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賢者の石を手に入れた在宅ワーカーだけど、神様って呼ばれてるっぽい  作者: パラレル・ゲーマー


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第103話

 その日、日本という国家がその機能の大部分を深い眠りに委ねる丑三つ時。

 首相公邸の執務室だけは、蒼白いホログラムの光に照らされ、この世のものとは思えぬ異様な覚醒状態にあった。


 窓の外には、手入れの行き届いた日本庭園が深い闇に沈み、時折、鹿威し(ししおどし)の乾いた音が、この世ならざる静けさを際立たせる。


 その静寂の中、八つの身体を持つ二人の男が、完璧なまでの無言のうちに、この国の、そして世界の運命を処理し続けていた。


 本体の沢村総理は、アメリカのトンプソン大統領との極秘ビデオ会談に応じ、その分身は、山と積まれたゲート構想の国内調整に関する陳情書に、機械のような正確さで目を通している。

 本体の九条官房長官は、来たるべきオークションの警備計画について警察庁長官と回線を繋ぎ、その分身は、異世界からもたらされた膨大な科学データを分類し、優先順位を付けていた。


 会話はない。アイコンタクトさえない。

 全ての意思疎通は、思考の共有によって瞬時に、そして完璧に行われる。


 神の恩恵によって手に入れた超効率。

 それは彼らから人間らしい非効率…すなわち、迷い、笑い、そして共に苦悩を分かち合うという最後の人間性さえも奪い去っていた。

 彼らはもはや眠らない。ただ動き続けるだけの、国家という名の機械人形だった。


 その、あまりにも静かであまりにも非人間的な執務空間に、慌ただしい、そしてどこか引きずるような人間臭い足音が近づいてきた。


「――失礼する」


 重厚な扉が開き、この国の、そしてこの世界の全ての矛盾と混沌をその一身に背負うことになった男が、その姿を現した。


 内閣府特命担当大臣(ダンジョン経済及び安全保障特命室担当)兼財務大臣――麻生。

 神のスキルを持たない、ただの生身の人間。


 その顔には、この数週間、不眠不休で続けられてきたであろう地獄の調整作業の痕跡が、隠しようもなく刻まれていた。

 睡眠不足による深い隈、充血した瞳、そして高級な仕立てであるはずのスーツの、わずかな着崩れ。


 彼は執務室にいる八つの「沢村と九条」を、まるで異形の怪物でも見るかのような、うんざりとした目で見渡した。


「……総理。九条君。君たちはいいな、眠らなくて。こっちは生身なんだ。いい加減、深夜の呼び出しは勘弁してもらいたいもんだ」


 その、あまりにも人間的な、そして情けないぼやき。


 沢村の本体がビデオ会談のウィンドウを最小化し、彼に向き直った。

 その顔には疲労の色など微塵もない、完璧な、そしてそれゆえに残酷なまでの笑顔が浮かんでいた。


「お疲れ様です、麻生大臣。ですがご存知でしょう。我々の世界には、もはや昼も夜もない。問題は待ってくれないのですよ。…それで、例の件、進捗はいかがですかな?」


 その、あまりにも他人事な問いかけに、麻生は心の底から深いため息をついた。

 彼はこの眠らない神の代理人たちに、この数週間、自分がどれほどの地獄を這いずり回ってきたのかを報告するために来たのだ。


「……ああ、報告しますよ。すればいいんでしょう、すれば」


 彼は分厚い報告書の束を、テーブルの上に叩きつけるように置いた。


「まず第一の地獄。『銃刀法』の問題だ」


 麻生は忌々しげに呟いた。


「結論から言おう。探索者は例外措置として認める。これで決着させましたよ」


「ほう。それは早かった」


 九条の分身の一人が、淡々と相槌を打つ。


「早いわけがあるか!」


 麻生は思わず声を荒らげた。


「法務省と警察庁と、そしてあの口うるさい人権派の学者どもを、この私が! 一人一人説得して回ったんだぞ!


『ダンジョン内部及び政府が指定したギルド管理区域内に限り、ギルドが発行したライセンスを持つ探索者の武装を例外的に許可する』。

『ただし一歩でも一般社会にその武器を持ち出した場合は、テロリズム準備罪に準ずる最高レベルの重罪としてライセンス永久剥奪及び懲役刑を科す』。


 ……このたった二行の条文案を通すために、どれだけの貸し借りがあったことか。あなた方には分かるまい」


 彼はあの血みどろの調整会議を思い出していた。

 法の番人としてのプライドを盾に最後まで抵抗した法務大臣・渋沢を、「では法務省関連の来年度予算は全て見直しましょうかな」という、財務大臣としての脅し文句でようやく黙らせたのだ。


「まあ、何はともあれ、これで半年後の探索者たちが渋谷のゲートを出た瞬間に全員逮捕されるという最悪の喜劇だけは避けられた。感謝してもらいたいもんだ」


「ご苦労さまです」


 九条は、何の感情も込めずに言った。


「では次の議題を」


「ああ、次だ次!」


 麻生は報告書の次のページを、憎々しげにめくった。


「第二の地獄。『超人警察』の指揮権問題だ」


 その言葉が出た瞬間、執務室の空気がわずかに緊張した。

 防衛省と警察庁。二つの省庁が、この新しい「力」の主導権を巡って、水面下で血で血を洗う暗闘を繰り広げていることを、沢村も九条も知っていたからだ。


「……これも決着させましたよ」


 麻生は、今度こそ心の底から疲れ果てたという声で言った。


「まあ、警察が主導で動いてくれということで」


「……何?」


 その決定は、沢村にとっても意外だった。

 彼は軍備拡張に前のめりな防衛大臣の五十嵐が、そう簡単に引き下がるとは思えなかった。


「……五十嵐大臣が、よく納得しましたな」


「納得させたのですよ」


 麻生は、にやりと、その老獪な政治家の笑みを浮かべた。


「あの筋肉ダルマが、最後まで『これは国防だ! 自衛隊の専管事項だ!』と吠えていたがね。だから私は彼にこう言ってやったのですよ。

『大臣。その素晴らしい新組織の設立費用三兆円。その財源は防衛予算から捻出されるのですよね?』と」


 その、あまりにも致命的な一言。


 沢村は全てを理解した。

 防衛予算は既に次世代戦闘機の開発やイージス艦の建造費で一円の余裕もない。そこから三兆円を捻出するなど、物理的に不可能だ。


「五十嵐大臣は、顔を真っ青にして黙り込みましたよ」


 麻生は楽しそうに続けた。


「そこですかさず、警察庁の高梨長官が『我々警察庁であれば、全国の警察官から優秀な人材を選抜し、既存の施設を改修して訓練を行うことで、その予算を大幅に圧縮できる! 指揮権さえ我々にいただければ、国家予算への負担は最小限に抑えてみせる!』と見事なプレゼンをなさいました。…まあそういうわけですよ。官邸の廊下で高梨長官がガッツポーズしている姿が目に浮かびますわ」


 それは正論や理想の勝利ではなかった。

 ただ「カネ」という最も現実的な論理が、全てを決定づけたに過ぎなかった。


「……まあいいだろう」


 と沢村も頷いた。


「国内の治安維持が主任務なのだから、警察主導の方が国民への説明もしやすい。妥当な落とし所だ」


「では次だ」


 麻生は、もはやどうでもいいという口調で、残りの報告書を読み上げ始めた。


「『労働力の蒸発』? ああ、止まりませんな。若者たちがこぞってジムに通い、剣道場に入門している。おかげで物流も介護も、人手不足で悲鳴を上げております。


 ですが知ったことですか。今に始まったことじゃないからなぁ…少子高齢化で、いずれはこうなる運命さだめだった。それがダンジョンのせいで少し早まっただけのこと。社会インフラを維持する人々はそれでも残るでしょう。若者が少なくなるのは痛いが、まあとりあえず保留。彼らがダンジョンで一儲けした後、飽きて社会に戻ってくるのを待つしかありませんな」


「『未成年探索者の税制問題』? ああ、あれか」


 彼は国会議事堂の方角を、侮蔑の目で睨みつけた。


「あの『超党派(笑)』の調査会とやらが、まだ結論も出せずに揉めてますよ。財務省としては『A案(原則維持)』を断固として主張し続けますがね。まあ、あの連中が結論を出すのは半年後のダンジョン実装に間に合えば御の字でしょう。引き続き議論してもらいましょうや。我々の知ったことではない」


 未来の問題は全て先送り。

 その、あまりにも現実的で、そして無責任な報告に、沢村と九条は何も言わずにただ頷いた。

 自分たちが彼に押し付けた地獄だ。文句を言える筋合いはなかった。


「……さて」


 麻生はそこで初めて、その疲弊しきった顔に「財務大臣」としての、そして「ダンジョン大臣」としての鋭い仕事人の光を宿した。


「総理。本題はここからです。例の『公式ドロップ品オークション』。その準備が順調に進んでおります」


 彼はホログラムモニターに、渋谷ダンジョンを周回する自衛隊のリアルタイムの映像を映し出した。

 そこでは、もはやゴブリンを狩る作業は戦闘ではなく、ベルトコンベア式の「作業」と化していた。


「自衛隊のダンジョン周回者も増やして、二十四時間体制でドロップ品を『収穫』させております。その結果、第一回のオークションに出品できる初期装備のセット数は、当初の予想を上回り、一万人分は確保できる見込みが立ちました」


「一万人分か!」


 沢村が思わず声を上げた。


「ええ。これをまず一ヶ月後の第一回オークションで、市場に一気に放流します。もちろん価格は高騰するでしょう。我々財務省としては、大いに結構なことですがね」


 麻生はにやりと笑った。


「そしてその後も、自衛隊には馬車馬のように働いてもらいます。二回、三回とオークションを重ね、半年後の民間解禁日までに合計五回は開催したい。それで最低でも五万人分の装備一式は確保できるでしょう」


「五万人分ですか…」


 沢村はその数字を反芻した。


「国民の熱狂ぶりを考えれば、それでも焼け石に水ではないかね?」


「ええ。五万人分では到底足りません」


 麻生はあっさりと肯定した。


「ですが総理。それで良いのです。初回ではそれぐらいが妥当でしょう。


 需要と供給が極端にアンバランスだからこそ、最初のオークション価格は高騰する。その高騰した落札益こそが、あの三兆円の返済原資であり、超人警察の設立費用になるのですから。むしろ安すぎたら困るのです」


「だが装備が手に入らなかった大多数の国民はどうなる? 暴動が起きんか?」


 沢村が、最も懸念していた点を口にした。


「起きませんよ」


 麻生は断言した。


「なぜなら彼らには別の道が残されているからです」


 彼はKAMIから提供された、あの並行世界のデータをモニターに映し出した。

 そこには、Tシャツとジーパン姿の若者が角材のようなものを持ってゴブリンと対峙している、粗い画質の映像が映っていた。


「理論上、バットでも持って挑んでもなんとかなるんですよ。F級ダンジョンならね」


 麻生は楽しそうに言った。


「KAMIからの資料では、並行世界の初期の探索者たちは皆、そういうありあわせの装備でダンジョンに挑んでいた時代もあったらしい。もちろん公式で禁止する気はありません。なぜならチェックしてる暇はないですからなぁ」


「しかしそれは危険すぎるだろう!」


「ええ。ですから政府としてはこうアナウンスし続けます。『オークションで全部位の装備を揃えることを強く強く推奨する』と。その上で、バット片手にダンジョンに挑むという『愚かな自由』を選び、そして運悪く死んだ者がいたとしても、それは『自己責任』です。我々が知ったことではない」


 その、あまりにも冷徹な資本主義の論理。

 沢村は言葉を失った。


「まあ総理。そう暗い顔をなさらないでください」


 麻生は宥めるように言った。


「実際にはそうはなりませんよ。我々は自衛隊の先行調査で得られた、もう一つの重要なデータをマスコミにリークします。すなわち『防具さえあればF級モンスターの攻撃はほぼ無効化できる』という、あのデータをね」


 彼は、この国の国民性を完璧に読み切っていた。


「日本人は堅実ですから。その情報を知れば、彼らはいきなり高価な武器を求めることはしない。まずオークションで比較的安価であろう『防具』だけを必死で揃えようとするでしょう。そして武器は自宅のバットか、あるいはスポーツ用品店で買ったアーチェリー用の弓でも持ってF級ダンジョンに挑む。そこで魔石を拾い、その金でいずれオークションで本物の武器を買う…。


 後続の探索者たちは、自衛隊がさらにドロップ品を市場に流すことで、比較的安価で装備一式を揃えられるようになる。…どうです? 実に健全な経済サイクルが生まれるではありませんか」


 その、あまりにも見事な、そしてどこまでも計算し尽くされた未来への設計図。

 沢村と九条は、もはや感服するしかなかった。


 この老獪な政治家は、神がもたらしたこの世の全ての混沌と矛盾を、ただ一つ、自らが最も得意とする武器――「金」と「欲望」と、そして「自己責任」という名のルールブックによって、完璧にコントロールしようとしていた。


「……分かった」


 沢村は深く頷いた。


「ダンジョンに関わる全ての権限は君に、そして君が率いるダンジョン庁に一任する。好きにやってくれ。ただし」


 彼は最後の釘を刺した。


「……死人だけは出すなよ。一人でもだ」


「善処しますよ」


 麻生はその老獪な笑みを崩さなかった。


「――というわけで総理。九条君」


 彼は立ち上がった。


「私はこれから、その『第一回・公式ドロップ品オークション』の入札システムと、その収益をどうやって国庫に納めさせるかについて、財務省の頑固な役人どもと、また別の地獄の会議に戻らねばなりませんので。これにて失礼」


 神のスキルを持たない、ただの生身の人間が。

 眠らない神の代理人たちに深々と、しかしどこか嘲笑うかのような一礼をすると、再び自らの戦場(地獄)へと、その重い足取りで、しかし確かな背中を見せて退出していった。


 後に残された沢村と九条の四つの身体は、

 ただその老政治家が残していった、あまりにも巨大な熱量と、その悪魔的なまでの仕事ぶりに、呆然とするしかなかった。


「……九条君」


 沢村がぽつりと呟いた。


「我々、彼に分身スキルを与えなくて正解だったかもしれんな…」


「御意」


 九条が静かに答えた。


「もし彼が眠らない身体を手に入れていたら、今頃我が国の財政は、彼の完璧な均衡趣味によって硬直死していたやもしれません」


 彼らの眠らない夜は、まだまだどこまでも続いていく。

 だがその地獄にも、麻生太郎という、あまりにも人間臭く、そしてどこまでも頼もしい一人の「劇薬」が投下された。


 それが吉と出るか凶と出るか。

 その答えを知る者は、まだ誰もいなかった。

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― 新着の感想 ―
比較的珍しくない苗字だしいいと思う。むしろアニメ化した時に九条の方が炎上しそうw 自分ならデニムのつなぎの下にサポーターで武器は鉄パイプにサバイバルナイフ付けて槍を作成って感じかな。 一撃必殺の突撃攻…
実名フルで出てるって 現代の姓名そのままって問題無いのかな?
 ナイフの自作・・・その辺の法はありますが正直曖昧です警察の気分次第です、大きさや材質しだいで合法になったりするレベルです言ってしまえば小型ナイフ程度なら作って持ち歩こうが合法になったりしますし振り回…
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