第239話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の覇権を握る四つの首都を繋ぐ、最高機密のバーチャル会議室。
この日、その円卓には、いつものような緊張感とは少し異なる、奇妙な期待と計算の空気が漂っていた。
議長役を務める日本の九条官房長官が、手元の資料を整え、静かに口火を切った。
「――では定刻となりましたので、臨時四カ国戦略会議を始めます。
本日の議題は、異世界『アステルガルド』における統治体制の変更、およびそれに伴う我が国(地球側)の対応についてです」
その言葉に対し、即座に反応したのは、画面の向こう側の中国・王将軍と、ロシアのヴォルコフ将軍だった。
二人は露骨に不満そうな表情を隠そうともせずに、腕を組んでいる。
「待たれよ、九条長官」
王将軍が低い声で遮った。
「異世界関連の話題となると、いつも貴国(日本)とアメリカだけで話を進めているではないか。
我々中国とロシアは、あくまでダンジョン管理のパートナーであって、アステルガルドの内政には関与していないはずだ。
また蚊帳の外の話を聞かされるだけなら、退席させてもらうが?」
「その通りだ」
ヴォルコフ将軍も不機嫌そうに、ウォッカのグラスを揺らした。
「リリアン王国との窓口は、日本が独占している。
我々には直接的な利益誘導のルートがない。
今更、彼らの王が代わろうが、どうなろうが、我々には関係のない話ではないのか?」
彼らの不満はもっともだった。
ダンジョンに関しては四カ国で協定を結んでいるが、異世界アステルガルドとの直接的な外交・貿易に関しては、ゲートを持つ日本(と軍事協力するアメリカ)が主導権を握り続けている。
中国とロシアは、あくまでそのおこぼれを「同盟国価格」で買っている立場に過ぎない。
だが九条は動じなかった。
彼は鉄仮面のような無表情のまま、淡々と、しかし決定的な言葉を告げた。
「いえ、将軍。今回は違います。
これはこちらの世界……すなわち、我々四カ国すべての国益に、直接かつ重大に関わる案件なのです」
「……ほう?」
アメリカのトンプソン大統領が、興味深そうに身を乗り出した。
「全員参加必須の案件と言うわけか。聞かせてもらおうか」
九条は頷き、モニターの中央にリリアン王国の王家系図を投影した。
「実はですね。
現在リリアン王国を統治している老王セリオン四世。
彼は極めて優秀な君主であり、我々との良好な関係を築いてきましたが……。
王家の伝統において、彼は『例外』なのです」
「例外?」
「はい。
リリアン王家は建国以来、長らく『女系』で継承されてきた家系なのです。
女王が立ち、その夫が国政を補佐する。
あるいは女王自身が統治する。
それが彼らの伝統でした。
しかし先代の女王が急逝し、適当な後継者がいなかったため、王配であったセリオン殿下が暫定的に王位に就き、今日まで国を支えてこられたのです」
九条は系図の末端にある一つの空欄を指し示した。
「ですがセリオン王もご高齢です。
いつまでも王座に留まることはできません。
そして今、王国では『本来あるべき姿』、すなわち女王統治へと回帰すべきだという声が高まっています。
跡継ぎとなるべき直系の血筋を持つ少女が、一人だけ存在するのです」
「なるほど」
王将軍が顎を撫でた。
「政権交代か。だがそれが我々にどう関わる?」
「ここからが本題です」
九条の声が一段低くなった。
「セリオン王からの極秘の打診がありました。
『次期女王候補を地球で教育してほしい』と」
その一言に、会議室の空気が一瞬で凍りつき、次の瞬間、爆発的な熱量へと変わった。
「……何だと?」
ヴォルコフ将軍の目が、氷河のように冷たく鋭く光った。
「教育と言ったか?
次期元首を、我々の世界で育てるという意味か?」
「その通りです」
九条は頷いた。
「彼女はまだ若く、見聞が狭い。
セリオン王は彼女に、地球の進んだ文明、政治、経済、そして文化を肌で学ばせ、次代を担うにふさわしい広い視野を持たせたいと願っておられます。
いわば地球への『留学』です」
トンプソン大統領が、葉巻を噛み砕きそうな勢いで笑った。
「ハッ! これは傑作だ!
つまり向こうの王様は、次期女王を我々の色に染めてくれと言っているわけか!」
「言い方は悪いですが、事実はそうです」
沢村総理が苦笑混じりに補足した。
「彼女が地球で学び、地球の文化に親しみ、我々の価値観を共有するようになれば……。
彼女が即位した後、アステルガルドと地球の関係は盤石なものとなるでしょう。
いや、それどころか」
「実質的な、こちらの『身内』になるわけだな」
王将軍が舌なめずりをするように言った。
「合法的に次期国家元首を洗脳……いや、啓蒙できるチャンスか。
これは確かに他人事ではないな」
彼らは理解した。
これはアステルガルドという異世界を、武力を使わずに、精神的・文化的に「征服」する絶好の機会なのだと。
親地球派の女王が誕生すれば、食料の輸出も、すべてがこちらの思い通りになる。
それは四カ国すべてにとって、計り知れないメリットをもたらす。
「とりあえず日本で預かることになります」
九条が今後のスケジュールを説明した。
「セキュリティとゲートの利便性を考えれば、それが最も合理的です。
彼女には日本の迎賓館に滞在してもらい、我々が用意したカリキュラムに沿って現代社会を学んでもらいます。
そして……」
九条は三カ国の首脳を見渡した。
「彼女には、この『四カ国首脳会議』にも、オブザーバーとして同席してもらう予定です」
「ここにか?」
トンプソンが眉を上げた。
「まだ子供なのだろう?
我々のドロドロした政治の話を聞かせて大丈夫かね?」
「セリオン王の強い希望です。
『世界の支配者たちがどのように決定を下しているのか。その空気を吸わせるだけで勉強になる』と。
それに彼女自身も、非常に聡明な方だと伺っております」
「ふむ……」
ヴォルコフ将軍が獰猛な笑みを浮かべた。
「良いんじゃないか?
小娘一人くらい、どうとでもなる。
地球の常識、大国の論理というものを、骨の髄まで教えてやろうではないか」
「問題ないな」
王将軍も同意した。
「我々の偉大さを直接見せつける良い機会だ。
中国の発展ぶりも、ぜひ視察させたいものだがな」
「では問題なしということで」
九条が締めくくった。
「彼女の来日は三日後。
名前はリシア・ド・リリアン。
アステルガルドの未来を背負う、若き王女です」
***
三日後。東京、羽田空港。
厳重な警備が敷かれたVVIP専用ターミナルに、異世界からの来賓を乗せた特別機が到着した。
タラップが降り、その姿が現れる。
リシア・ド・リリアン。
十六歳。
透き通るような銀髪が、滑走路の風になびいて輝いている。
瞳は知性を湛えた、深いアメジスト(紫)色。
彼女が纏っているのは、リリアン王国の伝統的な純白のドレス。
だがその手には、不釣り合いなほど最新型のタブレット端末が握りしめられていた。
「ようこそ日本へ、リシア殿下」
出迎えたのは麻生ダンジョン大臣だった。
彼は帽子を取り、慇懃に頭を下げた。
「麻生です。
貴女様の滞在中の警護と案内役を務めさせていただきます」
リシアは麻生を見つめ返した。
その瞳には、未知の世界への不安や恐怖は微塵もなかった。
あるのは強烈な好奇心と、そして値踏みをするような冷静な観察眼。
「お初にお目にかかります、麻生大臣」
彼女の口から紡がれたのは、KAMIの翻訳スキルによる流暢な日本語だった。
声は鈴のように美しい。
だがその響きには、王族特有の芯の強さがあった。
「お祖父様から貴国のことは、よく伺っておりますわ。
ダンジョンを管理し、経済を回す、恐ろしいほど優秀な『悪代官』のような方だと」
「ブッ……!」
麻生の後ろに控えていた秘書官が、思わず吹き出しそうになるのをこらえた。
麻生自身も一瞬目を丸くした後、ニヤリと笑った。
「はっはっは!
セリオン王も人聞きが悪い。
私はただの、実直な金庫番ですよ」
「ふふ、冗談ですわ」
リシアは悪戯っぽく微笑んだ。
「でも貴方たちが作り上げたこの世界……。
魔石と科学が融合し、欲望と秩序が奇妙なバランスで成り立っているこの社会システムに、私は興味がありますの。
これからしばらく、よろしくお願いいたしますわ」
彼女は麻生の手を取らず、自らの足で、しっかりとレッドカーペットを踏みしめ歩き出した。
その背中は可憐な少女のそれでありながら、一国の主となるべき器を感じさせた。
(……ふん。ただのお飾りのお姫様かと思ったが)
麻生はその背中を見送りながら、内心で舌を巻いた。
(なかなかどうして肝が据わっている。これは面白いことになるかもしれん)
***
都内の最高級ホテル、スイートルーム。
リシアの当面の住まいとなるこの部屋からは、東京の摩天楼が一望できた。
荷解きを終えたリシアは窓辺に立ち、眼下に広がる光の海を見下ろしていた。
「……これが、トウキョウ」
彼女は呟いた。
その手には、先ほど空港で手に入れたばかりのコンビニのおにぎりが握られている。
「殿下、まずは少しお休みになられますか?
明日は早速、官邸での挨拶回りが……」
お付きのメイド、マリアが心配そうに声をかける。
「いいえ、マリア」
リシアは振り返り、きっぱりと言った。
「休んでいる暇などありませんわ。
麻生大臣には伝えました。
『しばらくは自由に日本を見て回りたい』と」
「えっ? 会議に出席されるのでは?」
「何も知らないまま、古狸たちが待ち構える会議室に飛び込んで、何ができますの?」
リシアは手元のタブレットを操作し、膨大なニュース記事やSNSのタイムラインを高速でスクロールさせた。
「彼らは私を『お客様』として、あるいは『操り人形』として扱おうとしています。
都合の良い場所だけを見せ、都合の良い思想だけを植え付けようとするでしょう。
そんな教育なら、受ける意味がありません」
彼女は窓の外の街を指差した。
「真実は会議室ではなく、あの街の中にあります。
人々が何を食べ、何を考え、何に怒り、何に笑っているのか。
この国の『空気』を肌で感じなければ、彼らと対等に話すことなどできませんわ」
彼女の瞳が、アメジストのように鋭く輝いた。
「特に私は見たいのです。
この国が誇る『民主主義』と『資本主義』の光と影を。
便利なコンビニエンスストアの裏側で、誰が働いているのかを。
輝く摩天楼の足元で、誰が泣いているのかを。
……それら全てを知った上で、私はアステルガルドの未来を決めます」
彼女はドレスを脱ぎ捨て、地球で購入した清楚なオフィスカジュアル風の私服に着替えた。
銀髪を帽子で隠し、伊達眼鏡をかける。
そこにはもう王女の面影はない。
ただの、少し育ちの良さそうな好奇心旺盛な女子高生がいるだけだった。
「さあ、行きますわよ、マリア。
まずは……そうね。あの『秋葉原』という場所に行ってみましょう。
KAMI様が愛してやまないという、サブカルチャーの聖地へ」
彼女のポケットには、KAMIからこっそり渡された「オススメの聖地巡礼マップ」が入っていた。
実は彼女、アステルガルドに輸入された日本の漫画やアニメに触れ、隠れオタクとしての才能を開花させつつあったのだ。
「(表向きは社会科見学。でも本音は……限定グッズの確保ですわ!)」
リシアは心の中でガッツポーズを決めつつ、麻生たちには内緒で、夜の東京へと繰り出した。
***
その頃。官邸地下の執務室では、麻生が沢村総理と九条に報告を行っていた。
「……というわけで、お姫様は『まずは自分の目で見たい』と言って、街へと消えていきましたよ。
SPはつけていますが、基本的には放任です」
「ほう」
沢村が感心したように言った。
「いきなり会議に出るのではなく、まずは現場を見ると。
なかなかどうして、賢明な判断だ」
「ええ」
麻生はニヤリとした。
「何も知らない世間知らずのお姫様が来るかと思っていましたが……。
どうやら我々が思っている以上に『頭のいい』嬢ちゃんが来たようですな。
これは単なる教育係では済みそうにありませんぞ」
九条がモニターに映るリシア(変装中)の姿を見ながら、静かに言った。
「彼女が何を見て、何を感じ、そして会議の場で我々に何を突きつけてくるのか。
……楽しみでもあり、少しばかり怖くもありますね」
リシア・ド・リリアン。
彼女の来日は、単なる親善訪問では終わらない。
地球の大人たちが作り上げた「常識」と「妥協」のシステムに、異世界からの純粋で、そして鋭利なメスが入る瞬間だった。
彼女の視察という名の「冒険」は、今始まったばかりである。
そしてその冒険は、やがて四カ国の首脳たちを、冷や汗と苦笑いの渦に巻き込んでいくことになるのだが、それはまだ少し先の話である。
とりあえず今は、彼女が秋葉原の同人誌ショップで目を輝かせながら「薄い本」を物色している姿を、KAMIだけがニヤニヤしながら見守っているのだった。




