第三話:友人
俺は、自室に差し込む光で目を覚ました。目覚まし時計として使用しているスマホは、まだ鳴っていない。起床時間ではないのだから、当然だが、これから二度寝というのも、出来ない中途半端な時間だ。本当はもう少し寝ることが出来たのに、と思うと、少し損をした気分である。ベッドから起き上がり、カーテンを開けた。今日も快晴だ。雲一つない青空が広がっている。
「いい天気だな。」
そんな独り言が思わず出た。俺は着替えると、1階へと降りていった。リビングは静まり返っており、キッチンには誰もいない。母親は仕事で朝早く家を出ているのだろう、単身赴任をしている父親も当然いない。家中に漂う静けさは、いつもの事だった。朝食の準備はすべて自分でしなければならない。キッチンの棚からパンを取り出し、トースターに入れる。コーヒーメーカーに水とコーヒー豆をセットし、スイッチを入れると、キッチンにはコーヒーの香りが広がった。トースターのタイマー音が響く中、俺の腹が空腹を訴えてきた。
テーブルに座り、トーストと一緒に簡単なサラダを用意する。夜遅く帰ってきた母親が作ったのだろうか、冷蔵庫には昨晩見た時にはなかったサラダが入っていた。温かいトーストにバターを塗り、コーヒーを注ぐ。静かなリビングで、一人黙々と朝食を摂る。トーストの香ばしい匂いとコーヒーの苦味、そして、ドレッシングを大量にかけたサラダを食べる。そんな朝食を食べていると、静かな朝にわずかな活気を与えてくれる。
数分で朝食を終え、食器を流し台に置いた。顔を洗い、歯を磨くために洗面台に向かう。鏡に映る自分の寝ぼけた顔を見ながら、冷たい水で顔を洗うことで、強制的に目が覚める気がした。俺は、面倒くさいと思いつつも、制服に着替えて玄関へと向かった。靴を履き、玄関の扉を開けて外に出ると、温かいが暑くない、そんな気温と快適な湿度の空気が俺を出迎えた。そのまま俺は一人で家を出て、今日も学校へと向かう。
住宅街を抜ける通学路では、自分と似たような年齢層の生徒や、年下の小中学生の姿が目に入る。そして時折、中高年の人々がせわしなく歩いているのも見かける。
しばらくすると、校舎と校庭が見えてきた。まるで学校へと引き寄せられるアリのように、夏のセーラー服を着た女子生徒や、俺と同じ白いワイシャツ姿の男子生徒たちがぞろぞろと移動している。この辺りで古風な制服を着ている学校は、俺の通っている学校しかないのだから、当然の光景だ。
「おはよう。昨日はどうだった?」
「おはよー。あのね…。」
前を歩く女子生徒グループの明るい声が耳に飛び込んでくる。俺は適当に受け流しながら、学校へと向かう。周囲の生徒たちは、友人と談笑したり、スマホを見ながら登校している。もちろん、俺もその中の一人だが、だからと言って彼らと全く同じというわけでもない。というのも、俺はいつもより早めに学校に来ているのだ。理由はもちろん、クラス委員になったからである。この人がごった返す時間に登校するのは、新入生のとき以来で、慣れていないのが正直なところだ。もう少し遅く登校すると、この混雑は避けられるのだが、これからは仕方ないだろう。
「はぁ。」
俺は小さくため息をつき、周囲の生徒の様子をうつむき加減で流しながら、通学を続けた。彼らの楽しげな会話や笑い声が耳に入るたび、俺とは違った彼らの青春というものを感じる。日中に向けて少しずつ日差しが強くなっていく中、俺は自分のペースで学校へと歩いて行った。
校門に差し掛かり、そのまま校舎へと向かう。下駄箱で上履きに履き替え、そのまま教室へ向かう。自分のクラスの教室に入ると、すでに何人かの生徒が教室にいた。その中に米倉の姿もあった。
「あ、椿くん。おはよう。」
「おはよう、米倉さん。」
教室に入ると、米倉沙織が微笑んで挨拶してくれた。彼女からすると、自然な行動なのかもしれないが、朝から彼女のような美少女に挨拶されるのは、それだけで嬉しくなるものだ。
「ああ、それで椿君。昨日のおさらいなんだけど、今日の朝の仕事を教えるね。」
米倉は手元の書類を整理しながら言った。俺は彼女の隣に立って、彼女の動きを見守った。
「まず、ホームルームの進行役。これは交代でやるけど、今日は椿くんが担当ね。まず、先生の指示を受けて、それからクラス全体に指示を出す感じかな。ここに具体的な進行する順番が書いているメモがあるからこれを見てやって。」
彼女は、そのメモを渡しながらも説明を続けた。
「ああ、それと、事前に確認しないといけないのは、先生に確認して、今日の連絡事項があるかどうかを聞くのかが、クラス委員の役割だよ。今日の連絡事項はとくになし。私がすでに担当の先生から話は聞いてるから、大丈夫だけど、次からは職員室に行って、椿君が聞いてね。」
米倉の説明は明快で、やることも小間使いだ。特に難しいことはないように思えた。俺は少し緊張しながらも、頑張ろうという気持ちが湧いてきた。
「分かった、ありがとう。」
そう言って、俺は。米倉が微笑みながら見守ってくれるのが心強かった。ホームルームが始まると、俺は前に立った。周囲の生徒が一斉に俺に注目した。どうやら、俺が今日からクラス委員であることを知らないらしい。昨日の今日で決まったことだから、誰も知るはずがないのだが。もちろん、クラスで地味な俺が何かをやっている、という点も注目度が高い理由であることが伺えた。
深呼吸をしてからクラスメートたちに声をかけた。
「皆さん、おはようございます。今日のホームルームを始めます。まず、出席確認をしますので、名前を呼ばれたら返事をしてください」
一人ずつ名前を呼びながら、出席を確認する。初めのほうこそ、クラスの全体がざわついていたが、担当教師が何も言わないことを周囲が悟ったのか、思ったよりもスムーズに進んだ。教師が、全員の出席を確認し終えると、次に教師からの連絡事項をクラスに伝える。
「連絡事項です。本日はとくにありません。」
ホームルームの進行は無事に終わり、米倉が微笑んでこちらに近づいてきた。
「お疲れ様、椿くん。初めてにしては上出来だよ。」
米倉にそう褒められ、少し照れてしまう。俺は照れ隠しをするように頭を掻いた。
「ありがとう。」
彼女は微笑みながら、自分の席へと戻っていった。その後の授業も特に問題なく進み、昼休みになった。俺は弁当を持って教室を出たが、すぐに米倉から声を掛けられた。どうやら一緒に昼食を摂ろうというお誘いのようだ。断る理由もないので、彼女の誘いに乗ることにした。二人で食堂へ向かう。そこには米倉の友達が先で待っているようだった。
「沙織。この人は?………ああ、沙織がクラス委員にしたとか。なんとか。」
「ええ、同じクラス委員になった椿君。」
米倉と早川結衣が話し始めた。早川は、同じクラスの女子生徒であり、米倉とは違ったタイプの美少女だった。まっすぐな鼻筋としっかりと閉じた唇、その顔には彼女の持つ勝気な内面が表現されている。そんな早川の手足はすらりと長く、スタイルが良いが、その慎ましい胸は一見すると男性にも見える。そして、何らかの部活を行っているためだろう、彼女の小麦色の肌は健康的で活発さを表していた。極めつけは、彼女の髪型で、茶髪のショートヘア。……彼女いわく生まれつきだとホームルームで担任に強弁していた事を思い出す。総じて彼女は、性格は気が強く、おっとりとした米倉とは全く異なる。その二人が友人なのだから、世の中はよく分からないと俺は思った。
「はじめまして、早川さん。俺は椿だ。」
とりあえず、俺は早川結衣に挨拶をした。彼女には下でに出ておいたほうが、良いと俺は感じたからだ。
「うん。朝、なんかホームルームを仕切っていた奴ね。」
そういって、じろじろと、俺を早川は見る。
「パッとしない男ね、沙織、こんなのの何がいいんだ?クラスの中じゃ、一人孤立している根暗男だろ?」
俺は少しムッとしたが、黙って彼女の言葉を聞いていた。米倉は苦笑いをしている。
「結衣ちゃん、椿くんは、すごい人よ? クラス委員だし。」
「……はぁ。こいつをクラス委員にしたのは、沙織だろ?」
早川は納得いかない様子で米倉に言った。米倉は笑顔で答える。
「そうよ。でも、彼はちゃんとやってくれるから。」
三人で食堂のトレイを手に取り、カウンターへ向かった。順番は、早川、米倉、俺だ。早川と米倉は友人トークに花を咲かせていた。それを邪魔しないように、と俺は、彼女らの後ろに並んだ。そして、確認をすると、今日の日替わり定食は「チキン南蛮定食」だった。チキン南蛮、味噌汁、サラダがセットになっている。今日は当たりだ、と俺は心の中で喜んだ。
「私は、日替わり定食と、単品でかつ丼を追加で。」
3人の列の先導をいく早川は、結構食べるようで、結構、注文していた。その後、米倉がB定食という、焼き魚定食を注文したあとに、俺の順番になった。もちろん、俺が頼むのは、いつも通り日替わり定食だ。
「俺は、日替わり定食でお願いします。」
食堂のおばさんは、俺の注文を聞くとすぐに調理を始めた。先導する二人は、すでに料理を持って、席に着いていた。俺は、日替わり定食がトレイに置かれると、彼女らのいるテーブルへと移動した。
「それにしても、沙織の趣味がこんな根暗だったなんて。」
早川は、俺のほうをちらっと見てから言った。俺は特に気にしなかったが、米倉は少し恥ずかしそうにしている。
「結衣ちゃん?私は、そういう意味で椿君をクラス委員にした訳じゃないのよ?」
米倉は、少し興奮気味に反論した。早川は肩をすくめた。
「はいはい、わかりましたぁ。」
「もうっ!」
俺はそんな二人のやり取りを見ながら、チキン南蛮を一口食べた。甘酸っぱいタレが食欲をそそり、タルタルソースとの相性も抜群だった。
「椿くん、ごめんね。結衣ちゃん、悪気はないから。」
米倉は俺に謝った。俺は別に気にしてないと彼女に伝えた。
「沙織、こいつに気を使う必要ないって。どうせクラス委員にしたのも、クラスから孤立しているから、とかの同情心だろ?」
早川の言葉に、俺は少しムッとしたが。確かにその通りだと思いなおした。そのあまりにも直球な早川の言葉に、米倉もたじろいでいた。
「そ、そんなことないわよ?……えっと。椿君が真面目だから、かな?」
米倉は、そう言ってフォローしていたが、早川はお構いなしだ。
「あはは。沙織は分かりやすいな。やっぱり、根暗野郎が一人で可哀そうだからか。」
早川は、そういうとチキン南蛮を一口食べる。その姿は年相応の女の子だった。そんな二人を見ながら、俺は日替わり定食を食べ続けた。鶏肉のジューシーさと甘酸っぱいタレの味が良く合い、ご飯が進んだ。
昼食を食べ終わると、米倉は用事があるといって先に行ってしまった。クラス委員の関係でもないらしい。なんだろう、と俺が考えていると、早川は俺に話しかけた。
「お前、沙織に勘違いするなよ。」
ドスの効いた声で早川は言った。俺はその迫力に圧倒された。
「……分かっている。」
俺は、そう返すのが精いっぱいだった。彼女は俺を睨みつけながら続けた。
「お前みたいな根暗野郎が、沙織と仲良くなれるなんて思うな。」
そう言うと、早川はさっさとどこかへ行ってしまった。俺は、一人その場でため息をついた。そして、早川の後ろ姿を見ながら思った。颯爽と行動する彼女は米倉のことを本気で心配しているのだと思った。
……そして、彼女らは本当の友人なんだ、と感じたのだった。