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第十一話:観測

 放課後になった。教室は、部活に行く者。帰宅する者で分かれている。そんな中、俺は、桜木に話しかけた。


「桜木。一緒に帰ろう。」

「はい。分かりました。」


 桜木は、自分の鞄を取り立ち上がった。

 そして、俺と桜木は教室を出た。


「なあ、桜木?」


 隣り合って桜木と俺は、学校の廊下を歩きながら、彼女に話しかけた。


「はい?なんでしょう?」


 桜木が俺を見た。彼女はいつもと変わらず無表情だ。


「その……俺は仲介者になっているんだよな?これまでと何も変わっていない様に思えるのだが?」


 俺は聞いた。すると桜木は淡々と言った。


「椿さん。大丈夫です。私といる限り、これまでと何か特段に変わることはありません。もし何か必要がある場合、その都度、必要なことは私からお伝えします。」

「そうか、分かった。」


 俺はそう答えたのだった。

 そのまま、彼女と昇降口の下駄箱で靴を履き替えた。

 そして、校門を出るタイミングで、桜木が俺に話しかけてきた。


「椿さん。これから、私についてきてください。」


 彼女はそう言って、俺の手を摑んだ。


「えっ?」


 俺は、驚いて声を出しそうになったが、すぐに声を抑えた。

 彼女は有無を言わさず俺の手を引きながら歩いていく。


(どこへ行く気だ?)


 そう疑問に思いながらも、彼女についていく。場所は自宅とは反対側だ。

 彼女に手を引かれ、俺は折る場所を思い描く。

 この通りをつい最近にも、俺は歩いたことがあった。

 しかし、俺は黙って、桜木についていった。

 やがて、俺の予測した、ある場所にたどり着いた。

 もちろん、俺はその場所を知っていた。


「ここは、米倉沙織の住んでいたマンションです。」


 桜木は、俺に向かってそういった。

 俺はこの場所を痛いほど知っていたが、声に出すことはなかった。

 正直、この場所に来ると、あの時に殺された記憶が蘇り、あまりいい気持ちはしない。


「さて、椿さん。米倉沙織を復活させるならば、この場所から、まだ完全に消えていない米倉沙織のデータへアクセスしなければなりません。これは仲介者として、椿さんが行う初めての仕事です。よろしいでしょうか?」


 桜木は、俺にそう言った。俺は頷いた。


「ああ。」

「では、行きましょう。椿さん。」


 彼女はそういうと広いマンションの敷地へと入っていったのだった。


(しかし、これはどういうことだろう?)


 俺は疑問に思いながらも、彼女について行くことにしたのだ。

 米倉沙織のマンション。その広いエントランスに入るには、カードキーによるオートロックの解錠が必要であったが、なぜか桜木はカードキーを持っていた。

 彼女の謎の力に、俺は疑問に感じつつも、そこを深く考えないことにしている俺は、桜木についていった。

 そのまま大理石の床とシャンデリアのあるエントランスを抜けた先にある、エレベーターに乗って、15階の米倉沙織の部屋まで来たのだった。


「では椿さん。入りましょう。」


 彼女はそういうと、カードキーを翳して玄関ドアを開いたのだ。そして、そのまま中へ入っていった。そんな桜木に俺も続くことにした。

 玄関から、その部屋の中を見ると、引っ越しが終わった後の部屋のようで、何もなかった。

 米倉沙織の部屋とは、過去のことになっているようで。この部屋には新しい住民は、誰も入居していないようだ。


「さて、椿さん。こちらへ来て下さい。」


 桜木は俺を手招きした。俺はそれに従って彼女の元へ行く。

 場所は、リビングだ。

 テーブルや椅子など、米倉が置いていた家具は一切ない、がらんとした様子。

 俺の殺された場所。


 そのまさに、俺が殺された場所に桜木は、移動した。

 すると彼女はスマホを取り出したのだ。


「さて、これよりアクセスします。」


 桜木はそういって、スマホを操作した。

 その姿は、スマホを操作する一介の女子高生にしか見えない。


 しばらくすると、周囲の景色が重なって見え始めた。

 あの時の米倉の部屋だ。テーブル、椅子や家具がある。

 その風景が、今いる新居同然の部屋の状態と重なり始めた。


「椿さん。もう少し、そのままでお待ちください。」


 桜木がそういうことを言うまでもなく、俺はその場で立ち尽くしていた。


 やがて、部屋の状況は、完全に米倉の部屋へと塗り替わった。

 リビングに桜木と俺が立ち尽くす。

 すると、米倉がリビングに出現した。彼女は、俺の死体を見て、喜びとも悲しみとも言えない表情を浮かべている。

 米倉は、リビングでその状況を見ている俺と桜木がいることを認識できないようだ。

 いわば、このヴィジョンは、あたかも桜木と俺が別の時空間から、米倉の部屋を見ているかのような、そんな状況だ。

 そして、この状況は、確実に俺が死んだ、あの時の状況を再現していた。


「データへのアクセスを完了しました。」


 桜木は淡々とした様子でそう言った。しかし俺はそれどころじゃなかった。

 俺の死体を見て喜んでいるような米倉の有様に愕然としていたのだから。


(これは一体どういうことだ?)


 そう考えながらも、俺の心臓の鼓動は速くなるのを感じたのだった。

 米倉は俺の死体を前にして喜びをあらわにしているように見えた。そしてゆっくりと近づくと、俺の死体の横に腰をかけたのだ。それはまるで、俺と米倉が話をしているように思えた。


(このビジョンは、一体なんなんだ?)


 俺はそう疑問に思いながらも、その状況をただ見つめていたのだった。

 俺の死体の脇に座った米倉だったが、彼女はふと顔を上げた。何かを話していた。


「椿さん。これからお話しすることを聞いてください。」

「なんだ?」


 俺は急に桜木に話しかけられたので、びっくりしたが、それだけ返答した。


「これから仲介者として、椿さんは行動します。具体的には、こういった米倉沙織のデータを集める作業になります。」

「集める?それはどうやって?」


 俺は桜木に聞いた。傍らでは、米倉が俺の死体に話しかけている。どこか落ち着かない状況。


「観測してください。」

「観測?」

「椿さんが、この状況を見たり聞いたりすることで、影響があります。すべての観測が終わったあとは、私にお任せください。」

「分かった。」


 とりあえず、この状況を確認しろということだろうか。


 気は進まなかったが、俺の死体へ話しかけている米倉が、俺の死体へ何を言っているのか、それを聞くことにした。


「無価値な椿君。でも、もう死んじゃった。」


 米倉は、クラス委員として話しかけるように俺の死体へ話しかける。


「意味のない人生は、終わり。私が殺したことで椿君は、それから解放された。でも、私は……」


(何を言っているんだ、こいつは……)


 俺はそう感じながらも、彼女の言葉に耳を傾けた。


「それも、もう終わり。」


 彼女はそういいながら立ち上がった。そして、俺の死体をまたいでキッチンへ向かっていくようだ。

 俺もその米倉についていった。


 リビングから見えるキッチン。

 米倉は、迷いのない動作でダイニングキッチンの棚を開ける。

 そこには包丁があった。


 そして、米倉は包丁を取り出す。

 その包丁は、あの女子陸上部の部室で使用していた包丁だ。

 彼女の目は、どこか輝いていた。

 そして、その手に持っている包丁を一気に自分の喉に突き刺した。


「うっ……」


 あまりの状況に、俺は思わず声を漏らしてしまった。

 耐えきれなくなった俺は、その状況から目を背けてしまう。


「桜木さん。観測を続けてください。」


 いつの間にかキッチンに来ている桜木が、俺の隣で何かを言っている。

 俺は、桜木の言葉を完全に無視した。


 まるで鈍器で何かを叩くかのような音が何度か聞こえている。その音がどのような意味なのか、俺は想像したくはないし、その正体をまったく見たくない。

 

 しばらくすると、ドサッと倒れるような音がした。

 そのあとは、周囲は静かになった。

 周囲から音が消えたことを確認した俺は、恐る恐る周囲の確認をした。

 米倉は、キッチンで倒れて動かなくなっていた。


「なんなんだ。こいつは」


 俺は、恐怖と嫌悪感から、そうとしか言えない。


「これが椿さんが亡くなった後のシミュレーション状況です。椿さん。これらが米倉さんの情動に影響を及ぼしているのだと思われます。」


 俺の後ろにいる桜木は、いつもの無表情で俺と動かなくなった米倉を見ながら、そう言った。


「大丈夫ですか?椿さん。」

「ちょっと、別のところで休ませてくれ。」

「了解しました。では、そのようにいたします。」


 腰が抜けている俺の手を引いて、桜木は移動させようとする。

 俺は桜木が引っ張る手を支えに、その場から這うように移動した。


 米倉の死体が見えない玄関のほうまで移動をした。

 俺は未だに震える体で、そこの壁に腰を掛けて、床に座り込んでいた。


「大丈夫ですか?」


 桜木は、俺にそう聞いたが、俺は何も答えなかった。

 未だに、恐怖と嫌悪感からくる吐き気を我慢するだけで精一杯だった。

 そんな俺の様子を見た桜木だが、彼女は淡々とした様子で言ったのだ。


「まだ、観測する場所はいくつかあります。気をしっかり持ってください。」


 俺はそういわれ、なんとか立ち上がってみたが、フラフラしながらだった。


「椿さん。行きますよ?」


 無表情かつ淡々とした様子の桜木はそう言った。

 一方で俺は、桜木なりに気を使っている雰囲気だと察した。



「ああ、大丈夫だ。次は何を見ればいいんだ?」

「ついてきてください。」


 桜木は俺の手を引いて、そのまま米倉のマンションの玄関を開けた。


「えっ?」


 俺は声を上げた。そこはマンションの廊下ではなかった。学校の廊下だ。

 ただ、俺の通っている学校の廊下ではなかった。

 知らない学校の廊下にある窓の外は、快晴だった。

 冬という感じではない、夏だろう。  

 ただ、真夏というには、少し涼しいだろうか? 俺はそう思った。

 どちらにしても、校内には空調が利いているようで、最適な温度と湿度だ。


「椿さん、行きましょう。」


 桜木はそういうと廊下を歩いて行った。廊下の傍らには、教室へ続く扉と教室内が見える窓が並んでいるのが見える。


(学校の廊下だ……)


 俺の通っている高校の校舎ではないが、日本に無数にある、どこか学校の校舎だ。

 ごく一般的な校舎。

 しばらくその廊下を歩いた。

 すると、一つの扉の前で彼女は止まったのだった。

 だがしかし……その扉に張り付いているネームプレートには『生徒指導室』とあった。


 その扉を、桜木は開けたのだった。

 生徒指導室には、米倉とその母親らしい人物、そして見たことがない中年の男性教師がテーブルを挟んで向かい合って座っていた。

 米倉の母親を俺は初めて見るのだが、顔立ちが米倉にどことなく似ていた。

 そして、米倉は幾分、幼く見えた。おそらくは中学の頃なのだろうか?

 従って、教師のほうを俺は知らなかった。

 ただ、この状況は、米倉と母親、教師での三者面談を行っているように見える。


「米倉沙織さんは、成績は優秀なのですが。ご友人がいないようで。」


 中年の男性教師が話を切り出した。


「そう。沙織は昔からそうなのよね。」

「すいません。」


 米倉は謝っている。米倉の母親がどこかいらだっているように見えるから、だろうか?


「あ、いえ。お母さん、決してそういうことではなくて。」


 男性教師があたふたとした様子でその場を収めるように、そう言った。


「それで、お母さん。沙織さんは、何かご友人とトラブルがあったとかは?」


 男性教師がそう聞くと米倉の母親は、少し考えるようにしてから言った。


「いえ、特には聞いていませんね。」


 その答えに、男性教師はどこか安心したようだった。


「それでは、沙織さん。ご友人とのコミュニケーションをとるのも学生の務めです。」

「はい。分かりました。」


 男性教師がそういうと、米倉はそう答えたが、どこか上の空だ。

 そのやり取りを俺はただ見ているだけしか出来なかった。

 しかし、そんな俺の思いなど関係なしに三者面談は過ぎていくのだった。

 やがて、男性教師と米倉の母親、そして米倉が席から立ち上がった。

 どうやら面談が終わったらしい。


 教師に続いて、米倉の母親と米倉が生徒指導室から出ていく。


「本日はありがとうございました。」

「こちらこそ、お忙しい中、ありがとうございました。」


 教師と米倉の母親は社交儀礼をしていた。

 それらが終わる、と米倉親子は廊下を歩き恥じた。

 そして、桜木と俺もその二人へついて歩いて行った。


「沙織。周囲の人間とは話せるようになりなさい。」

「はい。」


 母親は、どこか諦めた様子で米倉に話している。

 いつも以上におとなしく見える米倉が、どこか機械的な返事をしていた。


「はぁ。」


 母親は、ため息をついたようだ。そして、そのまま二人は分かれた。

 廊下で立ち尽くして、まるで見送るように、母親の後ろ姿を見ていた米倉がいた。


 どこか疲れたような様子の米倉を俺は見ていた。


「椿さん。続いてこちらについてきてください。」


 桜木はそう言った。米倉をじっと見ていた俺の手を引いた。


「ああ、分かった。」


 俺はそう答えると、桜木の行く方向へと向かった。


 先導する桜木にある教室まで、案内された。

 その教室は、音楽室だった。


「ここは?」


 俺は桜木に聞いた。しかし彼女は、その問いに対して答えずに言った。


「この中へ入ってください。」

「えっ?ああ……」


 俺は言われるまま、教室の扉を開けた。


 そこは教室ではなかった。

 どこかの豪邸。広い屋敷の一部屋だった。

 吹き抜けのあるモダンリビング。大理石の床。真っ白な壁と開放感がある高い天井。

 それでいて、メンテナンスが行き届いており、傷一つ、埃の一つないような環境だ。


 高級家具に囲まれて、広いリビングには、ピアノが一台と椅子があった。

 そして、一人の少女がピアノを弾いていた。そのすぐ後ろには、少女を指導をしている人物が見える。

 また、傍らには高級ソファに座っている米倉の母親がいた。


(……ということは、ピアノを演奏している少女は、米倉か?)


 俺は、そう納得した。

 そして、小学生に見える米倉が弾くピアノの演奏を聴いた。

 ただ、その演奏は、お世辞にも上手だとはいえない。

 とはいえ、その小学生のような米倉が一生懸命にピアノを弾いている様子が、なんだかほほえましく感じていた。

 音楽を聴いていると、その演奏を止めたのは、指導をしていた人物だった。


「はい。沙織さん。今日はここまでにしましょう。」


 その言葉に、その少女、米倉はどこかほっとした様子を見せたような気がした。

 するとその声にこたえるように返事を返したのは、米倉の母親だった。


「ありがとうございました。先生。」

「いえいえ、ではこの調子でまた、お願いしますね、沙織さん。」


 そのピアノを指導している人物はそう言った。

 米倉の母親はその指導者と、会話をしながらも、その部屋から立ち去っていく。 

 その場に一人、ピアノの前でポツンといる米倉は、どこか心細そうにしていた。

 しばらくして、母親が戻ってきた。


「沙織ちゃん。別のお習い事をしましょうか?」


 母親が米倉にそう話しかけていた。


「……うん。」


 米倉は、どこか悲しそうにそう答えると、椅子から降りて立ち上がった。


「じゃぁ、こっちにね。沙織ちゃん。」


 母親はそう米倉に話しかけて、リビングから連れ出した。

 俺と桜木もその親子についていった。


 すると、廊下を米倉に似た少女。ただ、米倉よりも少し年上といった感じの少女が向かってきた。


「お母さん、これから少し練習します。」

「分かったわ。」


 米倉の母親は、そう言った。

 そして、その子へは心からの笑みを浮かべているように見えた。

 おそらく彼女は、米倉の言っていた姉だろう、と俺は思った。


「……私、お部屋に戻る。」


 姉と母が話している傍で、小さい米倉は、一方的にそう言った。

 そして、二人から逃げるように分かれて、屋敷の廊下を歩いていった。

 その後ろ姿は、落胆しているようにも見える。

 やがて、ある部屋までやってきた米倉は扉を開けた。どうやら、ここが彼女の部屋らしい。

 その部屋は、ピアノやバイオリンなどの楽器類が壁に掛けられていたり、楽譜の置いてある本棚があったりした。また机等も置かれていた。

 そして、どこか可愛らしいデザインをしたベッドと勉強用と思われる机があった。


(ここは、米倉の部屋か……)


 彼女は、勉強の机に座ると、勉強を始めたようだった。

 教科書や参考書を見ると年齢相当の内容に見えた。


 しばらく、その光景を桜木と俺が眺めていると。

 遠くからピアノの演奏の音が聞こえた。

 クラシックだ。とはいえ、練習というのには難しすぎる曲のように思えた。

 しばらく聞いていると、素人の俺が聞く分には、まったくミスがないような演奏がされていた。

 プロとまでは言えないが、演奏者は、かなりの上級者であることは理解できる。

 その美しい音色に俺は、聞き入っていた。


 しかし米倉は、あるところで勉強を中止した。そして机から立ち上がると、部屋にあった楽譜を破き始めた。

 それらの楽譜だったものを、ゴミ箱にその全てを突っ込んだ。

 全てが終わった後、彼女はベッドに横たわった。


「ううっ……うっ……」


 米倉は、ベッドに横になって、泣いていた。

 ピアノを演奏しているのは、彼女の姉なんだろう。

 劣等感に苦しむ、というのはこういうことなんだろうか?

 演奏の音色を聴きながら、しばらくその光景を見ていると。桜木が俺を見て言った。


「椿さん。ここの観測は以上です。次の場所に行きましょう。」


 俺はその言葉に従って移動を開始した。

 桜木は、米倉の部屋の扉を開ける。

 すると、そこは学校の教室に繋がっていた。

 俺は、さすがにあちらこちらと移動をしたので、そこまでの驚きはもうなかった。


 俺は、桜木の後に続いて教室に足を踏み入れる。

 そこは、俺の通っている高校の教室だった。ただ今、俺が所属している教室やクラスは違うように感じた。

 机には米倉が一人で座っている。


 遠くには、女子グループがいくつかあって、その一つのグループは話が盛り上がっていた。


「この子、まじめすぎて、キモイっしょ。」

「それな。」


 女子グループは、わざと聞こえるように誰かを笑いながら貶しているようだった。


「何があいさつしろ、ってんだ。普段、周囲と会話すらできないポンコツがそういうから、さー。」

「あはは!」


 彼女らは、別に米倉とは言っていない。

 しかし、彼女らが話す会話の内容は、明らかに米倉だ。


「今時、チャットボットのほうがもっと気の利いたことをいいそうだよねぇ?」

「言えてるわ!」


 彼女らは、そんな会話を続けていた。

 しかし米倉が、その女子グループを気にする様子はなかった。

 ただ、自分の机の上をじっと見ては、何か思いつめているようだった。


 俺は、そんな女子グループの陰険な関係を垣間見て、少し気分が悪かった。


 そしてしばらくすると、中年の女性教師が教室に入ってきた。

 その教師は、昨年、一年生を担当してた教師だ。

 そしておそらく、この情景は米倉が一年の頃だと俺は思った。

 俺は一年のころ、米倉とはクラスが違うので、この状況を知らないのだ。


 教室に入るなり、その中年の女性教師は不機嫌そうだ。


「皆さん!静かにしてください。」


 大声を出した。しかし、クラスのざわつきが収まることはなかった。


「静かに!そこ。しゃべるな!」


 ヒステリックな声を、その教師は上げる。


「静かに!静かに!静かに!」


 教卓をバンバンと手で叩きながら、女性教師は声を荒げる。そんな声がしばらく続くと、やがてクラスは静まり返ったようだ。

 中年の女性教師は、ようやくホームルームを始めたのだった。

 ただ、米倉がクラス委員であることは、その進行を進めていることから分かった。

 内容は特に特注すべきものがなかった。

 そして、ホームルームが終わる。


「米倉さん、ちょっと。こっちに。」


 中年の女性教師が、米倉を呼んだ。


「あっ……はい……。」


 米倉は、どこか怯えた様子でそう答えた。

 そして、米倉を連れて、中年の女性教師は廊下に出た。


 俺と桜木も、それにつれて教室から廊下へと移動をする。


 廊下では、中年の女性教師と米倉が向かい合っていた。


「少しは、クラスを纏めてください。私が別の人を推薦していたのに、クラス委員をやりたい、と何度も懇願したのは、米倉さん、あなたでしょう?」

「……すいません。」


 中年の女性教師は、少し強い口調でそう言っている。

 その口調に、米倉は委縮しているようだった。


「私は、そこまでクラス委員に拘る、そんなあなたの考えが理解できません。」


 苛立ちを隠さない様子で、中年の女性教師はそう言った。その言葉を聞いた米倉は、さらに委縮したようだった。


「すいません……すいません……」


 米倉は、ただそう謝罪の言葉を繰り返していた。

 そんな様子をみて、中年の女性教師は、また、ため息をついた。


「人それぞれ、やれることが違うのですから、それをやればいいのです。米倉さん?」


 中年の女性教師は、どこか諦めた様子で言ったのだった。


「すいません。私にやらせてください。次は……。」


 米倉は、そういった。クラス委員に、何かこだわりがあるようだ。


「そうですか。……では、先週言っていたように、あなた以外にもう一人、クラス委員を任命することにします。その件で放課後、もう一度、私と話し合いましょう。」


 中年の女性教師は、冷たくそう言い放つと、その場を立ち去ったのだった。

 米倉が廊下に一人残された。

 彼女は、ただ俯いて、その場で立ち尽くしていた。


 俺は、彼女がそんなことになっていたことを知らなかったので、その情景に驚いていた。

 しかし、よく考えてみると、米倉が早川以外の女子生徒と、クラス委員以外の話題で話していることを見たことがない。


 じっと、そんなことを考えていると、桜木が俺の手を引いた。


「椿さん?」

「ああ、なんだ」


 俺は桜木にそう言った。どこか、俺は考え込んでいたようで、気が付くと桜木がこっちをのぞき込むように見ていた。


「次の観測地点へ行きましょう。」

「分かった。」


 俺はそう答えて、次の場所へ向かって移動を開始した。

 桜木に連れられて、俺は高校の階段を昇って行った。

 最上階の屋上へと続く階段を俺は、桜木の後に上り始める。


「椿さん。こちらです。」


 桜木は、そういって最上階の階段踊り場にあるドアに手を掛けた。

 本来はそこから屋上へ行ける。そして、生徒が立ち入らないように鍵が常に掛かっている。


 しかし、鍵など掛かっていないかのように、桜木はそのドアを開いた。

 するとそこは屋上では無かった。

 そこは、あの米倉が住んでいたマンションの部屋。その玄関へと続いていた。


「続いて入ってきてください。」

「ああ。」


 俺はそういった。


 正直、あの米倉に殺されたマンションにはもう入りたくはないのだが、仕方ない。

 桜木に続いて、俺は米倉の部屋へと足を踏み入れるのだった。


 玄関から、廊下を抜けてリビングにたどり着いた。

 その様子は、奇麗だ。というのも、米倉の何の異変もない部屋という意味だ。

 テーブルや椅子。家具に血しぶきなどは付着しておらず、今、ここで米倉が登場しても何の不思議はない雰囲気だった。

 とはいえ、米倉の姿はない。そして、俺が、米倉に殺されたテーブルの周辺に俺の死体といったものはない。

 また、俺が確認すると、米倉が自殺したキッチンにも彼女の死体などは見受けられない。


 バタン。玄関から人が入ってくる音がした。

 米倉だ。後ろには俺がいた。


 その連れられてきた俺は、テーブルに座らされていた。

 しばらくすると、彼女は冷蔵庫からお茶を取り出して、用意をしている。

 観測をしている俺の目の前で、あの時が寸分違わずに再現されている。

 俺は、それを見るほかになかった。


 耐えきれなくなった俺は、つい隣にいる桜木の手を取って握る。

 桜木は、無言で俺の手を握りなおしてくれた。


 そんなことをしている間にも、あの時と同じように米倉は感情的になっていった。

 そして、もう一人の俺を殺そうとした時だった。

 時間が止まった。

 それは、文字通りの意味だ。

 その時、この観測している俺と彼女は目が合った。


「見つけた!見つけた!やっと!」


 米倉は、そう嬉しそうに言うと、こちらへ向かってきた。

 俺は、その異様な様子を確認するべく、米倉と、もう一人の俺を見る。

 すると、その場にいるもう一人の俺は、初めからいなかったかのようにその場から消えていた。


「椿君、あなたには何もない。だから、私があなたを殺してあげる。そうすればあなたは救われるでしょう?」


 彼女は、俺を見て、微笑んだ。そしてゆっくりとこちらへ向かってきた。

 隣にいる桜木を見ると、桜木も驚いているようだった。


「椿さん。冷静に観測を続けてください。」


 桜木はそういった。

 その桜木の指示によって、俺は逃げようとした足を止めた。

 同時に、米倉がこちらに掴みかかってきた。


「じゃあね、さようなら」


 米倉は、どこから力が出ているのか分からないほどの強い力で俺を押し倒した。

 俺は、なすすべもなく床に押さえつけられた。

 そして彼女は、俺の首に手をかける。彼女の手が俺の首を絞めていくのを感じた。

 その間も桜木は、その場に立ちつくしているだけだった。


「やっぱり!やっぱり!」


 そんな嬉しそうな米倉の声が聞こえた。

 俺は生存本能から、彼女を引き離そうとするが、彼女は全体重をかけているらしく、抜け出すことが出来ない。

 桜木に助けを求めようとするが、桜木はいつもの無表情のまま、こちらを見ている。


「椿くん?私はね?あなたみたいな人間が大っ嫌いなの。生きている価値がないと思っているわ。」


 そういうと、彼女は俺の首を絞める力を強めた。苦しく、まったく息ができない。

 米倉が俺を見下ろしながら冷たく微笑んでいた。そして、ゴミを見るような目で俺を見ている。

 このまま、あの時と同じように意識が遠のいていくとき。


 米倉が消えた。


「ごほ、ごほ。」


 米倉が姿を消したと同時に、俺は酸素を吸い込んでむせた。


「椿さん!大丈夫ですか!」


 ようやく、桜木は、横たえる俺の身体を抱きかかえるように助けの手を伸ばしてくれた。


「はぁ……はぁ……。」


 俺は、まだ息苦しかったが、何とかして呼吸を整えた。

 あの時と同じように、俺は殺されそうになった。

 しかし、今起こった状況を見ると違うところもある。


 俺の首を必死に掴んで締め落とそうとしていた米倉。

 彼女は、まるで初めからいなかったのように消えたのだ。


「すいません。椿さん。」


 淡々と事務的に話す桜木だが、その雰囲気には謝罪をしているようにも見えた。

 俺は、声を出すことも出来ず、しばらくこのまま桜木に支えられていたのだった。


「椿さん、大丈夫ですか?」


 桜木は、俺の背中をさすりつつ、そう聞いてきた。


「ああ……大丈夫だ。」


 俺は何とかして答えた。しかし、まだ息苦しく、声がかすれている。

 そしてようやく落ち着いた後、桜木に尋ねた。


「……なぁ?米倉のあれは何だったんだ?」


 俺はそう聞いたが、その答えを聞く前に分かったことがあった。

 それは、この観測している俺が殺された場合だということだ。


「椿さん、あれは米倉さんの不安定な情動の集合体でした。そして、その集積が仲介者であるはずのあなたに気が付いてしまったのです。」

「どういうことだ?」


 俺がそう尋ねると桜木は、俺にその経緯を話し始めた。


「彼女には、椿さんに関してのシミュレーション結果がエラーとして蓄積していました。それが観測を通して顕在化した、ということです。」


 桜木は、分かったような分からない回答をする。


「つまり彼女は、どうなるんだ?」


 俺は、桜木に回答を促した。


「彼女のデータは、今回の観測を通して大部分は復元されますが、仲介者である椿さんへ干渉した情報や関連したデータは、完全に削除されました。それはシステム全体に重大な不具合を及ぼすためです。」


 俺は、その桜木の回答を聞いて、少し考えた。


「つまり、観測していた俺へ攻撃をした米倉のデータは削除される、と。」

「はい、そうなります。そのデータを除いた復元を行うことになります。」


 俺は、少し複雑な気分になった。

 それは、果たして米倉なのだろうか、本当に同一人物だといえるのだろうか?


「椿さん。観測作業は以上です。米倉さんを復活させるに必要なものは全て整いました。このまま、システムに適合させる形で、米倉沙織を復活させますか?」

「ああ、確認なんだが。その復活する米倉沙織は、俺の知っている米倉沙織と同一人物なのか?」


 俺は、桜木にそう尋ねた。


「はい。同一人物でしょう。」


 桜木は、淡々とそう言った。


「そうか……。分かった。復活させてくれ。」


 俺には、どこかモヤモヤとした気持ちがあったのだが、俺はそう答えたのだった。


「分かりました。」


 そんな桜木はそういうと、スマホを取り出した。

 女子高生がスマホを操作するように、桜木は何かを行った。


「椿さん。準備は終わりました。実行します。」


 桜木がそう言った。


「分かった。」


 俺がそういうと、周囲の景色がまた、重なるように変化し始めた。

 米倉の部屋。桜木と俺がいるリビングが二重に見える。

 そして、その二重に見えていた景色は、やがて一つの映像へと収束した。


 はっ、と俺は気が付いた。

 場所はこれまでと変わらない、米倉の部屋、そのリビングだ。

 テーブルや椅子も変わらない。


 俺と桜木は、そのリビングのテーブルに隣り合って座っていた。


「椿くん!桜木さん?飲み物はお茶しかないけどいい?」


 米倉の声が聞こえた。彼女はキッチンにいる。テーブルから見える位置に米倉はいる。

 冷蔵庫から、飲み物を取り出しているようだ。


「米倉さん。私は何でも構いません。」


 隣の席にいる桜木が淡々と答えた。


「じゃあ、椿君もお茶ね。」


 米倉は、俺の分まで飲み物を用意してくれているようだ。


「なぁ?桜木?」


 俺は隣で座って待機している、無表情の彼女に尋ねた。


「これは?」

「学校の帰り道です。私たちは米倉さんの家に、遊びに来ています。」


 桜木がそういうと、俺に存在しない記憶が浮かんだ。

 俺と桜木は、米倉の住むような高級マンションに興味があるということで、米倉のマンションへと、お邪魔したらしい。

 家の方向は反対方向なんだが、と俺は思った。

 なにより、この部屋には、いい思い出がまったくない。

 そんなことを考えると、米倉がお茶を持ってキッチンから出てきた。


「はい、どうぞ。」


 そういって、お茶を前に差し出してくれた米倉は微笑んでいる。その笑顔はとても可愛らしかった。


「……あぁ……ありがとうな……。」


 そんなお礼を言いつつ、俺は、じっと彼女を観察した。特に変わったこともない普通の米倉のようだ。

 あとはいきなり凶変して俺に襲い掛かってこないことを祈るだけだ。


「なぁに、椿くん?私をじっと見て?」


 米倉は、そんな俺にそう聞いてきた。

 顔を赤らめて聞いてくる彼女は、美しいのだが、素直に受け取れない自分がいた。


「いや……なんでもないよ……。」


 俺は、そう答えた。

 しかし、米倉は、そんな俺の答えが不満なようで、頬を膨らませている。


「もーう!何か言いなさい!」


 どこか幼い態度を取っているように見える米倉は、そう言った。


 その後は、元気そうな米倉に奔走されながらも、俺は桜木と一緒に米倉のマンションで、ごく普通の会話をして過ごしたのだった。

 時間が過ぎていくと、帰宅する時刻になった。

 俺と桜木の家が反対方向にあることもあって、帰ることにした。

 そんな俺たちを米倉は、部屋の玄関まで見送りに来てくれた。


「じゃあね!二人とも!」


 そういって手を振る彼女は、とても元気そうで、異常はみられない。


「さようなら、米倉さん。」

「ああ……また学校でな……。」


 淡々と事務的に桜木が言っている横で、俺はそう答えた。


「うん、またね。」


 米倉は、笑顔で答えたのだった。

 そんな米倉に見送られながら俺と桜木は、米倉の部屋を後にしたのだった。


 家へと変える途中。

 すでに周囲は暗くなっており、月明かりが周囲を照らしていた。

 住宅街である、この周辺には人通りはほとんどない。

 街灯が等間隔に並んでいる道を、俺と桜木は歩いていた。


「桜木、あの米倉は、どこか感情が幼いように見えた。」


 俺は、思ったことを桜木に伝えた。


「一部のデータが削除されています。その関係でしょう。」


 淡々と桜木はそう答えた。


「具体的にはどういったものが消えているんだ?」


 俺は立ち止まって、桜木に尋ねた。

 彼女も同じく立ち止まってこちらを向いた。その表情は相変わらず無表情だ。


「劣等感です。今の米倉さんは、その感情は持っていないでしょう。」


 それだけ言って、桜木は、再び先を進みだした。


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