第206話
東京の夜景を一望するマンションの一室。
そこは今、全宇宙で最も平和で、そして最もハイレベルな「井戸端会議」の会場となっていた。
橘栞は、愛用のワークチェアの上であぐらをかき、手元のホログラム・ディスプレイに向かって話しかけていた。
画面には文字ではなく、神々を表す個性的なアイコンやアバターが輝き、スピーカーからは彼らの「声」が直接響き渡っている。
傍らのソファでは、分身であるKAMIが、福島での実証実験成功のニュースを見ながら、
「信玄餅アイス」の残りを名残惜しそうに舐めていた。
「……というわけで、ムー大陸浮上作戦、およびそれに伴う技術供与と実証実験、無事に成功しました!」
栞がマイクに向かって明るく報告する。
「ついでに、マザー・キーパーから貰った技術で、福島とチェルノブイリの核汚染除去も完了しました。イエーイ!」
その瞬間、部屋のスピーカーが割れんばかりの歓声で震えた。
『おおおおおお!!! 素晴らしい! 素晴らしすぎるよ、栞さん!』
興奮気味に叫んだのは、イエス・キリストの声だ。
『まさか、あの核のゴミを掃除しきってしまうとは!
人類が自らの手で作り出し、そしてどうすることもできずに苦しんでいた負の遺産を、たった数日で浄化するなんて!
これは大金星だよ!!! 間違いなく人類史に残る奇跡だ!!!』
『善哉、善哉(よきかな、よきかな)』
続いて、穏やかで深みのある仏陀の声が響く。
『穢土が浄土へと近づきましたな。長年、心を痛めておりましたが、これで故郷を追われた多くの魂が救われるでしょう。
執着を離れよとは説きますが、やはり生まれ育った土地への愛着というものは、人にとって生きる糧ですからな。南無』
そして、ひときわ高い女性の弾んだ声が割り込んできた。
『ありがとう! 本当にありがとう!』
大地の女神ガイアだ。
『あの放射能のシミ、ずっとチクチクして痛かったのよ! 肌荒れも治りそうだし最高だわ!
土が喜んでいるのが聞こえるわ。微生物たちも草木も、みんな貴女に感謝してる!
愛してるわ、栞ちゃん! チュッ♡』
『すごーい! さすが栞ちゃん!』
天照大神も、鈴を転がすような声ではしゃいでいる。
『日本もこれでピカピカね! 天岩戸から見てても、空気が澄んだ気がするわ!
あの黒い袋(除染土)の山が消えた時の人間たちの顔ったら! 最高のショーだったわよ!』
神々の手放しの称賛の嵐。
音声通話ならではの熱量が部屋に満ちる。
栞は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「いやー、それほどでも……(照)。
私がやったというより、現場の人間たちが理性的に動いてくれたおかげですね。
彼ら、意外と賢明でしたよ。『兵器より掃除道具をくれ』って自分たちで選んだんですから。
マザー・キーパーに試されていると知ってか知らずか、ギリギリのところで踏みとどまりました。
人類はまだ捨てたものじゃなさそうで、私も少し嬉しいですよ」
彼女の言葉に、重厚で野太い雷鳴のような声が応じた。
ギリシャ神話の最高神ゼウスだ。
『ほう、人間が理性を?
儂の知る人間どもは、力を与えればすぐに戦争を始める愚か者ばかりだったがな。
プロメテウスの火、然り。パンドラの箱、然り。
時代は変わったということか。それとも栞殿の導きが良いのか』
「まあ、私の教育方針が良かったのかも知れませんね」
栞は苦笑した。
「彼らも学習したんでしょう。調子に乗ると痛い目を見るってことを」
だが、ここでイエスの声が少しトーンを落とし、真剣な響きを帯びた。
光があれば影がある。強力な技術は常に新たなリスクを生む。
『いや、凄いよ。核汚染除去は……本当に凄いことなんだけど。
ただ一つだけ心配なことがあるんだ。
これで「汚しても平気だ」って勘違いする人間が出てこないかな?
核戦争が起きても、後で掃除すればいいや、なんて考える指導者が現れたら……』
彼は憂いた。
『まあ、これで核戦争が起きたら笑えないからね。しっかり管理しないとダメだけどね!』
「そうですね。それは四カ国の首脳たちも一番心配してましたし……」
栞は頷いた。
「『きれいな核戦争』なんて言葉も出てました。
技術がモラルの低下を招く。皮肉なものです。
彼らには『厳重に管理せよ』と釘を刺しましたが、人間の欲望は底なしですからね」
部屋に一瞬の沈黙が流れた。
神々は知っている。人類がこれまで、どれだけの過ちを繰り返してきたかを。
「だから……」
栞は少しだけ声を低めて言った。
「まあ、もし本当に核戦争が起きて世界が滅びそうになったら……。
あの時、四カ国にだけこっそり許可した、あの『Dメール(時間遡行通信)』の裏技を使うかもしれません」
『ほう。時間操作か』
北欧の主神オーディンの独眼を思わせる鋭い声が響く。
『あれほど嫌がっていた技術を、ついに解禁したのか?』
「いえ、技術そのものは渡していません。彼らに扱える代物じゃないですから」
栞は首を振った。
「ただ『どうしても詰んだ(ゲームオーバー)』になった時だけ、私が介入して過去への通信を許可するという『保険』です。
例えば、核ミサイルの発射ボタンが押された瞬間に、1時間前の彼らに『押すな』とメールを送らせる。
歴史の修正力とタイムパラドックスの処理は、私がやりますが……まあ最終手段ですね」
『なるほど! それなら安心だね!』
イエスの声が明るさを取り戻した。
『そうだね。保険があることはいいことだよ!!!
失敗してもやり直せる。その「蜘蛛の糸」が一本垂らされているだけで、人間は絶望せずに理性を保てるかもしれない。
君は本当に慈悲深いゲームマスターだね』
「慈悲というか、私が育てた箱庭(世界)をバカな理由で壊されたくないだけですよ」
栞は肩をすくめた。
「せっかくここまで面白くなってきたのに、核の冬でリセットなんて興ざめですから」
リスク管理は万全だ。
栞はコーヒーを一口、啜った。
すると話題は再び明るい方向へと戻った。
大地の女神ガイアが、待ちきれないといった様子で声を上げたのだ。
『さてさて! 掃除が終わったなら次は美容よ! 美容!
次は「緑化」ね!!!
砂漠を緑に変えて、地球をもっとピチピチのお肌にするのよ!
サハラもゴビも全部ジャングルにしちゃいましょう!
マザー・キーパーの淡水化技術もあるんでしょ? 水を撒けばすぐに緑になるわ!
やりましょう! 今すぐ!』
そのあまりにも壮大で、そして無邪気な提案。
神としてのスケール感には感服するが、実務を担当する栞にとっては頭の痛い話だった。
「えー……」
栞は困ったように眉を下げた。
「緑化はちょっと待ってください。
付近の国と調整しないといけないので、まだまだ先ですね……」
『なんでよー!』
ガイアの不満げな声が響く。
『砂漠が森になるのよ? 誰もが喜ぶじゃない!』
「それが、そうもいかないんですよ、人間社会ってやつは」
栞は現実的なリスクを淡々と説明した。
「いきなり砂漠を森にしたら、気候変動が起きます。偏西風の流れが変わって、別の場所で洪水が起きたり、干ばつになったりするかもしれない。
それに領土問題です。不毛の砂漠だから争いがなかった場所に、豊かな森と水が生まれたら?
間違いなく戦争になります。『ここは俺の土地だ』『いや俺のだ』って。
準備なしの緑化は、緑の火薬庫を作るようなものです」
『ううう……。人間って面倒くさい生き物ね……』
ガイアがしょげた声を出す。
『せっかく綺麗にしてあげようと思ったのに。
えー、残念……』
「すみません」
栞は謝った。
「でも、イスラム圏での『魔石農業』で少しずつ緑地化は進んでますから。
劇的な変化ではなく、時間をかけた自然な変化で許してください」
『……まあいいわ』
ガイアが気を取り直したようだ。
『でも核汚染が除去されたから、今回は許しちゃう♡
放射能の痒みがなくなっただけでも、エステに行った後みたいにスッキリしたし!
ありがとうね、栞ちゃん』
「いえいえ。お役に立てて何よりです」
ガイアの機嫌も直り、通話は再び和やかな空気に包まれた。
神々は、それぞれの神話の世界から、故郷である地球の行く末を温かく、そして楽しそうに見守っている。
そんな中、突然、新しい通信が割り込んできた。
重厚な水音が響くような深淵なる声。
それは太古の海を知る知恵の神からのものだった。
『――ほう、盛り上がっているようだな。新入り』
ディスプレイに表示された名前は『Enki』。
シュメール神話の知恵と水の神。人類の創造主の一柱とも言われる最古参の神だ。
「あ、初めまして。橘栞です」
『うむ。核の浄化、そしてムー大陸の浮上、見事であった』
エンキの声は海底から響くように低く、威厳があった。
『人類もようやく、空(宇宙)と大地(地下)へ目を向け始めたようだな。
だが、忘れてはいないか?
この星の表面の七割を覆う、あの広大なる領域を』
「……海ですか?」
『そうだ』
エンキは断言した。
『宇宙もいい。地下もいい。だが足元の海もまだ未開拓だぞ。
特に「深海」。あそこには地上の資源を凌駕する富と、そして太古の秘密が眠っている。
人類は海から生まれた。だが彼らは海を忘れ、空ばかり見上げている。
彼らに母なる海の懐へ戻る道を示してやるべきではないか?』
深海。
その言葉に栞の目が輝いた。
宇宙開発、ダンジョン攻略。
そして次は、内なる宇宙とも呼ばれる深海への進出。
人類のフロンティアは、まだ残されていた。
「海……! いいですね!」
栞は身を乗り出した。
「ちょうどマザーから貰った技術に『水推進エンジン』もありますし、応用できそうです。
宇宙船の技術は、水圧さえクリアすれば、そのまま深海艇の技術にも転用できます。
つまり……『海底都市』を作らせるわけですね?」
すると、もう一つの荒々しい声が割り込んだ。
『おっ! 海の話か!?』
ポセイドンだ。ギリシャの海神が豪快に笑う。
『俺の庭を荒らされるのは癪だが……まあ、栞ちゃんなら許可してやろう!
海底神殿、作っちゃいなよ! トライデント貸してやろうか?
アトランティスの二の舞いにならないように、しっかり監修してくれよな!』
「いえ、武器は間に合ってます(笑)」
栞は笑って断った。
「でもアイデアはいただきます。
『海底都市計画』。そしてセットで『深海ダンジョン』も実装すれば盛り上がりそうですね。
水圧に耐える装備、水中での魔法、そして未知の海産物(モンスター食材)。
新しい需要が生まれますよ、これは」
『うむ。期待しているぞ』
エンキが厳かに告げた。
『人類が空と陸と海、その全てを制覇し、真の「地球の守護者」となる日を楽しみにしている。
深海には我々が残した「おまけ」も沈めてあるからな。探してみるといい』
「おまけ……? 気になりますね」
栞はメモを取った。
「わかりました。新しい宿題としてリストに追加しておきます!」
【神託:ToDoリスト更新】
地球の砂漠緑地化計画(ガイア様案件・保留中)
『信仰エネルギー変換スキル』の運用(順調)
ムー大陸の管理(四カ国へ委任中)
現代宗教家への賛辞(完了・継続中)
『因果律改変能力』の習得(進行中)
NEW!! 『深海開発および海底都市計画』(エンキ様・ポセイドン様案件)
新しい宿題をもらった。
それも最高にワクワクする宿題だ。
海底都市。
ガラスのドームから見上げる魚の群れ。
深海の熱水噴出孔を利用したエネルギー発電。
そして深海魚型モンスターとの水中戦。
想像するだけで、ゲーマーとしての血が騒ぐ。
栞は通話を終了すると、大きく伸びをした。
「……ふぅ。忙しくなりそうね」
隣のKAMIが、アイスの容器をゴミ箱に投げ捨てながら、呆れたように、しかしどこか楽しげに言った。
「また仕事増やしたの?
あなた本当にワーカーホリックね。
沢村さんたちが聞いたら、泡吹いて倒れるわよ?
『宇宙の次は海ですか!? 予算が持ちません!』って」
「いいじゃない」
栞は悪戯っぽく笑った。
「彼らも退屈するよりはマシでしょ?
それに海なら日本の得意分野よ。造船技術も海洋土木も世界一なんだから。
麻生大臣あたりは『海洋資源で大儲けだ!』って、またニヤニヤしながら電卓叩き始めるわよ、きっと」
「……ま、そうかもね」
KAMIも否定はしなかった。
「人間って、新しい遊び場を与えられると文句言いながらも、結局夢中になっちゃう生き物だしね。
水着イベントとか開催したら、また盛り上がるかしら?」
「それよ!」
栞が指を鳴らした。
「海底ダンジョンといえば、水中適応装備……つまり『魔法の水着』の実装ね!
防御力は魔法障壁で確保して、見た目は水着。
水中呼吸と高速遊泳のエンチャント付き。
これは売れるわよ……! スキン販売のドル箱ね」
二人の神(と人間)は、新たな商売のネタに花を咲かせた。
栞は窓の外の東京の夜景を見つめた。
その光の海の向こうには、本物の海が広がっている。
そしてそのさらに向こうには、宇宙が、異世界が、そして無限の可能性が広がっている。
世界は、まだ広がり続けている。
そして彼女は、その世界の拡張パックを実装する唯一のゲームマスターなのだ。
「さあ、次は深海よ。
準備しなきゃ」
彼女は再びキーボードに向かった。
神のゲームは終わらない。
次なるステージの設計図を、彼女は楽しそうに描き始めた。
その夜。
日本の近海、深さ数千メートルの海底で、巨大な地殻変動のような魔力の揺らぎが観測された。
それは、新たな冒険の舞台が産声を上げた合図だった。
人類はまだ知らない。
足元の暗闇の中に、眩いばかりの青い光が灯り始めたことを。




