第209話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の覇権を握る四つの首都を、見えない糸で結ぶ最高機密のバーチャル会議室。
この空間は、物理的な距離や時間の壁を超越した、ただ純粋な「権力」と「意思」だけが存在する、現代のオリンポスだった。
円卓を囲むのは、人類の頂点に立つ四人の男たち。
日本の沢村総理と、その影であり実質的な調整役である九条官房長官。
アメリカのトンプソン大統領。
中国の王将軍。
そして、ロシアのヴォルコフ将軍。
さらに今日、その上座――という概念がこの円卓にあるとすれば、最も眺めの良い特等席――には、ゴシック・ロリタ姿の少女KAMIが鎮座していた。
彼女の手には、高級フルーツパーラーからテイクアウト(データ複製)したと思われる、季節外れのスイカのカットが握られている。
「――さて」
議事進行役の九条官房長官が、静かに口火を切った。
彼の手元のカレンダーには、ある記念すべき日付が刻まれている。
「ダンジョン解禁、および世界への『布告』から、ちょうど一年が経過しました。
激動の一年でしたが……皆様、感触はいかがでしょうか?」
一年。
それは人類にとって、過去の千年分にも匹敵する変化の年だった。
魔法の出現、モンスターの脅威、そして新たなエネルギー資源の奪い合い。
世界は混乱の坩堝に叩き込まれたが、今、この会議室に漂っているのは悲壮感ではない。
むしろ、勝ち組特有の余裕と自信に満ちた空気だった。
「順調だと思いますね」
最初に口を開いたのは、中国の王将軍だった。
彼は満足げに頷き、手元の資料を弾いた。
「実に順調です。
我が国の経済成長率は、ダンジョン資源の独占的運用により過去最高を記録しました。
治安維持も、覚醒者部隊『龍牙』の活躍により万全。
国民は強い中国を誇りに思い、党への支持は盤石です」
「ロシアも同じだ」
ヴォルコフ将軍が、重厚な声で続いた。
「皇帝陛下も、ことのほかご機嫌が良い。
魔石エネルギーの実用化により、我が国の資源外交は無敵となった。
欧州も、もはや我々のガスと魔石なしでは冬を越せまい。
世界秩序は再びロシアを中心に回り始めている。素晴らしいことだ」
二人の強権的な言葉に、アメリカのトンプソン大統領も否定することなく、ニヤリと笑った。
「まあ良いんじゃないか?
我々四カ国と、その同盟国(衛星国)には存分に恩恵が溢れている。
ダンジョンによる恩恵は凄まじいものだな。
新たなゴールドラッシュだ。いや、ゴールド以上の価値がある。
シリコンバレーは今や『マナ・バレー』へと変貌し、世界中の富を吸い上げているよ」
世界は、持てる者と持たざる者に分断された。
ダンジョンを管理し、KAMIとのパイプを持つ四大国が富を独占し、それ以外の国々は彼らの傘下に入ることで恩恵のおこぼれに預かる。
残酷だが安定した、新しいヒエラルキーが完成しつつあった。
「それは良いですね」
沢村総理が安堵の息をついた。
「日本も同じく、恩恵にあずかれて幸いです。
当初懸念されたモンスターのスタンピードも、自衛隊と探索者協会の連携で最小限に抑えられています。
国民生活は豊かになり、支持率も……まあ、高止まりしていますよ」
四カ国の首脳たちは互いに頷き合った。
彼らは「勝った」のだ。
神のゲームという予測不能な荒波を乗りこなし、支配者の座を維持することに成功した。
「ふーん、まあ合格点ってところかしら?」
スイカの種をププッと飛ばしながら(種は空中で光の粒子になって消えた)、KAMIが口を挟んだ。
「私としてもトラブルが少なくて助かるわ。
最初はもっとヒャッハーな無法者が溢れかえって、毎日BAN祭りになると思ってたし」
彼女は空中に、デス・ノートのような黒いリストを投影した。
「まあ、悪さする奴らは容赦なくBANしてるけどね。
力を得て調子に乗った犯罪者とか、システムをハックしようとした馬鹿な科学者とか。
でも全体としては秩序が保たれてる。
あなたたちの『管理』が効いてる証拠ね」
「恐縮です」
九条が頭を下げる。
「我々としても、貴女様の箱庭を汚すような真似はさせたくありませんので」
「いい心がけよ。
で? 今日はただの自画自賛大会じゃないんでしょ?
新しい『おもちゃ』の発表会なんでしょ?」
KAMIの目が、悪戯っぽく輝いた。
九条は頷き、会議室の照明を少し落とした。
「はい。
さて、魔石の活躍がここにきて更に加速しています。
この一年の研究成果、そしてKAMI様よりご示唆いただいた『並行世界からの技術』の解析により、画期的な新製品が完成しました」
九条は、三つのホログラム映像を空中に展開した。
「まずは生活に密着した技術から。
C級魔石を利用した新型医薬品の開発です」
映像には、小さな点眼薬の容器が映し出された。
一見すると、ドラッグストアで売っている普通の目薬と変わらない。
だがその液体は、淡い青色の光を放っている。
「名付けて『クリア・アイズ・マナ』。
視力回復薬です」
「視力回復……?」
トンプソンが眉をひそめる。
「レーシックのような手術ではなく、薬でか?」
「はい。眼球に対して直接投与することで、角膜と水晶体の形状、および網膜神経の伝達機能を、魔力的に『最適化』します。
効果は即効性があり、一度の点眼で視力を1.5〜2.0まで回復させます」
映像の中で、分厚い瓶底眼鏡をかけた高齢の男性が、点眼後、驚いた顔で眼鏡を外し、遠くのカレンダーを読み上げる様子が流れる。
「効果期間は約一ヶ月。
これはC級魔石の濃度と効力で起きる事象です。
魔力が代謝と共に体外へ排出されるまでの期間ですね」
「一ヶ月か。サブスクリプションモデルに最適だな」
トンプソンが即座にビジネスモデルを計算した。
「理論上、C級以下の魔石……例えばD級やE級を圧縮濃縮することでも同じ効果は起こせますが、精製コストと安定性を考えると、C級魔石をそのまま溶媒に転写する方が現実的ですね」
「素晴らしいな」
ヴォルコフが唸った。
「メガネが不要になるわけだ。
兵士にとっても朗報だ。スコープを覗く際、眼鏡は邪魔でしかないからな」
「それどころか、老眼や乱視なども完全に回復します。
白内障の進行を抑える効果も確認されています」
九条が補足する。
「まさに神の薬だな……」
王将軍が感嘆した。
「中国には近視の子供が多い。これは国家戦略として導入すべき技術だ」
だが九条の発表は序の口だった。
「次は物流の革命です。
C級魔石を更に圧縮して出来る……理論上、A級魔石単体で出来る『空間拡張技術』です」
新しい映像が流れる。
映っているのは、何の変哲もない二人用の小さなキャンプテントだ。
だがリポーターがそのテントのファスナーを開け、中に入っていくと――。
カメラの映像が切り替わる。
テントの中には、体育館のような広大な空間が広がっていた。
そこには大量の物資が積み上げられ、作業員たちがフォークリフトで走り回っている。
「なっ……!?」
首脳たちが絶句する。
「これは『空間折りたたみ(アイテムボックス)』とは違う技術です。
アイテムボックスは亜空間に物を収納する技術ですが、これは空間そのものに直接作用して、内部の座標を『広げる』作用です。
外見は小さなテントですが、入り口のフレームに魔石デバイスを取り付けることで、内部空間を物理的に拡張しています」
九条は説明を続ける。
「後付で広大な空間を与えることが出来るテクノロジーです!
トラックの荷台に使えば、軽トラ一台でタンカー並みの輸送が可能になる。
ワンルームマンションのドアに付ければ、中は豪邸になる。
まさに神の技術。貨物や運送、そして住宅事情で革命が起きる技術です!」
「素晴らしいな……」
沢村総理が、日本の住宅事情を思い浮かべて涙ぐんだ。
「これで……これでもう『ウサギ小屋』とは呼ばれない。
東京の狭い土地でも、全ての国民に広いリビングを提供できる!」
「軍事利用も可能だな」
ヴォルコフが目を光らせる。
「輸送機一機で師団規模の戦力を展開できる。
兵站の概念が根本から覆るぞ」
そして九条は、最後の映像を提示した。
それは今日一番の「目玉」だった。
「そして……最後にご紹介するのは、これです。
A級魔石のさらなる活用法。
『物質転送ゲート(ショートレンジ)』」
映像には、二つのドアが映っている。
片方はビルの1階エントランス。
もう片方は、同じビルの最上階50階の社長室だ。
一人の男が1階のドアを開ける。
するとその向こうには、エレベーターホールではなく、いきなり50階の景色と社長室のカーペットが広がっていた。
男は一歩足を踏み出すだけで、50階へ移動してしまった。
「――馬鹿な」
トンプソンが葉巻を取り落とした。
「テレポーテーションか?」
「はい。
ただし長距離は不可能です。
数キロ圏内、現実的には同じビル内や隣接する施設程度ですが。
圧縮したA級魔石を二つのゲートに使用して、空間周波数を『共鳴』させることで、ドアとドアを物理的に繋げることが出来るテクノロジーです!」
「エレベーターが要らなくなるのか……」
王将軍が驚愕する。
「はい。移動時間の短縮だけではありません。
災害時の避難、セキュリティ、隔離病棟へのアクセス……。
建築という概念そのものが変わります。
階段も廊下も不要。全ての部屋がゲート一枚で繋がるのですから」
会議室は静まり返った。
提示された三つの技術。
どれ一つとっても、世界を変えるには十分すぎるインパクトを持っている。
それが同時に三つも解き放たれようとしているのだ。
「……九条」
沢村が恐る恐る尋ねた。
「これらは全て、我々の科学技術で解析できたのか?」
「いえ」
九条は首を振った。
「解析できたのは『使い方』だけです。
理論の根幹部分は、KAMI様よりご提供いただいた『並行世界のデータ』を、そのまま流用しています」
彼は苦笑いしながら、KAMIを見た。
「全て並行世界からのパクリなので、マジで訴えられる危険性がありますが……」
「あはは! 大丈夫よ!」
KAMIがケラケラと笑った。
「向こうの世界線とは因果が切れてるから、著作権法も特許法も及ばないわ。
堂々とパクりなさい。これを『異世界技術移転(Isekai Tech Transfer)』と呼ぶのよ」
「はあ……。まあ、使えるものは何でも使えですね」
九条は肩をすくめた。
「法的なリスクは(こちらの世界では)ありませんが、技術的には全て実現出来ました!
実用化の目処も立っています」
だがここで九条の声がトーンダウンした。
どんな夢の技術にも、コストという現実が付きまとう。
「ただし……問題が一つ。
魔石の消費量が心配になるほど、使うのが欠点です」
彼はグラフを表示した。
右肩上がりに急騰する、魔石の価格推移。
「視力回復薬にはC級、空間拡張にはA級(または大量のC級)、転送ゲートには高純度のA級が必要です。
これらの実証実験のために、四カ国政府が市場の魔石を秘密裏に買い占めた結果……。
F級魔石の価格までもが連鎖的に倍に跳ね上がりました」
「倍だと?」
トンプソンが顔をしかめる。
「エネルギー産業から悲鳴が上がっているぞ。
『発電コストが合わない』『ガソリンより高くなる』と」
「はい。
他用途……建設機械の動力や農業用ドローンなどで魔石を使う一般企業から激しいクレームが来ていますが……」
九条は冷徹に言い放った。
「そこは無視しましょう」
「無視か」
王将軍がニヤリとした。
「まあ小事だな。
空間拡張と転送ゲートの利益に比べれば、既存産業の不満など些末な問題だ」
「その通りです。
ですが在庫が枯渇しては元も子もありません。
なので……」
九条はKAMIに向き直った。
これは神への陳情だ。
「ダンジョンの魔石ドロップは、今後も増やさないとダメですね。
現在の供給量では、この技術革新を支えきれません。
冒険者たちにもっと潜らせ、もっと狩らせる。
あるいは、ドロップ率そのものの調整を……」
KAMIはスイカの皮を放り投げた。
「りょーかい。
まあ需要が増えるのはいいことよ。
人間が欲を出して必死にダンジョンに潜る。
それこそが私の望む『活性化』だもの」
彼女は指をパチンと鳴らした。
「次のアップデートで、魔石のドロップテーブルを調整してあげる。
その代わり、モンスターも少し強くするけどね?
リスク・アンド・リターン。
欲しいなら命がけで奪い取りなさい」
その残酷な宣言に、四人の支配者たちは、しかし獰猛な笑みで応えた。
「望むところだ」
ヴォルコフが言った。
「我々の軍隊と探索者は、より強くなっている。
魔石のためなら、地獄の底まで狩り尽くすだろう」
こうして、新たな時代の方針が決まった。
視力回復、空間拡張、転送ゲート。
神の如き技術が市場に投入され、世界はまた劇的に便利に、そしてダンジョン依存度を高めていく。
魔石価格の高騰は、新たな探索者たちをダンジョンへと駆り立てる燃料となるだろう。
KAMIは満足げに、彼らを見下ろしていた。
人類は、文明の利便性と引き換えに、彼女の掌の上から降りられなくなっていく。
それは、とても順調で、とても甘美な支配の形だった。




