第174話
東京、ワシントン、北京、モスクワ。
世界の運命を決定づける四つの首都を繋ぐ、最高機密のバーチャル会議室。
「ダンジョン配信」のグロテスク問題に対する「年齢確認ボタン(YES/NO)」の実装から一ヶ月。
世界は奇妙な安定期に入っていた。
人々は配信の過激さに慣れ、また探索者たちも、F級・E級という現在の環境における「最適解」を確立しつつあった。
耐性装備を整え、ライフを盛り、そして物理で殴る。あるいは魔法を撃つ。
そのルーチンワークは、もはや日常の労働となり、経済の一部として完全に組み込まれていた。
だが、この会議室に集う四人の男たち――沢村総理、九条官房長官、トンプソン大統領、王将軍、ヴォルコフ将軍――は、その安定が「嵐の前の静けさ」に過ぎないことを肌で感じていた。
彼らは知っている。
この世界の「運営者」であるKAMIが、プレイヤー(人類)が今の環境に慣れきったこのタイミングを、決して見逃すはずがないことを。
「――定刻です。四カ国定例首脳会議を始めます」
議長役の九条官房長官が、いつもの冷徹な声で宣言した。
彼の四つの身体は、それぞれのモニターで世界のダンジョン攻略進捗率を表示している。
「現在のD級ダンジョンの踏破率は、全世界平均で85%を超えました。
トップ層に至っては、もはや『周回作業』の段階に入っており、ドロップ品の供給過多による価格下落も始まっています。
市場は、そして探索者たちは、飢えています。
次なる刺激、次なるフロンティアに」
「うむ」
トンプソン大統領が、葉巻の煙を吐き出しながら頷いた。
「我が国のアークエンジェル部隊も、暇を持て余しているようだ。
スケルトン相手の射撃訓練も、そろそろ飽きが来ている。
スケジュール的にも、そろそろ『次』が来てもおかしくはない」
「C級ですな」
王将軍がギラリと目を光らせた。
「我が国の『青龍』は、既にC級攻略を見越した編成の再編を終えている。
いつでも来い、という状態だ」
彼らの予感は正しかった。
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、会議室の空気が変わった。
重厚な電子音と共に、円卓の中央にホログラムのノイズが走る。
現れたのは、いつものゴシック・ロリタ姿の少女KAMI。
今日の彼女は、どこか楽しげに、手元の空中に浮かべた複雑な魔法陣のようなパラメータ・ウィンドウを指先でいじっていた。
その手には、日本のコンビニスイーツ「プレミアムロールケーキ」が握られている。
「やっほー。みんな元気にしてた?」
KAMIはロールケーキを一口食べると、四人の指導者たちを見回した。
「そろそろ退屈してきた頃だと思ってね。
今日は『大型アップデート』のお知らせに来たわ」
その一言に、四人の背筋が伸びる。
来た。
「KAMI様」
沢村総理が身を乗り出す。
「やはりC級ダンジョンの解禁ですか?」
「ご名答」
KAMIはにっこりと笑った。
「スケジュール的にも丁度いい頃合いでしょ?
みんな装備も整ってきたし、レベルも20で頭打ちになってきたし。
そろそろ次のステージへ、ご招待するわ」
彼女は空中に、C級ダンジョンの概要を投影した。
【C級ダンジョン:解禁予定】
【推奨レベル:20〜30】
【特徴:モンスターの組織的な戦闘行動及び『回避能力』の実装】
「……回避能力?」
トンプソンが眉をひそめた。
「それは敵が攻撃を避けるということかね?
そんなものは今までも、ゴブリンだってやっていたことだが」
「チッチッチッ」
KAMIは指を振った。
「甘いわね、大統領。
今までのは単にモンスターが『動いて避けた』だけ。物理的な挙動の話よ。
でも今回実装するのは、システム的な『回避(Evasion)』よ」
彼女は、その恐るべき新仕様について、淡々と、しかし楽しそうに語り始めた。
「C級からはね、敵のステータスに『回避率(Evasion Rating)』というパラメータが設定されるの。
これに対抗するためには、あなたたち攻撃する側にも『命中率(Accuracy Rating)』が必要になるわ」
彼女はシミュレーション映像を見せた。
熟練の剣士が、止まっている敵に向かって剣を振り下ろす。
剣の軌道は完璧だ。物理的には間違いなく当たっている。
だが――。
ヌルッ。
剣は敵の身体を、まるで幻影か油のように滑り抜け、ダメージ判定が発生しない。
敵は避ける動作すらしていないのに、攻撃が「当たらなかった」ことになっている。
「……なっ!?」
ヴォルコフ将軍が絶句した。
「当たっているではないか! なぜ斬れない!?」
「それが『回避』よ」
KAMIは涼しい顔で言った。
「こちらの命中値が敵の回避値を下回っている場合、攻撃は確率で『ミス(Miss)』になる。
物理的に当たってようが何だろうが、システムが『当たらなかった』と判定するの。
C級のモンスター、特に素早いタイプや飛行タイプは、この回避値がかなり高く設定されているわ」
彼女は冷酷な事実を告げた。
「今のあなたたちの装備やステータスだと……そうねぇ。
C級モンスターへの命中率は、だいたい60%から70%くらいかしら?
つまり3回に1回は攻撃がスカる。
必殺の一撃も、ここぞという時のスタン攻撃も、3割の確率で無効化されるわ」
戦慄が走る。
命のやり取りをしている最中に、3割の攻撃が無効化される。
それは火力(DPS)が3割減るということ以上に、戦術の計算が成り立たなくなることを意味していた。
「あと一撃で倒せる」と思って踏み込んだ攻撃がスカり、逆にカウンターを食らって死ぬ。
そんな光景が容易に想像できた。
「……理不尽な」
沢村が呻いた。
「物理法則を無視している……」
「ダンジョンだもの」
KAMIは笑った。
「嫌なら魔法を使いなさい。
あ、これ重要なヒントだけど」
彼女は指を立てた。
「『魔法』には、命中とか回避の概念がないの。
魔法は『必中』よ。
ファイアボールもライトニングボルトも、相手に当たりさえすれば(物理的に接触すれば)、システム的な回避判定は行われない。必ずダメージが入るわ」
「……ほう」
王将軍が反応した。
「つまりC級からは、魔法職が有利になると?」
「そうね。少しだけね」
KAMIは頷いた。
「今まで『物理最強!』『剣聖ケンタTUEEE!』って、物理職ばっかり調子に乗ってたけど、ここからは少し風向きが変わるわよ。
物理職は『命中』という新しいステータスを確保しないと、攻撃が当たらなくてイライラすることになる。
一方で魔法職は、その心配がない分、火力を出しやすい環境になるわね」
メタ(流行)の変遷。
運営(KAMI)による意図的なバランス調整だ。
「……なるほど。魔法職の復権ですか」
九条がメモを取る。
「ですがKAMI様。物理職の探索者たちはどうすれば?
彼らは剣や斧しか使えません。命中を上げる手段がなければ、彼らはC級で全滅してしまいます」
「もちろん救済措置はあるわよ」
KAMIはロールケーキの最後の一口を食べ終えると、新しいアイテムのデータを提示した。
「そのための前哨戦として、C級解禁と同時に新しい種類のスキルジェムをドロップさせるわ。
名付けて――『オーラ・スキルジェム(Aura Skill Gems)』よ」
オーラ。
その響きに、四人の指導者たちが身を乗り出す。
「オーラとは……ドラゴンボールのような?」
トンプソンが、意外と詳しい知識を披露する。
「まあ、見た目はそんな感じね」
KAMIは解説を始めた。
「オーラはね、発動すると自分の周囲に常時展開されるバフ(強化)フィールドのことよ。
自分だけじゃなくて、近くにいるパーティメンバー全員にも効果がある。
例えば……」
彼女は、一つのジェムのデータを表示した。
緑色に輝く、精緻なカットが施された宝石。
【スキルジェム:プレシジョン(Precision)】
【種別:オーラ】
【効果:あなたと周囲の味方の『命中率』と『クリティカル率』を上昇させる】
「これよ。『プレシジョン(精密)』。
これを発動していれば、自分と仲間の命中率が劇的に上がるわ。
レベルを上げていけば、C級の回避型モンスター相手でも、命中率100%を維持できるようになる。
物理職にとっては、必須級のスキルね」
「おお……!」
沢村が安堵の声を上げた。
「対策はあるわけですね。これがあれば、剣士たちも戦える」
「他にも色々なオーラがあるわよ」
KAMIは次々と、リストを表示させた。
【ヘイスト(Haste)】:移動速度と攻撃速度を上げる。
【ディターミネーション(Determination)】:物理防御力を上げる。
【グレース(Grace)】:回避率を上げる。
【ヴァイタリティ(Vitality)】:ライフ自然回復速度を上げる。
【クラリティ(Clarity)】:マナ自然回復速度を上げる。
【エレメンタル・ピュリティ(Purity of Elements)】:全属性耐性を上げる。
「攻撃、防御、速度、回復……。
パーティの弱点を補ったり、長所を伸ばしたり。
オーラがあれば、戦術の幅がぐっと広がるわ」
「素晴らしい!」
ヴォルコフ将軍が膝を打った。
「全部使えば無敵ではないか!
命中を上げ、防御を固め、足を速くし、自動回復する……。
全オーラを展開した兵士は、まさに歩く要塞だ!」
だが、その言葉を待っていたかのように、KAMIが意地悪く笑った。
「あ、言い忘れてたけど。
オーラはタダじゃないわよ?」
「……タダではない?
MPを消費するのですか?」
「消費というか……『予約』するの」
リザーブ。
聞き慣れない単語に、首脳たちが顔を見合わせる。
「オーラはね、発動している間、あなたの最大MPの一部を『占有』し続けるの。
例えば『プレシジョン』なら一定量のマナを。
『ヘイスト』や『ディターミネーション』みたいな強力なオーラなら、最大MPの『50%』を予約するわ」
KAMIは図解した。
MPバーの半分が灰色になって、使用不可能になる映像。
「50%予約のオーラを使うと、あなたの使えるMPは残りの50%になる。
もし50%のオーラを二つ使ったら?
予約率100%。使えるMPはゼロよ。
スキルも魔法も、一切撃てなくなるわ」
「なっ……!?」
トンプソンが愕然とする。
「それでは攻撃ができないではないか!
通常攻撃しかできなくなるぞ!」
「そうよ。だから『選択』が必要なの」
KAMIは楽しそうに言った。
「攻撃スキルを使うためのMPを残しつつ、どのオーラを展開するか。
一般的には、50%のオーラを一つと、消費の少ないオーラを一つ……合計2つくらいが限界かしらね。
『全部乗せ』なんて、普通の人間には不可能よ」
リソース管理。
それが今回のアップデートの隠されたテーマだった。
強力なバフを得る代償として、リソースの自由を失う。
そのギリギリのバランスをどう構築するか。
「……なるほど。悩ましい仕様ですな」
九条が唸った。
「物理職はMPが余りがちですから、攻撃用のオーラを一つ張るのは容易でしょう。
ですが魔法職はスキルで大量のMPを使いますから、オーラでMPを減らすのは痛手です。
ここでもバランスが取られているわけですか」
「そういうこと」
KAMIは頷いた。
「でもね、世の中には『抜け道』というか『特化』という考え方があるわ」
彼女は新しい種類の装備品データを提示した。
「ユニークアイテムやパッシブスキルの中には、『オーラ予約効率(Reservation Efficiency)』を上げる効果を持つものがあるの。
『オーラのマナ予約量を10%減らす』とかね。
こういうのを全身にかき集めて、パッシブツリーもオーラ特化にして……。
そうすれば、3個、4個、あるいはそれ以上のオーラを同時に展開することも可能になるわ」
彼女は一つの可能性を示唆した。
「そうやって自分の攻撃能力を捨てて、MPの全てをオーラ維持に注ぎ込む。
自分は攻撃しない。ただ歩くだけ。
でもその周囲にいる味方は、攻撃力倍増、鉄壁の防御、超高速移動、超回復の恩恵を受けられる。
……そういう『オーラ専門の探索者』なんかも出てくるかもね」
その言葉に、麻生大臣の目がカッと見開かれた。
「……『歩くトーテムポール』あるいは『人間強化装置』ですか」
彼は即座に、その経済的・戦術的価値を計算した。
「これは……企業勢にとっては革命ですぞ。
6人のパーティの中に1人だけ、この『オーラ役』を入れる。
その1人は戦力にはなりませんが、残りの5人が2倍の強さになれば、トータル戦力は飛躍的に向上する!
個人の火力に頼るよりも、遥かに効率的だ!」
「その通り!」
王将軍も同意した。
「軍隊的な運用に最適だ。
小隊ごとに一人の『オーラ兵』を配置する。
そうすれば、部隊全体の生存率と殲滅速度が劇的に上がる。
個の強さではなく、集団の強さを最大化する……まさに我が軍のためのシステムだ!」
「『オーラ・ボット(Aura Bot)』……」
トンプソンが、ネットゲーム用語を呟いた。
「ロボット(ボット)のように後ろをついて歩き、バフを撒くだけの存在。
……人権派が聞いたら発狂しそうな役割だが、需要は確実にあるな」
「ええ」
KAMIはニヤリとした。
「ソロのプレイヤーには関係ない話かもしれないけど、パーティプレイ、特に大規模な組織にとっては、このオーラ役の有無が効率を分ける決定的な差になるわ。
『オーラ役』専門の求人とか始まるかもね?」
九条が、すかさず懸念点を挙げた。
「ですが報酬の分配はどうなりますか?
オーラ役本人はモンスターを倒しません。ダメージも出しません。
貢献度が可視化されにくい。
『お前は後ろで歩いてただけだろ』と言われて、報酬を減らされるトラブルが頻発しそうです」
「そこは交渉次第ね」
KAMIは突き放した。
「むしろ逆かもよ?
優秀なオーラ役は希少だから、『俺を入れたきゃ報酬を割増しろ』って強気に出られるかもしれない。
『俺がいないと攻撃当たらないでしょ?』ってね。
需要と供給。ここでも市場原理が働くわ」
彼女は楽しそうに想像した。
「『時給100万でオーラ貼ります』みたいな傭兵ビジネスとか。
あるいは『複数のオーラ役』を入れて、攻撃オーラ担当と防御オーラ担当を分ける変則パーティとか。
人間たちがどんな『最適解』を見つけ出すか、見ものね」
C級ダンジョン。
そこは単なる殴り合いの場から、高度な「役割分担」と「リソース管理」が求められる戦術の場へと進化しようとしていた。
「……分かりました」
沢村総理が、深く息を吐きながらまとめた。
「C級の解禁及びオーラシステムの実装。
我々としては、これを受け入れ、国民への周知と対策を進めます」
「ええ、任せたわ」
KAMIは立ち上がった。
「C級は今までとは違うわよ。
『攻撃が当たらない』というストレスは、人間を焦らせ、ミスを誘発する。
そしてそのミスは、死に直結する。
……しっかり準備しないと、死人の山が築かれることになるわよ」
彼女は最後に、冷徹なアドバイスを残した。
「『命中』を軽視するな。
当たらない攻撃は、威力無限大でもゼロと同じ。
そのことを、馬鹿な脳筋たちに叩き込んでおきなさい」
KAMIは姿を消した。
残された四カ国の指導者たちは、即座に行動を開始した。
「――広報官! 緊急のアナウンスを準備しろ!」
沢村が叫ぶ。
「『命中率の重要性』についてだ!
F級・E級の感覚でC級に行くなと、徹底的に周知させろ!
それと『プレシジョン』のジェム!
これの確保を最優先事項とする!」
「軍に伝令!」
トンプソンも動く。
「アークエンジェル部隊の編成を見直せ!
各分隊に『オーラ担当官』を配置する。
適性の高い兵士を選抜し、専用の育成プログラムを開始しろ!」
「オーラ・スキルジェム市場の監視を強化せよ」
王将軍が指示を飛ばす。
「オーラ関連のスキルジェム、及び『予約効率』のついた装備。
これらは戦略物資だ。海外流出を阻止し、国内での確保を急げ!」
世界はまた、新しいルールに翻弄されようとしていた。
回避という壁。
オーラという鍵。
そして、支援職という新たなエリートの誕生。
ダンジョンの深層は、より複雑に、より深く人類を飲み込んでいく。
その先に待つのが栄光か、それとも全滅か。
新たなメタゲームの幕が、今、上がろうとしていた。




