表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/76

第32話

 内閣総理大臣、沢村が、あの歴史的な緊急記者会見で『ゲート構想』を公の場に解き放ってから、一週間。

 日本列島は、文字通り熱病に浮かされていた。『ゲート』という、あまりにも甘美で、あまりにも巨大な夢。それは、瞬く間に一億二千万の国民の想像力を乗っ取り、あらゆるニュース、あらゆる会話を支配する、巨大な怪物と化していた。

 毎日のように発行される新聞の一面は、ゲート、ゲート、ゲート。ワイドショーは、朝から晩まで専門家と称する人々を集めては、捕らぬ狸の皮算用を繰り広げる。SNSは、自分の地元にゲートができるか否かという、希望と不安と嫉妬が入り混じった人々の声で、絶えず燃え上がっていた。

 日本は、狂騒の渦の只中にいた。


 そして、その狂騒が頂点に達するのが、日曜日の朝だった。


「――おはようございます! X月XX日、日曜日。ニッポン放送系列、『サンデー・クロスファイア』、今週も始まります!」


 軽快なオープニング音楽と共に、国民的な人気を誇るベテラン司会者、黒崎謙司が、にこやかな、しかしその目の奥に鋭い光を宿してカメラに向かって語りかけた。

 彼の目の前のテーブルには、今日の日本を代表する「論客」たちが顔を揃えている。

 与党からは、政府の公式見解を代弁するために送り込まれた若手の特命担当大臣。

 野党第一党からは、政権追及の急先鋒として知られる、歯に衣着せぬ物言いの女性議員。

 経済界からは、巨大IT企業の創業者にして、歯切れの良い発言で人気のカリスマ経営者。

 そして、コメンテーター席には、元・国土交通省事務次官にして、現在は政策アナリストとして絶大な信頼を得る、柳田公一の姿があった。


「さて、皆さん。今週、日本中がこの話題で持ちきりでした。もちろん、我々が議論するテーマも、これしかありません。『ゲート構想』です!」

 黒崎がそう言うと、スタジオの巨大なモニターに、沢村総理の記者会見の映像と、熱狂する日本中の人々の映像が、ダイジェストで映し出された。


『東京から大阪まで、ゼロ秒!?』

『これで地方も活性化する!』

『うちの土地の値段、爆上がりするかも!』


 街頭インタビューに答える人々の、興奮しきった声。

 そのVTRが終わると、黒崎は厳しい表情で、真正面に座る特命担当大臣に最初の質問を投げかけた。

「大臣。国民の期待は、もはや沸点に達しております。ですが、同時に、多くの国民が最も根源的な疑問を抱いている。失礼を承知で、単刀直入にお伺いします。まず、とりあえず、本当にワープなどというものが可能なのか。政府として、その技術を検証したのですか? 国民に見せられる、動かぬ証拠はあるのでしょうか?」


 いきなりの、核心を突く質問。

 スタジオの空気が、ピリッと引き締まる。

 特命担当大臣は、用意してきたであろう完璧な笑顔で、よどみなく答えた。

「黒崎さん、ありがとうございます。まず、その点について国民の皆様の不安を払拭させていただきます。この基幹技術は、皆様もご存知の、我々の協力者『KAMI』からもたらされたものです。その有効性については、既に我々が活用している異世界との安定した接続や、安全保障分野における様々な奇跡的な事象によって、疑いようもなく証明されております。政府として、その安全性と確実性は、100%保証いたします」


「保証、ですか」

 その言葉に、すかさず噛み付いたのは、野党の女性議員だった。

「大臣、軽々しく『保証』という言葉を使わないでいただきたい。あなたは今、国民の未来全てを、正体も目的も分からない『KAMI』というブラックボックスに委ねると、そう仰っているのですよ! しかも、そのKAMIからもたらされたという技術の詳細について、政府は未だに何一つ情報を公開していない! これでは、国民は納得できません!」


「いえ、技術の詳細については、安全保障上の最高機密であり…」


「また安全保障ですか! 政府にとって、実に都合のいい言葉ですこと!」


 議論は、開始早々、激しい応酬の様相を呈し始めた。

 そのヒートアップする政治家たちの議論を、面白そうに眺めていたIT企業のカリスマ経営者が、腕を組みながら口を挟んだ。


「まあまあ、お二人とも。僕は、正直言って、今の議論は少し不毛だと思いますね」

 彼は、ビジネスマンらしいプラグマティックな視点で、自らの意見を語り始めた。

「技術が本物かどうかなんて、もう議論するフェーズじゃない。本物に決まってるじゃないですか。じゃなきゃ、総理があんな歴史的な会見をするわけがない。問題は、その次ですよ。スピードです」

 彼は、カメラに向かって力強く語りかけた。

「このゲート構想がもたらす経済効果は、もはや天文学的な数字になります。日本のGDPを、一夜にして倍増させるほどのポテンシャルがある。ですが、我々が国内の細かいことで揉めている間に、アメリカはもう走り出していると聞きますよ。この分野でアメリカに後れを取れば、日本は未来永劫、彼らのプラットフォームの上でビジネスをさせられることになる。そんなことで、いいんですか?」

 そして彼は、大臣に向かって、多くの国民が感じているであろう、もどかしい思いを代弁した。

「大臣、理屈はもういいんですよ。とりあえず、東京と、各地方の主要都市を繋ぐゲートを、一本ずつでもいいからさっさと作るのが先じゃないですか? 細かいルールなんて、走りながら考えればいい。まずは、国民に『本当にできるんだ』ということを見せる。そのスピード感こそが、今の日本に最も必要なものだと、僕は思いますね」


 その、あまりにも明快で、力強い意見。

 スタジオの観覧席から、思わず賛同の拍手が起こる。

 そうだ、そうだ。ぐだぐだ議論している暇があったら、まず作って見せろ。

 その、日本中を覆い始めていた焦燥感にも似た空気に、冷や水を浴びせるように、静かな、しかし、どこまでも重い声が響いた。


「…………」

 それまで黙って腕を組み、議論の行方を見守っていた元・国土交通省事務次官、柳田公一だった。

 彼は、マイクのスイッチを入れると、深い、深いため息を一つついた。

 そのため息には、これから面倒な話をしなければならないという、専門家の憂鬱が滲み出ていた。


「……なるほど。まず作れ、と。走りながら、考えろ、と。素晴らしい。実に、勇ましいご意見だ」

 柳田は、ゆっくりと、諭すように話し始めた。その口調は穏やかだったが、その言葉の一つ一つには、素人の楽観論を容赦なく斬り捨てる、現実という名の刃が隠されていた。


「ですが、失礼ながら申し上げます。いや、だからこそ、まずルール作りを絶対にしなければ、駄目なのです。素人はこれだから、困る」


 その、あまりにも 見下すような物言い。IT企業の経営者の顔が、カッと赤くなる。

 だが、柳田は意に介さず、続けた。

「皆様、少しだけ、想像力を働かせていただきたい。仮に、今、何のルールもないまま、東京駅と大阪駅の間にゲートが一つ開通したとしましょう。便利ですか? ええ、それはもう、革命的に便利でしょう。ですが、その裏側で、一体何が起きるか」

 彼は、指を一本立てた。

「まず、法律です。大阪で指名手配された凶悪犯が、ゲートをくぐり、一秒後には東京の雑踏に紛れ込んだ。さて、この犯人を追うのは、大阪府警ですか? それとも、警視庁ですか? ゲートという、どちらの都道府県にも属さない『空間』を通過した時点で、事件の管轄権は、どうなるのですか。現行の刑事訴訟法では、全く想定されていない事態です。法曹界は、大パニックに陥るでしょう」

 彼は、二本目の指を立てた。

「次に、経済。大阪に本社を置く企業の社員が、自宅のある東京からゲートで『通勤』する。さて、彼が支払う住民税は、東京に納めるべきか、大阪に納めるべきか。法人税は? 固定資産税は? 我が国の税制の根幹である『属地主義』が、完全に崩壊します。そして、不動産価値。東京と大阪の距離がゼロになった瞬間、その中間に位置する名古屋や静岡の土地の価値は、どうなりますかな。おそらく、暴落するでしょう。日本中で、経済的な大混乱と、無数の訴訟が発生します」

 彼は、三本目の指を立てた。

「そして、安全保障。テロリスト対策は、どうするのですか。ゲートの入り口で、空港並みの厳重な手荷物検査を、常時数千人、数万人規模で行うのですか? そのための人員とコストは、誰が負担するのですか。そして、もしゲートそのものが、地震や停電で機能不全に陥ったら? ゲートの向こう側に、何万人もの人々が取り残されるという事態も、想定しなければならない」

 柳田は、スタジオにいる全員の顔を、ゆっくりと見回した。

「今、私が申し上げたのは、考えうる問題点の、ほんの入り口に過ぎません。これら全ての『もしも』に対して、一つ一つ、地道に、そして頑健なルールを作り上げ、法律を整備し、新しい社会システムを構築する。その作業を抜きにして、安易に『まず作れ』と仰るのは、あまりにも無責任というほかありません。それは、運転の仕方も、交通ルールも知らない子供に、いきなりF1マシンを与えるようなものです。必ず、大事故が起きます」


 その、あまりにも理路整然とした、そして圧倒的な説得力を持つ現実の指摘。

 スタジオは、水を打ったように静まり返っていた。

 それまで「まず作れ」と威勢の良かったIT企業の経営者も、ぐうの音も出ないという顔で、唇を噛み締めている。

 国民の熱狂という名の熱い空気が、専門家が語る冷徹な現実の前に、急速に冷却されていくのが、テレビの画面を通してさえ感じられた。


 その重苦しい空気を破ったのは、司会の黒崎だった。

「……柳田さん、ありがとうございます。よく、分かりました。夢の実現には、それ相応の地道な準備と覚悟が必要だということですね」

 彼は、今度はスタジオの隅に座る、文化人類学を専門とする女性の社会学者に、話を振った。

「先生。今、柳田さんからは、法律や経済といったシステム面での課題が指摘されました。先生は、このゲート構想が、我々の社会や文化そのものに、どのような影響を与えるとお考えですか?」


 問われた社会学者は、静かに頷いた。

「……柳田さんが仰ったのは、いわばハード面での問題です。ですが、私が懸念するのは、むしろソフト面…我々の心や、コミュニティのあり方そのものが、どう変わってしまうのか、という点です」

 彼女は、優しい、しかしどこか憂いを帯びた声で語り始めた。

「例えば、『故郷』という概念は、どうなるでしょう。東京と故郷の田舎が、いつでも一瞬で行き来できるようになった時、お盆や正月の帰省が持つ、あの独特の非日常感や、家族との再会の喜びは、希薄になってしまうかもしれません。あるいは、『旅』という文化も、その意味合いを大きく変えるでしょう。目的地までの時間を楽しむ、という豊かな経験は、失われてしまうかもしれない」

 そして、彼女は最も本質的な問いを投げかけた。

「東京一極集中は、さらに加速するのではないでしょうか。誰もが、コストも時間もかけずに東京にアクセスできるようになったら、地方に独自の文化や産業を育もうという気概は、失われてしまうかもしれない。日本中が、便利で、効率的で、しかしどこも同じ顔をした、東京の巨大なベッドタウンになってしまう。そのことを、私は最も恐れます」


 その指摘は、柳田が語ったシステムの問題とは、また別の次元で、人々の心に重くのしかかった。

 便利さの代償として、我々は何を失うのか。

 その、誰も答えを知らない問い。


 番組は、視聴者からのFAXやメールを紹介し始めた。

『夢のような話だと思っていたが、そんなに大変なことだとは知らなかった』

『地方に住む者として、東京に全てを吸い尽くされるのは怖い』

『でも、やっぱり早く作ってほしい!』

 賛否両論。期待と不安。

 日本中の声が、スタジオに渦巻いていた。


 番組の終了時間が、近づいてくる。

 最後に、司会の黒崎は、再び特命担当大臣にマイクを向けた。

「大臣。本日、様々な立場から、多くの貴重な、そして厳しいご意見が出ました。これらを踏まえて、政府として、最後に国民に何を伝えたいですか」


 大臣は、それまでの防戦一方の表情とは違う、真摯な、そして決意に満ちた顔で、カメラを見据えた。

「……本日いただいた全てのご意見を、我々は真摯に受け止めます。そして、これこそが、我々が国民の皆様に伝えたかったことなのです。このゲート構想なら、もはや政府だけのものではありません。本日この番組で行われたように、国民一人一人が、この国の新しい形について考え、議論し、そして時には対立する。そのプロセスそのものが、このプロジェクトを成功に導く唯一の道だと、我々は信じています。政府は、決して暴走しません。国民の皆様との対話を重ね、一歩一歩、着実に、この国の新しい未来を築いていくことを、お約束します」


 その力強い言葉で、番組は締めくくられた。


 官邸、執務室。

 沢村と九条は、そのテレビ番組の録画を、黙って見終えた。

「……見事な答弁だったな、彼も」

 沢村が、ぽつりと呟いた。


「ええ。ですが、本当の地獄は、これからです」と、九条は冷静に言った。「国民は、今日、初めてこの問題の複雑さと巨大さを知った。これから、日本中であらゆるレベルの議論が、そして対立が、爆発的に巻き起こるでしょう。我々は、その全ての声を受け止め、調整し、一つの形へとまとめていかねばならない」


 彼の言葉通りだった。

 テレビがもたらした「冷静な現実」は、国民の熱狂を、より具体的で、そしてより厄介な「政治的圧力」へと変質させた。

 翌日から、官邸には、あらゆる業界団体、NPO、地方自治体から、ルール作りや設置場所に関する、陳情や要望、そして抗議の連絡が、これまでの数倍の勢いで殺到し始めた。

 日本は、一億二千万人の論客を抱える、巨大な議論の坩堝と化した。

 その、あまりにも騒々しく、あまりにも人間臭い混沌の始まりを、沢村と九条は、ただ静かに、そしてどこまでも重い覚悟と共に、受け止めていた。

 神が不在のまま、人間たちが、自分たちの未来を、自分たちの言葉で、必死に紡ぎ出そうとする、長く、そして困難な季節が、今まさに、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
はえーなるほどなーって顔で柳田さんの台詞読んでた。 感想としては、め、めんどくせぇ……もうゲートなくていいんじゃないかな……ですね。 今ならまだ概念上の存在だから耐えられる。でもいったんできて利便性に…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ