第192話
『エッセンス・ハンティング』イベントの熱狂が終息に向かう中、日本政府の中枢、そして警視庁の本部は、かつてないほどの激怒と、底知れない恐怖の只中にあった。
原因は、イベント後半に「先着10,000名」の報酬として配布されたユニークアイテムの一つ――『飢えたる魔王の王冠』である。
当初、それは「マナ問題を解決する最強のキャスター用装備」として歓迎されていた。
だが、ネット掲示板の書き込みをきっかけに発覚したその「隠された機能」は、法治国家の根幹を揺るがす最悪のバグだった。
死体消滅。
完全なる証拠隠滅。
その事実が確認された直後、永田町は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
***
首相官邸地下危機管理センター。
緊急招集された関係閣僚会議の空気は、怒声と悲鳴で満たされていた。
「――ふざけるなッ!!!」
警察庁長官の高梨が、普段の冷静さをかなぐり捨ててテーブルを叩いた。
その額には青筋が浮かび、目は血走っている。
「『死体を食べる兜』だと!? KAMI様は、何を考えておられるんだ!
前回の『すり抜け靴』でさえ、警備の根幹を揺るがす大問題だったというのに、今度は『死体消滅』か!
こんなものが世に出回ってみろ! 殺人事件の立証が不可能になるぞ!」
高梨は、震える手で検証レポートを振りかざした。
「『痕跡を残さず』だぞ!?
DNAも、骨片も、血痕さえも残らない! 物理的に『無かったこと』にされる!
これでは『行方不明』と『殺人』の境界線が消滅する!
完全犯罪の民主化だ!」
麻生ダンジョン大臣が、苦虫を噛み潰したような顔で葉巻をへし折った。
「……KAMI様の悪趣味にも程があるな。
『街が綺麗になるしエコでしょ』だと? ブラックジョークにもならんわ」
隣の九条官房長官が、氷のような表情で状況を整理する。
「愚痴を言っている暇はありません。
既に、1万個の全てが交換済みです。市場には流通してしまっています。
直ちに法的措置を講じなければ、取り返しのつかないことになります」
沢村総理が、決断を下した。
「……規制だ。
以前『霧渡りの長靴』のために制定した『特定ダンジョン物品管理法』。
あれを適用するしかない」
***
翌日。
日本政府は、異例のスピードで政令を公布した。
『指定特別管理物品の追加指定に関する件』。
その中で『飢えたる魔王の王冠』は、『霧渡りの長靴』に続く二つ目の「S級危険物」に指定された。
麻生大臣は、記者会見で鬼のような形相で宣言した。
「本日ただ今をもって、当該アイテムの所持者に対し、以下の義務を課す!
第一に、GPS発信機の装着義務化!
靴と同様、24時間365日、その兜がどこにあるか、国家が常時監視する!
第二に、場所的制限の厳格化!
ダンジョン内以外での『着用』および『機能の使用』を、全面的に禁止する!
特に、事件・事故現場、病院、火葬場……。
『遺体』が存在する可能性のある場所への持ち込みは、テロ準備行為と見なし即時逮捕する!」
麻生は、カメラを睨みつけた。
「この兜を使って証拠隠滅を図った者は、殺人犯と同等の極刑をもって処す!
……いいか、これは脅しではない。国家の存亡に関わる問題だ!」
その剣幕に、国民は震え上がった。
***
だが。
警察の絶望は、規制を発表した後も晴れることはなかった。
警視庁・長官室。
高梨長官は、部下である捜査一課長からの報告を聞き、頭を抱えていた。
「……やはり遅かったか」
「はい」
課長が、沈痛な面持ちで答える。
「GPS義務化までの、わずかなタイムラグの間に……確認されているだけで、国内で『数個』の王冠が所在不明となっております」
「数個……」
高梨が呻く。
「正規のルートで交換した探索者から盗まれたか、あるいは高額で裏取引されたか。
いずれにせよ、今この日本のどこかに、政府の監視の目が届かない『死体処理機』が出回っているということか」
「恐らくは、反社会的勢力、あるいは海外の諜報機関の手によるものと思われます。
闇市場での取引価格は、現在『50億円』を超えているとの情報も……」
「50億……!」
殺しの道具に50億。
だが、一度使えば証拠が消え、絶対に捕まらないとなれば、プロにとっては安い投資なのかもしれない。
「長官。現場は混乱しています」
課長が、悲鳴を上げるように言った。
「これからは、行方不明者の捜索願が出るたびに『王冠』の関与を疑わなければなりません。
我々は今後『死体が出ないこと』を前提に、捜査を組み立てなければならなくなったのです」
「……クソッ! KAMIめ!」
高梨は、デスクを拳で叩いた。
日本の警察は今、見えない幽霊(消えた死体)と戦うという、終わりのない悪夢の中に放り込まれたのだった。
***
一方、ネットの住人たちは、この大騒動をどこか他人事のように、しかし興味津々で眺めていた。
大手掲示板『ダンジョンちゃんねる』。
【悲報】警察庁長官ストレスでハゲそう【王冠問題】
452: 名無し探索者
ニュース見たか?
麻生大臣、顔真っ赤にしてキレてたな。
靴の時も大概だったけど、今回は「死体消滅」だもんな。ヤバさが違う。
453: 名無し探索者
警察マジで可哀想。
「ホトケ(死体)が出てこない……」
「食べちゃいました(テヘペロ)」
これが通用する世界とか、捜査一課の胃に穴が開くぞ。
454: 名無し探索者
裏ルートで流出済みってマジ?
ヤクザとか殺し屋が持ってるのかな。
東京湾に沈める手間すらいらねえ。
455: 名無し探索者
まあ、俺ら一般人には関係ない話だな。
王冠なんて高くて買えねえし、殺したい相手もいねえし。
456: 名無し探索者
とりあえず話題変えようぜ。
暗い話ばっかで気が滅入る。
もっと夢のある話しようぜ、夢のある話を。
457: 名無し探索者
夢のある話といえばあれだろ。
今日の夜からオークションが始まる、今回のイベントの「真の目玉」。
『アニマとアニムスの円環』。
458: 名無し探索者
出た! 性転換指輪!
全世界10個限定の神話級アイテム!
459: 名無し探索者
あれ、いくらつくんだ?
ポーションが15億〜20億だったから、それ以上は確実だろうけど。
460: 名無し探索者
高くね?
たかが性転換だろ?
ポーションは命が助かるんだぞ?
461: 名無し探索者
460
お前、分かってないな。
あれはただの性転換じゃない。「完全なる肉体の再構築」だ。
整形手術なんてレベルじゃない。骨格、声帯、遺伝子レベルで、自分が望む「理想の異性」になれるんだぞ?
現代技術を超越してる。
462: 名無し探索者
さらに言えば「第二の人生」が作れる。
今の自分のステータスを温存したまま、レベル1から全く新しいビルドを育て直せるんだ。
行き詰まったトップランカーや、人生に飽きた大富豪にとっては、これ以上ない「遊び」だろ。
463: 名無し探索者
そう考えると妥当……なのか?
いや、それでも高いだろ。
1000億いくペースだぞこれ。
464: 名無し探索者
463
安いよ。
世界にたった10個だぞ?
これを逃したら二度と手に入らない(かもしれない)。
国家予算レベルの金を持ってる奴らにとっちゃ、1000億なんて端金だろ。
***
話題は、血生臭い事件から、より扇情的な、そして桁違いの金が動くオークションへと移っていった。
その夜。
全世界が注目する中『アニマとアニムスの円環』の第一回オークションが開始された。
開始価格1ドル。
だが、その数字は一瞬で意味を失った。
『1億ドル』。
『3億ドル』。
『5億ドル』。
数字が壊れたメーターのように跳ね上がっていく。
そして――。
【落札価格:8億5000万ドル(約1275億円)】
落札者は匿名。
だが、そのIPアドレスが中東の某王族のプライベートサーバーを経由していることは、ネット探偵たちによって即座に特定された。
***
東京・六本木。月読ギルド本部。
ギルドマスター月島蓮は、オークションの結果を見ながら苦笑していた。
「……1200億か。
我々のギルドの総資産を投げ打っても、買えんな」
彼は、自分の腰に佩いた愛刀『蒼月の太刀』の柄に手をかけた。
透き通るような蒼い刀身を持つ、美しくも強力なユニークアイテム。
だが、それはあくまで「戦うため」の道具であり、1000億円の価値がつくような「奇跡」の産物ではない。
彼にとっては、この剣こそが最高の宝だ。
戦うための力。仲間を守るための力。
性別を変えて遊んだり、人生をリセットしたりする余裕など、今の彼らにはない。
「だが、世界は広いな」
月島は呟いた。
「1000億を『遊び』や『欲望』のためにポンと出せる人間がいる。
……ダンジョンは、そんな彼らの欲望さえも飲み込んで、肥え太っていくのか」
彼は窓の外を見た。
東京の夜景は、今日も変わらず煌めいている。
だが、その光の裏側には、消えた死体を探す警察の焦りと、新しい性別を手に入れた誰かの歓喜、そして明日の糧を求めて剣を磨く無数の探索者たちの熱気が、複雑に絡み合っていた。
神のゲームは続く。
アイテム一つ、ルール一つ追加されるたびに、人間社会は大きく揺るがされ、形を変えていく。
「……次は何が来るんだろうな」
月島は誰にともなく問いかけた。
その答えを知るのは、東京のどこかでポテトチップスを食べている、気まぐれな女神だけだった。




