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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第46話

 橘栞は、自室のワークチェアに深く身を沈め、目の前の空間に浮かぶToDoリストを、冷徹なプロジェクトマネージャーの目で眺めていた。

 それは、数日前に神々のチャットルームで、半ば一方的に押し付けられた、人類の未来を左右する壮大なタスクリスト。

 砂漠の緑地化。信仰エネルギーの活用。幻の大陸の浮上。

 そのどれもが、一つ実行するだけで世界を大混乱に陥れる、途方もないプロジェクトだった。だが、彼女の目を最も強く引きつけていたのは、そのリストの最後に追加された、最も地味で、そして最も根源的な、あの一行だった。


『5. 『因果律改変能力』の習得と、人類への『奇跡』の実装』


(……これだわ)

 彼女は、直感的に理解していた。

 他の項目は、全て「応用」に過ぎない。対価を消費して、既存のスキルを実行するだけだ。だが、これだけは違う。これは、彼女の能力の根幹に関わる、「基礎」そのものだ。

 因果律の改変。

 世界のソースコードを、直接編集する力。

 先輩の神々は、それを『奇跡』や『魔法』と呼んだ。だが、プログラマーである彼女の心に響いたのは、もっと別の、冒涜的で、そして甘美な言葉だった。

(……世界の、デバッグモード。あるいは、管理者権限ルートアクセス…)

 それを完全にマスターすれば、『全能』への道筋も、自ずと見えてくるのではないか。

 彼女は、他の全てのタスクを後回しにして、この最重要項目に取り組むことを決意した。


 彼女は、自らのスキルリストの深層へと、意識をダイブさせた。

 これまでは、対価を支払って新しいスキルをアンロックする、いわばアプリストアを眺めるような感覚だった。だが、今回は違う。彼女は、そのアプリが動作しているOSそのものの、根幹へとアクセスしようとしていた。

 やがて、彼女は見つけた。

 スキルツリーの、あらゆる枝葉の根元。その始まりの場所に、これまで気づかなかった、あるいは無意識に無視していた、一つの項目が、静かに存在しているのを。


【系統スキル:因果律改変能力(Causality Alteration)】


 彼女がその項目を選択すると、膨大な量の、しかし極めてシンプルな説明文が、彼女の脳内に直接流れ込んできた。


【概要】

 当スキルは、術者の『意思』の力によって、限定的な範囲の『現実』を書き換える能力である。

 物理法則、確率論、時間軸といった、この宇宙を構成する事象の連鎖(因果律)に、術者の強固な『観測』あるいは『信念』を介入させることで、結果を強制的に変更する。

 すなわち、『そうである』と信じる力が、『そうではなかったはずの世界』を、『そうなった世界』へと上書きする能力。


「なるほどね。意思で、現実を改変する能力…!」

 栞は、そのあまりにもシンプルで、そしてあまりにも強大な概念に、思わず身震いした。

 彼女は、さらに詳細な仕様書を読み進めていく。


【行使方法】

 因果律の壁は、強固である。知的生命体の脳は、通常、その世界の物理法則に最適化されており、『ありえないこと』を信じることが極めて困難なように設計されている。

 この生得的なリミッターを解除し、自らの意思を因果律に介入させるためには、何らかの補助的な手段ブートストラップが推奨される。

 例えば、呪文の詠唱や、特定の儀式ジンクス

 これらの行為そのものに、力はない。しかし、これらの行為を通して、『自分は、この手順を踏んだから、奇跡を起こすことができる』と、術者自身の脳を騙し、深く思い込ませることで、因果律への介入が可能となる。


「……プラシーボ効果の、究極的な応用、かしら」

 栞は、冷静に分析した。脳を騙す。自己暗示。結局のところ、奇跡の正体とは、自分自身をどれだけ完璧に欺けるか、という内面的な戦いだというのか。

 説明は、さらに続いていた。


【環境要因】

 因果律の強度は、環境によって変動する。

 例えば、異世界『アステルガルド』のように、高密度の未知のエネルギー粒子マナに満たされた環境では、因果律の結びつきが弛緩し、能力が発現しやすい傾向にある。マナは、いわば世界の法則性を書き換えるための、潤滑油、あるいは触媒として機能する。


「なるほどね。だから、あちらの世界では、魔法が一般的な技術として成立しているわけか」


 そして、栞は、自分自身に関する、最も重要な記述にたどり着いた。


【特記事項:『賢者の石』保有者について】

 スキル『賢者の石』は、因果律改変能力を、より安全かつ効率的に行使するために設計された、高レベルのインターフェースである。

 保有者は、最初からこの能力を極めて使いやすい状態にあり、対価を支払うという明確な手順を踏むことで、自己暗示のプロセスを大幅にショートカットし、大規模な現実改変を安定して行うことが可能となっている。


 その一文を読んだ瞬間。

 栞の脳裏に、一つの、雷に打たれたかのような閃きが走った。


「……待って。そういうこと…?」

 彼女は、これまで自分が当たり前のように使ってきた『スキル』という概念そのものを、根底から見つめ直し始めていた。

 対価を払い、リストから項目を選び、実行する。

 それは、あまりにも便利で、洗練されたシステムだった。

 だが、その正体は?


「……違うのかもしれない。因果律改変能力を極めた結果が、『スキル』になる。…それが、正解なのかしら?」


 そうだ。

 彼女がこれまで使ってきた、物質創造も、分身も、超効率的睡眠も、全ては『因果律改変』という、たった一つの根源的な力の、応用例に過ぎないのではないか。

『賢者の石』というスキルシステムは、そのあまりにも強大で、あまりにも扱いの難しい根源的な力を、人間にも理解できるように、分かりやすく、使いやすい「関数」や「API」として、パッケージ化したもの。

 自分は、これまで、便利な既製ライブラリを呼び出して使っているだけの、アプリケーション・プログラマーに過ぎなかったのだ。

 そして、今、自分はその根幹にある、OSそのもののソースコードに、触れる権利を得た。

 その、あまりにも壮大な真実の階層構造。


 その発見は、彼女に興奮と同時に、新たな、そして最大の謎をもたらした。


「……うーん。そうなると、この『賢者の石』という、あまりにも親切な開発環境を、最初に私に授けたのは、一体誰か? という、根本的な問題に行き当たるわね…」

 いったい、誰が、何の目的で。

 この、神へと至る道筋を、自分に与えたのか。


「地球の神様たちが、くれたのかしら?」

 いや、違うだろう。チャットルームでの彼らの反応は、明らかに、自分と同じ『スキルシステム』を持つ存在を、初めて見たというものだった。

 ならば、一体、誰が?

「……まあ、いいわ。こんど、チャットで聞いてみよう」

 彼女は、その根源的な謎を、一旦思考の片隅にある「未解決タスク」のフォルダへと放り込んだ。今、自分が優先すべきは、過去の詮索ではない。未来の実装だ。


「それより、この力を、地上の人々に伝授するのよね」

 彼女は、神々から与えられた、もう一つの宿題へと意識を切り替えた。

『信心深い宗教家たちに、奇跡の起こし方を教える』

 あまりにも、荒唐無稽なプロジェクト。

 だが、仕様書を読んだ今の彼女には、それが決して不可能ではないことが、分かっていた。


「まあ、宗教家の人たちなら、自己意識や信念は、一般人より遥かに強固だろうし、案外、簡単にできてしまうかもしれないわね」

 彼女は、冷静に分析を始めた。

 彼らは、その人生の全てをかけて、「神は存在する」「祈りは通じる」と、自分自身に、そして世界に、言い聞かせ続けてきた人々だ。その強固な自己暗示の土壌は、因果律を書き換えるための、最高の触媒となりうる。


「それに」

 彼女の口元に、かすかな、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。

「チャットルームの最高神たちが、『君たちはよく頑張っている』と褒めていた、と伝えてあげれば、彼らの自己肯定感も、さらに爆上がりするだろうし…。モチベーション管理も、完璧ね」

 それは、神の威を借りた、壮大なペップトーク(激励演説)。

 実に、効果的だろう。


 計画の骨子は、固まった。

 世界中の、主要な宗教の指導者たち。バチカンのローマ教皇、チベットのダライ・ラマ、イスラム教の最高権威、そして日本の伊勢神宮の宮司や、高野山の僧正。

 彼らの前に、KAMIとして顕現し、神々の言葉を伝え、そして、この世界の新しい「ルール」を、伝授する。


 そこまで考えて、栞は、ふと、我に返った。

 彼女の思考から、完全に抜け落ちていた、一つの、あまりにも面倒くさい、しかし決して避けては通れない障害の存在に。


「…あっ。そう言えば」


「日本の政府とか、アメリカ、ロシア、中国の政府に、この件を教えていいか、事前に聞かないといけないわね」

 そうだ。

 彼女は、彼らと、一応の「協力関係」にある。

 彼らに何の相談もなく、世界中の宗教家たちに、物理法則を無視する「魔法」の起こし方を教えて回るなどという、とんでもないことをすれば、彼らがどう反応するか。

 答えは、火を見るより明らかだった。

 パニックに陥り、全力で、それを阻止しようとするだろう。

 自分たちのコントロールの及ばない、新しい力が、世界に拡散することを、彼らは何よりも恐れるのだから。


「……彼らが、もし拒否したら、どうしよう?」

 栞は、腕を組んで、少しだけ考え込んだ。

 沢村や九条、そしてトンプソンたちの、胃を痛めながら、必死に世界の秩序を保とうとする、哀れな中間管理職たちの顔が、脳裏に浮かぶ。

 彼らに、これ以上の心労をかけるのは、少しだけ、可哀想な気もした。

 ほんの、少しだけ。


「……うーん」


 数秒間の、沈黙。

 そして、彼女は、極めて合理的な、そして、彼らにとっては極めて非情な結論に、あっさりとたどり着いた。


「まあ、その時は、仕方ないわね」

 彼女は、誰に言うでもなく、呟いた。

「『チャットルームの神様たちが、そうしろって言うから。お願い』って、言うしかないわね。可哀想だけど…」


 それは、究極の、そして反論不可能な、責任転嫁だった。

「私個人の意思ではない。これは、さらに上位の神々の、総意なのだ」と。

 その一言の前では、いかなる国家の指導者も、ひれ伏すしかないだろう。

 沢村たちの胃痛が、さらに悪化する光景が、目に浮かぶようだった。

 だが、仕方ない。

 これも、プロジェクトを円滑に進めるための、必要悪だ。


 栞は、立ち上がった。

 そして、数ヶ月ぶりに、自室のクローゼットを開けた。

 その奥には、彼女がKAMIとして顕現する際に纏う、あの豪奢なゴシック・ロリタのドレスが、静かに吊るされている。

 彼女は、そのドレスに、そっと手を触れた。

 これから、忙しくなる。

 まずは、最初の実験だ。

 因果律改変能力。

 その、練習。


 彼女は、部屋の中央に立つと、目を閉じて、意識を集中させた。

 そして、心の中で、一つの、強固な「設定」を思い描いた。


(――私は、今から、この部屋で、リンゴを一つ、無から生み出す)

(なぜなら、私は、そういうものだからだ)

(なぜなら、私が、そう決めたからだ)


 彼女の右手のひらの上に、何もない空間から、光の粒子が集まり始める。

 それは、まだおぼろげで、不安定な光の塊。

 だが、その光は、確かに、一つの「結果」に向かって、収束しようとしていた。

 世界のソースコードに、管理者権限でアクセスする、最初のコマンド。

 その、記念すべき第一歩が、今まさに、踏み出されようとしていた。

 彼女が、本当の意味で「神」になるための、長く、そして面白い、プログラミングの授業が、静かに始まった。

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― 新着の感想 ―
知恵の果実がオサレ(*´ω`*)
唯一神の信徒が栞さんの言葉を素直に信じるかどうか。まぁ、今のところ神の中では一番の小物っぽいし、天使解釈が勝てばいけるか。
作者様の作品はすべて目を通しましたが、いままでで一番読みごたえがあって面白かったです 物語として主人公の行動指針が明確であり、それに振り回される人々の葛藤などの感情が正確に伝わってくること。また異世…
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