第229話
東京湾岸エリア、有明。
秋晴れの空の下、東京ビッグサイトの巨大な逆三角形の建造物は、かつてないほどの熱気と、そして世界中から集まった視線の重圧に震えていた。
『ジャパン・モビリティ・ショー20XX』。
かつて「モーターショー」と呼ばれたこの祭典は、近年、若者の車離れや環境規制、そして何よりも「ゲート」という移動革命の登場によって、その存在意義を問われ続けてきた。
「ゲートがあれば車はいらない」「物流は転送で済む」。
そんな極論さえ囁かれる中、日本の基幹産業である自動車メーカーたちは、沈黙を守り続けてきた。
だが、それは死に体の沈黙ではなかった。
彼らは地下深くでマグマを溜め込む火山のように、起死回生の一撃を、世界をひっくり返す革命の準備を、虎視眈々と進めていたのだ。
メインステージとなる東ホールは、立錐の余地もないほどの人波で埋め尽くされていた。
国内メディアはもちろん、CNN、BBC、アルジャジーラ、新華社通信。
世界中のプレス関係者がカメラの砲列を敷き、その瞬間を待っている。
ステージ中央には、巨大な白い布で覆われた二つの「機体」が鎮座している。
そのシルエットは、これまでの自動車の常識からはかけ離れた、異様な形状をしていた。
午前10時。
会場の照明が落ち、重低音のBGMが響き渡る。
スポットライトが一本、ステージ中央に降り注ぐ。
そこに立っていたのは、日本最大手の自動車メーカー、トヨタ自動車の社長、豊田だった。
作業着ではなく、フォーマルなスーツに身を包んだ彼の表情には、かつての内燃機関の覇者としての誇りと、新時代を切り拓く開拓者としての決意が漲っていた。
「――皆様。世界中からお越しの皆様。ようこそ、おいでくださいました」
豊田の声が、会場の空気を震わせる。
「我々自動車産業は、ここ数ヶ月、かつてない試練に直面しておりました。
『ダンジョン』と『ゲート』。この二つの奇跡は、人類の移動の概念を根底から覆しました。
距離は消滅し、時間は短縮された。
多くの人々が言いました。『もはや車はオワコンだ』と」
会場に緊張が走る。
自らの危機を、トップ自らが口にしたのだ。
「ですが!」
豊田は声を張り上げた。
「我々は諦めなかった! 技術屋の魂は死んではいなかった!
我々は考えたのです。
ゲートは確かに便利だ。点と点を一瞬で結ぶ。
だが、点と点の間にある『線』はどうする? 『面』はどうする?
ラストワンマイルは? 道なき道は?
そして何より……『移動そのものを楽しむ』という人間の根源的な喜びは、ゲートの中には存在しない!」
彼は拳を握りしめた。
「我々は答えを見つけました。
それも、この地球上にある技術だけでない。
神がダンジョンから生み出した魔石!
そして――先日、国連調査団がムー大陸の遺跡より持ち帰った、超古代の叡智『汎用重力制御システム』!
日本のモノづくり技術が、この二つの奇跡と融合した時!
自動車は『車』という概念を捨て、新たな次元へと進化するのです!」
豊田が右手を振り上げた。
合図と共に、ドラムロールが轟く。
「ご覧いただきましょう!
タイヤを捨て、重力を手懐け、空へと解き放たれた未来の翼!
日本が世界に誇る、魔導エンジニアリングの結晶です!」
バサッ!!
白い布が勢いよく引き抜かれた。
スモークが焚かれ、レーザー光線が交差する。
その中から現れた二つの機体に、会場中の数万人が息を呑んだ。
一つは、極限まで無駄を削ぎ落とした流線型のボディを持つ、未来的なバイクだった。
だが、そこにあるべき「タイヤ」が存在しない。
前後輪の位置には、青白く脈動する光の輪――ムー大陸由来の技術を解析し、小型化した『重力反発浮遊器』が埋め込まれている。
ボディの側面には、高純度の魔石を燃料とする『魔石直噴エンジン』が、心臓のように赤く輝いている。
SF映画の中から飛び出してきたかのような、空飛ぶ鉄馬。
『ホバーバイク “エア・ストリーム”』。
そして、もう一つ。
会場の誰もが、その姿を見た瞬間に目を疑い、そして次の瞬間に爆笑と歓喜の渦に包まれた機体。
それは、あまりにも日本的で、あまりにも日常的で、そしてあまりにも「実用性」の塊のようなフォルムをしていた。
白く、四角く、愛想のないキャビンと、泥汚れが似合いそうな荷台。
日本の農道を、路地裏を、そして経済を底辺から支え続けてきた最強の実用車。
『軽トラック』だ。
だが、その軽トラにはタイヤがなかった。
車体の下部四隅には、武骨なデザインの浮遊ユニットが装着され、そこから陽炎のような重力波を放ちながら、地面からきっかり50センチの高さに「浮いて」いたのだ。
荷台には「最大積載量 350kg(空輸時)」のステッカー。
『空飛ぶ軽トラ “スカイ・キャリー”』。
「おおおおおおおおおおおおッ!!!」
「浮いてる! 本当に浮いてるぞ!」
「軽トラが空を飛ぶのか!?」
「すげえ! マジですげえええええ!」
会場のボルテージは最高潮に達した。
フェラーリでもない。ベンツでもない。
世界初の量産型空飛ぶ車が「軽トラ」であるという、この事実。
それは日本の技術者の狂気と、そして実用性への執念が産み落とした、最高のジョークであり、最高のイノベーションだった。
豊田社長が誇らしげに解説を始める。
「まず、動力源についてご説明します。
これらの機体に搭載されているのは、内燃機関ではありません。
インドのダンジョンから無尽蔵に供給される『F級魔石』を燃料とする、新開発の『マナ・コンバーター・エンジン』です」
スクリーンに、エンジンの断面図が表示される。
魔石の粉末が燃焼室(のような反応炉)に噴射され、そこで純粋な推力へと変換されるプロセス。
「このエンジンのエネルギー効率は、ガソリンエンジンの約50倍。
F級魔石一個(市場価格1万円)で、地球を一周できるだけの航続距離を実現しました。
CO2排出量はゼロ。騒音は風切り音のみ。
環境にも財布にも、究極に優しいエンジンです」
燃費、地球一周。
その言葉に、会場にいた物流業界の関係者たちが色めき立つ。
ガソリン代という経費が、事実上消滅するのだ。
「そして、核心技術である『浮遊』について」
豊田は、ムー大陸のピラミッドの映像を一瞬だけ映し出した。
「国連調査団が持ち帰った『汎用重力制御システム』のデータ。
これを日本の小型化技術で徹底的に解析・ダウンサイジングしました。
タイヤの摩擦抵抗はありません。路面の凹凸も関係ありません。
雪道だろうが、砂漠だろうが、水の上だろうが。
道なき道を滑るように移動することが可能です」
デモンストレーションが始まった。
ステージ上のホバーバイクに、テストライダーが跨る。
キィィィィン……という蚊の鳴くような高周波音が響くと、バイクがふわりと高度を上げた。
ライダーがアクセルを回す。
バイクは猛烈な加速でステージを駆け抜け、設置された障害物(階段や水槽)を何事もなく飛び越えていく。
「ご覧ください! この機動性!
さらに、スカイ・キャリーをご覧ください!」
空飛ぶ軽トラが、荷台に満載された1トンもの土嚢を積んだまま、音もなく浮上する。
重さを感じさせない。
重力制御装置が、積載物の質量さえも無効化(軽減)しているのだ。
「過積載? そんな言葉は過去のものです。
重力制御下においては、1トンの荷物も羽毛のように軽い。
農家の皆様、建設現場の皆様。
もう、泥濘にタイヤを取られることはありません。
畑の上を、川の上を、直接飛んで荷物を運べるのです!」
それは、日本の第一次産業、そして物流業界にとっての福音だった。
山間部の集落、離島、被災地。
これまで「道」がなければたどり着けなかった場所へ、この軽トラは一直線に飛んでいける。
だが。
ここで豊田社長の表情が、少しだけ曇った。
彼はステージの袖に控えている来賓席の二人――沢村総理と麻生大臣の方を向いた。
「……しかし皆様。
残念ながら現時点では、一つの『大きな制約』がございます」
会場が静まり返る。
「これらの機体は、性能上は高度1000メートル、いや成層圏まで上昇することも可能です。
ですが……現行の日本の航空法および道路交通法において、この機体は『車両』なのか『航空機』なのか、定義が定まっておりません」
法律の壁。
いつの時代も、技術の進歩を阻むのは人間の作ったルールだ。
「空を自由に飛び回れば、既存の航空機との衝突リスク、あるいは墜落時の地上への被害、プライバシーの侵害など、多くの懸念が生じます。
そのため政府との協議の結果、発売当初は『高度制限リミッター』をかけざるを得ませんでした」
豊田は無念そうに言った。
「高度は地上50センチから1メートル。
あくまで『地面効果翼機』として、道路の上を滑空する形での運用となります。
空を飛べる翼を持ちながら、地を這わねばならない。
これが現状です」
会場から「えーっ!」という落胆の声が上がる。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような空飛ぶ車を期待していた人々にとっては、肩透かしだ。
だが豊田は、すぐに声を張り上げた。
「ですが! これは終わりではありません! 始まりなのです!
我々は諦めてはいません!
技術はここにある! 安全性も実証されている!
あとは『空の道』を開くだけなのです!」
彼は壇上から沢村総理を直視した。
それは、一企業の社長が一国の総理に対して行う、公衆の面前での強烈なプレッシャー(陳情)だった。
「総理! 麻生大臣!
どうか空を開放してください!
『スカイ・ハイウェイ』構想の早期実現を!
空の交通整理、免許制度の改正、そして航空法の特例措置!
我々メーカーは政府と協力し、あらゆる技術的・法的な課題をクリアする用意があります!
空飛ぶ車が東京の空を、日本の空を、自由に飛び回る未来。
渋滞のない世界。
それを実現することは、我々自動車メーカーの悲願であり、そして国民の夢なのです!
どうか我々に翼を!」
万雷の拍手。
会場中の視線が、沢村と麻生に突き刺さる。
「やれ!」「許可しろ!」「空を飛ばせ!」
無言の、しかし圧倒的な圧力。
来賓席で麻生大臣は苦笑しながら、隣の沢村に耳打ちした。
「……やられましたな、総理。
あんな風に言われては、『検討します』でお茶を濁すわけにはいきませんぞ」
「ああ、全くだ」
沢村も引きつった笑みを浮かべながら立ち上がった。
「外堀を埋められた気分だ。
だが……悪い気分ではないな」
沢村はマイクを受け取り、ステージに上がった。
そして豊田社長と、固い握手を交わした。
「豊田社長、そして会場の皆様。
日本の技術力の結晶、まざまざと見せていただきました。
感動しました。
軽トラが空を飛ぶ。……これほど日本らしく、そして夢のある未来図はありません」
沢村は宣言した。
「政府として約束しましょう。
『空の移動革命』。これを国家戦略の最優先事項の一つとして推進します!
法整備は急ぎます。縦割り行政の弊害も打破しましょう。
安全性を確保した上で、段階的に、しかし確実に、高度制限を緩和していく。
まずは河川の上空や海上、そして過疎地からの実証実験を、来月にも開始します!」
「おおおッ!!」
「そして数年以内には、都心の上空にも『空の道』を通す。
大阪万博……いや、もっと早く。
来年の今頃には、皆さんが空飛ぶ軽トラで銀座へ買い物に行けるよう、全力を尽くします!」
総理の確約。
会場の興奮は最高潮に達した。
ステージ上ではデモンストレーションが再開された。
ホバーバイクが階段を駆け上がり、水槽の上を水しぶきを上げずに滑走する。
スカイ・キャリーが、その場で360度ターンを決め、真横にスライド移動して、縦列駐車を一発で決める。
タイヤがないことの自由度。
それは単に「浮く」だけではない。
移動の概念そのものを変える革命だった。
***
その夜。
ニュース番組は、この「空飛ぶ軽トラ」の話題で持ちきりだった。
『日本の空が変わる! トヨタ反重力軽トラを発表』
『魔石1個で地球一周! エネルギー革命の決定打』
『ネット予約殺到! 発売は半年後だが、既に3年待ち!?』
農村の若者たちが目を輝かせて、インタビューに答えている。
「じいちゃんが『これなら腰が痛くても畑に行ける』って喜んでます!」
「雪道でもスタックしないんですよね? 北海道の冬が変わりますよ!」
「軽トラで空を飛ぶとか、改造車みたいでカッコいいじゃん! デコトラにして乗り回すわ!」
都会のビジネスマンも興奮していた。
「バイク通勤が変わるな。渋滞の列を横目に、川の上を飛んで出社できるなんて最高だ」
「災害時の救援物資輸送にも使えますよね。道路が寸断されても関係ない」
日本中が、新しいモビリティの可能性に夢を見ていた。
ムー大陸の技術と、インドの魔石、そして日本の技術。
世界中の要素が組み合わさって生まれた、奇跡のプロダクト。
***
そして、その狂騒を東京のマンションの一室から眺める者たちがいた。
KAMIはテレビ画面に映る、空中に浮遊する軽トラの映像を見ながら、満足げにメロンパンをかじっていた。
「……ふふ。
軽トラを飛ばすなんて、日本人もなかなかやるじゃない。
スポーツカーとか戦闘機じゃなくて、あえて『軽トラ』から入るのが渋いとこだと思うわ」
彼女は、その実用性一点張りのデザインを、妙に気に入った様子だった。
「重力制御の基礎理論は、マザー・キーパーが教えたものだけど……。
それをこうやって庶民の生活の道具に落とし込むのは、やっぱり人間の得意分野ね。
マザーが見たら『非効率な形状だ』って怒るかもしれないけど、私は好きよ、こういうの」
本体の栞が、PCのキーボードを叩きながら言った。
「経済効果も凄そうね。
関連株が軒並みストップ高よ。
それに、魔石の需要がさらに増えるわ。インドの鉱山労働者たちも、これでまた潤うでしょうね」
「そうね」
KAMIは頷いた。
「世界が繋がっていくわ。
インドの石が日本の車を動かし、アメリカの空を飛ぶ。
……いい循環じゃない」
彼女は窓の外を見た。
そこには、いつもの東京の夜景が広がっている。
首都高を流れる車のライトの帯。
だが近い将来、その光の帯は地上から解き放たれ、空中に立体的な光の川を描くようになるだろう。
ブレードランナーやフィフス・エレメントで見た、あの未来都市の風景。
それが軽トラやカブといった、生活感あふれる機体によって実現される。
「……楽しみね」
KAMIは呟いた。
「空の法律、事故の対策、空中の交通整理……。
沢村さんや麻生さんは、また新しい頭痛の種が増えて大変でしょうけど。
でも人間は空を飛びたがる生き物だから。
きっと乗り越えるわ」
神が与えた技術と、人間の知恵と欲望が融合し、世界はまた一つ、新しい形へと進化しようとしていた。
翌日、官邸の地下では。
麻生大臣が国交省と警察庁の幹部を怒鳴りつけながら、新しい法案の作成に追われていた。
「空の制限速度はどうするんだ!
空中でガス欠になったらどうなる! 落下傘を義務付けろ!
『空中あおり運転』の罰則規定を作れ!
……ええい、仕事が増えるばかりだ!」
その顔は疲労困憊していたが、どこか楽しげでもあった。
新しい時代を作る仕事。
それは政治家にとって、何よりの麻薬なのだから。
空飛ぶ軽トラの予約サイトは、サーバーダウンを繰り返していた。
人類は空へ行く。
荷台に夢と野菜を積んで。




