第19話
「昔、ロザリーに聞いたことがあったでしょう? お母さんが小さい頃から二人は全然、変わらない。二人はいくつになるの、って。あの日の帰り道、リンに言われたの。あんなこと言って二人がこの街からいなくなっちゃったらどうするのって」
「二人が不老不死のバケモノだって構わない。だって、二人にどれだけ救われたことか。食べ物をくれたってだけじゃない。頭をなでられて、抱きしめられて、またおいで、待ってるよって言ってもらえることがどれだけ救いだったか。何かあってもロザリーとタリアを頼れる。そう思えることがどれだけ心の支えになっていたか」
ウアラとリンはしわくちゃな顔を見合わせて穏やかに微笑む。
「だから、ね。二人がこの街からいなくなっちゃったりしなくてうれしい」
「今もいてくれて、とてもうれしいの」
二度目の千年では店と〝裏口のおつとめ〟を託して街を離れて以来、ウアラとリンに会うことはなかった。二度目の千年の二人も三度目の千年の二人のように仲良く店を切り盛りして、仲良く年を取って、こんな風に穏やかに最期を迎えたのだろうか。
そんなことを考えながらベッドに並んで横たわるウアラとリンと、二人の額を布でぬぐい、あやすように白い髪をなでるロザリーを見守る。
「でも、まさか本当に年を取らないなんてね。私たちの方がすっかりおばあちゃんになっちゃった」
「それに、二人に見送ってもらうことにもなった」
ロザリーは言っていた。
本当なら老衰による痛みで話をするどころではないのだと。ロザリーの能力で心を操り、痛みを感じないようにしているだけなのだと。
ウアラもリンもそう長くはないのだと。
「バケモノでも構わないなんて言ったけど、私にとって二人はお母さんみたいな存在だったわ」
「私にとってはお姉ちゃん!」
「そう思ってくれていたならとってもうれしいわ」
リンとウアラの言葉に嬉しそうに笑ったあと、〝でもね〟とつぶやいてロザリーはイタズラをする子供のような笑みを浮かべた。
「私とタリアの正体はバケモノなんかじゃなくて本当は魔王と勇者なのよ」
「魔王と勇者?」
「ええ。殺して殺されて、いっしょに暮らして旅をして、いっしょに殺した、敵同士で家族で共犯者な魔王と勇者」
うそは言っていない。
一度目の千年では殺し合い、二度目の千年では共に暮らして旅をし、三度目の千年では共に人間を滅ぼそうとしているのだから。
でも――。
「また、そうやって冗談なんだか本気なんだかわからないことを言って」
「ロザリーって昔からそういうところあるよね」
リンもウアラも真には受けなかったようだ。くすくすと笑う二人の声がますます弱々しくなるのを聞いて私は目を伏せた。
そして――。
「ロザリーのクッキー、おいしかったわ」
「タリアが淹れてくれた紅茶もね」
ウアラとリンはそう言ってもう一度、くすりと笑い、目を閉じて、それきり。呼吸をやめた。
「最期まで二人いっしょだなんて……本当に仲良しね」
小さい頃と変わらない手付きでウアラとリンの白い髪をなでるロザリーの背中を見つめ、私はゆっくりと目を閉じた。
一人死に、二人死に――。
「私が把握できる範囲には誰もいなくなった。私とロザリー以外、誰も」
みんな、死んだ。
いや――。
「私とタリア以外の人間は誰も、でしょ?」
ロザリーの言う通りだ。窓の外へと目を向ける。
国境近くにあるこの街はかつては商人や旅人が行き交うにぎやかな街だった。しかし、今はすっかり寂れてしまっている。
人通りなんてもちろんない。石造りの城壁も建物もあちこち崩れ始めているし、石畳のすき間からは雑草が生え始めている。空には鳥や虫が飛びまわっている。山から下りて来たのだろう草食動物たちが草を食み、そんな彼らを肉食動物たちが物陰に潜んで狙っている。
私とロザリー以外の人間はいなくなってしまった。でも、人間以外の生き物はそんなことお構いなしで生きている。
一度目の千年の時もそうだったのだ。そうだったはずなのに、私は神のもとで千年もただ人間がいないだけの世界を見てまわって誰もいない、誰も救えなかった、みんな死んでしまったと絶望していたのだ。
「ウアラとリンをウゴナたちのそばに埋めてあげたら見に行きましょうか。一度目の千年のあと、タリアが神様のもとで見た景色を。二度目の千年で私に見せてくれようとして、結局、見られなかった景色を」
微笑むロザリーに微笑み返そうとして、しかし、私はうつむいた。
「本当にこれでよかったのだろうか」
二度目の千年の世界の最後は私が選択した、その結果だ。魔王が存在しない世界、人間が絶滅しない世界を私が選択し、その結果、行きついたのがあの最後。人間はこの星を捨てて避難船で逃げ出し、置き去りにされたその他の動植物はどれだけ生き残れたかわからない。そんな最後。
魔王と勇者が手を組んだ世界、人間が絶滅する世界を選択した、その結果は――三度目の千年の世界の結果は、最後は、どうなるのだろう。
「さあ、どうかしら。少なくとも二度目の千年と違って私の料理のレパートリーは相当に少なくなると思うわよ」
うつむいていた私はロザリーの言葉に顔をあげて目を丸くした。
「そう、なのか?」
ウアラとリンの看病に使っていた洗面器を手に部屋を出ていくロザリーを追いかけながら尋ねる。
「ええ。タリアが好きだった明太子のおにぎりは絶対に食べられないわね。明太子が何の魚の卵で作られているのか、私、知らないもの。タリアだって知らないでしょう?」
黙ってうなずく。
「でも、いいじゃない」
そう言って急に足を止めて振り返ったロザリーは、たたらを踏んで足を止めた私の目を下からのぞきこんだ。
「ダメならダメ、気に入らないなら気に入らないでそのときはまたやり直せばいいのよ。四度目の千年、五度目の千年と何度でもやり直したらいい。何千年でも、何万年でも、私はタリアに付き合うし、付き合える。私のタリアに対する執着心、舐めないでくれる?」
宝石のように美しい深紅色の瞳に見つめられて息を呑み、すぐに頬を緩める。
そうだ。私もロザリーも千年を生きるバケモノで、その千年を何度でもやり直せるバケモノなのだ。
この選択が正しかったのか。結論を出すのは世界をすみからすみまで見てまわったあとでいい。魔王と勇者が人間を滅ぼしたこの三度目の千年の世界を、二人ですみからすみまで見てまわったあとでいい。
と――。
「……ロザリー」
「なあに、タリア」
しれっと私の首に腕をまわしてキスをしようと顔を寄せるロザリーに私はため息をついた。
「何度も言ってるだろ。こういうことは……」
「こういうことは人目がある場所、明るい場所ではするなー。子供やご近所、誰に見られているかわからないだろー。いい年して結婚もせず、女二人で暮らしているというだけでも奇異の目で見られるんだー。目立つ行動は控えないとー、でしょ?」
「……」
「私以外に目をやってるからまわりの目が気になるのよ。何度も、何千年も言ってるでしょ。よそ見しない」
お決まりのやりとりを私のセリフも自分のセリフもすべて言い切り、澄まし顔をしているロザリーを困り顔で見下ろす。
でも――。
「ところでタリア。この世界にはタリアが私を抱きしめてキスをしたとして、奇異の目を向けるような人はいるのかしら」
ロザリーにそう尋ねられて目を瞬かせた。ロザリーと私以外の人間は誰もいない。この世界に二人きりなのだ。奇異の目を向ける人どころか人の目すらない。
ふふん! と笑って私の目をのぞき込み、ますます強く私の首にしがみつくロザリーに苦笑いする。
「……いや」
そう答えてロザリーの腰を引き寄せ、抱きしめる。
「でしょう? さあ、タリア。人の目なんてないこの三度目の世界を、途方もない時間をかけて、すみからすみまで、二人で見てまわりましょう。あなたが私を殺す、その瞬間まで」
嬉しそうに囁く声を聞きながら私はかつては殺し殺され、千年を共に生き、再び千年を共に生きようとしている愛しいバケモノにキスをして――。
「ああ、私がキミを殺す、その瞬間まで。あるいはその先の四度目の世界、五度目の世界も、二人いっしょに」
そう囁き返したのだった。




