第180話
東京・永田町。
国会議事堂、衆議院予算委員会室。
この神聖なる言論の府は、連日連夜、怒号と野次、そして悲痛な訴えが飛び交う戦場と化していた。
議題は、国民生活の全てを飲み込みつつある「ダンジョン」について。
特にこの日は、これまでタブーとされてきた「企業のダンジョン参入障壁」を巡り、与野党が真正面から激突する天王山となっていた。
委員長席の後ろ、時計の針は午後一時を回っている。
NHKの国会中継が入るこの時間帯。
テレビの前の国民、とりわけ地方の中小企業経営者や、大企業の特区参入を指をくわえて見ていた「持たざる経営者」たちは、固唾を飲んで画面を見つめていた。
「――総理! 総理にお伺いします!」
質問に立ったのは、野党第一党の論客、立花議員だった。
彼女は手元のフリップを掲げ、鋭い視線でひな壇の閣僚たちを射抜いた。
「現在、ダンジョン事業への企業参入は『特区制度』という名の下に、事実上、資本金100億円以上の一部の大企業だけに独占されています。
彼らは『安全管理能力』という美名の下に利権を独占し、莫大な富を築き上げている。
一方で地方の中小企業はどうですか? 原材料費の高騰、人手不足、そしてエネルギーコストの上昇……。
ダンジョン景気の恩恵を受けるどころか、その副作用で倒産の危機に瀕しているのです!」
彼女はフリップをめくった。
そこには、現在のF級ダンジョンにおける驚くべき収益データが示されていた。
「ご覧ください。
これは民間シンクタンクが試算した、現在のF級ダンジョンにおける、探索者一人の一日あたりの平均収益です。
魔石の価格高騰、ドロップアイテムの安定供給、そしてオーラジェムの副収入……。
これらを合わせると、F級ダンジョンでの日当は平均して『20万円』を超えています!」
20万円。
議場がざわめく。
月収ではない。日当である。
アルバイト感覚で潜る学生でさえ数万円を稼ぐ時代。
装備を整え、組織的に周回すれば、その額は跳ね上がる。
「日当20万円。月20日稼働で400万円。
年商にして一人あたり約5000万円です!
社員10人の小さな町工場でも、全員でダンジョンに潜れば、年商5億円の優良企業に生まれ変われるのです!
本業が傾き、明日の支払いにも困っている中小企業の社長たちがこの数字を見てどう思うか!
『なぜ我々は締め出されているのか』『なぜ大企業だけが許されるのか』と、血の涙を流しているのです!」
立花は机を叩いた。
「危険なB級やC級ならいざ知らず、今のF級ダンジョンは適切な装備さえあれば『工事現場より安全』とさえ言われています!
死亡事故ゼロの記録も更新中だ!
それなのになぜ政府は頑なに中小企業の参入を阻むのですか!
これは『安全』を口実にした経済連への利益誘導ではありませんか!
F級だけでも中小企業に開放すべきです!」
割れんばかりの拍手と、与党席からの野次。
「そうだ!」「中小を見捨てるな!」「安全はどうするんだ!」
その喧騒の中、沢村総理がゆっくりと立ち上がり、答弁席へと向かった。
彼の顔には、いつもの疲労の色が濃く滲んでいるが、その目は冷静だった。
「えー、立花議員のご指摘、痛いほどよく分かります。
F級ダンジョンの収益性が極めて高いこと、そしてそれが中小企業の経営再建にとって魅力的であることは、政府としても重々承知しております」
沢村は慎重に言葉を選んだ。
「しかし、企業として参入するということは、従業員に対して『業務命令』として危険区域への立ち入りを命じるということです。
個人の探索者が自己責任で潜るのとは訳が違う。
企業には『安全配慮義務』があります。
F級が安全だといっても、それは絶対ではない。
万が一の事故が起きた際、体力の乏しい中小企業に十分な補償ができるのか。
そこが最大の懸念点なのです」
「補償補償と仰いますが!」
立花が食い下がる。
「大手企業が結んでいるという『死亡時3億円』の特別協定!
あれこそが中小企業を排除するための参入障壁になっているのではありませんか!
F級で死ぬリスクなど交通事故より低い。
なのにB級と同じ基準の補償能力を求めるから、中小は参入できないのです!
F級限定なら、補償額の基準を下げるべきだ!」
その指摘は鋭かった。
政府と経済連が密室で決めた「3億円」という数字。
それは確かに、中小企業にとっては絶望的な壁だった。
ここで答弁席に立ったのは、麻生ダンジョン大臣だった。
彼はニヤリと笑い、マイクを握った。
「立花先生。威勢がいいのは結構ですがね」
麻生のダミ声が響く。
「じゃあ聞きますが、あなたの選挙区の小さな工場の社長が従業員をダンジョンに連れて行って、運悪くその従業員が死んだとしましょう。
社長は泣きながら言うでしょうな。『補償金なんて払えない、会社ごと潰れるしかない』と。
その時、路頭に迷った遺族の生活は誰が面倒を見るのですか?
国ですか? 税金ですか?
儲けは会社のもの、リスクは国のもの。そんな都合のいい話はありませんよ」
「だからこそ!」
立花はひるまなかった。
「制度設計の話をしているのです!
中小企業向けの『ダンジョン保険』を国主導で作ればいいではありませんか!
高い掛け金を払ってでも参入したい企業は山ほどある!
リスクを分散し、機会を平等に与える。それが政治の役割でしょう!」
「保険ねぇ……」
麻生は頭をかいた。
「民間保険会社も試算はしてますよ。ですが、データが不足していて掛け金が決まらない。
国がやれと言いますが、その財源は?
また国債ですか? 将来世代へのツケ回しですか?」
議論は平行線を辿るかに見えた。
だが、この日の国会にはいつもとは違う空気が流れていた。
与党席からも、野党の主張に同調するようなざわめきが起きていたのだ。
なぜなら、彼ら議員の地元からも「なんとかしてくれ」「俺たちにも掘らせろ」という突き上げが、限界まで高まっていたからだ。
その時、一人の男が手を挙げた。
与党・民自党の若手エースであり、経済産業部会長を務める園田議員だった。
彼は党の方針に反してでも発言する「改革派」として知られていた。
「委員長、関連質問を許可願います」
許可を得て立った園田は、麻生大臣ではなく、九条官房長官に向かって問いかけた。
「九条長官。私は現場の声を聞いて回りました。
実態を申し上げましょう。
今、多くの中小企業の社長たちが何をしているかご存知ですか?」
園田は声を張り上げた。
「彼らは『会社』としてではなく、『個人』としてダンジョンに潜っているのです!
社長と有志の社員たちが週末に『サークル活動』という名目で集まり、F級ダンジョンで魔石を稼いでいる。
そしてその売上を、会社の運転資金に回している!
これが実態です!」
議場がどよめく。
それは公然の秘密だった。
法人の参入が認められていないなら、個人として潜ればいい。
「社長の趣味に社員が付き合っている」という体裁で、実質的な業務を行っている中小企業が、全国で急増していたのだ。
「これは非常に危険な状態です!」
園田は続けた。
「法的な保護も指揮命令系統も曖昧なまま、なし崩し的に業務が行われている。
もし事故が起きれば、労災も下りず、誰も責任を取れない!
この『脱法ダンジョン経営』を放置するくらいなら、F級に限定してでも法人参入を認め、ルールの中で管理した方が、よほど安全で健全ではありませんか!」
九条はその指摘を無表情で聞いていた。
だが内心では舌を巻いていた。
(……よく調べ上げている。その通りだ。現状の『黙認』は限界に来ている)
九条はゆっくりと立ち上がり、答弁席へ向かった。
彼の四つの身体のうち、今ここにいるのは本体だ。
彼はこの場の空気を読み、そして一つの決断を下すためにここにいた。
「……園田議員のご指摘、重く受け止めます」
九条の声は静かだが、議場の隅々まで届いた。
「現状の『建前』と『本音』の乖離が限界に来ていることは、政府としても認識しております。
F級ダンジョンの収益性が、中小企業の存続にとって『命綱』になりつつある現実も、無視できません」
彼は手元の資料に目を落とした。
そこには、KAMIから送られてきた最新のダンジョンデータと、警察庁・経産省がまとめた「闇探索」の実態調査報告があった。
「KAMI様も仰っておりました。『F級ならまあ死なないしいいんじゃない?』と」
その一言で議場の空気が緩む。
神の許可があるなら話は早い。
「政府としては、経済連との調整を必要としますが……。
『F級ダンジョン』および『採掘・採取型ダンジョン』に限定し、一定の条件を満たした中小企業の参入を解禁する方向で、検討に入ります」
「おおっ!」という歓声と拍手が巻き起こる。
「ただし!」
九条は釘を刺した。
「無条件ではありません。
『中小企業ダンジョン共済制度』への加入を義務付けます。
これは、参入する企業が毎月一定額を拠出し合い、万が一の事故の際の補償金をプールする相互扶助の仕組みです。
これならば、一社では負担しきれないリスクを、業界全体でシェアできる」
「そして、装備基準の厳格化です。
『F級装備フルセット』の着用を義務付ける。バットや鉄パイプでの業務従事など、断じて認めません。
装備を揃える資金がない企業には、政府系金融機関からの低利融資枠を設けます」
九条は麻生大臣の方をちらりと見た。
麻生は「やれやれ金のかかることだ」という顔をしながらも、微かに頷いた。
貸付ならば回収の目処が立つ。ダンジョンで稼げば返せるのだから。
「この新しい枠組み、『中小企業ダンジョン参入特例法案』を、今国会中に提出いたします。
以上です」
議場は拍手に包まれた。
それは与野党を超えた、日本の「現場」の声が政治を動かした瞬間だった。
***
その日の夜のニュース番組は、この話題で持ちきりだった。
『中小企業にもダンジョンの扉が開く! 政府F級限定で解禁へ』
『起死回生の魔石採掘! 町工場の社長たちが歓喜』
『「これで社員の給料を上げられる」 涙の会見』
画面の中では、油にまみれた作業着姿の社長たちが、居酒屋で祝杯を上げている映像が流れていた。
「いやー長かった! やっと堂々と潜れる!」
「うちは板金加工の技術があるから、ドロップした剣の研磨とかメンテナンスも自社でやるつもりだ!」
「俺たちの技術と根性を見せてやる!」
日本の中小企業、その底力が、ダンジョンという新たなフィールドで爆発しようとしていた。
***
官邸地下。
沢村と九条は、そのニュースを見ながら、ようやく一息ついていた。
「……これでよかったのかな、九条君」
沢村がネクタイを緩めながら言った。
「パンドラの箱を、さらに広く開けてしまったような気がするが」
「ええ。リスクは増えました」
九条は冷静に分析する。
「参入者が増えれば、事故の確率も上がります。
それに、中小企業が力をつければ、これまでの大企業中心の経済秩序が揺らぎ、新たな摩擦が生まれるでしょう。
経済連の三田村会長あたりは、面白くない顔をしているはずです」
「だが」と九条は続けた。
「国全体の活力を考えれば、これは必要な劇薬です。
F級ダンジョンで日当20万円。
この富が大企業の内部留保として吸い上げられるのではなく、中小企業の現場、つまり国民の懐に直接落ちる。
これ以上の景気対策はありません」
「そうだな」
沢村は頷いた。
「国民が豊かになれば、不満も減る。
……まあ、ダンジョン中毒者が増えるという副作用はあるがな」
***
そして、その動きを敏感に察知したのがKAMIだった。
東京のマンション。
彼女は中小企業解禁のニュースを見ながら、新しい企みを巡らせていた。
「へえ。おじさん達も参戦するんだ」
彼女はポテトチップスを食べながら、モニターを眺める。
「町工場の技術力とか、農業のノウハウとか。
そういうのがダンジョンに入ってきたら、また面白い化学反応が起きそうね」
本体の栞が、PCに向かいながら言った。
「そうね。彼らはただ戦うだけじゃないわ。
ダンジョンの環境を利用して、新しいビジネスを始めそう。
例えば、ダンジョン内でのキノコ栽培とか、湧き水を使った酒造りとか」
「あ、それいい!」
KAMIが食いついた。
「ダンジョン産日本酒! 飲んでみたい!」
「あなた未成年(の見た目)でしょ」
栞がたしなめる。
「ちぇっ。
ま、いいわ。
プレイヤーが増えるなら、サーバー増強もしなきゃね」
KAMIは指先で操作し、F級ダンジョンの収容人数上限を拡張した。
「それと……。
おじさん達向けに、新しいドロップアイテムも用意してあげましょうか」
彼女は悪戯っぽく笑った。
「『職人の金槌』とか『豊穣の鍬』とか。
戦闘用じゃなくて、生産・採取活動に特化したユニークアイテム。
これがあれば、彼らの職人魂にも火がつくでしょ?」
「また市場が荒れるわよ?」
「いいのよ。
汗水垂らして働く人が報われる世界。
それって素敵じゃない?」
神の新たな慈悲(という名の燃料投下)が決定された。
日本は今、大企業も中小企業も学生も主婦も、誰も彼もがダンジョンを目指す「一億総探索者時代」へと突入していた。
日当20万円の夢。
それは、この国の停滞感を打ち破る強烈な光だった。
だが、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。
その熱狂の裏で、B級ダンジョンという「死の領域」の開放準備が、着々と進められていることを、彼らはまだ知らなかった。
「……稼げるうちに稼いでおきなさい」
KAMIはモニターの向こうの人々に向けて、小さく呟いた。
「次のステージは、お金じゃ解決できない問題が山積みだから」
彼女の赤い瞳が、不吉に、そして楽しげに輝いた。
神のゲームは、まだまだ続いていく。




