番外編 戯れの断章
並行世界コード:#777
座標:多次元位相空間・第8セクター(エンターテインメント特化型文明)
現地時間:西暦202X年 4月
東京のマンションの一室から、「並行世界移動」スキルによって飛び出した橘栞(と、その分身であるKAMI)は、次元の狭間を漂いながら次の行き先を物色していた。
メインの地球(#568)では、怪獣だのロボットだの、あるいは宗教論争だのといった重たいテーマが続いていた。
だからこそ彼女は求めていた。
もっと軽く、もっと俗っぽく、そして「承認欲求」がダイレクトに満たされるような、気楽な世界を。
「――あ、ここいいじゃない」
彼女が指差したのは、無数の光ファイバーが惑星を包み込むように輝く、高度情報化社会の世界だった。
世界コード#777。
そこは、インターネットとエンターテインメントが異常発達した、極めて現代地球に近い、しかし「配信文化」が社会のインフラにまで昇華された世界だった。
「分析完了。
……へえ、『VTuber(バーチャルYouTuber)』がアイドルの地位を完全に超えて、社会的影響力を持つインフルエンサーの頂点に君臨している世界ね」
KAMIはニヤリと笑った。
「決めたわ。
今回の『暇つぶし』はこれよ。
私もデビューするわ、バーチャルな神様としてね」
彼女の動機は単純だった。
『対価』を集めるには信仰が必要だ。
かつては神殿を建て、祈りを捧げさせるのが主流だった。
だがこの世界では違う。
『チャンネル登録』こそが帰依の証であり、『スーパーチャット(投げ銭)』こそが現代のお布施なのだ。
「効率的だわ。実に現代的で合理的。
座って喋ってるだけで、世界中から『対価』が集まるシステムなんて、最高じゃない」
こうして、次元を超えた神の気まぐれな配信活動が幕を開けた。
***
数日後。
世界最大の動画配信プラットフォーム『YouStream』に、突如として一つのチャンネルが開設された。
チャンネル名:【神降臨】KAMI様ちゃんねる【全知全能】
登録者数:0人
事前の告知も、企業によるプロモーションも一切なし。
完全な個人勢としてのスタートだった。
だが、その初配信が始まると同時に、インターネットの深淵がざわつき始めた。
『――あーあー。マイクテスト。
聞こえてる? 下等生物の諸君』
画面に映し出されたのは、ゴシック・ロリータ姿の銀髪の少女。
その映像クオリティは異常だった。
既存のLive2Dや3Dモデルの域を遥かに超えている。髪の毛一本一本の物理演算、瞳の奥の光彩の揺らぎ、そして肌の質感。
あまりにもリアルで、しかしどこか現実離れした美しさ。
視聴者たちはそれを「世界最高峰の技術で作られた究極のアバター」だと勘違いした。実際にはKAMI本人がカメラの前に座っているだけなのだが。
『初めまして。私はKAMI。
まあ、あなたたちの言葉で言えば『神様』ね。
暇だから降臨してみたわ。
崇め奉りなさい。そしてチャンネル登録と高評価を押しなさい。
それが、あなたたちに許された唯一の美徳よ』
そのあまりにも尊大で、そしてあまりにも堂々とした「上から目線(ゴッド・視点)」。
現代のネットユーザーは、謙虚さよりも突き抜けたキャラクター性を好む。
KAMIの態度は瞬く間に「キャラ設定が濃い」「RPが完璧すぎる」として、爆発的な話題を呼んだ。
コメント欄が流れる。
『グラフィック凄すぎワロタ』
『企業勢か? どこの技術だこれ』
『神様設定www 嫌いじゃない』
『声がいい。推せる』
KAMIは、流れるコメントを眺めながら、ポテトチップス(この世界にもあった)を齧った。
『ん、反応いいじゃない。
今日は初配信だから、適当に雑談でもしましょうか。
質問があれば、答えなくもないわよ?』
そこへ、英語のコメントが流れてきた。
『Who are you? Where are you from?(君は誰?どこから来たの?)』
KAMIは何食わぬ顔で、流暢なネイティブ英語で返答した。
『I am KAMI. I came from a higher dimension.(私はKAMI。高次元から来たのよ)』
直後、スペイン語のコメント。
『¡Tu modelo es increíble!(君のモデルすごいね!)』
KAMIは即座にスペイン語で返す。
『Gracias. Bueno, es mi cuerpo real, no un modelo.
(ありがとう。まあ、モデルじゃなくて実体なんだけどね)』
中国語、ロシア語、アラビア語、フランス語、そしてスワヒリ語。
コメント欄が多国籍化するにつれ、KAMIはあらゆる言語を母国語のように操り、瞬時にレスポンスを返していった。
自動翻訳ではない。その言葉には、各言語特有のジョークやスラング、文化的背景への深い理解が含まれていた。
『Wait, is she multilingual?(待て、彼女マルチリンガルなのか?)』
『何ヶ国語話せるんだこの新人!?』
『中の人どうなってんだよ……』
『Google翻訳より早いし正確だぞ』
ザワつくコメント欄に、KAMIは鼻で笑った。
『何驚いてるの?
神様なんだから、バベルの塔以前の「言葉」を知ってるのは当たり前でしょ。
あなたたちが勝手に言葉を分けただけじゃない。
私には、あなたたちの思考そのものが直接聞こえるようなものだから、言語なんて飾りよ』
彼女はそう言って、またポテトチップスを齧った。
その圧倒的な「全能感(という名のスキル活用)」に、視聴者たちは度肝を抜かれた。
初配信の同接(同時接続者数)は、口コミで雪だるま式に増え続け、終了時には10万人を突破していた。
***
KAMIの配信活動は、自由奔放そのものだった。
ある日は、この世界で大流行しているFPSゲーム(銃撃戦ゲーム)の実況を行った。
『APEX LEGENDS』のようなバトルロイヤルゲームだ。
『はい、そこ。右の建物の裏に2人。座標X:230、Y:450』
KAMIは画面を見るまでもなく、敵の位置を言い当てた。
そして、ありえない反射神経でマウスを操作し、視界に入った瞬間にヘッドショットを決めていく。
『チート乙』
『ウォールハック(壁透視)使ってんじゃねーよw』
『運営に通報しました』
荒れるコメント欄。
だが、KAMIは呆れたように言った。
『チート? 失礼ね。
これは「因果律予測」と「空間把握」よ。
プログラム上の敵の位置データが、私の脳内に直接展開されてるだけ。
モニター見てやってるあなたたちとは、解像度が違うのよ』
彼女はチートツールなど使っていなかった。
ただ、彼女自身のスペックがゲームサーバーの処理能力を凌駕しているだけだった。
運営が調査に入ったが、不正なプログラムの介入痕跡はゼロ。
ただ「人間離れしたプレイ」という結論しか出せなかった。
「人力チート」「ゲーミング神様」の称号を得た彼女のチャンネル登録者数は、100万人を突破した。
***
またある日は、「お悩み相談」配信を行った。
『迷える子羊たちの懺悔を聞いてあげる枠』。
視聴者から寄せられる悩みは、恋愛、仕事、人生の虚しさなど、ありふれたものばかりだった。
だがKAMIの回答は、常に斜め上であり、そして妙に核心を突いていた。
相談者A:『上司が無能すぎて辛いです。転職すべきでしょうか?』
KAMI:『ふーん。その上司、来週の火曜日に階段で転んで骨折して、そのまま窓際部署に異動になるわよ?
だから辞めなくていいわ。
ちなみにあなたの天職は、今の会社じゃなくて、3年後に起業するパン屋ね。
今は資金を貯めときなさい』
相談者B:『彼女に振られました。立ち直れません』
KAMI:『あー、あの子ね。
悪いけど、あの子実は二股かけてたわよ。相手はあなたの親友のタカシ君。
今頃、渋谷のイタリアンで食事中ね。
……悔しい?
じゃあ今すぐジムに行きなさい。筋トレしなさい。
半年後、マッチョになったあなたに、運命の相手(すごく可愛い文学少女)が図書館で声をかけてくるイベントフラグが立ってるから。
今は筋肉を信じなさい』
その回答は、あまりにも具体的すぎた。
視聴者たちは「面白いネタ回答」「設定が細かい」と笑って楽しんでいた。
だが数日後。
相談者Aから『本当に上司が骨折しました……!』という、震えるような報告が届き、ネット掲示板は騒然となった。
『KAMI様の予言ガチじゃね?』
『特定班の能力が高すぎるだけだろ』
『いやあれは未来視だ……』
都市伝説が生まれ、それがさらなる信仰(登録者数)を呼んだ。
彼女はただ見えた未来(可能性の分岐)を、天気予報のように伝えているだけだったのだが。
***
そして、KAMIの配信の中で最もカルト的な人気を博し、そして世界中の諜報機関や学術機関をパニックに陥れたのが、不定期に行われる『お勉強配信』だった。
タイトル:【教養】人間たちの文明レベルが低すぎてイライラするから、ちょっとだけ「正解」を教えてあげる枠【数学・物理】
画面には、MSペイントのような簡易的なホワイトボードソフトだけが表示されている。
KAMIはスナック菓子を齧りながら、マウスで適当な線を引く。
『ねえあなたたち。
まだ「リーマン予想」とか証明できてないの?
あれ、素数の分布規則についての話だけど、高次元のゼータ関数を使えば一瞬で解けるのよ?
見てなさい』
彼女はマウスでサラサラと数式を書き始めた。
それは、現代数学の常識を逸脱した、しかし見る者が見れば美しい論理的整合性を持った未知の証明式だった。
『ここの特異点を、虚数軸じゃなくて第5次元軸に拡張して……ほら、ゼロ点は一直線上に並ぶでしょ?
簡単じゃない。なんでこれが150年も解けなかったの?
人間って本当に頭が固いわね』
コメント欄が、数学徒たちの悲鳴で埋め尽くされる。
『え?』
『待って今の変形なに?』
『……嘘だろ。論理が通ってる……?』
『おい! スクショ撮れ! これ世紀の発見だぞ!』
『フィールズ賞ものの証明を、落書きみたいに書くなwww』
KAMIは止まらない。
『あと常温核融合。
あなたたち、まだ巨大な施設作って実験してるの?
パラジウムの結晶構造に、魔力……じゃなくて、特定の波長のマイクロ波を干渉させれば、もっと簡単に反応起きるわよ。
レシピ書いとくわね』
彼女は、革命的なエネルギー理論の概要図を、ペイントツールの「ブラシ」で雑に描いた。
『それとP対NP問題。
これ、結論から言うと「P≠NP」よ。
証明は、このアルゴリズムの複雑性クラスを、位相幾何学的に展開すれば……』
その配信が終わる頃には、世界中の大学、研究所、そして国家安全保障局(NSA)が、ハチの巣をつついたような騒ぎになっていた。
MITの教授が配信のアーカイブを見て卒倒した。
CERN(欧州原子核研究機構)の物理学者が実験を中断して、KAMIの数式を検証し始めた。
各国の政府機関が、「このVTuberの中の人は誰だ!? 亡命した天才科学者か!? それとも未来人か!?」と必死の身元特定(Doxxing)を開始した。
だが、誰も彼女の正体にたどり着くことはできなかった。
IPアドレスを辿っても、そこには「Null(無)」か、あるいは「発信元:高天原サーバー」というふざけたログが残っているだけだった。
***
ある夜。
KAMIはいつものように雑談配信をしていた。
テーマは『私の体験した面白い話』。
『こないだ行った世界(#568)の話なんだけどね。
そこでは海から怪獣が出てきて、大変だったのよ。
だから私、日本政府に巨大ロボットを貸してあげて戦わせたの。
燃えたわー。やっぱり巨大ロボットvs怪獣は、男の子のロマンよね』
コメント欄が草で埋まる。
『設定凝りすぎワロタ』
『その話映画化してくれ』
『KAMI様の世界観壮大すぎて好き』
視聴者たちは、それを高度な「RP」であり、彼女が創作した架空の物語だと思って楽しんでいた。
『でね、そのあとアメリカの大統領が「俺にもロボットよこせ」ってうるさいから、星条旗カラーのゴツいロボットも作ってあげたの。
そしたら今度はロシアと中国も欲しがって……。
結局、世界中でロボット軍拡競争が始まっちゃったのよね。
人間って本当に、力を持つとすぐ争いたがるんだから。可愛いわよね』
KAMIは遠い目をした。
『別世界(#769)の話もしようか。
そこではね、言葉が通じないのが面倒だから、世界中に「翻訳フィールド」を張ってあげたの。
そしたらどうなったと思う?
みんながお互いの心を理解しすぎて、逆に辛くなっちゃって引きこもっちゃったのよ。
「分かり合えないこと」もまた、幸せの一部だったのね……。
あれはちょっと失敗だったかな』
彼女の語る物語は、あまりにも詳細で、そして妙にリアリティがあった。
政治家の愚かさ、大衆の熱狂、そして技術がもたらす悲喜こもごも。
それを聞いている視聴者たちは、知らず知らずのうちに、彼女の世界観に引き込まれていった。
『なんか考えさせられるな……』
『KAMI様の話、ただのネタなのに深すぎる』
『もし本当にそんな世界があったら、俺たちはどうするんだろう』
KAMIはコメントを見ながら微笑んだ。
『まあ、あなたたちの世界(#777)は平和でいいわね。
怪獣も出ないし、ロボット戦争もない。
ただ毎日、私の配信を見て草を生やして、スパチャを投げる。
……そういう「何もない幸せ」を、もっと噛み締めなさいな』
彼女はスーパーチャットの読み上げを始めた。
『はい、田中さん赤スパ(1万円)ありがとう。
「KAMI様のおかげで数学の追試受かりました!」って?
良かったじゃない。私の数式、テストに使えたのね。先生、腰抜かしたでしょ?』
『鈴木さん5000円ありがとう。
「新しいがん治療薬の研究が進みました」?
あら、製薬会社の人? 私の雑談からヒントを得たのね。
しっかり稼ぎなさいよ。そして私にもっと貢ぎなさい』
彼女は、人間たちに知恵を授け、悩みを笑い飛ばし、そして対価を吸い上げる。
それは、現代における最も新しい、そして最も効率的な「神と人との関係」の形だった。
***
そして数ヶ月後。
KAMIのチャンネル登録者数が3億人を超え、世界で最も影響力のある存在となった頃。
彼女は唐突に、「卒業(引退)」を発表した。
最終配信。
同接数は数千万人に達し、サーバーが悲鳴を上げていた。
『えー、というわけで。
私、そろそろ飽きた……じゃなくて、天界の用事が忙しくなったから帰るわね』
阿鼻叫喚のコメント欄。
『嘘だろ!?』
『行かないでKAMI様!』
『俺たちの導き手が……!』
『泣かないの。
私は消えるわけじゃないわ。
元の次元に戻って、また別の世界を観察しに行くだけよ。
あなたたちの世界も、十分楽しかったわ。
スパチャもたくさん貰ったし、美味しいお菓子も食べたしね』
彼女は最後のプレゼントとして、一つのファイルをアップロードした。
『KAMIの宿題.zip』。
中には、常温超伝導物質の精製法、完全な気象予報アルゴリズム、空間折りたたみ技術、フェルマーの最終定理の新回答、とっておきのジョークそして「美味しいクッキーの焼き方(神レベル)」のレシピが入っていた。
『これあげるわ。
使い方はあなたたち次第。
これで戦争するもよし、豊かになるもよし。
……せっかくなら、楽しく使いなさいな』
画面の中のKAMIが、最高の笑顔で手を振った。
『じゃあね人間たち。
あなたたちの作る「物語」、これからも期待してるわよ。
バイバイ!』
プツン。
配信が終了した。
画面が暗転し、静寂が戻る。
だが世界はもう、彼女が現れる前と同じではなかった。
数学の難問は解かれ、物理学は数百年進歩し、そして何より、人々は「高次元の視点」というものを知ってしまった。
各国の政府は、彼女が残したデータ(宿題)の解析に血眼になり、新たな技術競争が始まった。
科学者たちは、彼女が書き残した数式を聖典のように崇め、研究に没頭した。
そして一般の人々は、ふとした瞬間に空を見上げ思うのだ。
「今もどこかの世界で、あの我儘な神様がポテチを食べながら、私たちを見て笑っているのかもしれない」と。
***
次元の狭間。
東京のマンションへと帰還したKAMI(分身)は、本体の栞に向かってVサインをした。
「ただいま! 稼いできたわよー!」
彼女が指を鳴らすと、空間から膨大な量の「対価」が溢れ出した。
スパチャによって換金された電子マネー、そして何より数千万人の視聴者から集められた純粋な「信仰(推し活エネルギー)」。
「わお。すごい量ね」
栞が目を丸くした。
「これだけあれば、また新しいスキルを解放できるわね」
「でしょ?
VTuber、最高のビジネスモデルだったわ。
また対価が足りなくなったら、別の世界で配信しましょうよ」
「そうね。次はどこの世界に行こうかしら」
二人の神は楽しそうに笑い合った。
世界コード#777。
そこは、神が「アイドル」として降臨し、人類を沼に落とし、そして少しだけ背中を押して去っていった、祭りの後のような世界として歴史に刻まれることになったのだった。
〈世界コード#777編・完〉
少し前に書いたヤツの蔵出しです。




