第205話
東京・永田町。
日本の政治の中枢は、かつてないスピード感で動いていた。
『ムー大陸技術・特別措置法』。
通称「浄化法」と呼ばれるこの法案は、KAMIの威光と四カ国の合意を背景に、異例の全会一致で国会を通過しようとしていた。
だが、その政治的な動きと並行して、もう一つの、より静かで、しかしより熱いプロジェクトが動き出していた。
場所は、福島県・大熊町。
かつて原子力発電所が立地し、震災以来、帰還困難区域として時が止まっていた場所。
その一角に、巨大なプラントが突如として出現していた。
『環境再生・特別実証試験場』。
厳重な警備に囲まれたその施設には、日本の建設会社、重工メーカー、そして『月読研究所』の科学者たちが集結していた。
彼らが囲んでいるのは、ムー大陸から持ち帰ったデータを基に、日本の技術で再現・建造された、高さ10メートルほどの白銀の塔だった。
『放射能汚染除去装置・試作一号機(コードネーム:アマテラス)』。
その起動実験の日。
現地対策本部には、防護服に身を包んだ沢村総理と、九条官房長官(の本体)が訪れていた。
彼らは、この歴史的瞬間を、モニター越しではなく、自らの目で見届けることを選んだのだ。
「……総理。準備が整いました」
プロジェクトリーダーである東都大学の教授が、緊張した面持ちで報告する。
「半径500メートルの試験区画内には、高線量の汚染土壌と瓦礫が、そのまま残されています。
理論上は、この装置から照射される『浄化波動』が、放射性物質の原子核に直接干渉し、崩壊を促進させて、安定同位体へと変換します。
……成功すれば、数時間で、このエリアの線量は自然界レベルまで低下するはずです」
「……数万年かかると言われた浄化が、数時間か」
沢村は、目の前の白銀の塔を見上げた。
「ムーの技術とは、恐ろしいものだな」
「ええ。ですが、これは希望の塔です」
九条が静かに言った。
「始めましょう、総理」
「うむ。……起動せよ!」
沢村の号令と共に、スイッチが押された。
ブォォォン……。
低い駆動音と共に、塔の先端にあるクリスタル状のパーツが、淡い青色の光を放ち始める。
その光は、波紋のように周囲へと広がっていく。
音はない。衝撃もない。
ただ、静かな光が、汚染された大地を、廃屋を、そして枯れ木を、優しく包み込んでいく。
モニターに表示されたガイガーカウンターの数値が、狂ったように変動し始めた。
「線量、低下しています!
毎時100マイクロシーベルト……50……10……!」
オペレーターの声が上ずる。
「減少速度、予測通り!
いえ、予測以上です!
土壌中のセシウム、ストロンチウムの反応が……消えていきます!」
一時間後。
光が収束した。
そこには、見た目には何も変わらない風景があった。
崩れた家屋、雑草の生い茂る庭。
だが、モニターの数値は「0.05マイクロシーベルト」という、東京の街中と変わらぬ正常値を示していた。
「……成功だ」
教授が震える声で宣言した。
「浄化完了。……この土地は甦りました」
わっと歓声が上がる。
抱き合う技術者たち。
涙を流す地元自治体の関係者。
沢村は、防護マスクを外した。
そして、胸いっぱいにその場の空気を吸い込んだ。
かつては「死の空気」と呼ばれたその風は、今はただの、冬の冷たい風の匂いがした。
「……帰れるんだな」
沢村が呟いた。
「人々は、この土地に帰れるんだな」
「はい」
九条が頷いた。
「除染土の最終処分場問題も、これで解決します。
汚染水も、この技術を応用したプラントで処理すれば、真水として海に流せる。
……日本の戦後は終わっていなかった。震災も終わっていなかった。
ですが今、日本当の意味での『復興』が始まります」
そのニュースは、日本中を感動で包み込んだ。
避難先で暮らしていた高齢者たちが、ニュースを見て涙を流す映像が流れる。
「死ぬ前に、もう一度あそこで畑をやりたい」。その願いが叶う日が来たのだ。
だが、この光景を複雑な思いで見つめる者たちもいた。
世界中の軍事関係者と、エネルギー産業のトップたちだ。
***
アメリカ、ペンタゴン。
国防総省の会議室では、日本の実験成功を受けて、緊急の戦略会議が開かれていた。
「……見たか。日本の実験は成功した」
統合参謀本部議長のマッカーサー将軍が、苦い顔で言った。
「あの技術があれば、核汚染地域を短期間で無害化できる。
それは素晴らしいことだ。人道的にはな。
だが軍事的には……悪夢だ」
彼は、シミュレーション地図を表示した。
「敵国が戦術核を使用し、我々の艦隊や基地を壊滅させる。
通常なら、その地域は数十年、汚染により立ち入り禁止となる。
だが、この浄化技術があれば、敵は核を使用した直後に、その地域を浄化し、占領・利用することが可能になる。
『核の使用』に対する心理的・物理的ハードルが、劇的に下がってしまうのだ」
「大統領は、技術の管理を徹底すると仰っていますが……」
部下が尋ねる。
「KAMIも警告していました。技術流出のリスクを」
「ああ。だが技術とは、水のようなものだ。一度生まれれば、必ず低い方へと流れていく。
テロリストや独裁国家が、この『掃除機』を手に入れるのは時間の問題だ。
その時、世界はどうなる?
『汚せば、掃除すればいい』という理屈で、核ミサイルが飛び交う戦場になるのか?」
マッカーサーは、拳を握りしめた。
「我々は、新たな抑止力を考えねばならん。
核に代わる、あるいは核をも無力化する絶対的な力を。
……『宇宙軍』と『魔導兵器』の開発を急げ。
平和ボケした日本人が復興を喜んでいる間に、我々は次の戦争に備えねばならんのだ」
***
ロシア、チェルノブイリ立ち入り禁止区域。
錆びついた観覧車と、廃墟と化したプリピャチの街並み。
そこに、ヴォルコフ将軍率いるロシア軍の車列が到着していた。
彼らが持ち込んだのは、日本と同じく、ムーの技術で建造された巨大な浄化装置だ。
「……ここを浄化する」
ヴォルコフが冷徹な目で廃墟を見渡した。
「30年間、我々の国土に突き刺さっていた棘を抜くのだ。
そして、この広大な土地を再び、ロシアの富を生む農地と工場へと変える」
彼の隣には、オリガルヒ(新興財閥)の代表が立っていた。
「将軍。浄化後の土地の開発権は、約束通り我々に?」
「ああ。好きにするがいい。
ただし……」
ヴォルコフは声を潜めた。
「地下施設の建設だけは、軍が管理する。
この場所は、極秘の研究を行うにはうってつけだからな。
『かつての汚染地帯』という悪名は、最高の隠れ蓑になる」
ロシアは、復興の裏で着々と軍事要塞化を進めようとしていた。
平和利用という美名の下で、新たな力が胎動する。
***
そして中国。
北京の中南海では、王将軍が別の「ムーの遺産」に熱狂していた。
「……オリハルコン。魔力を通す金属か」
彼の手元には、銀色に輝く金属片があった。
ムー大陸から持ち帰ったサンプルを基に、国内の製鉄所で試験精錬された、中国製オリハルコンの第一号だ。
「これを使えば、魔導兵器の性能は飛躍的に向上する。
今までの鋼鉄では、魔力を込めると熱で溶けてしまっていたが、これなら耐えられる。
高出力の魔導砲、魔力駆動の戦車、そして強化外骨格……」
王将軍は地図を広げた。
「ムー大陸の鉱脈採掘権は、四カ国で等分することが決まっている。
だが、加工技術においては、我が国が世界をリードせねばならん。
『世界の工場』としての意地を見せろ。
オリハルコン製品のシェアを独占し、世界経済の首根っこを押さえるのだ」
彼は科学者たちに命じた。
「民生品も作れ。
魔力で動くスマホ、家電、自動車。
『魔導家電』だ。
日本やアメリカの製品を駆逐し、世界中の家庭に、中国製の魔導製品を送り込め」
***
東京、マンションの一室。
KAMIは、世界中で巻き起こる、この新たな「開発競争」を複数のウィンドウで同時に監視していた。
福島の涙、ペンタゴンの焦り、ロシアの野心、中国の商魂。
その全てが、彼女にとっては極上のエンターテイメントだった。
「……ふふ。人間って、本当にたくましいわね」
彼女は限定品の「信玄餅アイス」を食べながら笑った。
「私が与えた『掃除道具』や『素材』を、こうもあっという間に、自分たちの欲望のために使いこなしてしまうんだもの。
核戦争の危機? 経済戦争?
いいじゃない。停滞するよりは、ずっとマシよ」
本体の栞が、コーヒーを片手に言った。
「でも福島の人たちが喜んでるのは、素直に良かったと思うわよ。
あそこだけは見てて心が痛かったし」
「あら、あなた意外とセンチメンタルね」
KAMIがからかう。
「まあ、私も嫌いじゃないわよ。ハッピーエンドは。
でもハッピーエンドの次には、必ず続編があるものよ」
彼女は、アイスの空き容器をゴミ箱に投げ入れた。
スリーポイントシュート。
「さあ、次のイベントの準備でもしましょうか。
復興の次は冒険よ。
平和ボケした人間たちに、また少しだけスパイスを与えてあげないとね」
世界は動いている。
浄化された大地の上で、新たな野望の種が芽吹き、そして未知なる過去の影が忍び寄りつつあった。
神のゲームは、中盤戦のクライマックスへと向かっていた。




