第7話
「私が寝まくってるあいだ、裏口の守りはタリアに任せた!」
ロザリーはそう言って営業時間を短くし、休みも増やして確保した時間のすべてを睡眠に費やすようになった。そして、ロザリーが作っておいた菓子を裏口にやってくる子供たちに渡すのは私の役目になった。
「ロザリーは今日も寝てるの?」
心配そうな顔で尋ねるウアラのとリンの頭を微笑んでくしゃくしゃとなでる。そんな日々が何年も続いた。
寝すぎて眠れなくなるんじゃないか。そんな私の心配をよそにロザリーは驚くほどによく眠った。
早めに店を閉めると夕飯を食べ、すぐに寝仕度をしてベッドに入り、翌朝までまったく起きない。店が休みの日は朝も昼も夜も眠り続け、翌朝、店を開ける準備をする時間になるとぱっちりと目を開ける。
真っ白なシーツをかけた布団にくるまり、体を丸めてぴくりともせずに深く深く眠るようすは繭に守られた蛹のようだった。次に目を開けた時には蛹が羽化するように一度目の千年の記憶を思い出しているのだろうか。その時、現れるのは大輪のバラのような一度目の千年の魔王か、ヒマワリのような今のロザリーか。
考えたところでどうしようもないことを考えながら日中は裏口に近い一階のキッチンで子供たちが来るのを待ち、夜はロザリーの寝顔を眺めて過ごす。
そうして八年が経ったある日の朝――。
「タリア、今日はお店、お休みにしようと思う」
店を開ける準備をする時間になってぱっちりと目を開けたロザリーがそう言った。上半身を起こしはしたものの頭を抱えて一向にベッドから出ようとしない。
「わかった。……頭が痛いのか。薬を持ってこようか」
「ううん、いい。……あのね、タリア」
ロザリーはそろそろと私を上目遣いに見た。
「一度目の千年の記憶、思い出した」
ずいぶんと長いこと黙り込んだ後――。
「そうか」
私はどうにかそれだけ言うと一階に下りた。臨時休業の知らせを店の入り口に貼り出すために裏口から外へと出る。
外はようやく薄明るくなってきたところだ。店の前の通りは本来の目的地に向かうため、朝早くにこの街を発とうとする旅人や商人たちが忙しなく行き交っている。
「……」
ふと隣の酒場を切り盛りしている三代目の店主と目が合った。二十代か、三十代か。父親から店を引き継いだ女店主は六年ほど前に死に、女店主の娘が今は酒場を切り盛りしている。
彼女は私に気が付くなり慌てた様子で中に入り、裏口のドアをバタンと閉めた。
彼女の祖父である最初の店主とはあいさつついでに雑談もした。彼女の母親である二代目の店主とも最初はそうだった。でも、そのうちにこちらがあいさつしてもぎこちない笑みで会釈して避けるようになった。
今では私とロザリーの姿を見るなり怯えた表情で隠れるようになった。三代目の店主である彼女だけではない。
この店を始めて三十六年が経つ。この街の数少ない定住者たちはとっくに私とロザリーの異常さに気が付いている。ことさらに騒ぎ立てないのは今のところ大人しくしているバケモノを下手に刺激するべきではないと考えているからだろう。
「いい加減、街を出ないとな」
つぶやきながら一階は店舗、二階は住居の〝我が家〟と呼べる存在を見上げる。
一度目の千年では魔王を倒すために村から村へ、街から街へ、国から国へと旅を続けていた。同じ場所に長く留まることなんてなかった。だから、知らなかったのだ。長く暮らした場所には愛着が湧く。
愛着のある場所というのは思いの外、離れ難い。
裏口にやってくるスラム街の子供たちも心配だ。
魔王が生まれなければ世界は平和になり、豊かになり、そのうちに貧困で苦しむ子供も、ロクデナシの親に殴られ、蹴られ、罵倒される子供もいなくなると思っていた。でも、ロザリーが作った菓子をもらいに裏口に来る子供も、ケガの手当てが必要な子供も一向に減らない。
もしも、この店がなくなってしまったらあの子たちはどうするのだろうか。腹が減って今にも倒れそうな時。ひどいケガをして歩くのもやっとな時。あの子たちはどこを、誰を、頼るのだろうか。
ぽりぽりと襟首を掻きながら二階の住居に戻るとロザリーはリビングのテーブルに移動して頭を抱えていた。できるだけ早くこの街を出ていかないといけない。
だが、それよりもまずは目の前の問題だ。
「気分はどうだ、ロザリー」
「なんだか頭の中がぐしゃぐしゃっていうか、感情がぐしゃぐしゃっていうか」
「そうか」
「タリアもこの記憶を見たんだよね? それならわかるでしょ? 千年分の記憶がどばーっと流れ込んでくる感じ! 頭の中も感情もぐしゃぐしゃになる感じ!」
頭を抱えたままテーブルに突っ伏すロザリーを前に困り顔になる。
一度目の千年の魔王の記憶が見れるようになった十二才のあの日。ロザリーが魔王になる前に王都のボロ宿にたどり着かなければと必死で、それ以外のことを考えている余裕はなかった。
それに――。
「何、そのセリフ! 何、そのポーズ! いくら若気の至りとは言え……はぁ~~~、恥ずかしくて死ねる! 死にたい! 殺して、タリア! 私を聖剣でサクッと殺して!」
自分の記憶か、自分以外の記憶かというのも大きな差だろう。頭を抱えて悶絶するロザリーを前に私はますます困り顔になる。
と――。
「……ていうか、見たのね。一度目の千年の私の記憶」
ロザリーが指のすき間からちらりと、恨みがましそうな目でこちらを見た。
「見ろと言って記憶を押し付けてきたのはそっちだが」
「私じゃなくて一度目の千年の私! それにあの時は死んでおしまいだと思ったからああ言ったの! 二度と会うことはないだろうと思ったからああ言ったの! それがまさかもう一度、千年をやり直すだなんてありえない!」
バシーン! とテーブルを叩いて抗議したかと思うとロザリーは再びテーブルに突っ伏した。見ると耳まで真っ赤になっている。
確かに。私にとってももう一度、千年をやり直すというのは想定外だった。魔王からしたらありえない事態と言っていいかもしれない。ロザリーというか、一度目の千年の魔王というか――の、言い分もわからなくはない。
ただ、まあ、私からするとやはり〝そう言われましても〟の気持ちなのだが。
羞恥心にのたうち回っているロザリーをひとしきり困り顔で見守った後――。
「それで? 一度目の千年の記憶が戻って、これからどうするつもりだ」
私は尋ねた。
平静を装って尋ねたつもりだけど声や表情に緊張が表れていたかもしれない。
ここまでのロザリーとのやりとりはいつも通りのように感じられた。出会ってから三十八年、店を始めてからも三十六年。そのあいだ、何度となく繰り返されてきたやりとりと同じように感じられた。
でも、一度目の千年の記憶を取り戻しているのだ。魔王の記憶を取り戻しているのだ。そして、魔王の記憶はロザリーとまったく別人の記憶というわけではない。少なくとも私と出会う前の十二年間は一度目の千年の魔王と目の前のロザリーは同じ人生を歩んできたのだ。
ロザリーが魔王になるきっかけはあの十二才のボロ宿での出来事。最後の希望が失望に変わり、深紅色の瞳から光がすっかり消えたあの瞬間にロザリーは魔王になった。
でも、魔王の卵は生まれた瞬間からロザリーの中にあったのかもしれない。十二年間のあいだに孵化し、育ち、蛹となり、ついに羽化したのかもしれない。
今のロザリーは魔王ではないけれど、もし、一度目の千年の記憶を取り戻したことであの大輪のバラのような魔王が羽化するとしたら。再び、魔王となって人々を殺し、村々を焼き、いずれは人類を滅ぼすつもりだとしたら。
その時には私は再び勇者となって聖剣を見つけ出し、魔王を追いかけ、大勢の仲間を犠牲にしてでも魔王を倒さなくてはならない。ロザリーを殺さなくてはならない。
でも、今さら、三十年以上もいっしょに暮らして、生きてきた人を殺すことなんてできるのだろうか。
そもそも三十年以上もいっしょに暮らして、生きてきた人と離れて生きていくことなんてできるのだろうか。
一度目の千年では殺し、殺された関係だ。
一度目の千年の記憶を取り戻した今、私とはいっしょに暮らしていけない、離れたいとロザリーが思っても当然のこと。ロザリーがそう言うのならすべての財産をロザリーに渡し、自由に暮らすようにと告げるつもりだ。
私がここを出て行くという選択肢もあるけれど魔王は勇者が持つ聖剣でしか死ねない。いつか、もしもロザリーがこれ以上、生きたくない、死にたいと思った時のために私は聖剣と共にいつでもロザリーが見つけられる場所にいないといけない。そのためにはこの街のこの場所に居続けるのが一番わかりやすい。
聖剣を手に入れるために少し留守にしなければならないが何十年もはかからないだろう。そして、聖剣を手に入れた後はこの街のこの場所でひたすらにいつか来るかもしれないロザリーを待ち続けるのだ。たった一人で。何百年でも、何千年でも。
耐えられるだろうか、と考えて自嘲気味に笑う。一度目の千年の時には仲間との別れを繰り返して千年を生きることを、つらいとは思っても怖いとは思わなかったのに。
弱くなったなと苦笑いして顔をあげるとロザリーが真っ直ぐに私を見つめていた。宝石のような赤い瞳が探るように私の目をのぞき込む。
「ねえ、タリア。今、何、考えてた?」
「何って……」
「まさか、一度目の千年の記憶が戻った私とはいっしょに暮らせない、離れて暮らそう、なんて考えてないよね? 許さないからね。そんなの、絶対に許さないからね、私」
にーっこりと笑って小首をかしげるロザリーに困り顔になる。
「私から言い出すつもりはなかったがそう言われるかもしれないと覚悟はしていた」
「ない。ありえない」
口元は笑っているけど目は少しも笑っていない空恐ろしい笑顔すら引っ込めてロザリーがピシャリと否定する。
「そう言われるかもしれないと思ったことすら私に対する侮辱」
「……侮辱」
「タリアへの私の執着心、なめないでくれる?」
両手で頬杖をついてロザリーは私の目を射抜くように見つめる。居心地の悪さにそろそろと目をそらそうとするとあごをガシリとつかまれ、強引に引き戻された。
「よそ見しない」
深紅色の瞳をすーっと細めてにらむロザリーを前に首をすくめていた私だったが――。
「……?」
ロザリーがあいかわらず両手で頬杖をついていることに気が付いて眉をひそめた。なら、今も私のあごをしっかりつかんでいる手は誰の、なんなのか。あごはしっかりと固定されているため顔は動かせない。目だけで確認する。
テーブルに落ちた影が不自然に揺れた。私とロザリーの影とは明らかに違う。テーブルを黒く染めるシミのような影から生えている腕と呼べなくもない黒いモノ。それが私のあごをしっかりとつかんでいた。
なんて言うか――。
「この短時間ですっかり使いこなしているな」
自身の影を操るのは魔王の能力の一つだ。しっかりと魔王として覚醒しているらしいロザリーに私はますます困り顔になる。ロザリーはと言えば私の表情を見て目をつりあげたまま首をかしげた。でも、すぐに困り顔の理由に思い当たったらしい。
「おーっと! 影が滑ったー!」
煙を払うように手をバタバタと振って影でできた腕を散らした。手が滑った的に言っているが影が滑ったとは?
ジトリと見つめる私からそろそろと目をそらし、ロザリーは咳払いを一つ。
「タリアも私も千年を生きるバケモノなんだもの。この世界に二人きりのバケモノなんだもの。これからもずっといっしょに暮して、ずっといっしょに生きていくの」
すべての不安を吹き飛ばす大輪のヒマワリのような笑顔で言った。まばたきを一つ。ロザリーの笑顔につられて頬をゆるめる。
「この店を始めたのは私がやりたかったから。今度はタリアがやりたいことをやりましょう。これからもずっといっしょに、やりたいことを交互に、ぜーんぶやって生きていくの」
「全部は難しいんじゃないか」
「千年も生きられるんだもの。全部やれるわよ。だから――」
そう言って深紅色の瞳をすーっと細めたロザリーは身を乗り出して私の目をのぞきこんだ。
そして――。
「タリアが嫌がったって離れないし放さないから。絶対に」
リビングの床全体にいつのまにか広がった黒いシミ。そこから伸びた腕のような影を私の首や腰、手首に絡みつけてロザリーは艶然と微笑んだのだった。




