第210話
ニューヨーク、国連本部ビル。
イーストリバーの冷たい風が吹き付けるマンハッタンの一角に、世界中の悲鳴と欲望、そして焦燥が渦巻いていた。
第XX回、国連緊急特別総会。
この日の議題は、人類の未来を決定づける、あるいは分断を決定的にする、あまりにも重いものだった。
『決議案401-Alpha:ダンジョン設置地域の拡大、および非保有国への機会均等に関する提言』
ダンジョンという「神の遊技場」が、日本、アメリカ、中国、ロシアの四カ国に開放されてから、ちょうど一年が経過していた。
この一年で世界の形は劇的に、そして不可逆的に変わってしまった。
四カ国は、魔石という無限のエネルギー資源、そして異世界のオーバーテクノロジーを独占し、人類史上類を見ない繁栄を謳歌していた。
経済成長率は天井知らず。
平均寿命は伸び、エネルギーコストはゼロに近づき、国民は「探索者」という新たな英雄に熱狂している。
一方で、それ以外の190近い国々はどうか。
彼らは「マナ・ディバイド(魔力格差)」という、かつての南北問題など比較にならない絶望的な格差に喘いでいた。
原油価格は暴落し、資源国の経済は崩壊。
優秀な若者はこぞって四カ国へ移住し、自国の産業は空洞化。
魔石の配給を求めて四カ国の大使館の前には長蛇の列ができている。
「――限界です! 我々はもう待てない!」
壇上で声を張り上げているのは、ブラジルの国連大使だった。
彼は拳を振り上げ、涙ながらに訴えていた。
「この一年、我々は指をくわえて見てきました!
貴国らがダンジョンで富を築き、魔法で病を治し、空飛ぶ車で空を舞うのを!
なぜだ!? なぜ神は四カ国だけを選んだ!?
我々の国民も同じ人間ではないのか! 我々の祈りは神に届かないのか!
アマゾンの森は枯れかけているが、マナがあれば救える!
そろそろ……そろそろダンジョンを四カ国以外にも広めて良いのでは!?
独占をやめ、神の恩恵を平等に分かち合うべきだ!」
万雷の拍手。
アフリカ連合、EU諸国、東南アジア、中南米。
「持たざる国々」の代表たちが総立ちになり、賛同の声を上げる。
その熱気は、議場の空気を焼き尽くさんばかりだった。
だが。
その熱狂の渦の中心で、冷ややかな静寂を保つ一角があった。
最前列に陣取る日米中露の代表団だ。
日本の席には今日も九条官房長官(本体)が、氷の彫像のように座っている。
その隣には、アメリカの国務長官、中国の外交部長、ロシアの外相。
彼らは周囲の怒号を、どこか遠い世界の出来事のように聞き流していた。
彼らには「力」があった。
核兵器以上の絶対的な力。
すなわち、KAMIとのホットラインである。
「……議論は尽くされたようですね」
議長が恐る恐る四カ国の方を見た。
「四カ国代表、いかがでしょうか?
この決議案に対し、貴国らの見解を」
マイクのスイッチが入る音が、議場の喧騒を一瞬で断ち切った。
九条がゆっくりと立ち上がった。
「ブラジル大使、そして各国の代表の皆様。
その悲痛な訴え、痛いほど理解いたします。
我々とて独占を望んでいるわけではありません。
世界全体の繁栄こそが、我々の願いです」
美しい建前。
だが、続く言葉は冷徹な現実だった。
「しかし皆様は忘れておられるようだ。
ダンジョンの設置場所を決めるのは国連ではありません。
我々四カ国でもありません。
全てKAMI様次第なのです」
その名が出た瞬間、会場の空気が重くなった。
KAMI。
この世界の真の支配者。
気まぐれで残酷で、そして慈悲深いゲームマスター。
「我々が『広めよう』と決議したところで、彼女が『NO』と言えばそれまでです。
逆に彼女が『ここに作る』と言えば、砂漠の真ん中だろうが南極だろうが、明日にはダンジョンができる。
……違いますか?」
誰も反論できない。
この一年で世界は、嫌というほど思い知らされた。
国際法も主権も人権も、KAMIの「設定」の前には無力であると。
「ですので」
九条は続けた。
「この決議案には意味がありません。
必要なのは『要求』ではなく『陳情』です。
KAMI様のご機嫌を伺い、彼女が『まあ増やしてもいいかな』と思うような材料を提示すること。
……必然的に彼女との対話窓口を持つ我々四カ国の顔色をうかがう形になるのは、構造上致し方ないことなのです」
傲慢。
だが否定できない真実。
各国の代表たちは悔しさに唇を噛み締めながらも、九条の次の言葉を待つしかなかった。
彼が「KAMIに聞いてやる」と言ってくれなければ、何も始まらないのだから。
「……ですが」
九条は少しだけ声のトーンを緩めた。
「我々も鬼ではありません。
この一年、世界の歪みが限界に達していることは認識しています。
KAMI様も常々『もっとプレイヤーが増えたほうが面白い』とは仰っていました」
会場に、期待のさざめきが広がる。
「そこで私は昨晩、KAMI様に直接お伺いを立ててみました。
『そろそろ新規サーバー……つまり新しいダンジョン設置国を増やしてみてはいかがでしょうか?』と」
ゴクリ、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。
193カ国の視線が、九条の一挙手一投足に釘付けになる。
神の託宣。
次の当選者は誰だ?
九条は手元の端末を操作し、ホログラム映像を空中に投影した。
そこに映し出されたのは、東京のマンションでくつろぐKAMIの姿だった。
彼女はポテトチップスをつまみながら、面倒くさそうに、しかし楽しげに答えていた。
『えー? ダンジョン?
そうねー……。
まあ今の四カ国サーバーも安定してきたし?
プレイヤーのレベルも上がってきたし、そろそろ拡張パック(DLC)入れてもいい頃合いかもね』
おおっと歓声が上がる。
KAMIが拡大を肯定した!
『でも、いきなり全世界解禁とかは無理よ。サーバー落ちちゃうし。
管理も面倒くさいし。
だからまずは一カ国だけ。「お試し(オープンベータ)」で追加するってのはどう?』
一カ国。
たった一つの椅子。
代表たちの目の色が、血走った獣のように変わる。
どこだ? 我が国か? それとも隣国か?
KAMIはポテトチップスをパリッとかじりながら、何気ない調子で続けた。
『どこにするかだけど……。
そうねー、インドなんてどうかしら?』
「――!?」
インド代表が椅子から転げ落ちそうになった。
『インドの奇跡、まだしてないし。
当初の予定だと、あそこでも派手なイベントやるつもりだったんだけど、スケジュールの都合で飛ばしちゃったのよね。
人口も多いし、信仰心も厚いし、ポテンシャルは高いのよ。
する予定もなかったけど笑、そこら辺インドが可哀想だから、調整として開業しても良いわよ』
彼女は慈悲深い女神のような(あるいは適当な運営のような)笑顔を見せた。
『人口ボーナスで信仰エネルギーも稼げそうだしね。
うん、インドでいいわ。
でも勝手にやるとまた揉めるでしょうから、国連でちゃんと話をしてからね。
「みんなで仲良く決めた結果、インドになりました」っていう形にしてちょうだい。
よろしくー』
プツン。
映像が切れた。
静寂。
そして爆発。
「やっ……たぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
インド代表団が抱き合って絶叫した。
狂喜乱舞。
ボリウッド映画のエンディングのような騒ぎだ。
人口14億人の巨大国家が、ついに「神の選民」の仲間入りを果たしたのだ。
魔石が手に入る。
これで中国に追いつける。いや追い越せる!
インド大使は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、天(天井)に向かって祈りを捧げていた。
「シヴァ神よ! ヴィシュヌ神よ! そしてKAMI様! 感謝します!!」
「……ということですので、まずインドで、お試しでダンジョンという話が出てます」
九条が淡々と告げた。
「KAMI様のご指名です。
次はインド。
これに異論のある方は……」
「あるに決まっているだろうッ!!!」
フランス大使が机を叩いて立ち上がった。
彼の顔は怒りで真っ赤に染まっている。
「どうですか? だと!?
ふざけるな! なぜインドなんだ!
『可哀想だから』? そんな理由で国家の命運を決められてたまるか!
人口が多いからと言うなら、我がEUも合わせれば5億人だ!
文化的成熟度なら、こちらが上だ!」
「ずるい! ずるいぞ、インドだけ!」
ブラジル大使も叫ぶ。
「南半球はどうなる! 南米大陸には一つもないんだぞ!
地理的なバランスを考えろ!
インドは中国とロシアに近いじゃないか!
アジアに偏りすぎだ!」
「アフリカを無視するな!」
ナイジェリア代表が吼える。
「人類発祥の地だぞ! 最も支援が必要なのは我々だ!
インドはずるい!
彼らはすでに核も持っているし、IT大国じゃないか!
持たざる者にこそダンジョンを与えるべきだ!」
会場は「インド祝福ムード」から一転、「インド叩き」の修羅場と化した。
嫉妬。羨望。焦り。
たった一つの椅子を巡る争いは、人間の最も醜い感情をむき出しにさせる。
「落ち着いてください!」
議長が木槌を叩くが、誰も聞こうとしない。
インド大使がマイクを握りしめて反論する。
「黙れ! これはKAMI様のご意志だ!
『インドが可哀想』と仰ったのだ!
慈悲深いお言葉じゃないか!
貴様らは神に逆らうのか!?」
「神の言葉を都合よく解釈するな!」
ドイツ大使が噛み付く。
「『国連でちゃんと話をしてから』と仰っただろう!
つまり我々が承認しなければ無効だ!
私は認めんぞ!
ドイツにこそダンジョンが必要だ!
我々の技術力があれば、魔石を最も効率よく活用できる!」
「技術なら日本とアメリカで足りている!」
韓国代表が叫ぶ。
「隣国にばかりダンジョンができて、我が国にないのは安全保障上の危機だ!
インドより先に、極東のバランスを取るべきだ!」
泥沼の議論。
いや、これは議論ではない。
ただの駄々っ子の喚き合いだ。
「インドだけずるい」。その一点で、世界中が結束してインドを攻撃していた。
その光景を、最前列の四カ国代表たちは冷めた目で見つめていた。
「……醜いな」
ヴォルコフ将軍がボソリと呟いた。
「餌を一つ投げ入れただけで、この有様だ。
これが『国際協調』の実態か」
「まあ、予想通りでしょう」
王将軍が薄ら笑いを浮かべる。
「インドにダンジョンができれば、我が国にとっては脅威だが……。
まあ、アジア全体のマナ流通量が増えるのは悪くない。
それに彼らがこうやって内輪揉めしている間は、我々の地位は安泰だ」
「KAMI様も人が悪い」
トンプソン大統領が肩をすくめた。
「あえて『一カ国だけ』と言って競争させる。
これでインドは世界中を敵に回した。
ダンジョンを得る代償に、外交的な孤立を招くわけだ」
「ええ」
九条が頷いた。
「それが神の采配というものでしょう。
タダでは力は与えない。
その重みに耐えられるか、試されているのです」
壇上ではまだ怒号が飛び交っている。
「再投票を!」「インドは辞退せよ!」「私がKAMI様に直訴する!」
だが誰もが、心の奥底では理解していた。
KAMIが「インド」と言った以上、最終的にはインドになるのだと。
この議論は、納得できない自分たちを慰めるための、そして少しでも条件を引き出すための、悲しい儀式に過ぎないのだと。
九条は混乱する議場を見下ろしながら、心の中でKAMIに語りかけた。
(……ご覧になっていますか、KAMI様。
貴女が投げた小石一つで、世界の大海は大嵐です。
インドの次は、どこになさるおつもりで?
この欲望のゲーム、まだまだ終わりそうにありませんね)
国連本部の窓の外。
自由の女神が松明を掲げている。
だが今、その光は、ダンジョンの放つ妖しい青い光にかき消されようとしていた。
人類は平等を求めて叫ぶが、神は賽を振る手を止めない。
「ずるい」という言葉が、ニューヨークの空に虚しく響き渡った。




