第183話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の運命を握る四つの首都を繋ぐ、最高機密のバーチャル会議室。
そこには、かつてのようなヒリヒリとした敵意や、互いの喉元を狙うような殺気は薄れていた。
代わりにあるのは、巨大なシステムを共同で運営する「重役」たちが共有する安定と、そして微かな倦怠感だった。
ダンジョン開放から数ヶ月。世界経済は「魔石」という新たな血液を得て、かつてないほどの好景気に沸いていた。
エネルギー価格は安定し、食料生産は爆発的に増大し、医療技術は死の淵から人々を救い出している。
ロボットたちが工場を動かし、探索者たちが富を持ち帰る。
人類は今、黄金時代の入り口に立っていた。
だがその繁栄の頂点で、アメリカ合衆国大統領ジョン・トンプソンは、ふとした疑問を抱いていた。
彼は葉巻の煙を燻らせながら、円卓の中央を見つめた。そこにはまだ主は現れていない。
「……なあ、総理」
トンプソンが、隣のモニターに映る日本の沢村総理に話しかけた。
「我々は今、かつてない繁栄を享受している。それは認めよう。
だが、ふと恐ろしくなることがあるのだよ」
「恐ろしいとは?」
「底が見えないことだ」
トンプソンは言った。
「KAMI君のことだよ。
彼女は次々と驚くべき技術を出してくる。
自律型アンドロイド、不老処置、亜光速エンジン、空間折りたたみ……。
どれ一つとっても、人類の文明レベルを数百年進めるオーバーテクノロジーだ。
それを彼女は、まるでポケットの中の飴玉でも配るかのように、無造作に取り出してくる。
……一体、彼女のポケットの中にはあとどれだけの『奇跡』が入っているんだ?
我々が見ているのは、氷山の一角どころか、氷山の上に積もった雪の一粒に過ぎないのではないか?」
その問いに、中国の王将軍もロシアのヴォルコフ将軍も、無言で頷いた。
彼らもまた同じ畏怖を抱いていたのだ。
与えられる技術が巨大であればあるほど、与える側の「底知れなさ」が際立つ。
自分たちは巨人の掌の上で遊ばされている蟻に過ぎないのではないか。
その時だった。
「――あら、私のコレクションの話?」
唐突に空間が歪んだ。
電子音と共に現れたのは、いつものゴシック・ロリタ姿の少女KAMI。
今日の彼女は小脇に抱えた巨大なバスケットからキャラメルポップコーンを掴み出し、それをポリポリと頬張りながら、面白そうに四人の男たちを見下ろしていた。
「KAMI様……」
九条官房長官が、反射的に居住まいを正す。
「やっほー。
なんか私のウワサ話をしてたみたいだから、来ちゃったわ」
KAMIはポップコーンを口に放り込みながら、空いている椅子(といっても彼女は座らずに宙に浮いているが)に陣取った。
「底が見えないですって?
まあ、そう思うのも無理はないわね。
あなたたちの文明レベルから見れば、私が持ってるアーカイブは『魔法』と区別がつかないでしょうし」
「……実際どれほどの数をお持ちなのですか?」
トンプソンが意を決して尋ねた。
「君が『並行世界を旅して集めた』というその技術。
一体どれほどの数の世界を観測してきたのか」
KAMIは、少しだけ考えるように天井を見上げた。
「んー、そうねぇ。
直接足を運んで文明の興亡を見届けた世界だけで言えば……だいたい1000個弱ってところかしら」
「せ、1000……!?」
全員が息を呑んだ。
「で、今もバックグラウンド処理で、並行して500個くらいの並行世界に『分身』を派遣して、リアルタイムで観測・収集中よ。
面白い技術があったら、随時データベースに放り込んでるわ」
彼女は事もなげに言った。
1000通りの人類史。1000通りの進化の分岐。
ある世界では核戦争で滅び、ある世界では菌類と共生し、ある世界では精神生命体へと進化した人類。
その全ての叡智と失敗の記録が、この少女の中に眠っている。
「だから技術的には、もう『あらかた』コンプリート済みよ」
KAMIは空中に、膨大なリストを投影した。
そこには人類の言語では翻訳不可能な概念や数式が、滝のように流れていた。
「因果律改変能力、つまりあなたたちが『魔法』と呼ぶ技術体系。
物理法則を無視した超能力開発カリキュラム。
あるいは、科学の極致に至ったナノマシン文明や、恒星ダイソン球の設計図……。
欲しいものは大抵あるわよ。
まあ、あなたたちに渡しても自滅するだけの『劇薬』がほとんどだけどね」
圧倒的だった。
四カ国の指導者たちは、ただ沈黙するしかなかった。
彼らが必死になって奪い合っていた技術など、彼女にとってはコレクションのほんの一部、駄菓子屋の隅に置かれた玩具に過ぎないのだ。
その沈黙を破ったのは、中国の王将軍だった。
彼は震える声で、しかし確かな野心を込めて、一つの問いを投げかけた。
「……ならば、KAMI様。
不躾ながらお伺いする。
物理法則も生命の理も空間の理も、全てを超越した技術をお持ちだというのなら。
貴女は……究極の技術、すなわち『時間』に関する技術もお持ちなのですか?」
時間。
それは人類にとって最後の聖域であり、不可逆の絶対法則。
KAMIはポップコーンを食べる手を止めた。
そして、ニヤリと笑った。
「まあね。
時間いじる系はコンプしたんじゃないかしら?」
彼女は指先で、空中に螺旋を描いた。
「時間を止める。時間を加速する。時間を巻き戻す。
過去を見る。未来を見る。
……それくらいなら、並行世界のあちこちで実用化されてたわよ」
「なっ……!」
会議室がどよめく。
「例えば、そうね……」
KAMIは、一つの具体的な技術を提示した。
「過去に『物』や『情報』を送る技術とか。
あなたたちの世界のサブカルチャーで言うなら……そう、『STEINS;GATE』のDメールみたいなやつね」
「――ッ!?」
その単語が出た瞬間、日本の沢村総理と九条官房長官が、ガタッと椅子を鳴らして反応した。
彼らは(というか主に、KAMIの影響でサブカル知識を叩き込まれた九条が)、その言葉の意味を即座に理解したからだ。
「Dメール……ですか!?」
沢村が目を剥く。
「なんだそれは?」
トンプソンが、怪訝な顔で日本人たちを見る。
九条が、震える声で解説した。
「……携帯電話のメールを、過去の自分や他者に送信する技術です。
未来からの情報を過去に送ることで、過去の行動を変え、結果として『現在』を改変する……。
つまり、歴史修正の一種です」
「なんと……!」
ヴォルコフ将軍が、身を乗り出した。
「過去に情報を送れると!?
ということは……過去の失敗を無かったことにできるのか!?」
「ええ、出来るわね」
KAMIは、あっさりと肯定した。
「例えば、『あの日その道を通るな』とメールを送れば、交通事故を回避できる。
『その株を買うな』と送れば、破産を防げる。
『その国と同盟を結ぶな』と送れば、戦争を回避できる。
……応用は無限大ね」
その瞬間、四人の指導者たちの脳裏に、強烈な欲望の火花が散った。
トンプソンは思った。
(あの時の失言を取り消せる! 選挙対策のミスを修正し、支持率を盤石にできる!
9.11のテロさえも、事前に警告を送れば防げるのではないか!?)
ヴォルコフは思った。
(過去の軍事作戦の失敗を帳消しにできる……。
ソ連崩壊の引き金となったあの決定さえも、覆せるかもしれん!)
王将軍は思った。
(党の歴史的な過ちを修正し、完璧な国家運営を実現できる……。
これは国家の『リセットボタン』だ!)
彼らは身を乗り出し、食い入るようにKAMIを見つめた。
それはロボットや不老不死の時とは比にならない、政治家としての本能を直撃する誘惑だった。
「やり直せる」ということ。
それは権力者にとって、何よりも甘美な麻薬だ。
「素晴らしい……!」
トンプソンが叫んだ。
「KAMI様! ぜひその技術を我が国に!
いや、人類に提供していただきたい!
過去の悲劇を回避し、より良き歴史を築くために!」
「我が国もだ!」
「いや、我々こそが!」
全員が身を乗り出した。
だが、KAMIの反応は冷ややかだった。
彼女は冷めた目でポップコーンの残りカスを払い落としながら、心底嫌そうな顔をした。
「うーん……現在を無茶苦茶にしない?」
「無茶苦茶になどしません!」
トンプソンが断言する。
「慎重に、人道的な目的のためにのみ使用します!
悲劇を回避するためだけに!」
「……はぁ」
KAMIは深いため息をついた。
そして、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように、指を一本立てた。
「待ちなさい。あなたたち、時間のことを何も分かってないわね。
時間はね、あなたたちが思ってるような単純な一本道じゃないの。
もっとこう、グニャグニャとした複雑なもので……」
彼女は空中に、複雑に絡み合う光の線を描いた。
「いいこと?
時間改変技術には、大きく分けて2つの体系があるの。
これを理解しないと話にならないわ」
彼女は、二つのモデル図を表示した。
「一つ目は『タイプA:現在改変型』。
これは『STEINS;GATE』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のタイプね。
過去を変えると、その影響が波及して、現在の世界そのものが書き換わる。
今のあなたたちの記憶や歴史が上書きされて、新しい『現在』に再構築されるの」
「二つ目は『タイプB:並行世界分岐型』。
これは『ドラゴンボール』のトランクスの未来みたいなタイプ。
過去に介入して歴史を変えても、そこから『新しい別の世界線』が分岐するだけ。
元の世界(今のあなたたちがいる世界)は何も変わらない。
ただ『救われた別の世界』が新たに生まれるだけよ」
KAMIは四人を見渡した。
「で? あなたたちが欲しがってる『やり直し』ができるのは、どっち?」
「……それは無論」
沢村が答えた。
「我々自身の現在が良くなる方……『タイプA』ですな」
「そう、タイプA」
KAMIは頷いた。
「過去にメールを送って、今の失敗をなかったことにしたい。
今の支持率を上げたい。今の国を豊かにしたい。
……でもね」
彼女の目が、すっと細められた。
「だからこそ、私は渡したくないのよ。
タイプAはね……因果律の整合性を取るのが、超・面倒くさいのよ」
「面倒くさい……?」
「そうよ!」
KAMIは声を荒らげた。
「あなたたちは気楽に言うけどね!
過去にたった一通メールを送るだけで、何が起きるか分かってる?
バタフライエフェクトよ。
『右に行け』ってメールしただけで、その些細な変化が雪だるま式に膨れ上がって、現在ではなぜか第三次世界大戦が起きてたり、あなたたちが生まれてなかったり、日本が海に沈んでたりするのよ!」
彼女は頭を抱えた。
「その度に世界が壊れて、『KAMI様助けて!』って泣きついてくる未来が目に見えてるわ。
で、その矛盾だらけの時空を修正して、デバッグして、なんとか形にするのは誰?
管理者の私よ?
絶対にイヤ。割に合わないわ」
「し、しかし……」
トンプソンが食い下がる。
「我々は賢明に使う!
些細な変更に留めれば、そこまで大きな影響は出ないはずだ!
国家の最高機密として厳重に管理し、シミュレーションを重ねれば……」
「……はぁ」
KAMIは、心の底から呆れたような顔をした。
言葉で言っても分からないなら、見せるしかない。
「分かったわ。
そんなに自信があるなら、試してみましょうか」
彼女は指を鳴らした。
会議室の風景が一変する。
そこは、KAMIの演算能力が生み出した仮想現実空間だった。
「じゃあ、『シミュレーション』で試してみましょう。
もしあなたが過去にメールを送ったら、世界がどうなるか。
トンプソン大統領、あなたが実験台よ」
「望むところだ!」
トンプソンは自信満々に言った。
「私がいかに慎重で、かつ効果的な改変を行えるか、証明してみせよう」
「じゃあ、お題は何でもいいけど……。
そうね、昨日のランチ何食べた?」
「ステーキだ。
だが焼きすぎて固かったな。あれは失敗だった」
「OK。
じゃあ昨日のあなたに、『ステーキはやめてスープにしろ』ってメールを送ってみましょう。
たったそれだけ。
ランチのメニューを変えるだけの、誰にも迷惑をかけない些細な変更よ。
……いいわね?」
「ああ。
そんなことで世界が変わるはずがない」
KAMIが仮想の送信ボタンを押した。
シミュレーションが開始される。
***
【因果律シミュレーション開始】
1.【過去】昨日の正午。
ホワイトハウスのトンプソンは、未来からのメールを受け取る。
「ステーキは固いからやめろ。スープにしろ」。
彼は苦笑し、オーダーを変更する。
テーブルには、熱々のオニオングラタンスープが運ばれてくる。
2.【過去】正午15分。
トンプソンはスープを口にする。
「熱ッ!!」
彼は舌を火傷した。ステーキなら起きなかった些細な事故。
彼は舌のヒリヒリする痛みに不機嫌になる。
水を飲み、氷を含み、痛みを紛らわせようとする。
3.【過去】正午20分。
執務室に一本の電話が入る。
相手はアフリカの小国「ザンガ共和国」の大統領だ。
ザンガ共和国は世界有数の鉱山を持ち、さらに魔石を先進国への輸送ルートの要衝に位置する重要な国だった。
だが内戦の危機に瀕しており、アメリカの緊急支援を求めていた。
4.【過去】電話会談。
トンプソンは受話器を取る。
舌が痛い。喋るのが億劫だ。不機嫌さが声に出る。
ザンガ大統領の必死の訴えに対し、彼は舌の痛みに気を取られ、つい生返事をしてしまう。
「ああ、検討する。後で連絡する(今は喋りたくない)」
そして、早々に電話を切ってしまった。
5.【過去】ザンガ共和国。
電話を切られたザンガ大統領は絶望した。
「アメリカに見捨てられた……。もはや頼るべきは力のみか」
彼は四カ国主導の国際秩序に見切りをつけた。
そして、隣国の反米武装勢力との提携を決断。
即日、国境地帯での武力衝突が開始された。
6.【過去→現在】連鎖反応。
戦争勃発。
ザンガ共和国を経由する魔石の輸送ルートが、完全に遮断される。
世界の魔石供給量の30%が、突如として消滅した。
7.【現在】市場崩壊。
エネルギー供給の不安から、ニューヨーク、東京、ロンドンの株式市場が大暴落。
「ダンジョン関連株」が紙屑となり、魔石に依存していた電力会社やメーカーが連鎖倒産。
世界中でパニック売りが発生。
8.【現在】世界の沈没。
経済が破綻した四カ国は、責任を押し付け合う。
「アメリカの外交ミスだ!」と中国が非難し、「中国の工作だ!」とアメリカが反発。
協調体制は崩壊。
国内では失業者が溢れ、食料と魔石を求めて暴動が発生。
ホワイトハウスの前は、怒れる群衆によって炎に包まれている。
***
映像が途切れた。
会議室に戻った四人の男たちは顔面蒼白で、言葉を失っていた。
目の前のモニターには、荒廃した世界のビジョンが焼き付いている。
「……スープ……」
トンプソンが、震える唇で呟いた。
「たった一杯の……スープで……。
世界恐慌が起きるというのか……?」
「そうよ」
KAMIは冷酷に告げた。
「ランチのメニューを変えただけ。
でも、その些細な変化が巡り巡って、誰かの機嫌を変え、判断を変え、そして世界の運命を変える。
これが『バタフライエフェクト』よ。
あなたたち人間社会のバランスなんて、所詮はその程度で成り立ってるの。
一度崩れれば、ドミノ倒しのように全てが壊れる」
彼女は、絶望する指導者たちを見下ろした。
「ね? 言ったでしょ?
時間はグニャグニャで予測不能なの。
これを渡して、あなたたちが『良かれと思って』過去を変えるたびに、私がこの壊れた世界を修復しなきゃいけないのよ?
……そんなの御免だわ」
王将軍が脂汗を拭いながら呻いた。
「我々の繁栄は、これほど脆い氷の上にあったのか……」
ヴォルコフ将軍も返す言葉がない。
完全なる拒絶。
時間操作などという神の領域に、人間が手を出してはいけないのだという絶対的な教訓。
彼らは諦めるしかなかった。
その時。
KAMIがふと、悪魔のような、そしてどこか誘うような声を漏らした。
「――まあ、今のは『最悪のパターン(バッドエンド)』を引いただけだけどね」
「……え?」
沢村が顔を上げる。
「今回はたまたまスープが熱すぎた。
たまたま電話の相手が情緒不安定だった。
運が悪かっただけよ。
もし、スープじゃなくてサンドイッチにしてれば舌を火傷しなくて、電話対応もスムーズで、戦争は起きなかったかもしれない」
KAMIは空中に、複雑な樹形図を投影した。
そこには、無数に分岐する未来の可能性が示されていた。
「それにね。
もし戦争が起きそうになったら、さらに追加で『戦争するな』ってメールを過去に送って、修正した歴史をさらに修正すればいいじゃない」
彼女は指先で、赤い線(破滅のルート)をなぞり、それを青い線(生存のルート)へと強引に書き換えてみせた。
「失敗したら、また過去を変える。
それもダメなら、もっと前を変える。
理論上はね……何度も何度も修正を繰り返して、パズルを解くように無数の失敗ルートを潰していけば……。
いつか必ず、全てが丸く収まる『正解のルート(世界線)』にたどり着くことは、技術的には可能よ」
彼女は微笑んだ。
「挽回はできるわ」
その言葉は、絶望の淵にいた彼らにとって、あまりにも甘美な、そしてあまりにも危険な誘惑だった。
やり直せる。
失敗しても、またやり直せばいい。
正解にたどり着くまで、何度でも。
「なら!」
トンプソンが、再び希望に取り憑かれたように叫んだ。
「やはり欲しい!
我々が責任を持って正解を見つける!
どんなに失敗しても、諦めずに修正し続ける覚悟はある!」
「ぜひ!」
王将軍も続く。
「国家の総力を挙げて、最適解を計算してみせる!」
だが、KAMIの返答はにべもなかった。
「だーめ」
彼女は腕をバッテンにした。
「えっ……?」
「だから言ったでしょ?
あなたがたが『正解』を見つけるまで、何千回何万回と世界をリセットして、そのたびに発生する矛盾のしわ寄せ(タイムパラドックス)の処理をするのは、誰だと思ってるの?」
KAMIは自分の顔を指さした。
「管理者の私よ。
超・めんどくさいの。
あなたたちが『あ、失敗した! リセット!』ってやるたびに、私が裏で必死に因果律のコードを書き直さなきゃいけないのよ?
私の労力を考えなさいよ」
彼女は、心底嫌そうに言った。
「技術的には可能だけど、私のワークライフバランス的にパス。
却下よ、却下。
今の世界で、一発勝負で頑張りなさい」
神の都合(面倒くさい)。
それが、人類の究極の夢を阻む最大の壁だった。
だが沢村と九条は、そこで諦めなかった。
彼らは顔を見合わせ、そして一つのギリギリの妥協案を思いついた。
「……KAMI様」
沢村が静かに切り出した。
「分かりました。この技術、今は『封印』しましょう。
我々の手には余る。常用すれば世界を壊し、貴女様の手を煩わせるだけだ」
彼はトンプソンたちの顔を見た。彼らも同意しているようだった。
日常的なリセットは諦める。
だが……。
「しかしKAMI様。
もし将来……我々の努力ではどうしようもない『破滅的な出来事』が起きてしまった時は、どうでしょうか?」
沢村は続けた。
「小惑星の衝突、未知のウイルスのパンデミック、あるいは制御不能なダンジョンの暴走……。
人類が滅亡するような取り返しのつかない最悪の事態になった時。
その時だけ、たった一度だけこの技術を使わせていただけませんか?」
彼は頭を下げた。
「『最後の保険』として。
人類のセーブデータを一つだけ持たせてはいただけないでしょうか」
その謙虚で、そして切実な願い。
KAMIはしばらくの間、じっと沢村の目を見つめていた。
やがて彼女は、ふっと息を吐き、苦笑した。
「……なるほどね。保険か」
彼女は、ポップコーンの最後の一粒を口に放り込んだ。
「いいわよ。
どうにもならなくなって、本当に『詰んだ(ゲームオーバー)』ってなった時は言ってちょうだい。
その時は特別に、リセットボタンを押させてあげるわ」
「おお……!」
四カ国の首脳たちが、安堵の声を漏らす。
「ただし」
KAMIは釘を刺した。
「本当に『最後』よ?
選挙に負けたとか、株が暴落したとか、そんな些細な理由じゃ絶対に動かないからね。
人類絶滅レベルの危機の時だけ。
……それに、使わないで済むように頑張りなさいよ?
修正作業、本当に面倒なんだから」
「承知いたしました!」
沢村が深く頭を下げた。
こうして会議は終わった。
人類は時間を自由に操る力は手に入れられなかった。
だが「失敗しても、最悪の場合は一度だけやり直せるかもしれない」という、究極の切り札(兼・爆弾)を懐に入れたまま、今の現実を歩んでいくことになった。
KAMIが消え、通信が切れた後。
静まり返った官邸の執務室で、沢村がボソッと呟いた。
「……しかし九条君。
KAMI様自身は、時間を巻き戻してやり直したことはあるんですかな?」
その問いに九条は、ふと以前KAMIが漏らした言葉を思い出した。
『セーブ&ロードはゲーマーの基本だけど……現実は一発撮りの方がスリルがあって楽しいわよ?』
「……さあ。
ですが彼女なら、失敗した世界さえも『バッドエンドルート』として楽しんでいるのかもしれませんな」
「……違いない」
沢村は苦笑した。
神はリセットしない。
だからこそ人間は、リセットに頼らず、この一回きりの現実を必死に生き抜くしかないのだ。
たとえそのポケットに、禁断のスイッチが入っていたとしても。
彼らの眠らない戦いは、また一つ重い秘密を抱えて続いていくのだった。




