第8話
裏口を叩いてクッキーをもらいに来ていたウアラとリンは八年のあいだにすっかり大きくなっていた。今年で十五才。ウアラは街の酒場でウェイトレスとして、リンはカフェで調理担当として働いている。
だから――。
「……というわけで、このお店を二人に譲りたいなって思っているの」
調理器具一式がそろっているこの店を、二階の住居ごとウアラとリンに譲るというのは悪くない案だと思う。
ウアラとリンを店のテーブルに案内してロザリーがひと通りの説明を終えた。二人はそろって黙り込んでいる。
「カフェなら道具一式揃ってるからすぐに始められると思う。他にやりたいことがあるなら好きなように改築して。ただ住むだけとか、部屋を人に貸しても構わないわ。ちょっと古いから修繕は必要かも。そのためのお金も少しだけど渡しておくね」
ロザリーがぽんとテーブルに置いた巾着袋の中身が銅貨でも銀貨でもなく金貨なのを確認したウアラとリンはいよいよ慌てふためいた。
「ロザリー、タリア! お店、閉めちゃうの? この街、出て行っちゃうの!?」
「こんなの、受け取れない。絶対に受け取れない」
「ただし!」
今にも泣き出しそうなウアラと真顔で首を横に振るリンのすっかり大人っぽくなった言動にうれしそうに目を細めながらロザリーは人差し指を立てた。
「条件があります。どんなお店をやるにしてもやらないにしても、子供たちが裏口にやってきたら食べ物や飲む物をあげてほしい。ケガをしていたら手当てをしてあげてほしい。それがこのお店とお金を二人に譲る条件」
条件を聞いてウアラとリンは顔を見合わせた。
かと思うと――。
「ねえ、ロザリー。もしかして、ロザリーとタリアがこの街を出て行くのって私のせい?」
ウアラは目に涙を浮かべてうつむいてしまった。
「昔、ロザリーに聞いたことがあったでしょう? お母さんが小さい頃から二人は全然、変わらない。二人はいくつになるの、って」
その時のことならよく覚えている。ウアラの一言がきっかけでロザリーに一度目の千年の話をすることになったから。
でも、話をするきっかけになっただけだ。いつかは話をしなくてはならなかったし、この街を出て行かないといけなかった。あの時点ですでに遅かったくらいだ。
「ウアラのせいじゃない。絶対に、だ」
首を横に振る私を見つめ、しかし、ウアラはますますくしゃくしゃの泣き顔になる。
「あの日の帰り道、リンに言われたの。あんなこと言って二人がこの街からいなくなっちゃったらどうするのって。家に帰ってお母さんに話したらお母さんも同じようなことを言って青い顔してた」
その、ウアラの母であるウゴナは二年前に病気で死んだ。
子供の頃にはウアラやリンと同じように裏口にやってきてロザリーが作った菓子をおいしそうに食べていたウゴナ。ウアラを身ごもり、少しずつ大きくなっていくお腹を撫でながら不安そうな顔をしていたウゴナ。ウアラが生まれると裏口に見せに来て戸惑いながらも幸せそうな顔をしていたウゴナ。ウアラの手を引いてすっかり肝っ玉母さんの顔で裏口を訪れるようになったウゴナ。
三十代になるか、ならないかだった。死ぬには若い。でも、この世界ではありふれた死だ。特別、悲劇的というわけでもない。それでもウゴナの死に顔を見たときには胸が苦しくなった。
あれは小さい頃から成長を見守ってきた子に先を越された寂しさか、それとも罪悪感か。
ウゴナの死をきっかけにウアラとリンはスラム街と街の境に安くてボロくてせまい部屋を借りて二人で暮らし始めた。
うつむいて唇を噛みしめるウアラの肩をリンがなぐさめるように抱きしめる。乏しかったリンの表情はロクデナシの親から離れ、ウアラと暮らすようになったこの二年でずいぶんと豊かになった。
そして――。
「二人が不老不死の魔女だって、人の形をしているだけのバケモノだって構わない。だって、二人にどれだけ救われたことか。食べ物をくれたってだけじゃない。頭をなでられて、抱きしめられて、またおいで、待ってるよって言ってもらえることがどれだけ救いだったか」
言葉数もずいぶんと増えた。自分の気持ちを言葉にできるようになった。
「何かあってもロザリーとタリアを頼れる。そう思えることがどれだけ心の支えになっていたか。……ね、ウアラ」
泣き出してしゃべれないウアラはリンに目をのぞき込まれて勢いよく何度もうなずき、テーブルの下でリンの手をぎゅっと握りしめた。それでウアラの言いたいことは十分に伝わったらしい。リンは微笑んでうなずき返すとロザリーと私を真っ直ぐに見つめた。
「この街にずっといてほしい。そうお願いしても、きっと……無理なんだよね」
「うん、私もタリアももう行かなくちゃ」
「そっか、わかった」
あっさりとうなずいてリンは背筋を伸ばした。
「二人が大切にしてきたこのお店も、あの裏口も、私たちが大切に守っていく。子供たちのことも任せて」
だから、大丈夫。安心して。
そう言うようにリンは笑みを深くし、ウアラは涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で壊れた人形のように何度もうなずいた。二人の返事に私とロザリーは顔を見合わせて微笑んだ。
よく見ればずいぶんと古くなった店内をぐるりと見まわす。これで心置きなくこの街を出て行くことができる。
二人に話をする前に準備も片付けも終えていた。翌日、私とロザリーは三十六年間暮らした街を出たのだった。
***
王都から山奥の神殿へ、山奥の神殿から国境近くにある三十六年暮らした街へと移動する時には徒歩だった。だから、幌馬車に乗って二人で移動するのは初めてだ。乗客は私とロザリーを含めて十人ほど。
幌とは雨風や砂ぼこりを防ぐための布のことだ。その幌をかけた屋根付きの馬車は前と左右は目隠しされていて外を見ることは出来ない。だから、流れる景色を見たい子供は後ろに陣取る。
いや――。
「ロザリー、あんまり身を乗り出すと落ちるぞ」
「そうだよ、おねえちゃん。馬車から落っこちちゃうよ」
流れる景色を見たい大人も、か。
「わかってる。わかってるって……きゃ!」
「……ほら、見ろ」
わかっていると言いながら身を乗り出した挙句、バランスを崩したロザリーにため息を一つ。腰に腕をまわして引き寄せる。
「この先、何度も乗るんだ。すぐに見飽きる」
「そうだとしても私は初めて見るんだもの。それにこうやってタリアが心配も助けもしてくれるしね」
ロザリーがにまにまとうれしそうに笑う理由に思い当たり、眉間に皺を寄せて腰にまわしていた腕をほどいた。にまにま顔のまま寄り掛かってくるロザリーを肩で押しやりながら後ろへと流れていく景色に目を向ける。
一度目の千年で私は散々に馬車に乗っている。完全に乗り飽きている。でも、魔王だったロザリーはどこにでも一瞬で移動できる能力を持っていた。今回も、一度目の千年も馬車に乗る機会はなかったのだ。
ひとしきりにまにましたあと、ロザリーは再び子供といっしょになって流れていく景色を眺め始めた。一度目の千年では早く目的地に着いてくれと心が急くばかりで移動時間を楽しむ余裕なんてなかった。すぐ隣の楽し気な横顔を見つめてつられるように私は微笑んだ。
と――。
「それで、タリア。どこに向かおうとしているの?」
ロザリーが今さらのように尋ねる。
「話していなかったか」
「話していなかったね」
目的地もわからずによく馬車に乗り込んだなと思うが話し忘れていた負い目もあるので深くはツッコまないでおくことにする。
「まずは聖剣を手に入れる」
「私を殺すため?」
「ロザリーがもう生きていたくないと思ったときのためだ」
私もロザリーも千年を生きるバケモノだ。
片や、勇者の聖剣でしか殺せないほぼ不死身のバケモノ。片や、何度死んでも望みさえすれば生き返るバケモノ。どちらもバケモノだが同じようで少し違う。
私は死にたいと思った時にいつでも死ねる。でも、ロザリーは私が聖剣で殺さなければ永遠に死ねない。死にたくても死ねないというのは地獄だ。ロザリーもそのことに思い至ったらしい。苦い顔でうなずいた。
「それじゃあ、聖剣を手に入れた、その後は?」
「その後は……」
首を傾げて尋ねるロザリーから流れ去っていく景色へと目を移す。
一度目の千年で魔王を倒すための旅をしていたとき。本当に誰も生き残っていないのかと神のもとで千年かけて人の姿を探し、世界を見てまわったとき。目にした多くの景色の中には言葉では言い表せないほどに美しい景色がいくつもあった。
魔王を倒すために共に戦い、死に別れた仲間たちが大切に想う景色や、いつか平和になったら叶えたいと願う景色もいくつもあった。
この世界に魔王はいない。魔王の能力を使いこなしてはいるけれど人類を滅ぼすつもりなんて少しもない〝前世は魔王〟がいるだけだ。
この世界は私が一度目の千年で叶えられなかった世界だ。魔王のいない平和な世界。
魔王を倒すための旅に出なかった仲間たちは大切に想う景色の中で何の変哲もない日常を生きて、死んでいったに違いない。いつか平和になったら叶えたいと願っていた景色を叶えているかもしれない。
そういう景色や美しい景色を見に行きたい。一人ではなく二人で。一度目の千年では殺し、殺された相手だけど、今は千年をいっしょに暮らし、いっしょに生きていくロザリーと二人で。
それを言葉にするとしたら――。
「二人で世界を、見に……?」
――だろうか。
首を傾げながら言う私を見てロザリーはきょとんと目を丸くした。でも、そのうちに顔をくしゃくしゃにして笑った。
「うん、見に行こう。タリアと私と二人で。世界の全部を見に行こう!」
その笑顔はあいかわらずヒマワリのように明るくて、私はつられるように微笑んだのだった。




