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第14話

 神の気まぐれによって、異世界『アステルガルド』の広大な森に降り立ってから、約三十分。

 第一次異世界調査団『チーム・フロンティア』の面々は、森を抜け、目的の街の城門の前に、ようやくたどり着いていた。

 彼らの目の前にそびえるのは、地球の歴史で言えば、中世ヨーロッパのそれを思わせる、巨大な石造りの城壁だった。だが、その石の表面には、見たこともない淡い青色の幾何学模様が、まるで血管のようにうっすらと浮かび上がっている。おそらくは、魔法による防護術式なのだろう。


「……これ、完全にファンタジーの街じゃねえか」

 ライトノベル作家の沢渡恭平は、そのあまりにも「テンプレ通り」な光景に、もはや笑うしかなかった。

 門の上では、革鎧を身につけ、長い槍を持った兵士たちが、鋭い目でこちらを窺っている。彼らの腰に提げられた剣は、決して飾り物ではないだろう。


「よし。予定通り、これより第一次接触を開始する」

 チームの総責任者である外交官、小此木が、静かに、しかし緊張を隠せない声で言った。

「デイヴィス大佐、兵士たちには、あくまで我々は『商人の護衛』であると徹底させてください。決して、威圧的な態度は取らないように」

「了解した、ミスター・オコノギ」と、米軍のデイヴィス大佐は無言で頷いた。彼の背後に控える超人兵士たちは、その存在感を巧みに消している。彼らは、ただの少し体格のいいだけの傭兵にしか見えなかった。


 小此木は、深呼吸を一つすると、交渉担当の数名だけを連れて、城門へと歩み寄った。

 門番の兵士が、無骨な声で彼らを呼び止める。その言葉は、日本語でも英語でもない、全く未知の言語のはずだった。だが、彼らの脳内に直接インストールされた『自動翻訳スキル』が、それを完璧なそれぞれの母国語へと変換してくれていた。


『止まれ! 何者だ!』


「我々は、東の国から来た商人の一団です」

 小此木は、練習通りにこやかな、人好きのする笑みを浮かべて応じた。「この街で、我々の商品を扱ってくれる力のある商家を探しております。どなたか、良い商会を紹介していただけませんでしょうか?」


『商家だと? 見ない顔だな。どこの商会の者だ? 通行証は、持っているのか?』

 門番は、明らかに訝しげな目を向けていた。無理もない。彼らの服装も顔つきも、この辺りの人間とは明らかに異なっているのだ。


「それが、我々はこの国を訪れたのが初めてでして。まだ、どこの商会にも所属しておりません。通行証も、これからしかるべき場所で発行していただこうかと」

 小此木が、丁寧に説明する。

 だが、門番の警戒心は解けない。むしろ、その怪しげな身なりに、さらに眉をひそめている。

(……まずいな。このままでは、門前払いか…)

 小此木が内心で焦り始めた、その時だった。

 アドバイザーとして彼の後ろに控えていたなろう作家の、月城るながそっと彼の袖を引いた。そして小さな声で、「先生、あれを」と耳打ちした。

 小此木は、はっと気づいた。そうだ、この時のために、我々は「切り札」を用意していたではないか。


「失礼。兵士の皆様も、長時間の任務お疲れのことでしょう」

 小此木は、懐から手のひらサイズの銀紙に包まれた小さな塊を取り出した。

「これは、我々が扱う商品の一つでして。ささやかなものですが、旅の挨拶です。皆様で、どうぞ味わってみてください」


 彼は、その銀紙の包みを代表の門番にそっと手渡した。

 門番は、訝しげな顔でそれを受け取ると、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。


『……なんだこれは。黒くて、少し甘い香りがするな』


「チョコレートというものです。カカオという豆から作る、我々の故郷の銘菓です」


 門番は、同僚たちと顔を見合わせると、おずおずとその黒い塊の欠片を口に放り込んだ。

 次の瞬間。

 その門番の無骨な顔が、驚愕に見開かれた。


「なっ……なんだこりゃあッ!?」


 彼の口の中に、生まれて初めて体験する濃厚で、複雑で、そしてどこまでも芳醇な「甘さ」が、爆発的に広がったのだ。

 固く、ほろ苦く、それでいて舌の上でとろけるように広がっていく官能的な味わい。それは、彼が知っている蜂蜜や果物といった素朴な甘さとは、全く次元の異なる悪魔的なまでの魅力を持っていた。


「う…美味い! 美味いぞ、これ!! なんだ、この食べ物は!」

 門番は、子供のようにはしゃぎ始めた。その騒ぎに、他の門番たちも我先にとチョコレートに手を伸ばす。

「おい、俺にもよこせ!」「うおっ、本当だ! 口の中でとろける!」「甘い…! なんて贅沢な甘さなんだ…!」


 城門の前は、さながら初めてのお菓子を与えられた子供たちの集まりのようになっていた。

 小此木は、内心でガッツポーズをした。

(……よし、食いついた!)


「ハハハ。皆様、お気に召したようで何よりです」

 彼は、ここぞとばかりに畳み掛けた。「これを、我々は売りたいのですよ。もし、この街で一番力のある商家を紹介してくださるなら、そのお礼に、これをもっとたくさん差し上げますよ」


「ほ、本当か!?」

 最初の門番が、目を輝かせて振り返った。

 その時、門の内側から、たしなめるような低い声が響いた。


『貴様ら、何を騒いでいる! 持ち場を離れるな!』


 現れたのは、一回り立派な鎧を身につけた、体格のいい隊長らしき男だった。

 門番たちは、はっと我に返ると、慌てて直立不動の姿勢を取った。


「た、隊長! いいえ、これは…!」


「隊長! この旅の商人たちが、とんでもないものを!」

 一人の門番が、まだ口の中に残っていたチョコレートの余韻に、うっとりとした顔で叫んだ。

「目玉が飛び出るほど、美味いものをくれたんです!」


『……美味いものだと?』

 隊長は、怪訝な顔で小此木たちと部下たちの顔を交互に見比べた。そして、部下の手からチョコレートの残りをひったくるように取ると、疑わしげにそれを口に運んだ。

 そして、数秒後。

 その厳格な隊長の顔が、部下たちと全く同じように、驚愕に染まった。


「……な、なんてこった…。こりゃ、甘え…」

 いや、違うと彼はかぶりを振った。

「……贅沢品だぞ、これは。王侯貴族が嗜む類の。こりゃあ、金貨一枚…いや、一袋で足りるのか?」

 隊長は、小此木たちに鋭い視線を向けた。

「お前たち、部下に食いすぎさせてないだろうな?」


「大丈夫ですよ、隊長殿」と、小此木はにこやかに答えた。「まだ、たくさんございますから」


 その言葉に、隊長はごくりと喉を鳴らした。そして、数秒間葛藤するように押し黙った後、大きく咳払いをした。


『……こ、これは失礼した。部下たちが、大変ご迷惑を…』

 彼の態度は、明らかに軟化していた。

『……商家でしたな。よろしい。この街で一番の商家、『白狼商会』に話を通して差し上げよう。私の紹介だと言えば、無下にはされんはずだ』


「おお、それはありがとうございます!」


『ただし、貴殿らは素性の知れん旅の商人。街中で問題を起こされては、こちらも困る。そこで、我々の部下を護衛として二人同行させよう。商会に着くまで、そして用事が済むまで、彼らが道案内と警護を請け負う』


 その提案は、小此木たちにとって願ってもないものだった。

 護衛。それは、彼らがこの街の衛兵に、公式にその安全を保証されたということを意味する。これほど心強いことはない。


「ええ、それは大変ありがたい。では、ぜひご案内をお願いします」


 こうして、人類初の異世界での外交交渉は、一片のチョコレートによって望外の成功を収めたのだった。


 衛兵に先導されながら、チーム・フロンティアは、ついに街の中へと足を踏み入れた。

 彼らの目に飛び込んできたのは、活気に満ちた中世の街並みだった。

 石畳の道を荷馬車が行き交い、道端の露店では、見たこともない色とりどりの果物や革製品が売られている。建物の様式は地球のそれとは微妙に異なり、屋根の形や窓の装飾に、独特の文化が感じられた。そして何よりも、彼らの目を引いたのは、そこに住む人々だった。

 人間だけではない。屈強なドワーフと思しき鍛冶師が、魔法の炎で鉄を叩いている。猫のような耳と尻尾を持つ獣人の少女が、籠いっぱいのパンを運んでいる。エルフのように耳の尖った優雅な男女が、高価そうな服を身にまとい、談笑している。

 それは、まさしくファンタジーの世界そのものだった。


「(ふー…なんとか、紹介して貰えたな)」

 小此木は、内心で安堵のため息をついた。

「(しかし、驚いた。まさか、チョコレートがこれほどまでに喜ばれるとは)」


 彼の隣を歩いていた作家の沢渡が、小声で彼に囁いた。

「(小此木さん。正直、どう思います? チョコがあれだけ喜ばれるってことは、我々が持ち込んだ酒や香辛料。あるいは、この鉄のナイフ一本でも、とんでもない値段で売れるんじゃないです? もっと、ふっかけてもいいんじゃないですかな?)」


「(いえ)」と、小此木は静かに首を振った。「(あまり欲を張ると、ろくなことになりません。我々の目的は、金儲けそのものではなく、この世界との持続的な関係を築くことです。目先の利益に目が眩んで信用を失っては、元も子もない。そこそこでいいんですよ)」

 とにかく、と小此木は前を歩く衛兵の頼もしい背中を見つめた。

「(護衛がついたのは、ありがたい。これで我々は、ただの旅商人ではなく、『衛兵に認められた安全な商人』として見られることになる)」


 やがて一行は、街の中央広場に面した、ひときわ大きく立派な建物の前にたどり着いた。

『白狼商会』と、紋章と共に記された大きな看板が掲げられている。


『――こちらです。旦那方に、話は通しておきました。我々は外で待機しておりますので』

 護衛の兵士はそう言うと、建物の入り口で直立不動の姿勢を取った。


「分かりました。ありがとうございます」

 小此木は、交渉担当の数名とアドバイザーの沢渡、月城だけに声をかけると、意を決してその重厚な木の扉を開けた。


 商会の内部は広々としており、奥のカウンターでは、人の良さそうな、しかしその目の奥には shrewdな商人の光を宿した恰幅のいい中年の男が、彼らを待っていた。


「これは、これは。衛兵の隊長殿から、話は伺っておりますよ。ようこそ、白狼商会へ。私がここの主人マスター、ガランと申します」


「ご丁寧に、どうも。私はこの商隊の代表、オコノギと申します」

 小此木は、深々と頭を下げた。


「門番たちに、実に珍しく、そして甘いお菓子を配られたそうで」

 ガランは、探るような目で小此木を見た。


「ええ。我々が扱う、商品の一つです」

 小此木は、再び懐から、今度はより装飾の美しい贈答用のチョコレートを一つ取り出した。

「どうぞ。お試しに、一つ」


 ガランは、それを受け取ると、ゆっくりと吟味するように口に運んだ。

 そして、その目を大きく見開いた。

「……おお。これは、甘い。実に上質な甘さですな。門番たちが騒ぐわけだ。これを、商品として持ち込まれたのですか?」


「はい。我々は、この国に入ったのがつい最近でして。まずは、情報収集も兼ねて、色々と商品を試してみたいのです。例えば、チョコレートだけではありません。我々の故郷の酒も、ございますよ」


 その言葉に、ガランの目の色が変わった。

「おお、それは実にありがたい! 近頃は、幸い平和な時代ですが、それでも良質な酒は贅沢品ですからな。この街で我々が手に入れられるのも、せいぜい大衆酒場で消費される、安いエールくらいなものですから」


 話は、とんとん拍子で進んだ。

 最初の取引として、小此木たちは持ち込んだチョコレートの半分を、白狼商会に卸すことを決定した。


「では、代金なのですが」

 ガランは、カウンターの下から、ずしりと重い革の袋を取り出した。

「とりあえず、チョコレートの代金として、これでどうですかな?」

 袋の中には、彼らがこの世界で初めて目にする、意匠の凝らされた金貨がぎっしりと詰まっていた。


「それは、大変ありがたい」

 小此木は、それを受け取ると、科学者チームの一員に目配せをした。科学者は、さりげなくその金貨一枚を、ポケットの中の小型分析機でスキャンする。


 取引が成立し、場の空気が和んだところで、小此木は本題を切り出した。

「ガラン殿。実は、我々はこの辺りで珍しい物や資料を集めたいのです。特に、薬草など、この土地ならではの植物について知りたいのですが…」


「薬草ですかな?」

 ガランは、少し考え込むように顎の髭を撫でた。

「なるほど。それでしたら、専門家を紹介するのが一番ですな。この先の通りに、腕のいいポーション屋があります。彼なら、薬草の知識も豊富でしょう。私の紹介状を、書きましょう」


「それは、助かります」


「あと、実際に珍しい薬草を『採取』している者たちとなると…それは、冒険者ギルドですかな」

 ガランは、窓の外の広場の方を、親指で示した。

「あいつらは、国中を旅して回り、魔物討伐や危険な場所での薬草集めを、生業にしている連中です。情報を持っているとすれば、あいつらでしょうな」


 ポーション屋。そして、冒険者ギルド。

 そのあまりにもファンタジーの世界の「テンプレ」通りの言葉に、沢渡と月城は顔を見合わせ、興奮を隠せないでいた。

 彼らの、そして人類の異世界での冒険は、今まさにその入り口に立ったところだった。


「そうですか。では、まずはそのポーション屋を、紹介していただけますかな?」

 小此木は、次なる目的地を心に決めた。

 この世界を、もっと知るために。

 そして、この星に眠る未知なる「対価」を、見つけ出すために。

 彼らの地道な、しかし確実な情報収集活動が、静かに始まろうとしていた。

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