第196話
東京・永田町。
首相官邸の地下深くに存在する危機管理センターの一室に、急造の、しかし国家の存亡を賭けた極秘プロジェクトチームが発足していた。
重厚な防音扉の横に、急ごしらえで貼り付けられたプレートには、明朝体でこう記されている。
『内閣官房直轄 超古代文明および未確認大陸浮上事案対策室』
(通称:ムー大陸対策室)
会議室の空気は重苦しい沈黙と、そしてそれを上回るほどの「困惑」に支配されていた。
円卓を囲むのは、沢村総理、九条官房長官、麻生ダンジョン大臣といった政府の中枢メンバー。
そして、防衛省、外務省、文部科学省から緊急招集されたエリート官僚たち。
さらには、地質学者の須田教授や、国立天文台の天文学者といった科学の徒たち。
そして、その円卓の末席に、一人の男が座っていた。
黒いジャケットにサングラス、怪しげなペンダントを首から下げたその男は、この場違いな空間において異様な存在感を放っていた。
日本が誇る月刊オカルト情報誌『ムー』の編集長、三神である。
「……えー、では。第一回対策会議を始めます」
議長役の九条官房長官が、疲労の滲む声で開会を宣言した。
彼の手元にある資料の表紙には『極秘:ムー大陸に関する基礎調査報告書』と記されている。
その隣には参考資料として『失われたムー大陸(ジェームズ・チャーチワード著)』や『竹内文書』のコピーが積まれていた。
「まず状況の整理から行います。
KAMI様からの通告によれば、太平洋の真ん中、ハワイとタヒチの中間付近の上空3000メートルに、かつて失われたとされる『ムー大陸』が浮上する可能性があるとのこと。
我々はその可否を判断し、対応策を練らねばなりません」
九条は、文科省から派遣された歴史学者に視線を向けた。
「先生。まずは、この『ムー大陸』なるものが歴史的・学術的にどう定義されているのか、基礎的なレクチャーをお願いします」
指名された歴史学者は、苦虫を百匹噛み潰したような顔で立ち上がった。
東大卒のエリートである彼にとって、オカルトの代名詞であるムー大陸について、総理大臣の前で真面目に解説するなど、屈辱以外の何物でもなかっただろう。
だがKAMIが実在すると言った以上、それはもはや「歴史」ではなく、「現実の脅威」なのだ。
「……ご説明いたします」
学者は震える手で眼鏡の位置を直し、スクリーンに資料を投影した。
「ムー大陸。その名が初めて世に出たのは、19世紀後半です。
イギリス陸軍大佐、ジェームズ・チャーチワード。
彼がインドでの軍務中に、ある高僧から見せられたという粘土板『ナーカル碑文』を解読したことが発端とされています」
スクリーンに、古びた白黒写真と奇妙な象形文字が映し出される。
「チャーチワードの主張によれば、今から約1万2000年以上前、太平洋上には東西7000キロ、南北5000キロにも及ぶ巨大な大陸が存在し、そこには『ムー帝国』と呼ばれる高度な文明が栄えていたとされます。
人口は6400万人。
白人種が支配階級として君臨し、太陽神を崇拝する、平和で豊かな楽園であったと」
「……6400万人か」
麻生大臣が腕を組んで呟いた。
「当時の地球の人口を考えれば破格の数字だな。……それが本当ならだが」
「ええ。あくまでチャーチワードの主張です」
学者は冷ややかに続けた。
「彼はその後、メキシコで発見されたウィリアム・ニーブンの石板や、トロアノ古写本といった中南米の遺物を証拠として挙げ、ムー大陸の実在を訴え続けました。
彼の説によれば、この超古代文明は巨大な地下ガスの爆発によって、一夜にして崩壊し、太平洋の底へと沈んだとされています」
学者はそこで一度言葉を切り、会場を見渡した。
「ですが皆様、ご存知の通り……。
これらは全て、現代の地質学、考古学、歴史学においては『完全なるデマ』、あるいは『創作』として否定されてきました」
彼は断言した。
「プレートテクトニクス理論に照らせば、太平洋の真ん中に短期間で大陸が沈没・消滅するような地質学的痕跡は、一切見当たりません。
チャーチワードが提示した『証拠』とされる石板や古文書も、その多くが誤読か、あるいは捏造の疑いが濃厚です。
アカデミズムの世界では、ムー大陸説はアトランティス伝説の亜流、あるいは19世紀末の神秘主義ブームが生んだファンタジーとして処理されています」
「……つまり、学問的には『嘘っぱち』ということかね?」
沢村総理が確認する。
「はい。昨日まではそう断言できました」
学者は自嘲気味に笑った。
「ですが……KAMI様が『ある』と仰った。
そして『異次元に隠れていた』とも。
もしそれが事実なら、我々の地質学的な常識……『痕跡がないから存在しない』という前提そのものが覆されます。
次元転移で消えたのなら、地層に痕跡が残らないのは当然ですから」
科学の敗北宣言。
異世界や魔法が実在する今となっては、オカルトを否定する根拠はどこにもなかった。
「……なるほど。基礎知識は理解しました」
九条が頷いた。
「ではここからは『もし実在するなら、それはどのような文明なのか』という推測のフェーズに入ります」
彼は、円卓の末席に座るサングラスの男に視線を向けた。
「三神編集長。
貴誌は長年にわたり、この種の問題を……えー、独自の視点で研究されてこられた。
政府の公式見解とは異なる、より踏み込んだ情報をお持ちではないですか?」
三神編集長は待ってましたとばかりにニヤリと笑い、ゆっくりと立ち上がった。
その態度は、国家権力を前にしても全く動じていない。
むしろ、ようやく時代が自分たちに追いついたと言わんばかりの余裕さえ漂わせていた。
「フッ……。ようやく我々の出番というわけですね」
彼はサングラスを指で押し上げ、重々しく口を開いた。
「チャーチワードの説は、あくまで入り口に過ぎません。
我々『ムー』編集部に寄せられる情報は、もっと多岐にわたり、そして具体的です」
彼はカバンから数冊のバックナンバーを取り出し、テーブルに広げた。
『特集:ムー帝国の末裔たち』『前世の記憶が語る超古代文明の真実』といった見出しが踊っている。
「我々の元には、読者の方々から多数の『証言』が寄せられています。
その中には、いわゆる『前世の記憶』を持つ者たちからの、極めて詳細なレポートが含まれているのです」
「……前世の記憶だと?」
防衛省の事務次官が、呆れたように口を挟む。
「そんな非科学的なものを根拠にするのですか?」
「おやおや。魔法が実在する世界で、まだそんなことを仰るのですか?」
三神は軽く受け流した。
「魂の転生、記憶の継承。それもまた『因果律』の一形態かもしれませんよ?
KAMI様も『魂』の存在を肯定するような発言をされていますしね」
ぐうの音も出ない正論。
三神は続けた。
「で、その『記憶保持者』たちの証言なのですが……。
大きく分けて二つの、相反する説が存在しているのです」
彼はホワイトボードに二つの項目を書き込んだ。
【説A:滅亡した廃墟説】
【説B:超高度文明生存説】
「まずA説。
これは、ある男性の証言です。
彼は前世でムー帝国の技術者だった記憶があるという。
彼によれば、ムー大陸は最終的に自らの科学技術……『反重力エネルギー』の暴走によって、壊滅的な被害を受けたそうです」
三神はドラマチックに語る。
「大陸は裂け、都市は崩壊し、人々は死に絶えた。
しかし中枢制御システムだけが自動防衛モードに入り、大陸ごと異次元へと緊急退避した。
つまり今、浮上しようとしているのは、無人の廃墟と、主を失ったまま稼働し続ける自動機械の群れだけが残る死の世界である……という説です」
「……なるほど。ラピュタの悪いバージョンみたいなものか」
沢村が呟く。
「それならまだ御しやすい。無人の遺跡なら、資源の回収も容易だろう」
「ですが」
三神は声を潜めた。
「B説は、もっと厄介です。
これはある女性霊能者の証言ですが……。
彼女は『ムーの民は、今も生きている』と主張しています」
「生きている?」
「ええ。異次元に逃れた彼らは、そこで独自の進化を遂げた。
魔法と科学を高度に融合させ、不老不死に近い肉体を手に入れ、理想郷を築き上げていると。
彼らは地球の監視者であり、人類が『資格』を得る、その時まで身を隠しているのだ……という説です」
不老不死。魔法科学。
そのキーワードに、麻生大臣の目が光った。
「……おいおい。それが本当なら、KAMI様が提示した『未来技術』のデパートみたいな場所じゃないか」
「その通りです」
三神は頷く。
「ですが、もし彼らが生存していて、かつ高度な文明を維持しているとしたら……。
彼らは我々現代人を、どう見るでしょうか?」
三神は不敵な笑みを浮かべた。
「野蛮な猿。環境を破壊し、争いを繰り返す下等な種族。
……そう見なされる可能性が高い」
「……つまり敵対的であると?」
防衛大臣が身を乗り出す。
「分かりません」
三神は肩をすくめた。
「『導き手』として友好的に接してくるかもしれないし、『地球の掃除』として攻撃してくるかもしれない。
あるいは数千年の孤独で精神が変質し、狂気に陥っているかもしれない」
「……どっちだよ」
麻生が思わずツッコミを入れた。
「滅んでるのか、栄えてるのか。機械なのか、超人なのか。
可能性が両極端すぎて、対策の立てようがないぞ」
「それがオカルトというものです」
三神は悪びれずに言った。
「真実は常に霧の中。
ですが一つだけ言えることがあります。
ムー大陸は広い。オーストラリア大陸ほどもあるのです。
東側は廃墟だが、西側には都市が残っている……なんてことも、十分にあり得る」
「……確かに」
須田教授が口を挟んだ。
「広大な大陸であれば、エリアによって状況が異なる可能性は高い。
未開のジャングル、砂漠化した都市、そして稼働中の要塞。
それらが混在していると考えるのが自然でしょう」
会議室は再び、沈黙に包まれた。
要するに「開けてみるまで分からない」。
KAMIの言った通りだ。
だが、そのビックリ箱の規模が大きすぎる。
「……どうする?」
沢村総理が全員を見渡して問いかけた。
「日本政府としての方針を決めなければならん。
浮上を容認するか、それとも拒否するか。
リスクとリターン。どちらを取る?」
「……リターンは巨大です」
麻生が、計算高い目で言った。
「もしB説が正しければ、そこには我々が喉から手が出るほど欲しい『不老不死』や『無限エネルギー』の技術があるかもしれない。
あるいはA説でも、古代の遺物や未知の資源が手に入る。
経済的価値は計り知れません。
借金返済どころか、日本が世界の覇権を握れるレベルです」
「だがリスクも巨大だ」
防衛大臣が懸念を示す。
「もし高度な攻撃兵器を持っていたら?
空飛ぶ要塞からビームを撃たれたら、自衛隊どころか米軍でも防げるかどうか。
最悪、インデペンデンス・デイの再来になる」
「人道的な問題もあります」
外務省の局長が発言した。
「もし中に人間……あるいはそれに準ずる知的生命体がいた場合。
彼らをどう扱うのか?
『難民』として保護するのか? それとも『独立国家』として承認するのか?
もし彼らが一万年前の生活水準で困窮していたら、大規模な人道支援が必要になります。
その予算は?」
「……人類がいるなら、助ける必要があるかもな」
沢村が悩ましげに言った。
「だが現代より進んでいたら?
逆に我々が『保護』される側になるかもしれん。……屈辱的だが」
考えれば考えるほど、きりがない。
あらゆる可能性が、あらゆるリスクとチャンスを含んでいる。
「……他国の動向はどうでしょう」
九条が話題を変えた。
「ロシアと中国。彼らはどう出ると思いますか?」
「決まっています」
ヴォルコフ将軍の人柄をよく知る防衛大臣が即答した。
「ロシアは『開放』一択でしょう。
資源に飢えている彼らが、目の前の獲物を見逃すはずがない。
『危険なら力でねじ伏せる』。それが彼らの流儀です」
「中国も同じく」
外務省局長が分析する。
「彼らは領土的野心を隠そうともしません。
太平洋の真ん中に新大陸ができれば、それは『海のシルクロード』の要衝となる。
何が何でも橋頭堡を築こうとするはずです」
「アメリカは?」
「トンプソン大統領は……ロマンチストですからな」
麻生が苦笑した。
「『未知との遭遇』に興奮して、真っ先に探検隊を送ろうとするでしょう。
それに軍需産業が黙っていない。未知のテクノロジーは、彼らの大好物だ」
「つまり……」
沢村が結論づけた。
「他の三カ国は『やる』と言う可能性が高い。
日本だけが『危険だからやめよう』と言ったところで、多数決で押し切られるか、あるいは日本抜きで計画が進むだけだ」
「日本だけが蚊帳の外、というのは避けたいですね」
九条が言った。
「アステルガルドの時と同じです。
リスクを冒してでも関与し、主導権の一部を握らなければ国益を損なう」
「……乗っかる方がお得か」
沢村が、覚悟を決めたように言った。
「よし。方針は決まった。
日本政府としては『条件付きでの浮上容認』を支持する。
ただし無条件ではない。
『事前偵察』と『リスク管理体制の構築』。これを絶対条件とする」
彼は指示を飛ばした。
「九条君。四カ国会議での提案をまとめてくれ。
『浮上させる前に、KAMI様に頼んで少人数の偵察隊を送り込み、内部の状況を確認する』。
敵対的か、友好的か、無人か。
それを確認してから、本格的な浮上プロセスに移行する。
これなら最悪の事態は回避できるはずだ」
「承知いたしました」
九条が頷く。
「それと……。
その偵察隊の人選だが」
沢村はチラリと三神編集長を見た。
「……専門知識が必要だ。
自衛隊や科学者だけでなく、古代文字や伝承に詳しい者も必要になるだろう」
その視線に気づいた三神が、サングラスの奥で目を輝かせた。
「お任せください、総理。
我が編集部には、古代語のエキスパートから超能力者、UFOコンタクティまで、あらゆる人材が揃っております。
未知との遭遇において、我々以上に頼りになる『専門家』はおりませんよ」
「……不安しかないが、頼むことにしよう」
沢村は深いため息をついた。
「まさか国家の運命を『ムー』に託すことになるとはな……」
「頭ムーかよ……」
麻生大臣がボソリと、しかし的確なツッコミを呟いた。
こうして、日本政府の方針は固まった。
ムー大陸浮上計画への参加。
それはパンドラの箱を開ける鍵を、自らの手で回す決断だった。
会議室の窓の外。
東京の空は、嵐の前の静けさのように、不気味なほど青く澄み渡っていた。
太平洋の彼方で、眠れる巨人が目を覚まそうとしている。
その目覚めが人類にとっての夜明けとなるのか、あるいは終わりの始まりとなるのか。
神の気まぐれなシナリオは、いよいよクライマックスへと向かおうとしていた。
沢村は机の上の胃薬を手に取り、水で流し込んだ。
これから始まる四カ国会議。
そしてその後に続くであろう、国連での大立ち回り。
彼の胃壁は、まだまだ休まることを許されないようだった。




