第218話
イベント『占いカード収集祭』開幕。
その合図と共に、世界中のダンジョンで、これまでにない質の「狩り」が始まった。
東京・渋谷ダンジョン、C級エリア『鋼鉄の迷宮』最深部。
そこは金属の冷たい輝きと、魔力の火花が散る過酷な戦場だった。
「――来るぞ! 『アイアン・コロッサス』の重撃だ!」
“剣聖”ケンタの鋭い警告が響く。
彼の目の前には、全長十メートルにも及ぶ鋼鉄の巨人、エリアボスが立ちはだかっていた。
その巨大な拳が振り上げられ、空気を圧縮しながら振り下ろされる。
直撃すれば、いかに耐性装備を固めた探索者といえども、ただでは済まない。
「『鉄壁』! 全オーラ出力、最大!」
パーティのタンク役が前に出る。
彼の身体からは『ディターミネーション(防御)』と『元素の純度』のオーラが、眩いばかりの光となって噴出している。
ドガァァァァァァン!!
轟音。
地面が陥没し、衝撃波が周囲を薙ぎ払う。
だがタンクは、一歩も退かない。
「耐えた! 反撃開始!」
その隙を見逃さず、ケンタが駆ける。
彼の愛剣――度重なるクラフトと、そして先日手に入れたユニーク装備の補正によって極限まで強化された刃が、巨人の関節部装甲の継ぎ目へと吸い込まれるように突き刺さる。
「――断ち切れッ!」
スキル『ダブルストライク』からの『マルチストライク』。
神速の連撃が鋼鉄の巨体に致命的な亀裂を走らせる。
同時に後衛の魔法使いたちが、一斉砲火を浴びせる。
数分後。
地響きと共に、巨人は崩れ落ちた。
光の粒子となって消滅していくその巨体の跡に、ジャラジャラという音と共に大量のドロップ品が散らばる。
C級魔石、レア装備、そして――。
「……落ちたぞ!」
ケンタが駆け寄る。
魔石の山の中に、一枚のカードが浮遊していた。
闇色を背景に、五つの異なる色と大きさの宝石が、涙のように滴り落ちている。
不吉で、美しい絵柄。
【占いカード:混沌の涙(Tears of Chaos)】
【必要枚数:5枚】
【報酬:魔石 × 5(ランクランダム)】
「……よし、確定ドロップだ!」
ケンタはそのカードを手に取り、拳を握った。
今回のイベントの最大の特徴、
それは「ボスを倒せば必ずカードが落ちる」という点だ。
確率に左右されない。
倒せば手に入る。
つまり周回数こそが正義。
汗と時間は、確実に報われるのだ。
「一周目確保! あと4回倒せば、一回ガチャが引ける!
次行くぞ、次! 休んでる暇はねえ!」
彼らは休まない。
カードをアイテムボックスに放り込むと、即座にポータルを開き、ダンジョンをリセットして再入場する。
彼らトップランカーにとって、今のダンジョンは冒険の場ではない。
確実な報酬が約束された、高効率の「収穫祭」だった。
***
同じ頃、地上。
日本探索者公式ギルドの本部ロビーは、異様なざわめきに包まれていた。
壁一面に設置された巨大な電光掲示板。
そこに表示された「魔石買取価格表」の更新が、探索者たちの度肝を抜いたからだ。
「おい……おい、見ろよあれ!」
「桁がおかしいぞ!? バグか!?」
「いや、KAMI様からの公式データ更新だ! マジだぞ!」
人々が指差す先。
そこには、これまで空欄、あるいは「測定不能」とされていた上位ランクの魔石の価格が、具体的な日本円として表示されていた。
【魔石公定買取レート表(改定版)】
F級:10,000円
E級:100,000円
D級:150,000円
C級:300,000円
B級:5,000,000円
A級:100,000,000円(1億円)
S級:50,000,000,000円(500億円)
SS級:500,000,000,000円(5000億円)
SSS級:10,000,000,000,000円(10兆円)
「じゅ、じゅっちょうえん……!?」
誰かの素っ頓狂な声が、ロビーの静寂を破った。
10兆円。
それは一個人の資産を遥かに超え、国家予算の領域に踏み込む数字だ。
たった一個の石ころが、小国のGDPに匹敵する価値を持つ。
「SSS級ってなんだよ!? 規格外かよ!」
「『若返りのポーション』と同等って……これ一個で国が買えるじゃねーか!」
騒然とするギルド内。
だが衝撃は、それだけではなかった。
この価格表の横に、今回のイベントの目玉である『混沌の涙』の報酬内容が、改めて大きく掲示されたのだ。
【カード報酬:魔石 × 5個】
「……おい、待て」
一人の探索者が震える声で計算を始めた。
「報酬は魔石が5個だ。
もし……もし万が一、そのランダムの中にSSS級が混じっていたら?」
10兆円 × 5個 = 50兆円。
「ご、ごじゅっちょう……」
その数字が脳裏に浮かんだ瞬間、探索者たちの目の色が、文字通り変わった。
それはもはや「一攫千金」などという生易しい言葉では表現できない。
「世界の支配者になれる権利」が、カード5枚の先にぶら下がっているのだ。
そして冷静な計算ができる者たちは、もう一つの事実に気づいて戦慄していた。
「最低保証(F級5個)でも5万円……。
必要枚数は5枚だから、カード1枚あたりの最低価値は1万円。
だが期待値を考えれば……」
***
情報は光の速さで、ネットの海を駆け巡った。
【緊急速報】魔石買取表更新! SSS級は10兆円!
【悲報】俺たちの想像力が貧困すぎた件
【夢】混沌の涙の天井、50兆円確定www
SNSは爆発した。
トレンドワードは『10兆円』『SSS級』『混沌の涙』で埋め尽くされた。
『マジで言ってるのかこれ? インフレしすぎだろ』
『いや、KAMI様ならやりかねない』
『50兆あったら何ができる? 日本買える?』
『とりあえずAmazon全部買えるな』
そしてその衝撃は、即座に『混沌の涙』のカード相場へと反映された。
オークションサイト『ダンジョン・マーケット』。
イベント開始直後、数千円で取引されていた『混沌の涙』の価格が垂直に跳ね上がった。
1万円。
2万円。
3万円。
「上がる! まだ上がるぞ!」
「期待値がデカすぎる! 夢の値段だ!」
「ボス倒せば確定ドロップだぞ! F級でも落ちる!」
そして価格は、一つのラインで均衡した。
【現在価格:50,000円】
カード1枚、5万円。
F級ボスを倒せば確定で5万円の金券が落ちる計算だ。
これまでの魔石稼ぎ(1万円)とは比較にならない効率。
「ボス狩りだ! ボスを狩れえええ!」
「5万円拾い放題だぞ!」
「いや待て! 売るな! 自分で交換したほうが夢がある!」
「馬鹿野郎! 50兆円の宝くじを5万で売る奴がいるか!」
投資家たちが、投機筋が、そして夢を追うギャンブラーたちが、このカードを求めて市場に殺到した。
売るか、剥くか。
究極の選択が、探索者たちに突きつけられた。
***
そしてその夜。
その選択に対する一つの「答え」を示そうとする男がいた。
日本一の登録者数を誇る探索者系YouTuber『ガルド』だ。
配信タイトル:【神回】総額2500万円!『混沌の涙』100連ガチャやってみた!【50兆円チャレンジ】
視聴者数:500,000人(急上昇1位)
画面の中、ガルドは大量のカードの束を前に、興奮気味に叫んでいた。
「はいどーもー! ガルドです!
今日はね、視聴者の皆さんから『やってくれ』とリクエストが殺到していたアレをやります!
そう、混沌の涙!
これを100セット! つまりカード500枚!
市場価格にして2500万円分を、自腹でかき集めてきました!!」
コメント欄が滝のように流れる。
『うおおおおおお!』
『マジでやりやがった!』
『金持ちすげえ!』
『破産不可避』
「狙うはもちろんSSS級! 50兆円!
もし当たったら……このチャンネルの視聴者全員に100万円ずつ配ります!」
『登録した!』
『頼む当たってくれ!』
「じゃあ、いきますよ! 最初の10連(10セット)!」
ガルドはカードを交換していく。
シュイン、シュイン、シュイン……。
効果音と共に、魔石が表示される。
【結果】
F級 × 5
F級 × 5
F級 × 5
……
「……はい、全部F級です! ゴミです!
これだけで数百万円が飛びました!」
『知ってた』
『現実は非情』
『メシウマ』
その後も20連、30連と爆死が続く。
たまにE級(10万円)が出るが、2500万という投資額の前では焼け石に水だ。
70連を超えたあたりで、ガルドの顔からは完全に血の気が引いていた。
「……え、待って。マジでヤバい。
これ企画倒れとか、そういうレベルじゃない。
2500万だぞ……?
俺の貯金、ほぼ全部だぞ……?」
コメント欄も、嘲笑から同情、そして恐怖へと変わっていく。
『これ放送事故だろ』
『顔色が土気色』
『やめとけって言ったのに……』
「くっそー! 渋い! 渋すぎるぞ、KAMI様!
もう90連終わったけど、最高でD級とか……。
これ本当に上位入ってるんですか!?
俺、明日からどうすりゃいいんだよおおおおお!」
ガルドは半泣きになりながら、最後の10セットを手に取った。
震える指。
人生を賭けたラストチャンス。
「頼む……! 何か出てくれ!
せめてA級(1億)! 1億出てくれれば、なんとか……!
ラスト交換ッ!!!」
その時。
カッッッ!!!
モニターの輝度が自動調整されるほどの強烈な光のエフェクトが、画面を覆い尽くした。
F級の白ではない。
E級の緑でも、A級の金ですらない。
それは神の領域に属する、目も眩むような「虹色」の輝きだった。
【獲得アイテム:S級魔石 × 5】
一瞬、時が止まった。
ガルドも、視聴者も、世界も、呼吸を忘れた。
画面に表示された文字。
S級。
買取価格表を思い出す。
S級 = 500億円。
それが5個。
500億 × 5 = 2500億円。
「………………………………………………」
ガルドは叫ばなかった。
椅子から崩れ落ち、床にへたり込んだまま、口をパクパクとさせていた。
酸素が足りない。
脳の処理が追いつかない。
2500万が、2500億になった。
1万倍のリターン。
「あ……あ……あが……」
彼は獣のような唸り声を上げ、そして突然奇声を上げてのたうち回り始めた。
「ぎゃあああああああああああああああああッ!?!?!?
え!? え!? え!?
虹!? S!? え!?
2500億!? にせんごひゃくおくううううう!?」
彼はモニターに抱きついた。
鼻水を垂らし、涙を流し、涎を垂らしながら、S級魔石を指でなぞる。
「夢じゃない! 夢じゃねえええええ!
S級だ! S級が出たあああああ!
おい、見たかお前ら! 見たかあああああ!」
コメント欄が見たこともない速度で流れる。
サーバーが悲鳴を上げ、YouTube全体が重くなる。
『!?!?!?!?!?』
『ファッ!?』
『2500億wwwwwwwww』
『国家予算かよwww』
『歴史的瞬間』
『もう一生遊んで暮らせるどころか国が買えるぞ』
『税金どうなんの!?』
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ガルドは過呼吸になりながら、狂ったように笑い出した。
「勝った……! 俺は勝ったんだ!
人生に! 世界に! 全てに勝った!
5億? 10億?
そんな、はした金じゃねえ!
2500億だぞ、オラァァァァァッ!!」
彼はカメラに向かって中指を立て、そして泣き崩れた。
「もう働かねえ……!
一生、南の島で毎日ステーキ食って暮らすんだ……!
ありがとう、KAMI様! ありがとう、世界!
俺は……俺は……神になったんだあああああああ!」
その映像は瞬く間に切り抜かれ、拡散され、世界中の言語に翻訳された。
『日本のYouTuber、2500億円を当てる』。
その事実は、世界中の人々の理性のタガを完全に外してしまった。
「当たる」。
S級は実在する。
たった5万円のカードが、2500億円に化ける。
その確率はゼロではない。
世界中の探索者たちが、投資家たちが、そして普通の市民たちが、目の色を変えてダンジョンへと走り出した。
F級ボスを狩り、カードを集め、そして剥く。
家を売り、借金をして、カードを買い漁る者たち。
『混沌の涙』は、単なるアイテムではなく、人類史上最大・最悪の、そして最も夢のある宝くじとなった。
2500億円の夢。
その熱狂はイベント終了のその瞬間まで、いや、人類の歴史が続く限り、決して冷めることはないだろう。
ガルドの狂喜の絶叫は、ネットの海に永遠に刻まれる伝説となったのだ。




