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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第225話

 ニューヨーク、マンハッタン東端。

 国連本部ビル、大会議場。


 その神聖なる議場は今、外交的な礼節や建前といった薄皮一枚が剥がれ落ち、国家のエゴと嫉妬がむき出しになって、ぶつかり合う泥沼の闘技場と化していた。

 議題は『決議案402-Beta:インド共和国におけるダンジョン導入プロセスの透明性、および他国への公平な機会提供に関する緊急動議』。


 だが、そんな小奇麗なタイトルは、もはや形骸化していた。

 今この場で交わされているのは、

「なぜあいつらだけが得をするんだ」

「俺たちにもよこせ」

 という子供の喧嘩を国家レベルに拡大しただけの、醜くも切実な叫びだった。


「――説明していただきたい! インド代表!」


 演壇に立ち、顔を真っ赤にして叫んでいるのはフランスの国連大使だった。

 彼は手元のタブレットを振り回し、スクリーンに一枚の衛星写真を叩きつけるように投影した。


「これは昨日のデリー市内、コンノート・プレイスの映像だ!

 見ろ! すでに巨大な『ゲート』の構造物が設置されているではないか!

 しかも一つや二つではない!

 ムンバイ、コルカタ、チェンナイ……主要都市のど真ん中に、堂々と鎮座している!

 まだ国連での承認決議すら終わっていないのに、だ!」


 会場がざわめく。

 スクリーンに映し出されているのは、紛れもない事実だった。

 インドの主要都市に出現した、あの特徴的な漆黒のフレーム。

 まだ起動こそしていないが、それは明らかにダンジョンの入り口だった。


「それだけではない!」


 フランス大使は畳み掛ける。


「インド政府は『デジタル・インディア』の名の下に、国民へのスマートフォンの無料配布を開始している!

 その端末には既に『ダンジョン・ライセンス管理アプリ』がプリインストールされているという情報もある!

 これは明らかに『準備完了』の状態だ!

 我々がここで議論している間に、彼らは既成事実を積み上げ、スタートダッシュを切ろうとしている!

 これは国際社会に対する裏切りだ! 抜け駆けだ!」


「そうだ! 許されない!」

「承認前のフライングはペナルティ対象だ!」

「インドだけ特別扱いは認めん!」


 ブラジル、ドイツ、ナイジェリア……。

「持たざる国々」の代表たちが次々と立ち上がり、怒号を飛ばす。

 彼らの怒りの根底にあるのは、公平性への渇望ではない。

「なぜインドなのか」

「なぜ自分たちではないのか」

 という、どうしようもない嫉妬だった。


 その集中砲火を浴びる、インド代表の席。

 あのアグラワル次官の代理として出席している国連大使は、脂汗を拭いながら、しかしどこか開き直ったような表情でマイクを握った。


「……静粛に。皆様、静粛にお願いします。

 我が国は、決して抜け駆けをしているわけではありません。

 これは、あくまでKAMI様からの『直接的な指示』に基づき、混乱を避けるための事前準備を行っているに過ぎません」


「KAMIの指示だと!?」

 ドイツ代表が噛み付く。

「証拠はあるのか!

 都合よく神の名を使うな!」


「証拠なら、隣にいらっしゃる日本代表に聞いていただきたい」

 インド大使は、すかさず矛先を隣の席へと逸らした。

「我が国は、ダンジョン運営の先輩である日本政府のコンサルティングを受け、その指導の下で準備を進めているのです。

 ゲートの設置も、アプリの配布も、全ては日本政府……ひいてはKAMI様の承認済みプロジェクトです。

 文句があるなら、日本に言っていただきたい!」


 その瞬間。

 会場中の数百の視線が、一斉に日本の席へと突き刺さった。


 そこには、能面のような無表情を貼り付けた男――九条官房長官(の本体)が座っていた。

 彼は内心で盛大に舌打ちをしながら、しかし表面上は優雅に立ち上がった。

(……インドめ。ここぞとばかりに我々を盾にしおって。まあ想定内ではあるが)


 九条はマイクの位置を直し、冷徹な声で会場を制した。


「……日本国代表の九条です。

 インド大使の発言について、事実関係を補足いたします」


 彼は一度、会場を見渡した。


「まず、インド国内にゲートが出現している件。

 これは日本政府が設置したものでも、インド政府が勝手に作ったものでもありません。

 KAMI様が『あ、インドにするなら先に置いとくわね。邪魔ならどかして』と、数日前の夜中に“ポップアップ”させたものです。

 我々人間に、あの巨大な構造物を一夜にして十数箇所も設置する技術はありませんよ。

 常識で考えてください」


 その、あまりにも荒唐無稽で、しかし反論不可能な事実。

 会場の空気が、少しだけ毒気を抜かれる。


「次に、スマートフォンの配布とシステム構築について。

 これもまたKAMI様からの『厳命』です。

 『14億人が殺到して将棋倒しになったら気分悪いから、ちゃんと整理券配れるようにしなさい』と。

 そのためのシステム構築を、我々日本が技術支援し、インド政府が必死になって実行している。

 これは『抜け駆け』ではありません。『安全対策』です。

 もし、この準備なしにダンジョンを開放すれば、初日に数万人の死者が出るでしょう。

 皆様は、それを望まれるのですか?」


 九条の論理は完璧だった。

 人道と安全。

 それに反対できる者はいない。


 だが、理屈で感情は収まらない。

 ブラジル代表が食い下がるように叫んだ。


「……安全対策が必要なのは分かる!

 だが問題は『プロセス』だ!

 日本はインドとだけ密室で協議し、技術を供与し、準備を進めている!

 これは日本とインドによる『ダンジョン同盟』の形成ではないか!

 我々を蚊帳の外に置いて、アジアだけで利益を独占するつもりか!」


「その通りだ!」

 イタリア代表も続く。

「日本はずるい!

 KAMIの窓口であることを利用して、自分たちの都合のいい国だけに便宜を図っている!

 インドにできるなら、我々にも事前準備をさせろ!

 我々だってゲートを設置したいし、アプリも配りたい!

 承認が降りてから動くのでは遅いんだ!

 『事前準備』という名目で、我々もスタートラインに立たせろ!」


「そうだ!」

「我々にも準備させろ!」

「マニュアルをよこせ!」


 会場は再び、収拾のつかない要求の嵐となった。

 彼らの主張はシンプルだ。

「インドがフライングを許されるなら、俺たちもフライングさせろ」。

 赤信号、みんなで渡れば怖くないの論理である。


 九条は深いため息をつきたい衝動をこらえ、冷ややかな視線を向けた。

 この場の空気を一変させるためには、冷水を浴びせるしかない。


「……皆様。

 勘違いをなさらないでいただきたい」


 九条の声が、一段低くなった。


「日本がインドと連携しているのは、利益のためでも、同盟のためでもありません。

 KAMI様から『インドの世話をしろ』と命令されたからです。

 これは『業務命令』であり、『罰ゲーム』に近い。

 我々は、やりたくてやっているわけではないのです」


 彼は疲労の色を隠そうともせずに言った。


「日本には、世界中全ての国のダンジョン導入を支援するリソースなどありません。

 インド一国だけで、我々の官僚機構はパンク寸前なのです。

 『我々も』などと気安く仰いますが、そのサポートを誰がやるのですか?

 貴国独自のノウハウで、あの気まぐれなKAMI様の仕様変更に耐えられますか?

 ゲートの設置場所一つ、モンスターの選定一つで神の逆鱗に触れれば、国ごとBANされるリスクを、貴国は背負えるのですか?」


 九条は、ブラジルとイタリアの代表を射抜くように見た。


「我々は命がけで調整しているのです。

 羨ましがるなら、そのリスクと労力もセットで引き受けていただきたい」


 その鬼気迫る言葉に、野次を飛ばしていた代表たちがたじろぐ。

 だが、それでも欲望は止まらない。


「だ、だったら!」

 ブラジル代表が、最後の悪あがきのように叫んだ。

「日本に頼らなくてもいい!

 我々独自で準備を進める権利を認めろ!

 ゲートの建設予定地を確保し、冒険者ギルドの建物を建て、法整備を進める!

 それくらいは自由だろう!

 いつKAMI様が『次はブラジル』と言うか分からないのだから、その時のために準備をしておく権利はあるはずだ!」


「そうだ!」

「我々も準備する権利がある!」

「先行投資を認める決議を出せ!」


 会場が再び沸き立つ。

「勝手に準備する権利」。

 それを認めさせれば、なし崩し的に「次は我が国だ」という既成事実を作れると考えているのだ。


 その、あまりにも浅はかで、そして無駄な熱狂。

 それを断ち切ったのは、それまで沈黙を守っていた「ビッグ・スリー」――アメリカ、中国、ロシアの代表たちだった。


 最初に動いたのは、アメリカの国連大使だった。

 彼はマイクの前に立つと、呆れたように肩をすくめ、そして冷酷な事実を告げた。


「……ブラジル代表。

 そして賛同する諸国の皆様。

 はっきり申し上げましょう。

 その『独自準備』とやらは、完全に無駄です。

 税金の無駄遣いであり、資源の浪費です」


「何だと!?」


「なぜなら」

 アメリカ大使は、子供に言い聞かせるように言った。

「ダンジョンとは物理的な穴ではありません。

 あれは『サーバーへの接続端子』です。

 貴国がどれだけ立派なゲートの形をした建造物を作ろうが、どれだけ豪華なギルドハウスを建てようが……。

 KAMIという管理者が『接続許可(アクセス権)』を与え、システムをリンクさせない限り、それはただのコンクリートの塊です」


 彼は自分のスマートフォンを取り出して見せた。


「OSの入っていないスマホを持って『いつか電話ができる』と準備しているようなものです。

 ハードウェアだけあっても、ソフトウェアとネットワークがなければ、ダンジョンは機能しません。

 そして、そのソフトと回線を握っているのは、KAMIただ一人なのです」


 次に、中国の代表が立ち上がった。

 彼は、より現実的で辛辣な指摘を行った。


「それに、貴国らは『準備』と言うが、何を基準に準備するつもりかね?

 日本のF級ダンジョンの仕様か? アメリカの仕様か?

 KAMI様は気まぐれだ。

 インドでは『牛を出さない』というローカライズが行われたように、次の国では全く別のルールが適用されるかもしれない。

 『水中専用ダンジョン』かもしれないし、『重力反転ダンジョン』かもしれない。

 仕様も分からないのに箱だけ作って、もし規格が違ったらどうする?

 全部、取り壊しかね?」


 中国代表は鼻で笑った。


「無計画な先行投資は失敗の母だ。

 我が国でさえ、KAMI様の仕様書が届くまでは動かなかった。

 情報なき準備など、博打にもならんよ」


 そして最後に、ロシアの代表が軍事的な観点から止めを刺した。


「さらに言えば、勝手な『準備』は危険を招く。

 KAMI様は『無許可のダンジョン類似施設の建設』や『偽のゲート設置』を、自らの権能への挑戦と受け取るかもしれん。

 もし、そうなれば……。

 貴国に本物のダンジョンが来るどころか、永遠のブラックリスト入りだ。

 『準備していたせいで永遠にチャンスを失う』。

 そんなリスクを冒す勇気が、貴官らにあるのか?」


 アメリカ、中国、ロシア。

 三方向からの集中砲火。

 その論理は完璧で、そして残酷だった。


 ――お前たちが今やろうとしていることは、電源の入っていないゲーム機の前でコントローラーを握りしめているだけだ。

 そして、下手にボタンを連打すれば、本体ごと壊されるぞ。


 会場は、通夜のような静けさに包まれた。

 ブラジル大使は力なく椅子に座り込み、フランス大使は悔しげにペンを折った。

 彼らは悟らされたのだ。

 自分たちの主権も、予算も、努力も。

 KAMIという絶対的なシステム管理者の前では、何の意味もなさないということを。


「……ご理解いただけましたか」


 九条が静かに締めくくった。


「我々がインドと進めているのは、KAMI様から『IDとパスワード』を渡された後の初期設定作業なのです。

 IDを持っていない皆様が設定画面を開こうとしても、無理なのです。

 ですから今は待ってください。

 KAMI様が『次はここ』と指差す、その時まで。

 それが最も確実で、そして唯一の道です」


 それは「何もするな」という残酷な宣告だった。

 だが同時に、

「待っていれば、いつかチャンスは来るかもしれない」

 という細い蜘蛛の糸でもあった。


「……採決に入ります」

 議長が、重苦しい声で告げた。

 もはや決着はついていた。


 決議案『402-Beta』は、一部の文言を修正の上、可決された。

 インドへのダンジョン設置を「試験的ケース」として容認する。

 他国への拡大については、インドでの運用データを踏まえ、KAMIとの協議の上で順次決定する。

 加盟国は独自の無許可なダンジョン関連施設の建設を自粛する。


 事実上の、四カ国とインドによる現状追認。

 そして、それ以外の国々への「待機命令」だった。


 会議終了後。

 ロビーで顔を合わせた九条とインド大使は、互いに疲労困憊の体で握手を交わした。


「……助かりました、九条長官。

 貴国と、そして三カ国の援護射撃がなければ、我々は吊るし上げられて終わっていたでしょう」


「貸しにしておきますよ、大使」

 九条は微かに口元を緩めた。

「その代わり、しっかりと成功させていただきたい。

 インドが失敗すれば『ほら見たことか』と、世界中から袋叩きに遭うのは貴国だけではない。

 推薦した我々も同じなのですから」


「肝に銘じます。

 ……しかしKAMI様の威光というのは、絶大ですな。

 『神のシステムには逆らえない』という理屈だけで、190カ国を黙らせるとは」


「ええ。現代の核抑止力ですよ。

 姿の見えない、気まぐれな独裁者。

 ……我々は、その独裁者の顔色を伺う宮廷道化師のようなものです」


 九条は、国連ビルの窓から見えるニューヨークの空を見上げた。

 そこには、どこまでも青い空が広がっている。

 だが、その空の向こうでKAMIが次の「気まぐれ」を準備していることを、彼は予感していた。


「さて、東京に戻りますか。

 インドの次は、どこの国が指名されるのか。

 あるいは全く別の『イベント』が始まるのか。

 ……休む暇はありませんね」


 彼は足早に歩き出した。

 その背中には、世界の管理を一手に引き受ける「最強の中間管理職」としての哀愁と矜持が漂っていた。


 世界は待機状態スタンバイに入った。

 だがそれは、平和な眠りではない。

 次なるログインの合図を待つ、飢えた獣たちの微睡みだった。



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