第十話:削除
俺は、女子陸上部室での衝撃的な出来事の後。放課後まで、普通に授業を受けていた。相変わらず昼飯を食べ損なっていたが、それどころではなかった。早川と米倉は早退をしたのか、その後、教室で見ることはなかった。とはいえ、あの後に、二人と出くわしても気まずいだけだ、と俺は思った。
「椿さん。帰りましょう。」
桜木が、そういって俺の席まで来ていた。俺も頷いて一緒に帰ることにした。
学校からの帰路をつく俺たち。桜木と俺は、住宅街を歩く中だった。隣には桜木が居て、隣通しで歩きながら帰路に着いていた。
「米倉は、俺のことを諦めたのだろうか?」
俺は呟くようにそう言った。
「分かりません。しかし、説得は難しいでしょう。」
桜木は淡々とそれだけ言った。それから俺と桜木は無言のまま、歩いた。
自宅に戻ると、桜木は、俺の家が自宅であるかのように、振舞った。そして、服を着替えた俺を桜木は、呼んだ。そして、俺と桜木はリビングでテーブルに向かい合うように座った。
「さて、椿さん。」
桜木は俺に話しかけた。
「これ以上、米倉さんのことを説得することは困難だと、分かりました。」
桜木はそう言った。
「そうだな。」
俺は考え込むように、それだけ口に出した。これからどうすればいいのか?彼女を殺す?いや、それは犯罪だ。
「椿さん。これから、どうしますか?」
桜木はそう聞いてきた。俺は答える。
「いやこれ以上は、俺達には何もできない。もはや、彼女が俺のことを諦めることを祈るしかないだろう。」
それが俺の出した結論だった。
「そうですか……。」
無表情ではあるのだが、どこか納得のいかない雰囲気で桜木はそういった。
「……どうしたんだ?何か問題でもあるのか?」
俺は桜木に聞いた。桜木は、無言だ。そんな様子の桜井へ、俺は、一瞬、躊躇った後に続けて言った。
「お前のやりたいようにしてもいいんだぞ?」
俺としては、桜木のやりたいようにして欲しいのだが。しかし、彼女の返事は俺の予想していないものだった。
「なるほど。分かりました。椿さんのお望みの通りにします。私は、あなたが仲介者を快く引き受けてくれることを願っています。それが私の使命です……。」
桜木は淡々とそういった。その雰囲気はどこか、使命感のあるようなものを感じた。
「ああ。米倉との問題をなんとかしないとな。」
「はい。」
桜木はどこか何かを決心したように語った。そして、俺たちは、『俺の部屋』という名の桜木との共同部屋へ戻ったのだった。
次の日。俺は学校へ向かった。桜木と一緒に通学路を歩く間や校舎に入った瞬間。やはり、米倉から接触されるのではないか?と俺が不安になったが、特に何もなく、無事に教室へとたどり着いたのだった。教室には早川がいた。俺と目が合うと目礼されたので、俺も会釈を返すことにした。しばらくするとホームルームが始まっていった。ただ、この時間になっても米倉はいなかった。俺は、ほっと胸をなでおろした。俺は、思いのほか安心していたようだ。しかし、何かおかしなことに気が付いた。クラス委員が、米倉ではないようだ。俺の知らない女子生徒がホームルームを進行させている。米倉の代理かと初めは思ったが、そういうわけでもないらしい。担任の教師は、いつも彼女がクラス担任をやっていることを労っている言葉を掛けている。
「えっ・・・?」
俺は、米倉の座っているはずの席を見た。そこには早川が座っている。ホームルーム中にも関わらず、彼女を見る。早川は、こちらを睨み返してきた。
「椿君。なんでしょうか?」
担任の教員が俺に声を掛けた。
「いえ、特にありません。」
俺は、しまった、と思いながらも、そういって謝った。確かに、教師の話を無視して、女子生徒を凝視するのはよくない。
「今は、大事なことを周知しているので、ちゃんと聞いてくださいね。」
先生はそれだけ言って、俺のことには興味がなくなったのか、話に戻った。
ホームルームが終わると、早川が近づいてきた。
「おい、さっきのはなんだ?」
強気の彼女に、俺は、少し気圧されそうになったが、聞いてみることにした。
「いや、ちょっとな。米倉はどこの席に?」
「米倉?……どのクラスの?」
早川は、米倉を知らない様子だった。
「いや、このクラスにいる。クラス委員で、お前と友人の米倉沙織だ。」
「はぁ?お前、何を言ってんだ?」
早川はそういうと、少し考えこんだ。そして言った。
「このクラスに、そんな名前の生徒はいないぞ。」
俺は驚いた。
「……どういうことだ?」
そういいながら、混乱していた。早川はそういった嘘をつくタイプでなければ、昨日のことを隠すような人間ではない。
「じゃあ、昨日、女子陸上部の部室で騒動になったことは覚えているか?」
俺は混乱しているようにそう言った。
「はぁ?お前はさっきから何を言ってんだ?何もないに決まっているだろ?」
そう言ってから早川は、何かを考えている仕草をした。
「……ああ、そういうことか?つまり、適当な言いがかりをつけて、女子陸上部の更衣室になっている部室に入りたいと。お前、キモイな!」
心底、馬鹿にした顔で早川はそういった。
「いや、そういう訳じゃ……」
俺が言葉を続けようとして、チャイムが鳴った。朝のホームルームの始まりのチャイムだ。
「じゃあな!」
早川はそう言うと、自分の席に戻っていった。
(一体どういうことだ?)
俺はそう考えながらも、授業を受けることに努めたのだった。
昼休みになったころだった。俺は桜木に声を掛けた。
「ちょっと話したいことがある。」
「なるほど、椿さん。資料室へ行きますか?」
桜木は、そう答えた。俺は頷いた。そして、俺達は教室を出たのだった。
弁当箱を持った桜木に続いて、俺は資料室に入った。桜木は、机の上に弁当箱を広げて、座った。俺も、桜木の前になるように、座った。
「米倉のことだ。彼女はどうなっているんだ?」
俺は、桜木にそう聞いた。
「椿さん。彼女の存在は、シミュレーション上から削除されています。」
弁当箱を開けながら、桜木はそう言ったのだった。
「は?どういうことだ?」
「彼女には、別のシミュレーション結果の影響を受けたエラーが蓄積していました。また、椿さんの命を狙っていることもあって、存在を削除しました。」
桜木は、淡々とそう言った。俺は続ける。
「つまりは?」
「彼女は存在しない人間になりました。」
彼女は、弁当を完全に広げながら、そう簡潔に述べた。それは一体どういう意味なのか?
「じゃあ、米倉の家族や友人はどうしている?」
俺は気になって聞いた。すると桜木は答えた。
「初めから彼女は存在していないことになっています。従って、彼らは彼女と一度も面識はありません。また、彼らの記憶からも彼女の存在は完全に削除されていますので、矛盾することはありません。」
桜木は、弁当を食べながら、そう答えたのだった。
「しかし……。」
俺がさらに続けようとすると桜木は口を開く。
「つまり、椿さんを殺そうとした彼女は、初めから存在しないのです。」
彼女は事務的にそう言った。
「いや、問題だろう。俺が殺したようなものだ。」
俺はそういって、昨日、桜木に言ったことを思い出した。『お前のやりたいようにしてもいい』そう俺は桜木にいった。その結果が、これだ。
「どうしてですか?」
桜木は首を傾げて、そう言った。
「確認するぞ。昨日、俺が米倉の問題を任せたから、桜木が米倉の存在を消したのか?」
俺は、そう聞いた。
「はい。ある意味では、その通りです。」
桜木は、唐揚げを口に頬張りながら、そういった。
「その、ある意味とは、どういう意味なんだ?」
「彼女の情動は、椿さんと同じように別のシミュレーション結果の影響を受けていました。いづれにしても、私は、その影響の修正を行う必要がありました。しかし、昨日の事象。つまり殺人未遂事件が発生し、その修正が困難となりました。したがって、昨日、椿さんの主張も併せて、彼女の存在を削除したということになります。」
桜木は、いったん食べることを中止した。そして、感情を一切感じさせない抑揚のない声で、淡々とそう言った。
「それは、俺が米倉を殺したのと同じじゃないのか?」
「いいえ、椿さんは彼女を殺していません。彼女は元々存在しないのですから。」
桜木は、淡々とそう言ったのだった。
「はぁ。」
俺はため息をついた。その間も、桜木は弁当を食べることに熱中しているようだ。
「なあ、米倉の存在を復活させることは出来るか?」
俺は、桜木にそういった。
「ふぇ?どうしてですか?」
彼女は卵焼きを食べながらそういった。変な声が出ている。彼女に驚きというものは伺えないので、それが本当は、どういう意味なのかは不明だ。
「このままだと、俺は身勝手な理由で米倉を殺したことと同じだ。」
俺は、そう言って下を向いた。桜木は俺を凝視したようだったが、それ以上の反応はなく淡々と言った。
「なるほど。でしたら、彼女の存在を復活させることは可能です。ただし、椿さんが仲介者になることが条件です。椿さんが仲介者として彼女の存在を復活させる。それしか方法はありません。」
彼女は、それだけいって最後の卵焼きを食べ終えた。
「ああ、分かった。俺は仲介者になる。それでいいか?」
「分かりました。それでは確認ですが、以前、椿さんが話していた仲介者になる条件。米倉さんに殺害される運命を回避するという、という条件はどうしますか?」
桜木は、弁当を片付けながら、そう切り出してきた。
「彼女が復活した場合、どうなるんだ?」
「さぁ?復活後の彼女がどのように行動するかは、誰にも分かりません。」
「そうだな。じゃあ、仮に米倉が復活するとして。俺が殺される運命はなくなるのか?」
「それは分かりません。ただ、あなたが仲介者になった場合は、シミュレーション内の存在が、あなたの存在を消すことは難しいでしょう。」
その言葉を聞いて、俺は桜木が時間を停止して、米倉の包丁を無力化したことを思い出した。
「そうか。初めから俺は仲介者になっていれば、良かったのかもな。」
そして、この融通というものがない、桜木の思考は謎だらけだった。もともと初めから、俺にそう言っていれば、俺はすぐに仲介者になっていただろうに。やはり、この桜木の思考回路は、どこか人類とは違うのだろうか。俺はそう考えながら、じっと小動物が見るかのように、こちらを見ている桜木を見た。
「決まりましたか?椿さん。」
「ああ、俺は仲介者になって、米倉の存在を復活させる。」
「分かりました。それでは、その通りにいたします。」
桜木はそう答えたのだった。
資料室で、桜木が弁当箱を片付けた後。桜木に続いて、俺は教室へ戻った。とはいえ、仲介者になるという同意をしたとはいえ、今のところ、特に何かが変わったということもなかった。俺は自分の席に座って、いつものように頭を伏していた。
「なぁ?お前。」
早川の声が聞こえた。俺は驚いて、顔を上げた。やはり、早川だった。彼女は、俺の席の近くまで来て話しかけてきている。
「なんだ?」
「いや、朝。お前がいっていた?誰だっけな?」
「米倉か?」
「そう、それだ!そのことなんだがな?誰だ?」
(どういうことだ?)
俺は、少し混乱したが、すぐに答えた。
「いや……その、朝言っていたことは、俺の勘違いで……。」
「そうか……でも、お前と親しい人間なんだろ?で、私にも関係があるんだろう?ならさ……」
「椿さん。ちょっと。」
桜木が話しかけてきた。珍しいことだ。
「おっ、彼女が呼んでいるな。すまないな、邪魔をして。じゃ。」
早川は、茶化すようにそう言って、自分の席に戻っていった。
「なんだ?桜木?」
「もしかしたら、彼女も影響を受けているかもしれません。」
桜木は小声でそれだけ言った。つまり、早川も完全には昨日の影響が消えていないのだろう。桜木のいうところのデジャブとか情動というものか。俺がそう理解を仕掛けた時、授業の開始を告げるチャイムが鳴った。
「じゃあ、椿君。」
「ああ、また。」
俺はそれだけ言って、自分の席に戻った。遠くでその様子を早川が見ているようだったが、俺は気にしなかった。
授業が進んで、休み時間は寝たふりで過ごしていた。幸い、早川も桜木も俺の席には来なかった。俺は自分の席でぼんやりと過ごしていた。