第214話
ロシア連邦、シベリア管区。
極寒の永久凍土に覆われたこの地に開いた、B級ダンジョン『氷獄の城塞』。
その深層部、第5階層と呼ばれるエリアで、人類にとっての「最初の敗北」は、あまりにも静かに、そして冷徹なシステム的必然として訪れた。
犠牲者の名は、ドミトリー・ヴォロノフ(28歳)。
彼はロシア軍のスペツナズ出身ではなく、民間から成り上がった「個人勢」のトップランカーだった。
かつては地下格闘技の王者として名を馳せ、ダンジョン開放後は、その天性の戦闘センスと、借金をしてまで揃えた最高級の装備で、F級、E級、D級を常にソロ(単独)で、しかも最速のペースで踏破してきた英雄だった。
彼の装備は完璧だった。
オークションで競り落とした『B級・氷河のプレートメイル(氷耐性+29%)』を筆頭に、全身を耐性装備で固め、B級ダンジョンの環境デバフ(全耐性-20%)を受けてなお、氷耐性90%(上限突破)、その他耐性も75%を維持していた。
武器は『D級ユニーク・戦斧(粉砕効果付き)』。
腰には自動充填式のポーションフラスコを三本。
理論上、彼はこの階層で死ぬ要素など、なかったはずだった。
だが、ダンジョンというシステムは、数値の足し算だけで攻略できるほど、甘くはなかった。
「……チッ。数が多いな」
氷の回廊で、ドミトリーは舌打ちをした。
彼の周囲を囲むのは、『フロスト・ガード』と呼ばれる重装の氷像兵士たち。数は十二体。
彼らの攻撃は鈍重だが、一撃が重い。
だがドミトリーは余裕だった。
彼の氷耐性は90%だ。彼らが放つ冷気魔法も、氷を纏った剣撃も、彼にとってはそよ風に等しい。
「遅い!」
ドミトリーが踏み込む。戦斧が一閃し、ガードの一体が粉砕される。
余裕だ。
これならソロでも、十分に回せる。
彼はそう確信し、次の敵へと向かった。
その時だった。
回廊の奥、視界の死角から、これまで見たことのないタイプのモンスターが現れたのは。
それは、青白いローブを纏った、幽霊のような浮遊体だった。
『アイス・ウィッチ(氷の魔女)』。
彼女は攻撃魔法を撃たなかった。
代わりに、音もなくドミトリーに向かって指を指した。
ヒュンッ。
紫色の光線が、ドミトリーに着弾する。
ダメージはない。
だが、視界の端に、見たことのないアイコンが点灯した。
【状態異常:沈黙(Silence)】
【効果:スキルおよび魔法の使用不可】
「……なっ!?」
ドミトリーが次の攻撃のために、スキルを発動しようとした瞬間、身体が動かなかった。
マナはある。だが回路が繋がらない。
ただの「素振り」しかできない。
「沈黙か! だが物理で殴ればいいだけだ!」
彼は慌てなかった。斧による通常攻撃で、押し切ろうとした。
だが、魔女の次の一手が、彼を絶望の淵へと叩き落とした。
カチリ。
足元で音がした。
氷の床から無数の鎖が飛び出し、ドミトリーの足を拘束する。
【状態異常:束縛(Root)】
【効果:移動不可】
「しまっ――!?」
足が止まった。
そして、その隙を見逃すほど、B級のモンスターは甘くない。
周囲を取り囲んでいたフロスト・ガードたちが、一斉に殺到する。
ドガッ! バキッ! ズンッ!
四方八方から振り下ろされる、戦鎚と大剣。
氷属性ダメージは90%カットされる。だが残りの10%と、そして何より、純粋な「物理衝撃」は、耐性では防ぎきれない。
HPバーが削れていく。
ドミトリーはポーションを飲もうとした。
腰のフラスコに手を伸ばす。
だが、その手もまた、ガードの一体に掴まれ、へし折られた。
「グアアアアアッ!!」
激痛。
『沈黙』状態でスキルによる脱出もできず、『束縛』状態で逃げることもできず、そして数の暴力によって、物理的に『行動不能』に追い込まれる。
彼は最強の鎧を着ていた。
魔法に対しては、無敵に近かった。
だが「動けない」状態にされ、「袋叩き」にされた時、個人の防御力など無意味だった。
もし仲間がいれば。
後衛の僧侶が状態異常を解除してくれていれば。
盾役が敵を引き剥がしてくれていれば。
魔法使いが魔女を狙撃してくれていれば。
だが、ここには彼しかいない。
ソロ(単独)。
それが彼の誇りであり、そして死因だった。
最後の瞬間、ドミトリーの目に映ったのは、無慈悲に振り下ろされる氷の槌と、そしてシステムが告げる赤い文字だけだった。
【HP: 0】
【YOU DIED】
ロシアの英雄は、光の粒子となって消滅した。
後には、傷一つない最高級のプレートメイルと、主を失った戦斧だけが、冷たい床の上に転がっていた。
***
そのニュースは、瞬く間に世界を駆け巡った。
B級ダンジョンにおける、人類初の「死亡者」。
その事実は、これまで「なんだかんだで死なない」という楽観論に浸っていた世界中の探索者たちに、冷水を浴びせかけた。
日本のネット掲示板『ダンジョンちゃんねる』。
そこは、ドミトリーの死を悼む声と、そして冷徹な分析とで埋め尽くされていた。
【訃報】ロシアのソロランカー、死亡確認。B級ダンジョン初の犠牲者【慢心】
1: 名無し探索者
おい……マジかよ。
あのドミトリーが死んだって?
ロシアの英雄だぞ? 装備もプレイスキルも、世界トップクラスだったはずだろ。
2: 名無し探索者
マジだ。
ロシアのギルドが公式発表した。
「遺体は回収できず(ロスト)、装備品のみが後に発見された」って。
死因は「多重状態異常による行動不能からの圧殺」。
3: 名無し探索者
うわぁ……エグいな。
装備は完璧だったんだろ?
氷耐性90%とか積んでたって聞いたぞ。それでも死ぬのか。
4: ガチ勢
映像データがリークされてるから見たけど、あれは「詰み」だわ。
『沈黙』でスキル封じられて、『束縛』で足止めされて、そのまま12体に囲まれてボコボコにされてた。
耐性がいくら高くても、動けなくなって、ポーションも飲めない状況に追い込まれたら終わりだ。
物理ダメージの蓄積で死んだんだよ。
5: 名無し探索者
ソロの限界だな。
仲間がいれば『沈黙』も解除できたし、囲みも崩せたはずだ。
B級の敵は連携してくる。
「デバフ役」と「アタッカー役」が分担して殺しに来るんだよ。
それを一人で捌くのは、人間の処理能力を超えてる。
6: 名無し探索者
やっぱりB級は別世界か。
F級やE級みたいに「俺TUEEE」できる場所じゃないんだな。
「死なない」んじゃなくて、「死ななかっただけ」なんだ。
7: 名無し探索者
まあ、ソロだから死んでもしょうがないかな……。
厳しい言い方だけど、自業自得だわ。
あんな危険な場所に一人で潜るとか、自殺志願者と変わらん。
8: 名無し探索者
7
それな。
パーティ組んでりゃ、絶対に助かってた場面だ。
個人の武勇伝に酔いしれて、基本を疎かにした代償だよ。
9: 名無し探索者
でも怖いのはさ。
俺たちも、いつかそうなるかもしれないってことだよ。
「装備さえあれば安全」っていう神話が崩れたんだ。
これからは「戦術」と「連携」がないと生き残れない。
10: 名無し探索者
震えてきた。
俺、明日からB級行く予定だったけど中止するわ。
固定パーティ組むまで、絶対に行かん。
命あっての物種だ。
世論は一気に「ソロ危険論」へと傾いた。
英雄の死は悲劇だが、それは同時に「無謀な挑戦への警鐘」として、世界中の探索者に深く刻み込まれたのだ。
***
そして、その夜。
東京、ワシントン、北京、モスクワを結ぶ最高機密バーチャル会議室。
四カ国の指導者たちの顔色は、一様に優れなかった。
特に自国の英雄を失ったロシアのヴォルコフ将軍は、悔しさと怒りで顔を歪めていた。
「……無念だ」
ヴォルコフが、グラスのウォッカを叩きつけるように置いた。
「ドミトリーは我が国の宝だった。
彼が稼ぎ出す魔石と情報は、スペツナズ一個小隊にも匹敵していた。
それを……たかが連携ミス(ソロ)で失うとは!」
「心中、お察しします」
議長役の九条官房長官が、静かに言った。
「ですが将軍。これは個人の悲劇であると同時に、システム上の重大な欠陥を示唆しています。
B級ダンジョンの難易度は、個人の能力で対応できる閾値を超えている。
このまま放置すれば、第二、第三のドミトリーが出るでしょう」
「その通りだ」
アメリカのトンプソン大統領が、深刻な顔で頷いた。
「我が国のアークエンジェル部隊でも、ヒヤリハット事例が多発している。
単独行動をとった兵士が、状態異常ハメ(CCチェイン)を受けて孤立し、救援がギリギリで間に合ったケースが数件ある。
軍隊でさえこれだ。一般の探索者がソロで潜れば、それは虐殺になる」
「中国も同様です」
王将軍が報告する。
「『青龍』の分析によれば、B級モンスターのAIは明確に『孤立した個体』を優先的に狙うアルゴリズムを持っているようです。
彼らは群れで狩りをする狼だ。一匹の羊など、格好の餌食でしかない」
現状認識は一致した。
B級ダンジョンにおける「ソロプレイ」は、もはや冒険ではなく、無謀な自殺行為であると。
「……規制が必要だな」
沢村総理が、重い口を開いた。
「国民の命を守るのが国家の責務だ。
自殺行為を放置するわけにはいかん。
何らかの形で、B級以上でのソロ活動を制限すべきではないか?」
「制限……」
麻生ダンジョン大臣が渋い顔をした。
「『禁止』ですか?
しかし総理。探索者は個人事業主です。
『一人で仕事をするな』と国が命令するのは、職業選択の自由に抵触する恐れがある。
それに、凄腕のソロプレイヤーたちは、パーティを組むことで効率が落ちることを嫌います。
反発は必至ですよ」
「だが、死なれては元も子もない!」
ヴォルコフが叫んだ。
「死ねば装備もロストする! 国家資産の損失だ!
自由だ権利だと言っている場合ではない!
強制的にでも、パーティを組ませるべきだ!」
「私もロシアに同意します」
王将軍が続いた。
「安全管理の観点から、最低人数の規定を設けるべきです。
例えば『3人以上』。
タンク、ヒーラー、アタッカー。この最低限の構成がなければ、ゲートを通過させない。
システム側でロックを掛ければ良いのです」
議論は「規制強化」へと傾きつつあった。
だが、その決定を下す前に、彼らには確認しなければならない相手がいた。
この世界のルールブック、そのものである彼女に。
「……呼びましょう」
九条が端末を操作した。
「KAMI様のご意見を伺わねばなりません。
彼女が『ソロもプレイスタイルの一つだ』と言えば、我々の規制は無意味になりますから」
***
フォン。
電子音と共に、KAMIが現れた。
今日の彼女は、喪服のような黒いドレスに身を包み、手には白い百合の花を一輪持っていた。
「……あら、お通夜?」
彼女は四人の男たちの沈痛な面持ちを見て、皮肉っぽく言った。
「ロシアの子が死んだ話でしょ?
知ってるわよ。ログ見たもの」
「KAMI様……」
ヴォルコフが頭を垂れる。
「まあ、まずご愁傷様ね」
KAMIは百合の花をテーブルに置いた。
その表情には、神としての慈悲と、ゲームマスターとしての冷徹さが同居していた。
「彼は優秀なプレイヤーだったわ。
装備もビルドも完璧だった。
ただ一つ、『敵のAI』を甘く見ていただけね」
「……甘く見ていた?」
「ええ。
B級からはね、モンスターも『学習』するのよ。
『あいつは氷耐性が高いから、魔法は効かない。なら、動きを止めて、物理で殴れ』ってね。
そういう戦術を組んでくる相手に、一人で挑むのは……まあ無茶よね」
「やはり!」
トンプソンが身を乗り出す。
「だからこそ我々は、規制をかけたいのです!
B級以上のダンジョンにおいて、ソロでの進入を禁止する!
パーティプレイを義務化する!
その許可を、いただきたい!」
その申し出にKAMIは、少しだけ眉をひそめた。
彼女は腕を組み、不満げに口を尖らせた。
「えー……?
ソロ禁止?」
彼女は心底つまらなそうに言った。
「それって、自由が無くなるじゃない?」
「自由……ですか?」
「そうよ。
ソロにはソロの良さがあるのよ。
誰にも気兼ねせず、自分のペースで、自分の実力だけを頼りに潜る。
その孤独と緊張感こそが、ダンジョンの醍醐味だっていうプレイヤーもいるの。
『一匹狼』のロマンよ。
それをシステムで禁止するなんて……無粋だわ」
彼女は、ゲームマスターとしての美学を語った。
「それに、ソロでもクリアできる可能性はゼロじゃないわ。
例えば『隠密』特化で敵に見つからずに進むとか、
『召喚魔法』で擬似的なパーティを作るとか。
そういう工夫の余地を奪うのは、ゲームとして面白くないわね」
神の反対。
自由とロマン。
それは確かに正論だった。
だが沢村総理は、引かなかった。
彼は日本の、そして世界の指導者として、現実の重みを神に突きつけた。
「しかしですね、KAMI様!」
沢村が声を張り上げる。
「ここはゲームの世界ではありません! 現実なのです!
リセットもコンティニューもできない、たった一つの命がかかっているのです!
ソロで死人が出た以上、国家として何らかの対策が必要です!
自由の名の下に自殺行為を放置することは、できません!」
「それに!」
九条が援護射撃をする。
「現状の装備レベルでは、ソロでの攻略は事実上不可能です!
『耐性95%』を確保しつつ、『状態異常無効』と『高物理防御』を両立させる装備など、まだこの世界には存在しません!
理論上クリア不可能なミッションに挑ませるのは、自由ではなく、ただの『罠』です!」
その言葉にKAMIは、少し考え込んだ。
彼女は指先で空中にデータを展開し、現在の探索者たちの平均ステータスと、B級モンスターの攻撃力をシミュレーションした。
「……ふむ」
彼女は呟いた。
「確かに。
今のあなたたちの装備水準だと、ソロでの生存率は……0.02%か。
『無理ゲー』ね」
彼女は認めた。
まだ人類は、ソロでB級を踏破できる段階には達していない。
「うーん……。
つまらないけど、しょうがないか」
KAMIは、ポテトチップスの袋を開けるように、あっさりと折れた。
「まあ、あなたたち四カ国の総意みたいだし?
管理するのは、あなたたちだしね。
じゃあ、好きにしたら?」
「よ、よろしいのですか!?」
「ええ。
流石に装備が整ってない、B級初期だからね。
『今の段階では』何らかの制限は必要でしょう。
ソロで死にまくって、プレイヤー人口が減るのも、運営としては困るし」
彼女は条件をつけた。
「ただし!
『システム的な禁止(ゲートが開かない)』にはしないわよ。
あくまで『ギルドのルール』として運用しなさい。
システムで縛ると、将来すごい天才が現れて、『俺ならソロで行ける!』ってなった時に邪魔になるから」
「……承知いたしました」
九条が頷く。
「ゲートのシステムはいじらず、あくまで入場の際の『検問』と『ライセンス規定』で規制します。
『B級以上はパーティ必須』。
これを四カ国共通のギルド規約とします」
「うん、それでいいわ」
KAMIは、あくびをした。
「パーティプレイも、それはそれでドラマが生まれるしね。
『仲間割れ』とか、『裏切り』とか、『友情』とか。
そういう人間関係のドロドロを見るのも、楽しみの一つだわ」
彼女は悪魔的な微笑みを残して言った。
「じゃ、公式発表よろしくね。
『ソロプレイヤーの皆様、お友達を作ってくださいね〜』って。
ボッチには辛い世界になったわね、ふふふ」
KAMIは姿を消した。
残された四人の指導者たちは、深いため息をついた。
だがその顔には、安堵の色があった。
これで無駄な死を減らせる。
「……了解して頂けたようで結構です」
沢村が、疲れ切った声で宣言した。
「では四カ国の公式ギルドから、共同声明を出しましょう。
『当面の間、B級ダンジョンにおける単独潜行の禁止』。
および『最低3名以上のパーティ編成の義務化』を」
「異論なし」
トンプソン、王、ヴォルコフが頷く。
翌日。
世界のダンジョンギルドに、新たな掟が張り出された。
【重要通達】
B級ダンジョンにおける死亡事故を受け、本日より以下の規制を適用する。
B級以上のダンジョンへの単独入場を禁止する。
入場には最低3名以上のパーティ結成、および「タンク」「ヒーラー」を含むロール構成を推奨する。
違反者はライセンス停止処分とする。
――生き残りたければ、手を組め。
その通達は、世界中のソロプレイヤーたちに衝撃を与えた。
「ふざけるな!」「俺は一人でやりたいんだ!」という反発の声もあった。
だがドミトリーの死という重い事実と、そして実際にB級の過酷さを知る者たちの「アレは一人じゃ無理だ」という証言が、次第にその声を封じていった。
こうして世界は「大パーティ時代」へと突入した。
酒場では、「タンク募集!」「優秀なヒーラー求む!」「火力職あまってます!」という声が飛び交い、新たなコミュニティが、そして新たな経済(傭兵雇用)が生まれ始めた。
孤独な英雄の時代は終わった。
これからは、組織と連携、そして信頼(あるいは契約)の時代だ。
麻生大臣は、その様子を見ながら、官邸で呟いた。
「……ふん。
人間関係か。一番面倒くさいものが始まったな。
だが、それで死なずに済むなら、安いものよ」
ダンジョンの深層は、人間たちに「協力」を強制した。
それは神の計算か、それとも皮肉か。
いずれにせよ人類は、また一つ、生き残るための形を変えたのだった。




