第十五話:日常
俺は、桜木に先導されるまま部屋へと入っていった。その部屋は、女の子が使うような部屋で、本棚には少女漫画が並んでいる。そして、デスクにクローゼット。それとベッドがある。俺と桜木が、そんなどこかの女の子の部屋を確認していると、その部屋の扉が開いた。そこには、俺の高校の制服姿の早川と米倉がいた。学校帰りだろう、と予測できる状況だ。
「へぇ。ここが結衣ちゃんの部屋」
米倉は、そういって早川の部屋へと入っていった。
「ちょっと、沙織。」
早川は、米倉へそう言った。
「いいじゃーん。」
米倉はそういって部屋を見て回っている。
「……結衣ちゃんの部屋って、なんか女の子らしいね。」
米倉は、そう感想を言った。そして、棚にある少女漫画に手を出した。
「これ、面白いよね!」
米倉が本棚にある少女漫画を手に取って、早川へ話しかけた。
「ああ、私もそれはお気に入りだ。」
早川はそう言った。その少女漫画は、素直になれなくて男の子に告白できない女の子と、そんな女の子を応援する友達の話だ。
「へえ、こういうの好きなんだ?」
米倉はそういって、漫画を早川へ渡した。
「……まあな。」
早川はそう言って、その少女漫画を受け取った。そのまま、二人は棚にある漫画について話をし始めた。
しばらく漫画の話をしていた二人は、その後、米倉の話へと移ったようだ。
「沙織は、誰か好きな人が居るのか?」
「うーん。よく分かんない。結衣ちゃんは。」
「私はいない。」
二人はそんな話をしている。その姿はよくある女子高生のそれだ。青春の一ページというやつだろう。
「そういえば、沙織が最近、声を掛けている奴はなんだ?」
「ああ、椿くんかな?」
二人は俺の話をし始めた。
「沙織は、そいつが好きなのか?」
「うーん。クラス委員の関係で話しかけてる、かな。」
米倉がそう言った。
ということは、この記録はほんの最近のことなんだろう、と俺は思った。
「あんな根暗野郎に優しくすると、勘違いするぞ。」
早川は、厳しい口調でそう言った。
「うーん。まあ、それでもいいかな。」
米倉は、少し悪そうな顔でそういった。
「はぁ。沙織は人の趣味が悪いな。」
「そんなことないと思うんだけど?」
「あんな根暗野郎のどこがいいんだか?」
早川は、俺に対して厳しい感想を口に出す。
「結衣、私はね。これまで、人を好きになったことがないの。」
米倉は、どこか遠い目でそう切り出した。
その様子に、早川は少し驚いた様子だった。
「だから、椿くんのこと気になっているのか、これが何なのか、自分でもよく分かってないの。」
米倉はそう話を始めた。
早川もそれに真剣に耳を傾けているようだ。
「椿君は、クラスで孤立しているから。私は、一緒にお話をしたいな、とか思うの。でも、それと恋という感情が別にあるのか……。私にはよく分からないわ。」
「なるほど。沙織は、クラスで孤立していることを放置できない性格だものな。」
早川は、納得した様子でそこまで話して区切った。
「同情と恋が一緒の感情な訳がない、と私は思うぞ。」
早川はそう言って米倉を諭すように話した。
「うん。それは分かってるんだけど。でもさ、椿くんを見ているとね。なんか、こう、助けたいなって思っちゃったんだよね?」
米倉はそう話を続けた。その口調はどこか優しいものだった。
「まあ、沙織がそういう性格なのは知っているがな……。」
早川はそういってため息をついた。そして続けた。
「ただな、結衣。今日みたいなことは止めたほうがいいぞ。」
「どうして?」
「結衣が変に思われるだろ?」
早川は米倉へそう言った。
「……そっか。でも……。」
そんな米倉の答えに早川は少し笑ったようだ。そして続けた。
「まあ、沙織の性格は知っている。おかげで私も沙織と友達に成れたんだしな。」
早川は、少し自嘲気味に話してから、米倉のほうを改めて向き直した。
「仮に、クラスから沙織が孤立しても、私がいるから大丈夫だ。」
早川は笑いながら米倉へそう言った。
「……うん!」
そう言って笑顔で頷いた米倉に対し、早川も笑顔を向けていた。
その後も二人は何かを会話し始めたが、桜木がこちらを向いた。
「椿さん。次の観測を行いましょう。」
桜木は、そういって、この部屋から出ようとした。
「わかった。」
俺は、桜木へそう返答して部屋から出た。そのまま部屋を出ると、そこはどこか知っている学校の部屋だった。
……生徒指導室。
米倉に呼び出されたことを俺は思い出した。ただ、今そこにいるのは、先ほどの部屋にいた人物。米倉と早川だった。二人は、テーブルをはさんで椅子に座って睨みあっているような雰囲気だった。
「早川さん。」
米倉が、結衣と呼ばずに早川と呼んでいた。どこか初対面のような雰囲気がある。
「お前は、誰だ?」
早川は、返事代わりにぶっきらぼうにそう言っていた。
間違いなく二人の初対面かそこらの場面なのだろう、と俺は思った。
「私は、米倉沙織です。クラス委員です。」
米倉は落ち着き払った態度でそう言って続けた。
「早川さん、クラスから孤立しているのは分かっていると思うんだけど。」
「それが?」
「友達になってくださいとは言いませんが、もう少しクラスのみんなと仲良くしませんか?」
「なんでお前に言われる筋合いがあるんだ?」
早川は、相変わらずの様子で米倉へそういった。
「私は、クラス委員です。だから、クラスから孤立しているクラスメイトを助けたいんです。」
そう言う米倉は、堂々としていた。この様子なら委員会でもしっかりと意見できるんだろうな、と俺は思った。
「そうか。それで?」
早川は、特に動じた様子もなく、そう返事を返した。
「私は、早川さんにクラスから孤立して欲しくないんです。」
米倉は、真剣な顔でそういった。
「ふーん。」
早川は特に興味が無さそうに返事をした。そんな様子の早川に対し、米倉は少し苛立った様子だった。
「早川さん、実際に困っているじゃないですか?今回だって、グループ分けであなたが余ってしまって、それで……」
「だから?」
二人の会話を聞きながら、俺は思い出した。高校二年になったばかりの時期だ。たしか、レクリエーションとかで早川と米倉は同じ班だったような。それにはこういう裏があったんだな、と俺は思った。
「だから、早川さんに一人じゃない、って分かって欲しくて……。」
米倉はそういって悲しそうな表情をした。
「お前、中学でもそうだったのか?」
早川がそういうと、米倉は少し動揺したようだ。
「……っ!」
米倉は何も答えない。ただ少し険しい表情になっただけだ。
そんな様子に、早川は話を続けた。
「クラス委員だからって……くだらないことするなよな?」
「……だったらなんですか?友達もいないあなたに関係ありますか?」
「お前には関係ない。お前の自己満足に付き合う気もない。」
早川はそういって席を立った。米倉も同時に立ち上がった。
「話にならない。時間の無駄だったな。私は帰るぞ。」
そういった早川は、部屋を出ようとした。
「早川さん。私にも友達はいません!」
大声で米倉は、そう言った。
その声に驚いた早川は、動きを止めた。
「だから、私と友達になってください。」
米倉は、そういいながら大粒の涙を流していた。その米倉の言葉に、早川は動揺したようだ。
「お、おい!」
早川は米倉にそう声をかけた。しかし、米倉は何も話さない。ただ、大粒の涙を流しているだけだ。
「……はあ……。」
そんな様子に、早川は大きくため息をついた後……無言で生徒指導室の椅子へ座りなおした。
米倉も椅子へ座ったのだが、泣いている。
しばらく、米倉の嗚咽が聞こえるだけの静かな時間が過ぎた。
「わかった……。友達になってもいいから泣くな。」
早川はそういって、米倉の肩をやさしく叩いた。その言葉にようやく顔を上げた米倉は泣き顔だった。そして口を開いた。
「私……人付き合いできなくて……。」
そんな米倉に対して、早川は苦言を言ったようだ。
「クラス委員だからって、そこまでしなくていいだろ?まったく、意味わかんねーよ。」
早川は、そう文句を言ったが、米倉の泣き顔を見たら何も言えなくなったようだ。
「私……一人だから……。」
そんな様子の米倉に、早川はまたため息をついた。そして、今度はやさしく米倉の肩を叩き始めた。
「……分かった。分かった。友達になるから。」
その言葉にようやく落ち着いた様子の米倉は、涙を拭って笑顔になったようだ。その米倉の様子を見て、早川も少し笑ったようだ。
「じゃあ、早川さんのことは結衣って呼ぶね?」
米倉は早川へそう声をかけた。
「いや、なんでだよ……。」
「いいでしょ?私が呼びやすいし。」
「意味が分からんわ!」
二人は楽しそうに会話しているようだ。俺はそんな二人を見て、馴れ初めがこういった形だったことに驚いていた。そして、米倉が初めて俺を無理やりクラス委員にしようとしたことを思い出していた。
……結果は、ひどいものだったが。
「桜木さん。次の観測が最後です。」
桜木は淡々と俺に話しかけた。そして、この生徒指導室から出ようとしていた。
「ああ、分かった。」
俺は、仲介者としての仕事を全うするべく、桜木に続いた。
生徒指導室から出ると、そこは女子陸上部の部室だった。そこには、米倉がいる。そして俺もいる。米倉に包丁を突き付けられた状況に近い。
思わず俺は、ギョッとしてしまった。
隣にいる桜木を見た。彼女は無表情なままだ。ただ、俺は彼女の雰囲気から察するに、これは通常の観測であることを感じた。
俺は、桜木の様子から、安全だと信じて、この今の女子陸上部室の様子を確認する。
米倉が、もう一人の俺に詰め寄っていた。
そのそばで、早川が見ていた。
「椿君は、桜木さんなんかより、私と付き合ったほうが、いいわ。」
米倉は俺にそういっていた。
あの時と同じように、どこか有無を言わせないような雰囲気があった。
「えっと、どういうことだ?」
その場にいるもう一人の俺が混乱しているようにそう言っている。
「だって、椿君は桜木さんと付き合っているんでしょう?だから、まずは二人が分かれないと、椿君が、私の彼氏にならないじゃない?」
「沙織!さっき、言っていた話と違うじゃないか。」
米倉のいい様に、早川が口をはさんだ。
「それにこんな根暗のどこがいいんだ。」
「結衣、黙って。」
米倉は、そういって早川を切り捨てる。その後も米倉は、桜木と別れて自らと付き合えと俺に迫っていた。もちろん、もう一人の俺は、それを淡々と断っている。
もう少しすれば、包丁をもった米倉が俺に襲い掛かってくるはずだ。そして、仲介者であるはずの俺にもその刃が向けられるかもしれない、俺はなによりもそれを恐れた。
過去に一度、米倉は、仲介者として観測していた俺に気が付いた。そして、仲介者であるはずの俺へ彼女は襲い掛かってきた。そんなことを考えていた俺は、ちらりと隣にいる桜木をみた。
桜木は、何も気にしていない雰囲気だ。ということは、この状況は問題ない、ということなのだろうか?そんなことを考えつつ、目の前にいるもう一人の俺は米倉への回答を続けていた。
「悪いけど、桜木と付き合っているんだ……。」
「嘘ね。」
そう断言したのは米倉だ。そして続けた。
「だって椿君、私のことが好きでしょ?」
そういった米倉の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。そんな米倉は言葉を続けた。
「一緒に帰ったときのこと覚えているんだから!そうじゃなければ、私の部屋なんか来るわけないじゃない!」
感情的になっている米倉は涙を溜めて、叫ぶようにいった。
「だけど、俺は桜木の彼氏だ。」
もう一人の俺はそう言った。その俺の言葉を聞いた米倉は、何も言わずに俯いた。彼女の長い髪が、重力に従って米倉の美しい顔を覆い隠した。
「そうよね。」
米倉は、小さい声で囁くかのようにそう言った。
「私は、あなたが好きだった!でも、もう遅かった!」
突然、米倉はそう叫んだ。そしてその場で泣き崩れた。米倉は、泣いている。それを早川は介抱するかのように、抱きかかえた。
「沙織。大丈夫か?」
優しく早川は米倉にそう問いかけている。
泣き崩れている米倉は、苦しそうにしている。
「……いなかったらよかったのに……。」
そんな嗚咽交じりの米倉の声は、悲痛な思いがこもっていた。そんな米倉を早川はそっと抱きしめた。もう一人の俺はどこか憔悴していたようだ。
これは俺の記憶とは違う展開。俺の知らない場面だった。
「桜木。この展開を俺は知らないぞ。」
隣にいる桜木へ仲介者としての俺は、質問をした。
「はい。椿さん。これは、不具合を起こした米倉沙織のデータを削除し、再構築を行ったものです。書き換わっています。」
淡々と、桜木はそういった。米倉は、確かにデータの一部が消されており、それと整合性のあるように世界が書き換わっているのだろう。
とにかく俺は、米倉に包丁を突き立てられずには済みそうだ。女子陸上部の部室で、米倉は早川に抱きしめられて泣いている。
「椿さん。これですべての観測は終わりとなります。これからデータの修正となります。」
隣にいる桜木は、淡々とそういった。
「ああ、分かった。」
俺は、泣いている米倉と介抱している早川を後目にそう答えた。
「それでは、修正を開始します。」
桜木がそういうと、俺と桜木がいた女子陸上部の部室の風景が二重に見え始めた。
ここにアクセスしてきた時と、同じようにいくつもシミュレーションが重なって見える。
俺は、その何度見ても見慣れない奇妙な光景と、隣に確固たる存在をしている桜木と見る。
桜木は作業に熱中してるようだ。しばらく、その奇妙な空間で待っていると、やがて風景が一つのものへと収束していった。
場所は、変わらずの女子陸上部室だ。そこには、早川がいた。俺と早川は目が合った。
「おい!お前。」
早川は、俺を見るなり、そういった。俺は、じっくりと早川を見直した。彼女は学校の制服から陸上部へのユニフォームへと着替えている最中だったようだ。
「おい!根暗野郎!こっちを見るな!」
怒りの形相の早川は、怒鳴った。俺は、その通りに従った。
「お前には、桜木という出来た彼女がいるのに。キモイのは変わらないな。」
早川は、苛立ちを隠せない様子で、なぜかヒートアップし始めた。俺の横をさっさと桜木が部室の扉へ向かって歩いていた。俺は何か早川に話しかけようとしたが、なんて言えばいいのか分からなかった。
「根暗野郎!さっさと、ここから出ろよ!」
早川は、自らの激情に任せるような怒鳴り方をしていた。ただ、女子陸上部室に勝手に入り込んでいるのは、俺だった。当然、話の正当性はあちらにある。
「すまない!」
叫ぶ早川を後目に俺は、謝った。そんなやり取りをしている間に、桜木はすっと存在感を消して部室を先に出ていった。早川に激しく怒鳴られながら、俺も部室を後にした。
「椿さん。大丈夫ですか?」
桜木は、部室から出てきた俺へそう声をかけた。
「ああ。」
俺は、桜木にそういった。
そして、確かに、この女子陸上部室から早川結衣のデータにアクセスするときには問題が起きない、と桜木が言ったことを思い出した。彼女は嘘は言っていない。しかし、例のごとく、本当のことも言っていない。仲介者としての仕事が終わった後のことについて、確かに桜木は何も言っていなかった。
「はぁ。」
俺はため息をついて、桜木を見た。彼女は、相変わらずの無表情で、俺の先を歩いている。融通が利かないというか、なんというか。俺は、そう思ったのだが。しかし、桜木が纏っている雰囲気には、どこか俺を揶揄っているような雰囲気が見えた。
「桜木。今度から戻ってくる場所のことも考えてほしい。」
俺はそう言った。
「分かりました。椿さん。」
桜木は、淡々とそういった。しかし、俺にはどこか微笑んでいるように見えた。