第129話
夜の帳が下りた東京のマンションの一室。
そこは、世界中の国家元首が血眼になって行方を追う「神」の居城でありながら、その実態は、あまりにも生活感の漂う、快適なワークスペースだった。
橘栞は、愛用のワークチェアの上で大きく伸びをした。
背骨がパキポキと小気味よい音を立てる。トリプルディスプレイの一角には、先ほどまでプレイしていたシミュレーションゲームの画面が最小化されており、代わりにメインモニターには、地球全土を俯瞰する精緻なホログラフィック・マップが展開されている。
「さてと」
栞は、マグカップに残っていたコーヒーを一口すすると、傍らのソファでゴロゴロしている、もう一人の自分――ゴシック・ロリタ姿の KAMI に声をかけた。
「KAMI、休憩は終わり。次のフェイズよ」
「えー、もう? さっき『アステルガルド』の植生データを更新したばっかりじゃない」
KAMI は文句を言いながらも素直に起き上がり、ふわふわと宙を浮いて栞の隣へと移動してくる。
その手には、いつの間にか新しいポテトチップスの袋が握られていた。
「文句言わない。鉄は熱いうちに打て、バブルは熱いうちに広げろよ」
栞は、マップ上の日本列島を拡大表示させた。
現在、ダンジョンゲートが設置されているのは東京・渋谷の一箇所のみ。そこに全国から、いや、世界中から数十万の人々が殺到し、周辺のキャパシティは限界を超えつつある。ゲート網の整備によって移動の便は良くなったが、結局のところ「目的地」が一つしかないのであれば、そこがボトルネックになるのは自明の理だった。
「F級ダンジョンを、各都市に設置するわよ」
栞が宣言すると、KAMI は口元にポテチの欠片をつけたまま、ふんふんと頷いた。
「サーバーの負荷分散ね。基本中の基本だわ」
「そう。東京一極集中は、ゲームバランス的にも、リスク管理的にも良くないわ」
栞は指先で、マップ上の主要都市を次々とマーキングしていく。
「ゲートがあるとはいえ、物理的に人間が一箇所に集まりすぎるのはダメ。もし渋谷で何か……例えば大規模な火災、あるいは探索者のスキル暴発による事故が起きたら? 数十万人が将棋倒しになって、ダンジョンに入る前に死人が出るわ」
「まあ、その時は私が時間を巻き戻して『無かったこと』にすればいいだけだけど?」
KAMI がこともなげに言う。神の視点からすれば、災害などプログラムのバグ修正程度の労力でしかない。
「ダメよ、それじゃ健全じゃないわ」
栞は即座に却下した。
「何かあるたびに、神様がリセットボタンを押してたら、人間たちは学習しないし、緊張感もなくなる。『どうせ神様がなんとかしてくれる』っていう甘えは、文明を停滞させる一番の毒よ。リスクはリスクとして存在させつつ、システム側で致命的な破綻を防ぐ設計にする。それが、優れたゲームデザインというものよ」
「はいはい、仰せのままに。ゲームマスター様」
KAMI は肩をすくめた。
「で、どこに置くの? リクエストは山ほど来てるけど」
KAMI が空中にウィンドウを開く。そこには、日本中の自治体から届いた、血涙でも流しそうなほど切実な「ダンジョン誘致嘆願書」の山が表示されていた。
「バランスよくね。地方創生も兼ねて」
栞は、まるでシムシティで施設を配置するように、軽快な手つきでマップを操作し始めた。
「まず北から行きましょうか。北海道は……札幌は当然として、道東の拠点として、釧路か帯広あたりにも欲しいわね。広すぎるから、移動が大変だし」
地図上の北海道に、数点の光が灯る。
「東北は仙台をハブにしつつ、日本海側のアクセスも考慮して新潟にも一つ。関東は、渋谷だけじゃパンクするから、さいたま、横浜、千葉にも分散配置。これで、首都圏の混雑はだいぶ緩和されるはずよ」
光の点は南下していく。
「中部は名古屋。北陸は金沢。関西は、大阪・梅田のゲート付近に一つと、京都にも、観光ついでに潜れるようなライトなやつを配置しましょうか。『古都の地下迷宮』なんて、雰囲気があっていいじゃない」
「外国人観光客が喜びそうね」と KAMI が合いの手を入れる。
「中国・四国は広島と、あと高松あたりかしら。うどん食べてダンジョン潜るツアーとか、できそうね。九州は福岡・博多をメインに、南の鹿児島にも配置。桜島のエネルギーと地脈がリンクしてる設定にすれば、火属性の素材が出やすいダンジョンにできるわ」
「沖縄は?」
「那覇に一つ。リゾート気分で潜れる『海底洞窟風ダンジョン』なんてどう? 水着で攻略可能、みたいな」
「装備の防御力が心配だけど、まあ、見た目は映えそうね」
日本列島に、バランス良く、そして戦略的に光の点が配置されていく。
それは単なる穴ではない。それぞれの地域に、莫大な富と雇用、そして活気をもたらす、現代の金山だった。
「よし、日本の配置はこれで一旦完了。次は海外ね」
栞はマップを縮小し、地球儀を回した。
「アメリカ、中国、ロシア。こっちも、首都や一部の大都市だけに集中してる現状は不健全よ。国土が広い分、移動コストが馬鹿にならないし、格差が広がる原因になってる」
彼女は、北米大陸を拡大した。
「アメリカは……東海岸と西海岸だけじゃなくて、中西部や南部にも配置しましょう。シカゴ、ヒューストン、デンバー……。特にラストベルト(錆びついた工業地帯)には多めに置いてあげて。あそこの廃工場や閉鎖された炭鉱をダンジョンの入り口に利用すれば、再開発の手間も省けるし、失業者対策にもなるわ」
「トンプソン大統領が泣いて喜びそうな施策ね」
「中国は、内陸部への配置を重視。成都、武漢、西安……。沿岸部との格差是正は、彼らの悲願でもあるしね。ロシアは、シベリア鉄道沿いに点在させる感じで。寒冷地仕様のダンジョンなら、彼らの得意分野でしょう」
栞の指先が動くたびに、世界地図の上に新たな希望の灯火がともっていく。
それは、神による慈悲深い富の再分配であり、同時に、世界中をダンジョンというシステムに依存させるための、逃れようのない蜘蛛の巣の構築でもあった。
「……ふぅ。配置はこんなものかしら」
一通りの作業を終え、栞は満足げにマップを眺めた。
だが、彼女の目はまだ輝きを失っていない。むしろ、ここからが本番だと言わんばかりに、新しいウィンドウを開いた。
「さて、ここからが今回のアップデートの目玉よ」
「目玉?」
KAMI が首を傾げる。「F級ダンジョンを増やすだけじゃないの?」
「ただ増やすだけじゃ芸がないわ。F級ダンジョン『平原』や『洞窟』は、あくまで戦闘職向けの狩り場よ。でも、世の中には、戦うのが苦手な人や、もっと地道な作業が好きな人だっているわ」
栞は、とある並行世界のデータを呼び出した。
そこには、ツルハシを担ぎ、ヘルメットにヘッドライトをつけた男たちが、黙々と岩壁を掘り進めている映像が映っていた。
「――『鉱山ダンジョン』を実装するわ」
「鉱山?」
「ええ。モンスターの出現率を極端に低く設定した、採掘特化型のダンジョンよ。壁や地面を掘れば、F級の魔石や鉄鉱石、銅鉱石、たまに希少金属がザクザク出てくる。戦闘スキルは必要なし。必要なのは、体力と根気、そして採掘スキルだけ」
栞は熱っぽく語った。
「これなら、建設業者や土木作業員、あるいは引退した高齢者でも、安全に魔石産業に関わることができるわ。重機を持ち込んで大規模採掘するもよし、ツルハシ一本で一攫千金を狙うもよし。『戦わなくても稼げる』という選択肢を作ることで、探索者の裾野をさらに広げるの」
「なるほどねぇ……」
KAMI は感心したように唸った。
「確かに今のダンジョンは『反射神経』と『動体視力』の世界だものね。運動神経の悪い人やお年寄りにはハードルが高かった。でも『掘る』だけなら、誰でもできるわ」
「そう。それに、これは既存の産業界への救済措置でもあるの」
栞は、日本の建設業界のデータを表示させた。公共事業の減少、人手不足、資材高騰……。苦境にあえぐ業界の姿が、そこにあった。
「彼らの持つ重機や掘削技術は、ダンジョン採掘において最強の武器になるわ。トンネル工事のシールドマシンをダンジョンに持ち込んだら、どれだけの魔石が掘れると思う? 彼らに『新しい現場』を提供してあげるのよ」
「建設会社がダンジョン攻略の最前線に立つ……。なんかシュールだけど、日本っぽくて良いわね」
「でしょう? だから、各都市に配置したダンジョンのうち、いくつかはこの『鉱山タイプ』に設定を変更して。入り口のデザインも、洞窟っぽいのじゃなくて、廃坑とか鉱山の坑道入り口みたいな感じにして、雰囲気を出してあげて」
「了解。テクスチャ張り替えて、エンカウント率を調整するわ」
KAMI が指先を動かすと、マップ上のいくつかの光の色が、戦闘を示す「赤」から、資源を示す「黄金色」へと変わっていった。
北海道の夕張、福岡の筑豊……かつての炭鉱の町が、魔法の資源によって、再び蘇る未来が見えるようだ。
「あとは……そうね。『採取ダンジョン』も少し混ぜておきましょうか」
栞は、さらにアイデアを追加した。
「豊かな森や草原が広がる、自然豊かなフィールド型ダンジョン。そこでは、薬草や魔法の果実、そして木材が採取できる。これも戦闘は控えめで、林業や農業のノウハウが活かせる場所にしましょう。長野とか岐阜の山間部に配置すれば、林業従事者が喜ぶはずよ」
「戦うダンジョン。掘るダンジョン。採るダンジョン。……だいぶバリエーションが増えてきたわね」
「多様性は生存戦略の基本よ。色々な稼ぎ方があれば、それだけ多くの人がシステムに取り込まれる。そして、その全てが私の『対価』になる」
栞は、完成した配置図を最終確認した。
日本列島が、そして世界地図が、無数の光の点で埋め尽くされている。
それは、人類を次のステージへと引き上げるための、巨大な魔方陣のようにも見えた。
「……よし。これで完璧ね」
彼女は、エンターキーの上に指を置いた。
「各国政府への通達は?」
「もう済ませてあるわ」
KAMI が答えた。
「麻生さんもトンプソンさんも、最初は『またか!』って顔してたけど、内容を聞いたら泣いて喜んでたわよ。『これで地方の陳情が止まる!』『支持率が上がる!』ってね。あの人たち、本当に現金なんだから」
「Win-Win の関係よ。彼らは支持率と税収を得て、私は対価を得る。そして国民は、夢と職を得る。誰も損をしない、完璧なアップデートだわ」
「まあ、モンスターに食われるリスクを除けばね」
「それは自己責任」
栞は軽く笑ってキーを叩いた。
【システム・コマンド:ダンジョン追加配置(Expansion_Pack_Vol.1)を実行】
【対象エリア:全世界主要都市】
【ダンジョンタイプ:通常/鉱山/森林】
【実装予定時刻:翌朝 06:00】
「……完了」
モニターに『予約完了』の文字が浮かぶ。
明日の朝、世界はまた変わる。家の近所にダンジョンができたと知った人々が、パジャマ姿のまま駆け出す光景が目に浮かぶようだ。ツルハシが品切れになり、重機メーカーの株価がストップ高になり、そして地方のシャッター街に再び活気が戻る。
そんな、カオスでエネルギッシュな未来。
「あーあ、明日もまたニュースがうるさくなりそうね」
KAMI は、ポテトチップスの袋を逆さにして、最後の欠片を口に流し込んだ。
「いいじゃない。退屈するより、ずっとマシよ」
栞はワークチェアをリクライニングさせ、天井を見上げた。心地よい疲労感。
一つの仕事をやり遂げた後の、充実した静けさが部屋を満たしていた。
「……ねえ、私」
KAMI が不意に言った。
「ん?」
「鉱山ダンジョンってさ、宝石とかも出るの?」
「出るわよ。運が良ければ、ダイヤモンドだってオリハルコンだって」
「へえ……。じゃあさ、私、今度掘りに行ってみようかな。キラキラしたやつ、部屋に飾りたいし」
神の分身のささやかな欲望。栞はくすりと笑った。
「いいわよ。でも、ツルハシは自分で買いなさいよ? 私の『富のオーブ』を使って、最強のツルハシを作ってから行くのね」
「えー、ケチー」
二人の笑い声が、夜の部屋に溶けていく。
外はまだ暗い。だが、東の空の向こうでは、新しい時代の太陽が、もう昇る準備を始めていた。




