第203話
地下迷宮の最深部。
そこは、それまでの無機質な通路とは一線を画す、圧倒的な神聖さと、そして物理法則を超越したエネルギーの奔流に満ちた空間だった。
バーンズ大佐率いる突入班は、最後の機械兵団を辛くも退け、巨大な扉の前に立っていた。
装甲服は焦げ、弾薬は底をつきかけ、魔法使いたちのマナも枯渇寸前だ。
だが彼らの瞳には、達成感と、そして未知への畏怖が宿っていた。
「……ここが心臓部か」
バーンズが、焼け焦げた手で扉に触れる。
重厚なオリハルコンの扉が、音もなく滑るように開いていく。
その向こうに広がっていたのは、光の海だった。
直径数百メートルはあろうかという巨大なドーム状の空間。
その中央に、太陽の如き輝きを放つエネルギーの塊が鎮座している。
『太陽の心臓』。
ムー文明を支えた無限動力炉。
その光は眩しいが、決して目を射るような痛々しさはない。
むしろ、母の胎内のような温かさと、絶対的な安心感を漂わせていた。
そして、その光の炉心の上空に――それは浮かんでいた。
人の形をしていない。
立方体、正四面体、球体……。
純粋な光で構成された幾何学図形が、高速で回転し、変形し、融合と分裂を繰り返している。
それは実体を持たない、純粋な「知性」の輝きだった。
『――侵入者検知。脅威レベル測定不能。所属不明』
空間そのものを震わせるような、性別も年齢も感じさせない、しかし絶対的な理知を感じさせる声が、隊員たちの脳内に直接響いた。
『警告する、野蛮なる者たちよ。
ここは聖域である。直ちに退去せよ。
さもなくば浄化システムを起動し、その存在原子を分解する』
幾何学図形が赤く明滅し、鋭角的な攻撃形態へと変形する。
空間の温度が急激に下がる。
殺気などという生ぬるいものではない。
「消去」の意思だ。
「ま、待ってください!」
三神編集長が、銃を構えようとする兵士たちを制して前に飛び出した。
彼はサングラスを外し、その幾何学的な光に向かって両手を広げて叫んだ。
「我々は敵ではありません!
我々は地上の……現代の人類です!
貴方達が眠りについてから、一万年以上の時を経て、再びこの地を訪れた後継者です!」
『後継者……?』
光の集合体が、一瞬回転を止めた。
そして、まるで顕微鏡で微生物を観察するかのような冷徹な「視線」が、三神たちを貫いた。
『スキャン開始……。
炭素ベースの有機生命体。遺伝子構造は、かつての「管理者」たちと99.9%一致。
……だが、その文明レベルは未熟。精神性は幼稚。
所有している武器は、野蛮な火薬式投射機と、原始的な魔力制御技術の混合物。
……汚らわしい』
光の図形が、軽蔑を表すように歪んだ。
『お前たちは継承者ではない。
かつて我々が管理していた庭に勝手に湧いた「雑草」だ。
しかも、この星を汚し、同族同士で殺し合い、あまつさえその汚れた足で、この聖域を踏み荒らす。
……排除が妥当である』
冷酷な審判。
ピラミッドの防衛システムが唸りを上げる。
天井から無数の砲口がせり出し、エネルギーの充填音が響き渡る。
全滅。
その二文字が全員の脳裏をよぎった。
その時。
小此木が震える手で懐から「あるもの」を取り出し、高く掲げた。
「お、お待ちください!
我々には後ろ盾がいます!
この……KAMI様からの紹介状が!」
彼が掲げたのは、KAMIから渡された(というより押し付けられた)一枚の奇妙な紋章が刻まれたプレートだった。
そのプレートが動力炉の光を受けて、虹色に輝いた。
『……!』
光の集合体が激しく明滅した。
攻撃シークエンスが停止する。
『その波動……。その無秩序で混沌としていて、しかし絶対的な権限を持つコードは……。
「管理者」……いや「創造主」クラスのID?』
AIの声に、初めて「動揺」の色が混じった。
光の図形が困惑するように形を変える。
『まさか……上位存在が現世に降臨しているというのか……。
お前たちのような未熟な種を、この場所へ導いたというのか?』
どうやらこの厳格なAIにとって、KAMIという存在は「頭の痛い上司」のような認識らしい。
「そ、そうです!」
小此木は必死に食い下がった。
「KAMI様は我々にチャンスを与えてくださいました!
我々が貴国の遺産を受け継ぐ資格があるかどうか。
それを確かめろと!」
『……あの御方が、そう仰ったのか』
AIは深いため息のような波動を放った。
光の図形がゆっくりと安定した球体へと戻っていく。
『理解した。
上位権限者の意向を無視することは、我がプロトコルに反する。
……よかろう。排除は中止する。
私はこの「ムー大陸中央管理システム」の統括AI。
名は……お前たちの言語で言うなら「マザー・キーパー」とでも呼ぶがいい』
「マザー……!」
三神が感嘆の声を上げる。
『だが、勘違いするな』
マザーの声が、再び氷点下まで下がった。
彼女(?)は調査団の面々を、汚物を見るかのような冷ややかな気配で見下ろした。
『排除はしない。だが歓迎もしない。
お前たちの文明レベル、精神レベル、そして環境汚染の状況……。
その全てをスキャンしたが、結論は「不合格」だ。
お前たちは野蛮な猿に毛が生えた程度の存在に過ぎない。
そのような未熟な種族に、我がムーの叡智の全てを渡せばどうなるか』
マザーは断言した。
『自滅する。
お前たちはその力で互いを殺し合い、この星を焦土と化すだろう。
かつてのアトランティスのように。
……故にアクセス権限は認めない。即刻立ち去れ』
拒絶。
やはり人類には早すぎたのだ。
「そんな……!」
バーンズ大佐が叫んだ。
「我々はここまで来たのだぞ!
多くの危険を冒し、犠牲(負傷者)を出しながら!
手ぶらで帰れというのか!」
『命があるだけ、マシだと思え』
取り付く島もない。
だがここで三神が一歩前に進み出た。
彼はオカルト編集長としての情熱と、そして人類の代弁者としての矜持を込めて、マザーに対峙した。
「マザー・キーパーよ。
貴女の懸念は、もっともです。
我々は愚かで、争いを好む種族かもしれません。
ですが……我々は変わりつつあるのです」
彼はKAMIがもたらしたダンジョンのこと、
それによって世界が一つになりつつあること、
そして先日のポーションによる奇跡のことを語った。
「我々は力を独占するのではなく、分かち合うことを学び始めています。
この調査団を見てください。
かつては敵対していた国々が、手を取り合ってここまでたどり着いたのです。
これは我々が進歩している証拠ではありませんか?」
『……ふん』
マザーは鼻を鳴らした(ような音がした)。
『呉越同舟。利益のための一時的な協力に過ぎん。
喉元過ぎれば、また殺し合うのがオチだ』
「かもしれませんが!」
小此木も叫んだ。
「それでも我々は未来を信じたいのです!
地球は今、限界を迎えています。
環境汚染、エネルギー不足、水不足……。
我々自身の過ちによって、この星は悲鳴を上げています。
貴女が守ろうとした、この地球を我々自身の手で救うために……。
どうか、その知恵の一部だけでも、お貸しいただけないでしょうか!」
小此木の悲痛な訴え。
マザーは沈黙した。
光の図形が複雑に明滅を繰り返す。
彼女は今、膨大な演算能力を使って人類の未来をシミュレートしているのだ。
数分後。
マザーは静かに告げた。
『……環境汚染。
確かに、お前たちの星の汚染レベルは、看過できない水準にある。
大気、海洋、土壌……。
特に、あの「核」と呼ばれる原始的で汚らわしいエネルギーの残滓。
あれは、この星の生命圏にとって害悪でしかない』
彼女の「視線」が、少しだけ和らいだ。
『……よかろう。
お前たちが「掃除」をするというのなら、掃除道具くらいは貸してやろう。
ただし条件がある』
「条件……?」
『兵器技術は一切渡さない。
攻撃的な魔法、破壊のための科学、戦略兵器の設計図。
それらのアクセス権は永久にロックする。
お前たちに渡すのは、あくまで「生きるため」「星を守るため」の、最低限の民生技術のみだ』
彼女は厳格な教師のように告げた。
『それ以上を望むなら、今ここで焼き払う。
……どうだ?』
バーンズと小此木は顔を見合わせた。
軍人としては不満だが、人類としては十分すぎる成果だ。
兵器は作れない。
だが国力は劇的に上がる。
「……受け入れます」
小此木が代表して答えた。
「我々は平和利用のために、その技術を使います」
『口約束など信じぬが……まあいい』
マザーは光の触手を伸ばし、空中に五つの輝くデータ結晶を生成した。
『持って行け。
これがお前たちへの「手切れ金」であり、そして「試練」だ』
一つ目の結晶が、小此木の前に浮かぶ。
中には銀色に輝く金属のインゴットの映像が見える。
『一つ目。新素材【オリハルコン】の採掘権と、その加工技術。
これは魔力を通す最高の伝導体だ。
お前たちの未熟な魔導機器も、これを使えば少しはマシになるだろう。
ただし、採掘できる場所は私が指定したエリアのみ。乱獲は許さん』
二つ目の結晶。
中には透き通るような水の映像。
『二つ目。環境技術【超高効率・海水淡水化プラント】の設計図。
魔石の力を利用し、海の水を瞬時に大量に、そして完全に浄化された真水に変える技術だ。
これがあれば、水不足などという愚かな理由で争う必要もなくなるだろう』
三つ目の結晶。
中にはふわりと浮かぶ岩石の映像。
『三つ目。移動技術【汎用重力制御システム】の基礎理論。
重力を操り、物体を浮遊させる技術だ。
これを使えば、お前たちの不格好な車や飛行機も、少しはスマートに空を飛べるようになるだろう。
物流の革命を起こせ。排気ガスを撒き散らすな』
四つ目の結晶。
中には光が闇を浄化する映像。
『四つ目。これが最も重要だ。【放射能汚染除去技術】。
お前たちが撒き散らした核のゴミ、汚染された大地や海を、分子レベルで完全に無害化する技術だ。
……これは褒美ではない。
自分たちの尻拭いをさせるための掃除用具だと思え。
この星を、これ以上汚すな』
そして五つ目の結晶。
中には複雑な魔法陣と、数式が絡み合う映像。
『そして最後。【魔導工学基礎理論】。
これら全ての技術を、お前たちの未熟な科学レベルで理解し、再現するための「取扱説明書」だ。
電気と魔力を変換する回路、オリハルコンの精錬法、安全装置の組み方……。
基礎から叩き込んでやる。よく勉強するのだな』
五つの光が、調査団の持っていたデータストレージへと吸い込まれていく。
それは人類の歴史を数百年分、一気に進めるほどの途方もない価値を持つデータだった。
「……感謝します、マザー」
三神が震える声で礼を言った。
「これは我々にとって、最高の贈り物です」
『フン。感謝などいらん』
マザーはそっぽを向いた。
『……だが、もう一つだけ。おまけだ』
彼女は指先(のような光)を弾いた。
すると三神と、そして救出されたデュポン博士の前に、小さな鍵穴のようなアイコンが浮かび上がった。
『お前たちの「知りたい」という欲求。
その浅ましさは不愉快だが、その熱意だけは、かつてのムーの学者たちを思い出させる。
……特別に【アカシックレコード】への限定アクセス権を与えてやろう』
「本当ですか!?」
デュポン博士が狂喜乱舞して飛びついた。
『ただし!』
マザーは釘を刺した。
『閲覧できるのは「レベル1」の情報のみ。
古代の農業、芸術、風俗、哲学……そういった害のない文化的な記録だけだ。
兵器の設計図や、未来の予言、歴史の闇といった危険な情報には一切アクセスさせん。
そして……』
彼女の光が、監視カメラのように二人を見据えた。
『閲覧中は常に私が横で監視する。
変な検索をしたり、禁止区域に入ろうとしたら、即座に接続を切断し、記憶を消去する。
……分かったな?』
口うるさい管理者付きの限定図書館。
だがそれでも学者たちにとっては天国だった。
失われた歴史を知ることができる。
それだけで十分だった。
「はい! 従います! 大人しく読みます!」
デュポン博士が子供のように頷く。
『よろしい。
では用は済んだ。
とっとと出て行け』
マザーの光が強く輝いた。
空間転移の準備だ。
『大陸を浮上させる。
これよりムー大陸は「フェーズ2」へと移行する。
お前たちは地上に戻り、せいぜい与えられたおもちゃで遊んでいろ』
ブォォォン……!
強制転送の光が、調査団を包み込む。
視界が白く染まる中、最後にマザーの声が響いた。
『次に会う時までに、少しはマシな文明になっていることを期待しているぞ。
……猿どもめ』
***
シュンッ!
次の瞬間、彼らは木更津の駐屯地に戻っていた。
全員無事。
そしてその手には、人類の未来を変える「五つの秘宝」と、そして「口うるさい家庭教師(AI)」とのコネクションが握られていた。
そしてその直後。
太平洋上で、世界を揺るがす地殻変動が起きた。
ズズズズズズ……!
海が割れ、空が震える。
ハワイの南、何もない海域から巨大な影がせり上がってきた。
海水が滝のように流れ落ち、虹がかかる。
現れたのは、オーストラリア大陸に匹敵する広大な大地。
緑のジャングル、黄金のピラミッド、そして白亜の未来都市の廃墟。
ムー大陸が、一万年の眠りから覚め、浮上したのだ。
だがそれは海面には止まらなかった。
重力制御システムが稼働し、大陸そのものが、ゆっくりと、しかし確実に空へと昇り始めた。
高度3000メートル。
雲海の上に浮かぶ、天空の大地。
世界中の衛星が、その姿を捉えた。
ニュース速報が、地球全土を駆け巡る。
『速報:太平洋上に巨大な浮遊大陸が出現!』
『伝説のムー大陸か!?』
『国連調査団、無事帰還! 持ち帰ったのは「夢の技術」!』
***
官邸地下。
沢村と九条は、モニターに映る浮遊大陸の威容を見上げ、呆然としていた。
「……浮いたな」
沢村が呟いた。
「本当に空に浮いている……」
「ええ。
そして中身は『お説教好きなAI』でしたか」
九条が現地からの報告書を読み、苦笑した。
「兵器はなし。
あるのは、水を造り、空を飛び、そして地球を掃除する技術だけ。
……麻生大臣は『金になる!』と喜んでいますが、トンプソン大統領とヴォルコフ将軍は『ビームがない……』と肩を落としているそうです」
「ハハハ、最高じゃないか」
沢村は、心の底から笑った。
「人類に一番必要なものを、あのAIは正確に理解していたようだ。
武器ではなく、生活の糧を。
破壊ではなく、再生の技術を」
彼はモニターの中のピラミッドに向かって、心の中で敬礼した。
「感謝するよ、マザー・キーパー。
君のおかげで我々は、また少しだけ、滅びから遠ざかることができたようだ」
こうしてムー大陸騒動は、人類にとって「最高のハッピーエンド(ただし宿題付き)」という形で幕を閉じた。
オリハルコンによる魔導産業革命。
水不足の解消。
放射能汚染の浄化。
そして空飛ぶ車(重力制御)の実用化。
世界は、SFとファンタジーが融合した新しい「魔科学」の時代へと突入していく。
そしてその中心には、常にあの口うるさいAIがいて、
人類が道を踏み外そうとするたびに「ダメです」「許可しません」と釘を刺し続けるのだ。
それは人類にとって少し窮屈だが、この上なく安全で、そして進歩的な「管理社会」の始まりでもあった。
東京のマンションでKAMIはニュースを見ながら、満足げにメロンパンをかじっていた。
「……ふふ。マザーったら、予想通り堅物なんだから。
でもまあ、いい先生役にはなるでしょ。
これで地球も、少しは綺麗になるかしらね。
邪神も復活しなかったし120点ね!」
彼女は窓の外の青い空を見上げた。
その遥か向こう、太平洋の空に浮かぶ新しい隣人に、小さく手を振った。
「おかえり、ムー。
さあ、ゲームの続きをしましょうか」




