第195話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の命運を握る四つの首都を繋ぐ、最高機密のバーチャル会議室。
そこには、いつものメンバー――日本の沢村総理、九条官房長官、アメリカのトンプソン大統領、中国の王将軍、そしてロシアのヴォルコフ将軍が顔を揃えていた。
だが今日の彼らの表情には、いつものような「報告会」の気怠さではなく、嵐の前の静けさとでも言うべき、ピリピリとした緊張感が漂っていた。
理由は単純だ。
KAMIからの唐突な「呼び出し」である。
『話があるから集まって』。
たったそれだけのメッセージが、各国のホットラインに届いたのが一時間前。
予定されていた定例会議ではない、緊急招集だ。
過去の例からして、彼女が自分から人間を呼びつける時、それはろくなことにならない。
新しいルールの強制か、あるいは理不尽な仕様変更か。
「……遅いな」
トンプソン大統領が、苛ただしげにバーチャル葉巻を噛み締めた。
指定された時間は既に過ぎている。
だが円卓の上座は、空席のまま――。
「焦らしますな、KAMI様も」
王将軍が指先でテーブルをトントンと叩く。
「皆様、今回は何が来ると予想されますか?
ただの雑談のために我々を呼びつけるほど、彼女も暇ではないでしょう」
「……調整ではないか?」
ヴォルコフ将軍が、苦々しげに言った。
「イベントで配布されたユニークアイテム……特に『霧渡りの長靴』と『霧払いの手甲』だ。
あれらはあまりにも強力すぎた。市場バランスを崩壊させていると言ってもいい。
特に長靴(すり抜け)は、安全保障上の悪夢だ。
『やっぱり回収します』とか言い出すのではないか?」
「ありえますね」
九条が同意する。
「あるいは、来たるべき『B級ダンジョン』解禁に向けた事前のアナウンスかもしれません。
B級は耐性がマイナスされる過酷な環境と聞いています。
それに備えてプレイヤー側への救済措置……いわゆる『バフ(強化)』のお知らせなら歓迎なのですが」
「バフならいいが……」
沢村が胃のあたりを押さえた。
「最近の彼女は、我々の想像の斜め上を行く『新要素』を放り込んでくるからな。
ロボットの次は一体何だ?
新技術か? それとも新しい災害か?」
オブザーバー席の麻生ダンジョン大臣が鼻を鳴らした。
「何が来ても、どうせ金がかかる話でしょうよ。
技術供与なら対価を請求され、新イベントなら対策費がかかる。
財務省の金庫番としては、頭の痛い話ですな」
彼らが戦々恐々としながら推測を巡らせていた、その時だった。
フォン。
軽い電子音と共に空間が歪む。
円卓の中央に、いつものゴシック・ロリタ姿の少女が現れた。
今日の彼女は、手には何も持っていない。
お菓子も、ゲーム機もない。
ただ、その表情には、いたずらを思いついた子供のような、あるいはとてつもないプレゼントを隠し持ったサンタクロースのような、奇妙な高揚感が浮かんでいた。
「――やっほー。みんな揃ってるようね!」
KAMIは、きょとんとしている四カ国の首脳たちを見回し、ニカッと笑った。
「待たせてごめんね。
ちょっと『測量』に手間取ってて」
「……測量ですか?」
沢村が聞き返す。
「ええ。場所の選定よ。
地球の海って広いのねぇ。どこに置くか迷っちゃったわ」
彼女は意味深な言葉を残し、宙に浮いたまま、くるりと一回転した。
「さて、単刀直入に言うわ。
今日はあなたたちに、新しいプロジェクトの『可否』を決めてもらいたいの」
「可否……? 我々に決定権があると?」
トンプソンが身を乗り出す。
「そうよ。今回は特別。
やるか、やらないか、あなたたちが決めていいわ。
……まあ、やらないって言っても、いずれは『向こう』から出てくるかもしれないけど」
KAMIは指先を操作し、円卓の中央に巨大な地球儀のホログラムを投影した。
そして、その太平洋のど真ん中。
ハワイとタヒチの中間あたりに、赤いマーカーを点灯させた。
「――『ムー大陸』を浮上させようかと思って」
しーん。
会議室の時間が、完全に停止した。
翻訳機の故障か? それとも神のジョークか?
四人の男たちはポカンと口を開け、互いの顔を見合わせた。
「……KAMI様」
九条が、震える声で沈黙を破った。
「今なんと仰いましたか?
ムー……大陸?」
「ええ、そうよ」
KAMIは、まるで「明日の天気は晴れよ」と言うかのような気軽さで頷いた。
「以前、チャットルームでヘルメス……ギリシャ神話の神様が言ってたのよ。
『ムー大陸浮上させようぜ!』って。
覚えてる? 私、ToDoリストに入れてたでしょ?」
沢村の脳裏に、ToDoリストが蘇る。
確かにあった。
神々の無責任な井戸端会議の中に、そんな文言が。
だが、まさか本気だったとは。
「あいつら、昔アトランティスと喧嘩して、大陸ごと異次元に避難してたらしいんだけど。
そろそろ、ほとぼりも冷めたし、地球に戻してもいいんじゃないかって話になってね」
KAMIはホログラムを操作した。
太平洋の海面が盛り上がり、そこから巨大なオーストラリア大陸ほどもある広大な大地が、天空へと浮上していくシミュレーション映像。
「今回はね、ただ海に浮かべるだけじゃないわ。
『空中大陸』として出現させる見込みよ。
高度3000メートル付近。雲海の上に浮かぶ、失われた超古代文明の大地。
……ロマンあるでしょ?」
ロマン。
その一言で片付けるには、事態はあまりにも巨大すぎた。
「ちょ、ちょっとお待ちください!」
トンプソン大統領が立ち上がった。
「大陸!? 島ではなく大陸ですか!?
オーストラリア級の質量が、太平洋の上空に出現する!?
気象への影響は!? 海流は!? 日照権は!?」
「その辺は全部、調整済みよ」
KAMIは、あっさりと答えた。
「重力制御で浮かんでるから津波は起きないし、影の影響も最小限になるように光学迷彩的な処理をするわ。
環境破壊にはならないように配慮する。そこは安心して」
彼女は続けた。
「問題は中身よ」
KAMIの表情が、少しだけ真剣なものになった。
「中の文明が、今の所、何をしてるか不明なのよね……」
「……はい?」
王将軍が眉をひそめた。
「異次元に隠れてから一万年以上経ってるでしょ?
ヘルメスの話だと、『超科学と魔法が融合したすごい文明だった』らしいけど。
今はどうなってるか分からないの。
滅んで廃墟になってるかもしれないし、独自進化してとんでもないハイテク文明になってるかもしれない。
あるいは退化して原始人になってるかも」
彼女は肩をすくめた。
「一応スキャンしようとしたんだけど、強力な結界が張られてて中は見えないのよ。
だから『開けてみるまで分からない』ビックリ箱ね」
ビックリ箱。
その中身が地球を滅ぼす兵器かもしれないというのに。
「で、相談なんだけど」
KAMIは四人を見渡した。
「これ、やる? やらない?
まず、やるかやらないか、決めてほしいのよね」
彼女は、完全に丸投げした。
「案件は以上よ。
私としては、どっちでもいいから。
神々への配慮? そんなの知ったことじゃないわ。ヘルメスががっかりするだけよ。
だから、あなたたち人間にとってのメリットとデメリットを考えて決めてね」
メリットとデメリット。
その天秤が、あまりにも巨大すぎて計りが壊れそうだった。
「時間は、いくらでもかけていいわ。
たっぷり国連でも良いから、議論することね。
結論が出たら、教えてちょうだい。
『浮上コード』を入力するか、それとも『完全封印』するか。
スイッチを押すのは私だけど、押すかどうか決めるのはあなたたちよ」
KAMIは伸びをした。
「じゃ、私は忙しいからまたね!
新しいアニメの録画、見なきゃいけないし」
フォン。
彼女は言いたいことだけ言って、嵐のように去っていった。
後に残されたのは、世界地図の上に赤く点滅する「Mu Continent(予定地)」の文字と、絶句する四人の男たちだけだった。
長い長い沈黙が、会議室を支配した。
誰も言葉を発することができない。
情報量が多すぎる。スケールが大きすぎる。
そして何より、「ムー大陸」という単語の響きが、政治の場にはあまりにも不釣り合いだった。
「……すごいこと、お願いされましたね」
最初に口を開いたのは、やはり調整役の九条だった。
その声は、疲労を通り越して、乾いた笑いを含んでいた。
「ムー大陸……ですか。
子供の頃、オカルト雑誌の特集で読みましたが。
まさか現実の外交案件として、この単語を口にする日が来るとは」
「オカルト雑誌が喜びそうですが……」
麻生大臣が、こめかみを押さえながらぼやいた。
「いや、笑い事じゃない。
空中大陸だと? 太平洋のど真ん中に?
領土問題はどうなる? 領空権は? 排他的経済水域は?
誰のものになるんだ、その大陸は!」
麻生の指摘は、もっともだった。
太平洋。
そこは日米の安全保障上の要衝であり、中国が進出を狙う海域でもある。
そこに突如として新大陸が現れる。
それは地政学的なバランスを、根底から覆す大事件だ。
「……資源」
ヴォルコフ将軍が、軍人の目で地図を睨んだ。
「超古代文明の遺産か。
オリハルコン、ヒヒイロカネ……伝説の金属が眠っているかもしれん。
あるいは、KAMIの技術とは異なる系統の失われた超兵器が」
「未知の魔法体系もあるかもしれません」
王将軍が付け加えた。
「彼らは魔法と科学を融合させていたという。
その知識を手に入れれば、我が国の国力は飛躍的に向上する」
メリットは計り知れない。
新しい土地、新しい資源、新しい技術。
それは地球という閉じた世界に突如として現れた、巨大なフロンティアだ。
だがデメリットも、また破滅的だ。
「……敵対的だったらどうする?」
トンプソン大統領が、冷や汗を拭いながら言った。
「もし中の文明が生きていて、しかも地球人に対して敵対的だったら?
高度3000メートルに浮かぶ要塞だぞ。
そこから地上を見下ろし、攻撃を仕掛けてきたら……。
我々は、空からの侵略者と戦うことになる」
「インデペンデンス・デイですな」
沢村が呻いた。
「あるいはラピュタか。
『見ろ、人がゴミのようだ』などと言われて焼き払われるのは、御免こうむりたい」
リスクとリターン。
その振れ幅が、国家予算や戦争というレベルを超えている。
文明の存亡に関わるギャンブルだ。
「……国連で議論ですか」
九条が、KAMIの言葉を反芻した。
「彼女はそう言いました。
『たっぷり国連でも良いから議論すること』と。
つまり、これは四カ国だけで決めていい問題ではない、という示唆でしょうか?」
「当然だ!」
トンプソンが叫んだ。
「太平洋に大陸が出現するんだぞ?
沿岸諸国、オーストラリア、東南アジア、南米……全てが影響を受ける。
これを我々だけで密室で決めたと知れたら、世界中から総スカンだ」
「だが……」
王将軍が難色を示した。
「国連に投げれば、議論は紛糾するぞ。
『領有権は人類共有の財産とすべきだ』『いや地理的に近い国が管理すべきだ』。
結論が出るのに百年かかる」
「とりあえず国連に投げますか?
それとも、ここで大枠決めますか?」
九条が問いかけた。
四人の指導者は、顔を見合わせた。
投げるべきか、抱え込むべきか。
オープンにするか、隠蔽するか。
だが「ムー大陸」という荒唐無稽な存在を、今の段階で世界に公表すれば、パニックは避けられない。
株価は大暴落し、カルト宗教が蜂起し、終末論者が街に溢れるだろう。
「……いやー、持ち帰りして議論だな」
沢村が、苦渋の決断を下した。
「流石に決められないぞ、この場では。
情報が少なすぎる。
まずは各国の専門家……科学者、軍人、歴史学者、そしてオカルト研究家も含めて、徹底的なシミュレーションを行う必要がある」
「同感だ」
トンプソンも頷いた。
「リスク評価が定まらないうちに公表するのは無責任だ。
まずは我々の中で、
『もし浮上させるとしたら、どう管理するか』
『もし敵対的だった場合、どう迎撃するか』
のプランを固めるべきだ」
「了解しました」
九条が手元の端末を閉じた。
「では各国で議論、ということで。国連にはまだでお願いします。
情報のリークは厳禁。最高レベルの機密保持をお願いいたします」
「当然だ」
「分かっている」
彼らは頷き合った。
だが、その目には隠しきれない興奮と野心、そして不安が渦巻いていた。
ムー大陸。
その響きは、男たちの冒険心をくすぐるには、十分すぎた。
「……では、持ち帰りで議論ということで!」
通信が切れた。
それぞれの国の指導者たちは、それぞれの現実へと戻っていった。
だが彼らの仕事は、これからが本番だった。
***
東京・首相公邸地下。
通信を切った直後の執務室は、静まり返っていた。
沢村総理と九条官房長官、そして麻生大臣。
三人はしばらくの間、呆然と虚空を見つめていた。
「……はぁ」
沢村が今日一番の深いため息をついた。
「ダンジョンの次は空中大陸か。
KAMI様は我々を休ませる気がないらしい」
「ええ」
九条が頭痛をこらえるように眉間を揉んだ。
「しかし、やらねばなりません。
もしその大陸に、我々の求めていた技術……不老不死やエネルギー問題の解決策が眠っているとしたら。
それをみすみす海に沈めたままにしておくのは、人類の損失です」
「だが中に何がいるか分からんのが怖いな」
麻生が腕を組む。
「一万年前の古代人か? 進化した超人類か? あるいは暴走した防衛システムか?
開けてビックリ玉手箱。
煙が出てお爺さんになるならまだマシだが、核ミサイルが飛んできたら笑えんぞ」
沢村は立ち上がった。
その目には、覚悟の光が宿っていた。
未知への恐怖よりも、国家のリーダーとしての責任感が勝ったのだ。
「……やるぞ、九条君。
日本政府、急いで人を集めろ!
科学者、自衛隊幹部、危機管理の専門家。
それと……」
沢村は少し言い淀んだ後、真顔で言った。
「古代文明やオカルトに詳しい専門家もだ。
『ムー』の編集長とか、そういう連中も呼べ。
もはや常識的な知識だけでは、太刀打ちできん」
「……本気ですか、総理」
九条が絶句する。
「官邸に、オカルト雑誌の編集長を招くのですか?」
「背に腹は変えられん!
彼らの方が、我々よりもよほど『ムー大陸』について詳しいかもしれんのだぞ!
使える知恵は、なんでも使う!
これは国家の存亡に関わるプロジェクトだ!」
沢村の怒号が響く。
「ムー大陸が、空中大陸として復活するぞ!
その対策を練るんだ!」
その指示を受けて、官僚たちが慌ただしく動き出す。
電話が鳴り響き、資料が飛び交う。
「ムー大陸対策室(仮)」の設置。
「空中要塞迎撃シミュレーション」の作成。
「古代語翻訳チーム」の編成。
その狂騒の中、麻生大臣がぽつりと、しかし的確なツッコミを呟いた。
「……頭ムーかよ……」
その言葉は誰の耳にも届くことなく、公邸の喧騒にかき消されていった。
日本政府は今、有史以来初めて、本気で「ムー大陸」と向き合おうとしていた。
それは滑稽で、しかしあまりにも真剣な、人類の新たな挑戦の始まりだった。




