第202話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の命運を、その掌中で握りつぶしかねない四つの巨大な権力が、細く、しかし強固なデジタル回線で結ばれていた。
最高機密バーチャル会議室。
この日、その空間を支配していたのは、かつてないほどの焦燥感と、そして情報の完全な欠落がもたらす底知れぬ恐怖だった。
太平洋上の絶海に出現が予測されている『ムー大陸』。
そこに送り込まれた多国籍特別調査団(UN-MUE)からの定時連絡が途絶えてから、既に三十時間が経過していた。
衛星通信、量子暗号通信、魔導通信機に至るまで、あらゆるチャンネルが沈黙している。
現地周辺の海域に展開する各国の艦隊からも、
「大陸を覆う強力な電磁障壁、あるいは結界により、内部の様子は一切観測不能」
という絶望的な報告しか上がってこない。
円卓を囲む四人の指導者たち――日本の沢村総理、アメリカのトンプソン大統領、中国の王将軍、ロシアのヴォルコフ将軍。
その顔色は一様に土気色だった。
彼らは「神のいない間」に世界を管理しようと必死だった。
だが今、彼らは思い知らされていた。
神の作った箱庭の中で迷子になった子供たちを救う術など、人間は持ち合わせていないのだということを。
「……応答なしか」
議長役の九条官房長官が、渇いた声で呟いた。
彼の手元のコンソールには、無数の「接続失敗(Connection Failed)」のエラーログが表示されている。
「KAMI様へのホットラインも、以前として不通です。
いえ、正確には……呼び出し音は鳴っていますが、応答がない。
これは通信障害ではなく、意図的な『無視』である可能性が高い」
「無視だと……!?」
トンプソン大統領が、机を拳で叩いた。
「200名の精鋭と世界の頭脳を送り込ませておいて、梯子を外すというのか!
彼らは今、どうなっている!?
全滅したのか?
それとも囚われているのか?」
「分かりません」
王将軍が、苦渋に満ちた表情で首を振った。
「我々の偵察衛星が捉えたのは、一瞬の光の明滅だけだ。
あれが転移魔法陣の発動光なのか、
それとも……迎撃システムによる閃光なのかさえ、判別がつかん。
完全なるブラックボックスだ」
「……最悪の事態を想定せねばならん」
ヴォルコフ将軍が、冷徹に、しかし重々しく言った。
「もし彼らが全滅していた場合、
それは『ムーの防衛システム』が稼働しており、かつ極めて強力であることを意味する。
あるいは……」
彼は言葉を濁したが、その意味するところを全員が理解していた。
「あるいは、未知のウイルスか、精神汚染か」
沢村が震える声で、その可能性を口にした。
「古代の遺跡には付き物だ。
封印されていた病原菌、あるいは侵入者の精神を破壊する呪い。
もし調査団がそれに感染し、正気を失っていたとしたら……。
彼らが帰還すること自体が、地球全体への脅威となり得る」
沈黙。
あまりにも恐ろしい想像が、会議室の空気を凍りつかせる。
彼らは救助を望んでいる。
だが同時に、その救助対象が「トロイの木馬」となって世界を滅ぼす可能性に怯えていた。
「……だが、指をくわえて待つわけにはいかん」
トンプソンが決断した。
「第二陣の準備を進めるべきだ。
今度は偵察ではない。完全武装の救出部隊だ。
NBC(核・生物・化学)防護服を装備し、あらゆる汚染に対応可能な体制で……」
「お待ちください」
九条が制止した。
「KAMI様が応答しない以上、転送魔法陣を再び起動する手段がありません。
物理的に接近しようにも、結界が阻んでいる。
下手に刺激すれば、大陸からの反撃を招きかねない」
八方塞がり。
神の気まぐれな沈黙の前で、世界最強の権力者たちは、ただの無力な傍観者でしかなかった。
「……祈るしかないのか」
沢村が天を仰いだ。
「彼らの無事と、そして理性を信じて」
***
その頃。
地球側が絶望的な沈黙に包まれていたのとは対照的に、ムー大陸の現地では、理性の均衡が崩れかけたギリギリの攻防が繰り広げられていた。
翌朝。
ピラミッド前庭のベースキャンプ。
夜明けと共に、キャンプ地は異様な喧騒に包まれていた。
「離せ! 離せと言っているんだ!」
「行かせろ! あそこには真理があるんだ!」
怒号が飛び交う。
騒ぎの中心にいるのは、フランスのデュポン博士をはじめとする学者チームの一団だった。
彼らは目を血走らせ、口角に泡を溜めながら、ピラミッドの入り口に向かって突進しようとしていた。
それを各国の兵士たちが必死に体で止めている。
「落ち着いてください、博士! 許可が出ていません!」
「うるさい! 軍人の分際で、我々の研究を邪魔するな!」
昨夜の「アカシックレコード」への接触。
その甘美な体験は、学者たちの魂を完全に虜にしていた。
一度知ってしまった「全知」の味。
それに比べれば、この現実世界の制限だらけの研究など、泥遊びにも等しい。
彼らは禁断症状に苦しむ中毒患者のように、ただひたすらに、あの光の海へ戻ることを渇望していた。
「……ひどい有様ですね」
その光景を、少し離れた指揮テントから見つめる男たちがいた。
総指揮官バーンズ大佐、日本代表の小此木、そして『ムー』編集長の三神だ。
「精神汚染……というよりは、強烈な依存症に近いか」
三神が冷静に分析する。
「知識欲という、人間の根源的な欲求を、リミッターなしで刺激された結果です。
彼らの理性はまだ残っていますが、優先順位が完全に書き換えられている。
『生存』よりも『探求』が上位に来てしまっている」
「厄介だな」
バーンズが舌打ちをした。
「このままでは暴動が起きる。
かといって彼らを拘束すれば、調査が進まない。
あのピラミッドの機能を解析できるのは、彼ら専門家だけなのだから」
ジレンマ。
狂った学者たちの頭脳を使わなければ、脱出の道は開けない。
だが彼らを自由にさせれば、全員が破滅へと突き進む。
「……妥協点を探るしかありません」
小此木が提案した。
「『内部への侵入は禁止』。これは絶対です。
ですが『外部からの解析』ならば許可する。
ピラミッドの外壁にあるコンソールや、ドローンを使った非接触調査。
それによって『帰還の方法』を見つければ、その功績として再び内部へのアクセス権を検討する……と、餌をぶら下げるのです」
「……毒をもって毒を制すか」
バーンズは頷いた。
「よし、それでいこう。
三神君が説得してくれ。
彼らは軍人の言葉には耳を貸さないが、同じ『真理を追う者』としての君の言葉なら、多少は響くかもしれん」
「やれやれ、大役ですね」
三神は苦笑しながらサングラスを直した。
「まあ私も、あの光景を見たいという欲求はありますからね。
彼らの気持ちは痛いほど分かりますよ。
……だからこそ、ここで全滅するわけにはいかない」
三神はテントを出て、狂乱する学者たちの元へと歩み寄った。
「――諸君!」
彼の一喝が響く。
「静まりたまえ!
君たちは、あの『知の殿堂』に相応しい知性を持っていると、自負しているのではないのか!?」
その言葉にデュポン博士がハッとして振り返る。
「……三神君か。君なら分かるだろう!
あそこには全てがある! 人類の歴史の全てが!」
「ええ、分かりますとも」
三神は深く頷いた。
「私も見ました。あれは奇跡です。
ですが博士、考えてもみてください。
あの膨大なデータを、今の我々の貧弱な肉体と精神で、全て受け止めきれると思いますか?
昨夜の数分でさえ、我々は帰還時に激しい拒絶反応を起こしました。
準備なしに深入りすれば、脳が焼き切れるか、魂が彼方へ飛んでいって帰ってこられなくなる」
彼は諭すように言った。
「真理を得ても、それを持ち帰って発表できなければ、学者としての死です。
まずは『生きて帰る道』を確保しましょう。
ピラミッドの外壁には、転送装置の制御盤と思われる回路が露出しています。
あれを解析し、地球へのゲートを開く。
そうすれば、安全な設備と万全の体制を整えて、何度でもここに来られるようになります」
「……何度でも?」
デュポン博士の目に、理性の光が戻り始める。
「ええ。KAMI様との交渉材料にもなります。
『我々は自力でシステムを解析した』と示せば、彼女も更なるアクセス権を認めてくれるでしょう。
……急がば回れです」
その説得は功を奏した。
学者たちは不満げながらも、その論理の正しさを認めざるを得なかった。
「……分かった。協力しよう」
「だが約束だぞ。帰還ルートが確立したら、必ず内部調査を再開させると」
こうして狂気の暴動は寸前で回避された。
調査団は再び組織としての機能を取り戻し、本来の目的である「脱出ルートの確保」へと動き出した。
***
調査再開。
ピラミッドの正面、巨大なゲートの脇にある壁面。
そこには昨夜、三神が発見した複雑な幾何学模様――制御コンソールらしきものが刻まれていた。
佐伯(月読研究所のプログラマー)を中心とする技術班が解析機器を接続する。
三神と言語学者が古代文字の解読を進める。
「……構造が見えてきました」
佐伯がホログラムの画面を操作しながら報告する。
「このピラミッド、ただの転送装置ではありません。
これは巨大な『ネットワーク・ハブ』です。
大陸全土に張り巡らされたエネルギーライン、防衛システム、環境維持装置……。
その全てがここに集約され、制御されています」
「つまり、ここを掌握すれば、ムー大陸全てをコントロールできると?」
バーンズが問う。
「理論上は。
ですがセキュリティが堅固すぎます。
生体認証、魔力波長認証、そして精神パターンの照合……。
幾重ものロックがかかっていて、我々の権限では『ゲスト』としての閲覧しか許されていません」
「ゲストか……」
昨日の機械たちの言葉が蘇る。
『オキャクサマデスカ?』
「ですが、一つだけアクセス可能な項目があります」
佐伯が指差した。
「『外部ゲート接続』。
これを使えば、任意の座標への転送ゲートを開くことができるようです。
ただし……」
「ただし?」
「『エネルギー充填率』が足りません。
現在、このシステムの稼働率は、わずか5%の『待機モード(スリープ)』です。
大陸間転移のような大規模なゲートを開くには、メイン動力を起動させ、出力を上げる必要があります」
「動力炉はどこだ?」
「……地下です」
三神が解読した碑文を読み上げる。
「『太陽の心臓』。
ピラミッドの最深部、地下迷宮の奥底に、その動力源は眠っている」
地下。
アカシックレコードのある上層ではなく、物理的な実体のある地下階層。
そこにはまだ、誰も足を踏み入れていない。
「……行かねばならんか」
バーンズが決断した。
「動力炉を再起動させなければ、我々は帰れない。
調査隊を編成する。
今度は電子空間ではない。物理的なダンジョン探索だ」
彼は各国の精鋭部隊を見渡した。
「戦闘準備。
地下には、昨日のような親切な案内ロボットだけでなく、侵入者を排除する防衛システム(ガーディアン)が待ち構えている可能性が高い。
総員、武装のチェックを怠るな!」
***
その時。
ピラミッドの上空、灰色の空に異変が起きた。
ブゥン……という重低音と共に空間が歪み、巨大な影が投影されたのだ。
「――敵襲か!?」
兵士たちが銃を構える。
だが現れたのは敵ではなかった。
それは巨大なホログラム・ウィンドウだった。
そしてそこに映し出されたのは、見慣れた、そして待ちわびた姿。
『――あー、テステス。聞こえる?』
ゴシック・ロリタ姿の少女、KAMI。
彼女はまるでテレビ電話でもかけるかのように気楽な様子で手を振っていた。
「KAMI様!!」
小此木が涙を流さんばかりに叫んだ。
「通信が繋がったのですか!?」
『ううん、繋がってないわよ』
KAMIはあっさり否定した。
『これは一方的な放送。
あなたたちの声は聞こえてるけど、回線を維持するのは面倒だから、手短にいくわね』
彼女はモニター越しに調査団の様子を見回した。
『生きてるみたいで何より。
で、帰れなくて困ってるんでしょ?
ピラミッドの動力炉を起動しないとダメってこと、気づいたみたいね。
優秀、優秀』
彼女はニヤリと笑った。
『でも気をつけて。
地下にはね、ムーの人たちが遺した「お土産」がいるわ。
あなたたちがダンジョンで戦ってるモンスターなんて目じゃない。
本物の「古代兵器」がね』
警告。
やはり、ただの遺跡探索では終わらないのだ。
『それと……。
地下の最深部には、動力炉と一緒に「あるもの」が眠ってるの。
それをどうするかはあなたたち次第だけど……。
起こさない方がいいかもね?』
意味深な言葉。
あるもの。起こす。
それは生物なのか、機械なのか、それとも……。
『じゃ、健闘を祈るわ。
脱出ゲートが開いたら迎えに行ってあげる。
それまで死なないでね!』
プツン。
ホログラムが消滅した。
一方的な通告。
だが、それは確かな指針でもあった。
「……行くしかないようだな」
バーンズがライフルを装填した。
「地下へ潜る。動力炉を起動し、ゲートを開く。
単純な作戦だ。邪魔する奴は全て排除する」
調査団は二つのチームに分かれた。
地上でキャンプを守り、解析を続ける「支援班」。
そして地下迷宮へと挑む「突入班」。
突入班のメンバーは選りすぐりだ。
アメリカのアークエンジェル、日本の自衛隊、中国の魔導師、ロシアのスペツナズ。
人類最強の混成部隊が、ピラミッドの地下へと続く階段を降りていく。
その先には、広大な地下空間が広がっていた。
天井からは魔石の光が星のように降り注ぎ、地底とは思えぬ明るさだ。
だがその通路の至る所に、無機質な影が蠢いている。
ガシャン、ガシャン。
金属の足音。
現れたのは、昨日の案内ロボットとは違う。
明らかに戦闘用に特化された形状の機械兵士たちだった。
その腕にはブレードが、肩にはキャノン砲が装備されている。
瞳の色は、警告を示す「赤」。
『――侵入者検知。排除モード起動』
機械的な音声と共に、彼らは一斉に襲いかかってきた。
「戦闘開始! 撃てッ!!」
バーンズの号令と同時に、銃声と魔法の炸裂音が地下空間を揺るがした。
科学と魔法、古代と現代の戦争が始まったのだ。
だが彼らは、まだ知らない。
この機械兵団の奥、動力炉の心臓部に眠る「あるもの」が。
KAMIでさえ「起こさない方がいい」と警告した存在が、
彼らの戦闘の振動を感じ取り、
その長い長い眠りから、ゆっくりと覚醒しつつあることを。




