。

「皆様、どうかお花畑のような幻想は、お捨ていただきたい。これは、もはや倫理や法律を議論している段階ではないのです。これは、戦争なのです。我々がぐずぐずしている間に、隣国が明日にでも魔法のミサイルを東京の上空にワープさせてくるかもしれない。その時、我々は『議論の途中でした』と言って白旗を揚げるのですか?」

 彼の言葉は、どこまでも冷徹で、そして否定しようのない説得力を持っていた。


「『民間から先に』? 結構な話です。ですが、その研究に何年かかりますか? 五年ですか? 十年ですか? その間に、世界はどうなっていますか? 魔法を使える国家と、使えない国家。その間に生まれる絶対的な格差。それは、かつて鉄砲を持った西洋列強と、刀しか持たなかった我々との間にあった、あの絶望的な格差と全く同じです。歴史は繰り返すのですよ」

 そして彼は、最後の、そして最も重い現実を突きつけた。

「そして皆様、忘れてはならない。この件について、日本以外の三カ国は、既に我々にこう通告してきています。『民間に魔法? 正気か? そんな不安定な国とは、同盟も対話も組むことはできん』と。彼らは、『はぁ? 何を言ってるんだ、民間に魔法? ダメだろ、それは』と、我々を明確に軽蔑しているのです。我々が民間利用などという甘い夢を追えば、待っているのは国際社会からの完全なる孤立だけです」


 その現実的で、そして絶望的な未来図。

 スタジオは、三度、完全な沈黙に包まれた。

 前に進めば、憲法と国の形が壊れる。

 後ろに下がれば、世界の孤児となり、国の存亡が危うくなる。

 右も、左も、地獄。


 番組の終了時間が近づいてくる。

 黒崎は、まるでこの国の出口のない苦悩をその一身に背負ったかのような、疲弊しきった顔で、最後に若宮大臣にマイクを向けた。

「……大臣。本日、あらゆる立場から、あらゆる意見が出ました。希望も、危機も、理想も、現実も。その全てを踏まえて、あなたは、そして政府は、最後に国民に何を伝えますか」


 若宮大臣は、もはやあの作り物のような笑顔を浮かべてはいなかった。

 ただ一人の、この国の未来を憂う、苦悩する政治家の顔で、カメラの向こうの国民一人一人に語りかけた。

「……本日、皆様に明確な答えをお示しすることはできません。申し訳ありません」

 彼は、深く、深く頭を下げた。

「ですが、一つだけお約束できることがあります。それは、我々政府は、決してこの問題から逃げないということです。本日、この場で行われたように。この重い問いの答えを、国民の皆様と共に悩み、苦しみ、そして、たとえ時間がかかろうとも、見つけ出していく。それしか、我々に道はありません。どうか、皆様のお力をお貸しください。この国の新しい形を、共に作っていくために…」


 その誠実で、そして無力な呼びかけ。

 番組は、静かに幕を閉じた。

 官邸の執務室でその一部始終を見ていた沢村総理は、リモコンのスイッチを静かに切った。

 彼の四つの身体は、全て同じように、深い、深い疲労に包まれていた。

 答えはない。

 この国は今、神から、そして歴史から、決して解くことのできない究極の問いを突きつけられている。

 その重い現実だけが、日曜の朝の平和な光の中に、ずしりと横たわっていた。

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― 新着の感想 ―
4カ国は衝突禁止やから攻められることは無いの国民知ってるけ?
それぞれの思想に基づいた意見をしつつも、日本のことを真剣に考えてる討論になっていて良い どの国の立場で話してるか分からない人もいないし、話しを遮る人もいない、だらだらそれっぽいことを言ってるだけの人…
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