第219話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の覇権を握る四つの首都を繋ぐ、最高機密のバーチャル会議室。
その日の会議室には、いつもの冷徹な政治的緊張感とは明らかに異質の、剥き出しの興奮と、そして抑えきれない欲望の熱気が渦巻いていた。
円卓を囲む四人の指導者たち――日本の沢村総理、九条官房長官、アメリカのトンプソン大統領、中国の王将軍、そしてロシアのヴォルコフ将軍。
彼らの視線は、九条の手元に表示された一枚の報告書に釘付けになっていた。
「――報告します」
九条が震える声を必死に抑えながら切り出した。
「日本のYouTuber、ガルド氏が引き当てた5個のS級魔石。
これらは先ほど、我々四カ国の共同出資による特別基金にて、全数買取が完了いたしました。
買取価格は、公定レート通りの総額2500億円。
ガルド氏への送金も、既に完了しております」
「2500億……」
トンプソン大統領が感嘆のため息をついた。
一人の若者が一夜にして国家予算規模の富を手に入れた。
その事実は、このダンジョン時代がいかに狂気じみていて、そしていかに夢のある世界であるかを如実に物語っていた。
「して、その若者はどうしている?」
ヴォルコフ将軍が興味深そうに尋ねた。
「2500億もあれば、南の島でも買って、一生遊んで暮らすつもりか?」
「いえ、それが……」
九条は少し呆れたような、しかしどこか感心したような表情で、報告を続けた。
「彼は引退宣言を撤回し、探索者を続けるそうです。
なんでも、『金はある。なら最強の装備を揃えて、誰も見たことのない景色を見る』と。
現在、手に入れた資金を惜しげもなく投入し、世界中のオークションに出回っているユニークアイテムやレガシー装備を片っ端から買い漁っているとのことです」
「……ははっ!」
トンプソンが乾いた笑い声を上げた。
「欲深きことは良いことだ。
金を持ってもなお死地に挑むか。
その『熱狂』こそが、今の経済を回しているエンジンなのだろうな」
「まあ、個人の道楽はどうでも良い」
王将軍が冷徹に話を戻した。
「重要なのは『モノ』だ。
S級魔石、5個。
これまで理論上の存在でしかなかった『規格外』の力が、今、我々の手元にある。
2500億など、はした金に過ぎん」
王将軍は深く頷いた。
「問題は、この力をどう使うかだ。
KAMI様が仰っていた通り、S級魔石には、これまでの常識を覆す『特殊な用途』があるはずだ」
その時だった。
フォン。
軽い電子音と共に、円卓の中央にKAMIがポップアップした。
今日の彼女は、なぜかカジノのディーラーのような格好をして、手にはトランプの束を持っていた。
そしてその顔には、信じられないものを見るような驚きと、呆れが入り混じった表情が浮かんでいた。
「……へー」
KAMIは開口一番、そう言った。
「マジで凄いわね、あの子。
2500億使っても出ない設定だったのに、たった2500万ぽっちで引き当てるとはね……」
彼女は手元の確率計算用ウィンドウを消去した。
そこには『S級ドロップ確率:0.0000001%』という天文学的な数字が表示されていた。
「神の私でも予想外よ。
これだから人間の『運』ってやつは、侮れないのよねぇ」
「……KAMI様」
沢村がおずおずと尋ねた。
「やはり、それほど確率は低いのですか?」
「そうよ」
KAMIはあっさりと認めた。
「倍の5000万突っ込んでも、まず出ない設定にしてあるわ。
というか基本的に、『狙って出すものじゃない』のよ、S級は。
宝くじの一等を10回連続で当てるくらいの奇跡がないと無理」
彼女は冷ややかな目で、四人の指導者たちを見渡した。
「あんた達……まさかとは思うけど」
彼女の声が低くなる。
「国家予算突っ込んでガチャしてないわよね?
『金に物を言わせて引けばいい』なんて甘い考えで、国民の税金をドブに捨ててないでしょうね?」
ギクリ。
四人の肩が、同時に跳ねた。
トンプソンが慌てて葉巻を弄び、王将軍が天井を見上げ、ヴォルコフ将軍がウォッカのグラスを磨き始め、沢村が急に手元の資料を整理し始める。
全員が見事なまでに、そっぽを向いた。
彼らの背後では、それぞれの国の財務担当官たちが「軍事機密費」や「特別会計」から捻出された巨額の使途不明金について、必死の隠蔽工作を行っている真っ最中だった。
何兆円という金が、既に『混沌の涙』ガチャに消えていたのだ。
結果はもちろん全敗だったが。
「……はぁ」
KAMIは全てを察したように、深いため息をついた。
「まあ良いわ。自業自得だし。
出ないものは出ないのよ。諦めなさい」
彼女はトランプをシャッフルした。
「でも出ちゃったものは仕方ないわね。
S級魔石が5個。
……これはゲームバランスを揺るがす特異点よ」
KAMIの表情が、ゲーマーから開発者のそれへと変わった。
「S級魔石から出来ることは格段に増えるわ。
エネルギー源として使うのはもったいない。
あれは『素材』として使ってこそ、真価を発揮するの」
「素材……ですか?」
九条が身を乗り出す。
「ええ。
恐らく今のあなたたちにとって、有益なのは……これらね」
KAMIは空中に、一つのビーカーの映像を投影した。
中には、虹色に輝く粘性のある液体が満たされている。
「『万能修復液』よ」
「……なんですか、これ?」
麻生大臣が怪訝な顔をする。
名前だけ聞けば、ホームセンターで売っている接着剤のようだが。
「作り方は簡単。
特殊な製法で、S級魔石をすり潰して液状化させる。
そしてそこに『あらゆる物質を新品に戻す』という概念、つまり『時間の巻き戻し(対物限定)』の術式を、S級魔石の魔力を触媒にしてインプットするの」
KAMIは、まるで料理のレシピでも教えるかのように言った。
「すると万能修復液が出来るわ。
使い方はもっと簡単。
壊れた物に、かけるだけ。
そうすれば、その物体は『壊れる前の状態』……つまり新品の状態に自然と修復されるわ」
「はぁ!?」
トンプソンが素っ頓狂な声を上げた。
「どういう原理で!?
割れた壺が元に戻るとか、そういうレベルの話ですか!?」
「そうよ」
KAMIは頷いた。
「因果律を直接弄って、その物体にかかる時間だけを局所的に巻き戻すのよ。
エントロピーの法則を無視して、『覆水盆に返らず』を覆す。
凄いわよ、これ」
彼女はシミュレーション映像を見せた。
墜落してスクラップになった最新鋭戦闘機。
その残骸に上空からリペア・エリクサーが散布される。
すると、ひしゃげた翼が伸び、千切れた配線が繋がり、剥げた塗装が蘇る。
数秒後には、工場出荷直後のピカピカの戦闘機が、そこに鎮座していた。
「……生物には使えないけど、物限定なら何でも直せるわ。
歴史的建造物でも、最新鋭の兵器でも、あるいは核廃棄物で汚染された原子炉の炉心でもね。
『壊れる前』に戻すんだから」
その説明に、四人の指導者たちは戦慄した。
「まさに……500億はする魔石の効果でしょう?」
KAMIはニヤリと笑った。
「安すぎるくらいよ。
戦闘機一機直せば100億。イージス艦なら1兆円。
それを一瞬で新品同様にするんだから」
「……欲しい」
ヴォルコフ将軍が、喉から絞り出すような声で言った。
ロシア軍の装備は老朽化が進んでいる。
これを一気に新品にできれば、軍事バランスは激変する。
「ですが、それだけじゃないわよ?」
KAMIはさらに畳み掛けた。
彼女の手のひらに、次々と新しいアイテムの幻影が浮かぶ。
「S級魔石を使えば、他にも面白いものが作れるわ。
例えばこれ。『広域気象制御石』」
青く輝くクリスタルの球体。
「これを設置して起動すれば、指定した範囲(都市一つ分くらい)の天候を一ヶ月間、完全に固定できるわ。
ドピーカンの晴れにするもよし、恵みの雨を降らせ続けるもよし。
台風が来ても、そのエリアだけは無風状態にできる。
農業にも防災にも、あるいは敵国の首都に豪雪を降らせる兵器としても使えるわね」
そして三つ目。
KAMIは血のように赤い、小さな宝石のような石を提示した。
「そしてこれ。『身代わりの聖石』」
その名前を聞いた瞬間、権力者たちの目の色が明らかに変わった。
身代わり。
その言葉の持つ意味を、彼らは誰よりも敏感に察知したのだ。
「効果は単純。
所持者が『外因による死(即死級のダメージ)』を受けた瞬間、この石が自動的に発動するの。
因果律を改変して、『死んだ』という事実を『無かったこと』にする。
そして所持者は無傷の状態で、その場に蘇るわ」
「……なっ!?」
沢村が息を呑んだ。
「死を……無かったことに!?」
「ええ。
暗殺者の銃弾が心臓を貫いても、爆弾で吹き飛ばされても、飛行機が墜落しても。
この石を持っていれば、一回だけ確実に生き残れる。
石は砕け散って消滅するけど、命は助かる」
KAMIは付け加えた。
「ただし病気や老衰みたいな『内因性の死』には効かないから注意してね。
あくまで『事故』や『殺害』に対する保険よ」
「……ファー!!!!」
トンプソン大統領が奇声を上げて、椅子から転げ落ちそうになった。
「なんですか、それ!!
500億納得です……いや安いまである……!!
私の命が500億で買えるなら、全財産はたいてでも買う!!」
王将軍も興奮で顔を紅潮させていた。
「素晴らしい!!!
これがあれば暗殺の恐怖から解放される!
演説中に撃たれても、何事もなかったかのように立ち上がり、演説を続けることができる!
まさに『神に選ばれし指導者』の演出ができるではないか!」
ヴォルコフ将軍も頷く。
「戦場においても最強だ。
敵の猛攻の中、指揮官が不死身であれば、兵の士気は無限に上がる」
三つの選択肢。
『万能修復液』。
『広域気象制御石』。
『身代わりの聖石』。
どれもがS級魔石という莫大なエネルギーを消費して初めて実現する、神の領域の奇跡だった。
そしてそれらは全て「消耗品」である。
一度使えば、500億円の魔石は消滅する。
だが、その価値は500億などという数字を遥かに超えていた。
「……どれも捨てがたいな」
九条が冷静さを保ちつつも、その選択の重さに呻いた。
「さて、分配の話ね」
KAMIは楽しそうに言った。
「ガルド君から買い取ったS級魔石は、全部で5個。
あなたたち四カ国で、どう分ける?」
沈黙。
そして計算。
四カ国で5個。割り切れない。
だが沢村総理が、最も合理的で、そして平和的な提案を口にした。
「……4カ国で、ガルドのS級魔石は分割ですよね?」
彼は指を四本立てた。
「1個は予備……あるいは共同研究用として、国連(もしくは四カ国合同機関)で厳重に保管しておく。
そして残りの4個は、我々四カ国で1個ずつ、公平に分ける。
……それで良いですよね!?」
彼は他の三人に同意を求めた。
ここで欲を出して「2個よこせ」などと言い出せば戦争になる。
1個ずつ。
それが唯一の、平和的解決策だ。
「……ふむ」
トンプソンが渋々といった体で頷いた。
「まあ妥当だろうな。
残り1個の所有権を巡って争うよりは、確実に1個を手に入れる方が賢明だ」
「同意します」
王将軍も認めた。
「ロシアも異存はない」
合意形成。
各国の手元に、S級魔石が1個ずつ渡ることが決まった。
「では、その1個を何に加工するかですが……」
麻生大臣が興味津々といった様子で尋ねた。
「皆様、どれを選びますかな?
修理か、天気か、命か」
「決まっているだろう」
トンプソンが即答した。
「『身代わりの聖石』だ。
国家元首の命は国家そのものだ。
私が死ねば国が乱れる。
それを防ぐための500億なら、議会も文句は言わんさ」
「私もだ」
王将軍が続く。
「私も同じく」
ヴォルコフ将軍も頷く。
権力者たちの答えは一致していた。
やはり自分の命が一番大事なのだ。
「……まあ、この中では身代わりの聖石が一番価値があるかしら?」
KAMIは少しだけ、つまらなそうに言った。
「因果律改変能力を極めれば、死んだ瞬間に時間を巻き戻したり、肉体を再構築したりすることなんて息をするように出来るのに。
あなたたち、不便ね」
神の視点からの容赦ないツッコミ。
だが人間にとって、その「修行」の道のりは、あまりにも遠く険しい。
金で解決できるなら、それに越したことはないのだ。
「まあ良いわ」
KAMIはトランプを、カードシャッフルのように切りながら言った。
「4カ国で仲良く分けることね!
喧嘩したら、没収するから」
彼女は指を鳴らした。
それぞれの国の首脳のデスクの上に、虹色に輝くS級魔石が厳重なケースに入って転送される。
「加工方法は月読研究所にデータを送っておくわ。
日本が責任を持って、各国のオーダー通りに加工してあげなさい。
手数料、たっぷりとっていいわよ?」
「ありがとうございます!」
麻生大臣が満面の笑みで頭を下げた。
加工費だけで数十億は抜けるだろう。
日本の技術力が、また外貨を稼ぐ。
「それと、残りの1個だけど……」
KAMIは最後に残った1個の魔石を、空中に浮かべた。
「これは『予備』ってことになってるけど。
大切にしまっておきなさい。
いつか誰かが、うっかり石を使っちゃった時のための、最後の保険としてね」
彼女は悪戯っぽく笑った。
「誰が最初に死にかけるかしらね?
楽しみだわ」
KAMIは姿を消した。
後に残された四人の指導者たち。
彼らの手元には、人類の至宝、S級魔石がある。
それを加工し、『身代わりの聖石』を手に入れた時、彼らは真の意味で「不死身の王」となる。
だがそれは同時に、「あと一回しか死ねない」という新たな恐怖の始まりでもあった。
石が砕けた時、彼らは正気を保っていられるだろうか。
それとも次の石を求めて、世界を火の海にするのだろうか。
神のゲームは、アイテム一つで、またしても人間の心を、そして世界の運命を大きく狂わせていくのだった。




