第217話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の運命を、その掌中で握りつぶしかねない四つの巨大な権力が、細く、しかし物理的な距離を無視した強固なデジタル回線で結ばれていた。
最高機密、バーチャル会議室。
そこは物理法則を超越した神の気まぐれに翻弄されながらも、なんとか人類社会という巨大な船の舵を取り続けようとする、四人の船長たちが集う、嵐の中のブリッジのような場所だった。
円卓を囲むのは、いつものメンバーである。
日本の沢村総理と、その影として実務の全てを握る九条官房長官。
アメリカのトンプソン大統領。
中国の王将軍。
そしてロシアのヴォルコフ将軍。
今日の彼らの表情には、いつものような腹の探り合いや抜け駆けを警戒する、ピリピリとした緊張感に加え、どこかうんざりとした徒労の色が濃く滲んでいた。
彼らの視線の先にあるホログラム・モニターには、ニューヨークの国連本部からの中継映像が映し出されている。
音声はミュートされているが、映像だけでその場の殺伐とした雰囲気は十分に伝わってくる。
演壇に立ち、脂汗を流しながら必死に弁明を続けるインドの大使。
その彼を取り囲むように、フランス、ブラジル、ナイジェリアといった国々の代表が、顔を真っ赤にして指を突きつけ、激しく詰め寄っている。
外交の場というよりは、集団リンチに近い吊し上げの光景だった。
『なぜインドだけなのか!』
『我々には資格がないと言うのか!』
『抜け駆けは許されない! 説明しろ!』
無言の映像からでさえ、そんな怒号が聞こえてきそうだった。
「……荒れていますな」
議長席の九条官房長官が、冷え切ったコーヒーのような温度の声で言った。
彼の四つの身体(本体と分身)は、その醜悪な外交ショーを冷ややかに監視しつつ、同時に裏の回線でインド政府高官とのホットラインを維持し、彼らがプレッシャーで崩壊しないよう精神的なケアと脅しを同時に行っている。
「国連総会は、もはや議論の場ではありません。
インドに対する嫉妬と、自分たちが選ばれなかったことへの鬱憤を晴らすための、巨大なガス抜きの場と化しています。
想定通りとはいえ、ここまで露骨に敵意をむき出しにされると、見ていて気の毒になります」
「全くだ」
アメリカのトンプソン大統領が、噛み潰した葉巻の先端を灰皿に押し付けた。
その顔には、かつて自分が矢面に立たされた時の苦々しい記憶と、今は高みの見物を決め込める優越感が同居していた。
「だが、これが現実だ。
綺麗事を並べ立てていた『持たざる者』たちの連帯など、たった一つの椅子が目の前にぶら下げられた瞬間に崩壊する。
彼らは今、インドを引きずり下ろそうと必死だ。
引きずり下ろしたところで、自分たちがその座に座れる保証などどこにもないというのに。
人間の嫉妬というのは浅ましく、そして強烈なエネルギーを持っている」
トンプソンは、モニターの中のフランス大使の激昂ぶりを指差した。
「見ろ、あのフランスの剣幕を。
『自由・平等・博愛』を掲げる国が、隣人がパンを手に入れた瞬間に『なぜ私にはないのだ』とナイフを持ち出す。
これが国際政治の本質だよ。……まあ、我々がそれを言う資格があるかは別としてな」
「醜いものですな」
中国の王将軍が薄ら笑いを浮かべてグラスを揺らした。
彼の目には、この混乱さえも自国の利益に繋げようとする冷徹な計算の光が宿っていた。
「ですが、これでインドは完全に孤立しました。
世界中を敵に回し、四面楚歌の状態だ。
彼らが頼れるのは、同じダンジョン保有国である我々四カ国のみ。
これは彼らを我々の陣営に完全に引き込み、コントロール下に置く絶好の機会と言えよう」
王将軍は言葉を続けた。
「インドの莫大な人口と市場、そしてこれから産出されるであろう魔石資源。
これらを我々の経済圏に組み込むことができれば、西側諸国……失礼、欧州勢に対する強力なカードになる。
彼らが叩けば叩くほど、インドは我々に頭を下げざるを得なくなるのですからな」
「ロシアも同感だ」
ヴォルコフ将軍が重々しく頷いた。
「我々は静観していればいい。
インドが悲鳴を上げ、助けを求めてくるのを待つのだ。
その時こそ恩を売る最大の好機。……しかしKAMI様も人が悪い。
あえて『一カ国だけ』と指定することで、これほどの混乱を生み出すとはな。
あるいは、これこそが彼女の狙いなのかもしれん」
彼らは高みの見物を決め込んでいた。
自分たちは既に「あちら側」にいる。
この泥沼の椅子取りゲームの勝者として、敗者たちの争いをワインの肴にしているのだ。
その傲慢さは、彼らが手にした圧倒的な力と富によって裏打ちされていた。
その、あまりにも人間的で、政治的で、そして傲慢な空気を、聞き慣れた、しかし常に心臓を跳ねさせる電子音が切り裂いた。
フォン。
円卓の中央、ホログラムの地球儀のすぐ隣の空間が歪む。
いつもの定位置に、ゴシック・ロリタ姿の少女KAMIがポップアップした。
今日の彼女は、日本のデパ地下で買ってきたと思われる高級わらび餅のパックを抱えていた。
きな粉を口の周りにまぶしながら、不機嫌そうに、そしてどこか軽蔑を含んだ目で、モニターの国連総会の様子を睨みつけている。
「……はぁ。醜い」
彼女は心底うんざりしたという声で吐き捨てた。
その声は、教室の隅でクラスメイトの喧嘩を見ている冷めた少女のようであり、同時に愚かな被造物を見下ろす創造主の嘆きのようでもあった。
「なによ、あれ。見てたけど酷いもんね。
『インドが可哀想だから』って純粋な善意(?)で私が選んだのに、よってたかってイジメて。
人間って、どうして他人の幸運を素直に喜べないのかしら」
KAMIは黒文字(楊枝)でわらび餅を一つ突き刺し、口に放り込んだ。
「『次は自分かも知れない』って希望を持つんじゃなくて、『あいつだけズルい』って足を引きずり下ろそうとする。
見てて胸糞悪いわ。
あんな連中にダンジョンあげるくらいなら、南極にでも作ったほうがマシだったかもね。
ペンギンのほうがよっぽど礼儀正しいし、魔石を使って暖を取るくらいの知恵は見せるでしょうよ」
その痛烈な皮肉に、四カ国の指導者たちは一瞬言葉を失った。
彼女の言葉は、まさに彼らが先ほどまで交わしていた会話の裏返しでもあったからだ。
「……お怒りはごもっともです」
沢村総理が恐縮しながら、しかし日本の代表としての務めを果たすべく同調した。
「ですがKAMI様、これもまた人間の性でして……。
喉から手が出るほど欲しいものが隣人の手に渡った時の悔しさ。
生存本能に根ざしたその嫉妬を、理性で抑え込むのはなかなか難しいものです。
彼らもまた、自国の民を富ませたいと必死なのです」
「ふん、知ったことじゃないわ」
KAMIはそっぽを向いた。
彼女にとって人間の事情など、アリの巣の喧嘩の理由と同じくらいどうでもいいことなのだ。
「ま、いいわ。一度決めたことは変えないし。
インドには予定通りダンジョンをあげる。
文句がある国は私のとこに直接言いにくればいいわ。
……全員まとめて『運ステータス』をマイナスにして、一生貧乏くじを引く呪いでもかけてやるから」
神の呪い。
その言葉に四カ国の指導者たちは背筋を凍らせた。
彼女なら本当にやりかねない。
そして運のパラメータがいじられた国家がどうなるか、想像するだけで恐ろしい。
経済政策の失敗、自然災害の多発、指導者の急死……。
国が滅ぶには十分すぎる。
「さて」
KAMIは気持ちを切り替えるように、わらび餅をもう一つ飲み込んだ。
そしてその赤い瞳を、まっすぐに九条の方へ向けた。
「そういうわけで国連の承認が降りたら――まあ、あの様子じゃ揉めに揉めて時間はかかるでしょうけど――正式にインドにダンジョンを設置するわ。
で、その時のサポートなんだけど……」
彼女は、まるで面倒な雑用を押し付ける上司のように軽く、しかし絶対的な権限を持って指名した。
「日本、お願いね」
「……はい?」
九条がその鉄仮面を一瞬だけ崩し、目を丸くした。
冷静沈着な彼にしては珍しい動揺だった。
「アメリカでも中国でもなく、日本ですか?
地理的には中国が近く、経済的にはアメリカとの結びつきも強いですが……」
「そうよ。日本よ」
KAMIは当然のように頷いた。
「だって、あなたたちが一番『運営』が上手いじゃない。
見てて安心感があるのよね」
彼女は指折り数え始めた。
「アメリカはすぐに金儲けに走りすぎて格差を広げるし。
中国は管理しすぎて個人の自由を奪ってギスギスさせるし。
ロシアは……まあ論外だし(力の信奉者すぎるし)」
他の三国の指導者たちが、バツの悪そうな顔をする。
「その点、日本はバランスがいいわ。
公式ギルドと民間ギルド(月読)を上手く連携させてるし、法律もあーだこーだ言いながらも、ちゃんと整備してる。
何より大きな暴動も起きずに、なんとなく社会全体がダンジョンを受け入れてる、あの空気感。
あれを作るのは、あなたたち日本人にしかできない芸当よ」
それは最大の賛辞であると同時に、最大の呪いでもあった。
「調整能力が高い」ということは、「面倒な仕事を押し付けられる」ということと同義だからだ。
「インドはいきなり巨大な力を手に入れて、国内は大混乱になるわ。
カースト制度もあるし、宗教対立もあるし、人口も多いし。
放っておいたら魔石の利権を巡って内戦になりかねない。
だからあなたたちが『先輩』として、手取り足取り教えてあげなさい」
KAMIは具体的な指示を矢継ぎ早に出した。
「公式ギルドの設立準備から、法整備のアドバイス、探索者登録システムの構築、魔石の流通ルートの確保まで。
ダンジョン周りの些事は全部、日本が助けてあげて。
いわば『ダンジョン導入コンサルティング』ね。
日本のシステムを、そのままインドに輸出しちゃえばいいわ」
それは名誉であると同時に、とてつもなく重く、そして面倒な業務命令だった。
インドという巨大で多様で、そしてカオスな象を、日本の繊細で緻密な檻に入れるようなものだ。
文化摩擦、宗教問題、そして利権調整。
考えただけで胃に穴が開きそうだ。
だが九条の脳内の計算機は、瞬時にそのメリットとデメリットを弾き出していた。
負担は絶大だ。
だが、もしインドのダンジョン運営の根幹(OS)を日本規格で作ることができるならば、将来的なメリットは計り知れない。
インド産の魔石や資源を、日本が優先的に確保するルートも作れるだろう。
日本のシステムが「世界標準」になる足がかりにもなる。
「……承知いたしました」
九条は覚悟を決めて受諾した。
「国連での承認がいつになるか分かりませんが……。
水面下でインド政府と連携し、承認即開業出来るように万全の準備を整えます。
カースト制度と探索者ランクの整合性、宗教的タブーへの配慮など課題は山積みですが、我が国の総力を挙げて取り組みます」
「うん、よろしく!
あなたたちなら上手くやれるわよ。
胃薬の準備だけは忘れないでね。
あとカレーは美味しいから、楽しみにしておきなさい」
KAMIは無責任に笑った。
そして彼女は、空になったわらび餅のパックを宙に放り投げた。
プラスチックの容器は床に落ちる前に、光の粒子となって消滅した。
その瞬間、彼女の表情がガラリと変わる。
退屈そうな観察者の顔から、残酷で、そして楽しげなゲームマスターの顔へ。
瞳の奥に怪しい光が灯る。
「さてと。
面倒な政治の話はこれくらいにして。……本題に行きましょうか」
彼女は両手を広げた。
その仕草は、サーカスの団長がショーの開幕を告げるようだった。
「次のイベントを発表するわよ!」
その一言に会議室の空気が一変した。
トンプソン、王、ヴォルコフの目の色が変わり、身を乗り出す。
インドの支援などという面倒な話はどうでもいい。
彼らが本当に待っていたのはこれだ。
次なる「力」と「富」の分配ルール。
自国をさらに強くするための新たなチャンス。
「今回のイベント名は……」
KAMIは空中に、きらびやかなカードが舞い散るエフェクトを投影した。
無数のカードが吹雪のように舞い、そして一枚一枚が意味深な絵柄を浮かび上がらせながら回転する。
「『占いカード収集祭』!!!」
「……占いカード?」
トンプソンが怪訝な顔で繰り返す。
「タロット占いか何かかね?
運勢でも占うのか?
それともカードゲームでもさせるつもりか?」
「違うわよ」
KAMIはチッチッと指を振った。
「内容は至ってシンプル。
『ダンジョンボスをキルして、カードをドロップさせて、報酬を手に入れろ!』
……これだけよ。ハック&スラッシュの基本ね」
「ボス討伐イベントですか」
ヴォルコフが頷く。
「前回と同じく今回も強力な単体キャラを狩るわけか。
我が軍の火力を集中運用する良い機会だ。
個の武力よりも組織的な火力がモノを言う」
「ほう、占いカードとは?」
王将軍が興味深そうに尋ねた。
「ただの引換券か?
それとも、それ自体に何か魔法的な力があるのか?」
「基本的には引換券ね。でも、ただの紙切れじゃないわよ」
KAMIは説明を始めた。
彼女の指先が動くたびに、美しいイラストが描かれた長方形のカードがホログラムとして拡大表示される。
『王の威厳』と書かれたカードには黄金の鎧が、
『嵐の予兆』と書かれたカードには稲妻を纏う剣が描かれている。
「ルールはこうよ。
イベント期間中、ダンジョンの最深部にいるボスモンスター、あるいは特定の中ボス(レアエネミー)を倒した時に、確定で『占いカード』がドロップするわ」
確定ドロップ。
その言葉に麻生大臣の耳がピクリと動いた。
確率ではない。倒せば必ず手に入る。
それは経済の計算ができるということだ。
予算が組める。収益が見込める。
「そして同時に『ディヴィネーション・フェスポイント』も付与される。
これはいつものショップ用ね。
ダンジョン内で『ディヴィネーション・フェスショップ!』と叫べば、専用ウィンドウが開くわ」
KAMIはショップのラインナップを、ちらりと見せた。
「ショップの中身は、まあお馴染みのやつよ。
『限定イベントユニーク装備』。今回はカードにちなんだ特殊な能力を持つやつを用意してるわ。
そして、もちろん『怪我治癒ポーション・改』。
今回も10,000人分用意してあるから」
「おお……!」
沢村が安堵の息をつく。
ポーションの定期供給。
それは世界の医療と治安を維持するための生命線となっていた。
これがある限り人類はKAMIのイベントに踊らされ続けるしかないが、同時に救われ続けることもできる。
「ですが、KAMI様」
九条が鋭い質問を投げた。
「その『占いカード』というアイテム。
ただのポイントアイテムとは違うのですか?
わざわざ名前をつけてボスからドロップさせるからには、独自の仕組みがあるとお見受けしますが」
「ええ、いい質問ね」
KAMIはニヤリとした。
その笑顔は新しいゲームのルールを説明する時の子供のように無邪気で、そして企みに満ちていた。
「このカードの仕組みこそが、今回のイベントの肝よ。
カードにはね、それぞれ『完成枚数』と『報酬』が設定されているの」
彼女は一枚のカード『王の威厳』を拡大表示した。
カードの下部には『1 / 9』という数字が刻まれている。
「例えばこのカード『王の威厳』。
これをボスから集めて規定枚数――この場合は9枚ね。
9枚集めて重ね合わせる。
そして『交換!』と、現地の言葉で叫ぶの」
KAMIがジェスチャーをする。
9枚のカードが空中で重なり、眩い光に包まれる。
そして光が収まった後、そこには実体化した『アイテム』――黄金に輝く鎧が残されていた。
「すると、アラ不思議。
カードは消滅して、代わりにカードに描かれていた報酬アイテムがポンと手に入るのよ」
「……なるほど」
トンプソンが顎を撫でた。
「クーポン券を集めて商品と引き換えるようなものか。
子供の遊びのようだが……」
「馬鹿にしないでよね」
KAMIは言った。
「その『報酬』の中身が重要なのよ。
景品は様々ね。
『大量の魔石セット』だったり、
『各種オーブの詰め合わせ』だったり、
あるいは……『ランダムなユニークアイテム』だったりするわ」
ユニークアイテム。
その言葉に会議室の空気が引き締まった。
それは国家の戦力を左右する戦略物資だ。
「カードを集めれば、ユニークが手に入るのですか?」
王将軍が確認する。
「ええ。
例えば『未知なる刃』というカードを5枚集めれば、ランダムな武器種のユニークアイテムが必ず手に入る。
『狂人の謎かけ』なら、ランダムなアクセサリーのユニーク。
何が出るかは運次第だけど、ユニークであることは確定よ」
そして彼女は、さらに爆弾を投下した。
「中にはね、もっと直接的なカードもあるわ。
『特定の激レアアイテム』そのものを指名して交換できるカードとかね」
彼女は別のカードを表示した。
そこには以前のイベントで世界を騒がせ、今や安全保障上の最大懸念事項となっている、あの『霧渡りの長靴』の絵が描かれていた。
「例えばこれ。『幻影の足跡』。
これを12枚集めれば、あの『霧渡りの長靴』と交換できるわ」
「なっ……!?」
ヴォルコフ将軍が椅子を鳴らして立ち上がった。
「レガシーアイテムが、また手に入ると言うのか!?」
「ええ。
ただし性能は『現在のバージョン(ナーフ後)』だけどね。
MP消費があったり、制限がついてたりするけど、それでも『壁抜け』ができることには変わりないわ。
十分強いでしょ?」
KAMIは悪戯っぽく笑った。
「他にも『レベル21のスキルジェム(通常は20が限界)』とか、
『品質の高い装備』とか、
普通にプレイしてたら滅多にお目にかかれないようなレア物が、カードを集めさえすれば手に入るの」
彼女は、このシステムの「本質」を語った。
「ここがポイントよ。
今までのレアドロップは、完全な運ゲーだったでしょ?
0.001%の確率を引けるか引けないか。
何百回倒しても出ない人は出ない。心が折れちゃうわよね。
『努力が報われない』って、クソゲーの典型だわ」
彼女は優しく、しかし残酷な真理を説いた。
「でも、このカードシステムは違う。
ボスを倒せば『確定』でカードが落ちる。
たとえ目当ての装備そのものが落ちなくても、カードという『欠片』は確実に手元に残る。
1回倒せば1枚。
9回倒せば9枚。
そうやって地道にコツコツと周回を重ねれば……。
時間をかければ、どんなに運が悪い人だって必ず、その景品にたどり着くことができる」
『努力の可視化』。
『天井システム』の実装。
「これは『運』の要素を『時間』というコストに変換するシステムよ。
諦めない奴が報われる。……どう?
これなら不公平だとか文句を言う奴も減るでしょ?」
その説明に、麻生大臣が深く感心したように唸った。
「……なるほど。これは巧妙だ」
彼は経済的な視点で分析した。
「『あと一枚で完成する』となれば、人はやめられない。
コンプリート欲を刺激し、ダンジョンへの滞在時間を伸ばす。
そして何より『カードそのもの』が市場で取引されるようになれば……」
「そう!」
KAMIが指を差した。
「カードはアイテム扱いだから、譲渡も売買も可能よ。
『あと一枚足りない!』って人がオークションで高値で買うかもしれない。
逆に『自分には不要なカード』を売って資金にする人も出るでしょう。
魔石、装備、オーブに続く第四の通貨。
それが『占いカード』よ」
新しい経済圏の誕生。
トレーディングカードゲーム(TCG)の市場原理が、現実の命のやり取りとリンクする。
その市場規模は計り知れない。
「……面白い」
トンプソン大統領がビジネスマンの顔で笑った。
「我が国のウォール街が喜びそうだ。
『カード先物取引』なんてものが始まるかもしれん」
「だが」
王将軍が慎重に尋ねる。
「そのカードは、どこのダンジョンでも同じものが落ちるのですか?
例えば『霧渡りの長靴』のカードは、中国のダンジョンでも手に入るのか?」
「いい質問ね」
KAMIは世界地図を表示させた。
「基本的にはカードのドロップには『地域性』を持たせるわ」
「地域性……?」
「そう。
ダンジョンによって、あるいは国によって、ドロップするカードの種類を変えるの。
中国、ロシア、日本、アメリカ……各地に『美味しいドロップ』が散らばるように設定したわ。
基本的には偏りないようにしてるけどね」
彼女は地図上に、カードのアイコンをばら撒いた。
「例えば日本は『刀剣系』や『精密操作系』のカードが出やすい。
アメリカは『銃器系』や『爆発系』のカード。
中国は『武術・気功系』、ロシアは『重装甲・氷系』……みたいなイメージね」
「……なるほど」
ヴォルコフ将軍が目を細めた。
「つまり、欲しいアイテムのカードが自国で出ない場合は、他国から輸入するか、あるいは他国のダンジョンへ遠征しなければならないわけか」
「そうよ」
KAMIは頷いた。
「これで国際的な人の移動と貿易が活性化するでしょ?
『あのカードが欲しいから日本へ行こう』
『ロシアのカードとアメリカのカードを交換しよう』
世界中が繋がるの。素敵でしょ?」
意図的な偏在。
それは貿易を促進させると同時に、新たな国家間の駆け引きの火種ともなる。
「あの国のカードが欲しいが、外交関係が悪くて手に入らない」といった事態も起きるだろう。
「まあ基本的には偏りがないように、全体の価値バランスは調整してるけどね」
KAMIは付け加えた。
「どこかの国だけが極端に有利になったりはしないわ。
それぞれの国に、それぞれの『当たり』がある。
それをどう集めるかは、あなたたちの外交手腕次第よ」
彼女は最後に、重要なルールを告げた。
「あ、それと。
この『確定ドロップ』の仕様はイベント期間中だけだからね。
イベントが終了したら、占いカードは通常の『ランダムドロップ枠』に入るわ。
つまりボスを倒しても確率は数%〜数十%に落ちる。
『必ず落ちる』のは今だけ。……稼ぐなら今しかないわよ?」
期間限定のボーナスタイム。
その言葉が指導者たちの尻に火をつけた。
「……総力戦だな」
トンプソンが呟いた。
「期間中に、どれだけのカード資産を確保できるか。
それが今後の国家戦力を左右する」
「カードのリストは?」
九条が尋ねる。
「今から公開するわ。
全200種類。
どれがどのダンジョンで落ちるかは……まあ潜ってからのお楽しみね。
情報戦もゲームのうちよ」
KAMIは楽しそうに笑って姿を消した。
後に残された四人の男たち。
彼らの目の前のモニターには、新たに公開された『占いカードリスト』が、膨大なデータとして流れ始めていた。
『王の威厳』
『ドラゴンの心臓』
『賢者の知恵』
『のたうち回る狂気』
意味深なタイトルと、美しいイラスト。
そしてその下に記された、強力無比な報酬アイテムの数々。
「……やるしかないな」
沢村総理が深く息を吸い込んだ。
「まずは国内のドロップテーブルの解析だ。
何がどこで落ちるのか、徹底的に調査しろ。
そして他国との交換レートの交渉……また麻生大臣の出番だな」
「ええ、任せてください」
麻生がニヤリと笑った。
「カード相場という新しいおもちゃで、一儲けさせてもらいますよ。
『ポケモンカード』ならぬ『ダンジョンカード』、バブルの到来ですな」
世界はまた、新しい熱狂に包まれようとしていた。
ボスを狩り、カードを集め、夢と交換する。
そのシンプルで、しかし中毒性の高いサイクルが、人類を更なるダンジョンの深淵へと誘っていく。
収集癖(コレクター魂)。
それは人間の持つ、最も根源的で、そして厄介な欲望の一つであることを、神はよく知っていたのだ。
その夜、世界中の探索者たちは、まだ見ぬカードを夢見て武器の手入れを念入りに行っていた。
明日の朝、ゲートが開くその瞬間を待ちわびながら。




