第18話
国境近くの街にある教会の裏口をノックした私を修道服姿のロザリーは無言で睨みつけて出迎えた。
でも――。
「まあ、寄り道もせず真っ直ぐに、ずいぶんと急いで帰ってきたみたいだから許してあげる」
そう言うと満足げに笑った。三か月ほどかかる予定の道中を二週間、短縮してたどり着いた。そのことを指して言っているのだろうと思っていたが違ったらしい。ロザリーが差し出した鏡を見ると私の首に黒い刺青のような模様があった。
「首輪か首を絞められた痕みたいでしょう? 少しでも寄り道したりこことは別方向に行ったりしたらその首、絞めて殺してやるつもりだったの」
一度目の千年の魔王のように、大輪のバラのように、艶然とした笑みを浮かべたロザリーがその黒い模様に触れる。黒い模様は蛇のようにうねり、ロザリーの指に絡みついたかと思うと白い肌を這ってするすると足元の影に戻っていった。
魔王の能力の一つに自身の影を操る、というものがある。どうやらその能力で私の行動をずっと監視していたらしい。
「失った信頼は簡単には回復できないものよ」
顔を引きつらせる私を見返してにーーーっこりと笑ったあと――。
「……改めて。お帰りなさい、タリア」
ロザリーは私に抱きついた。抱きしめ返そうかと腕をあげ、しかし、気恥ずかしさにためらっていると――。
「つくろい終わった洋服、持ってきたよー……って、お客さん?」
大きな布袋を持った若い女性が裏口から入ってきた。慌てて引きはがすとロザリーは不満げな表情を見せた。でも、こういう行動は人の目がある場所では控えるべきだ。
それに女性の顔には見覚えがあった。困り顔になっている女性を見つめて私はゆっくりと目を見開いた。
二度目の千年でロザリーと初めて暮らしたこの街で、初めて開いた小さな店。菓子類を中心に紅茶やコーヒー、軽食を出していた小さな店。その店の裏口にやってくる腹を空かせた子供たちにロザリーはよく菓子を食べさせていた。
裏口にやってくる子供たちの中にウアラとリンという少女がいた。街を出ることになったときに店と〝裏口のおつとめ〟を託した少女たちだ。そして、ウアラの母親であるウゴナもまた、裏口に来ていた子供の一人だった。
今、私の目の前で困り顔になっている若い女性はその、ウゴナだった。
まだお腹は目立っていない。でも、確か今くらいの年の頃だったはずだ。目を閉じる。勇者の能力を使って人間の居場所を把握する。
「……!」
目を開け、目配せするとロザリーは微笑んでうなずき返した。ウゴナのお腹には子供がいる。恐らく、ウアラだろう子供が。
驚きは喜びに変わり、喜びは疑問に変わった。二か月半前、ロザリーは確かにこう言った。
――タリア一人で人間を滅ぼせるわけないじゃない。
――だから、一度目の千年の魔王の本気、見せてあげる。
と――。
何をしたのかはわからない。でも、魔王の能力で私の体だけでなく能力も操り、人間を滅ぼすための〝何か〟をしたはずなのだ。
だから、覚悟していた。街や道のあちこちに死体が転がっているかもしれない。あるいは、すべての人間が忽然と姿を消し、街も道も不気味なほどの静寂に包まれているかもしれない。
そんな光景を覚悟していたのにどこの街も道も人々は変わらずに行き交い、変わらずに暮らしていた。ウゴナも生きているし、お腹にはウアラだろう子供もいる。
一体、どういうことなのだろう。あの日、ロザリーは何をしたのだろう。
「内緒よ。十年か二十年もすれば鈍いタリアにも答えがわかるんじゃないかしら」
眉をひそめる私を見てロザリーは自身の唇に人差し指を立ててくすりと笑った。だけど、その目は少しも笑っていなくて、確かにロザリーは人間を滅ぼすための何かをしたのだとわかった。
私たちのようすを不思議そうな顔で見つめているウゴナから服を受け取り、代金を支払い――。
「しっかり食べて、体を大切にするのよ」
「う、うん……?」
背中をぽんぽんと叩いてロザリーはにっこりと微笑んだ。ロザリーの言葉にあいまいにうなずいているのはウゴナ自身がまだ妊娠に気が付いていないからだ。
首をかしげながら帰っていくウゴナを手を振って見送ったあと、ロザリーは振り返ってこう言った。
「そうだ、タリア。今日から毎日、私におやすみのキスをしてね。額じゃなくて唇に。……いいわね?」
有無を言わさぬ笑顔に〝なぜ?〟と聞くことも〝……それはちょっと〟などと言うこともできず、私は無言でうなずいた。
***
ロザリーは言った。
――十年か二十年もすれば鈍いタリアにも答えがわかるんじゃないかしら。
と――。
実際、答えがわかったのはウゴナがウアラを産み、ウアラがリンと共に裏口に遊びに来るようになり、教会で暮らす親を亡くし、あるいは親に捨てられた子供たちが十才を過ぎて一人、また一人と巣立って行き、ついに教会に私とロザリーの二人きりになってしまった頃。
十二年が経った頃のことだった。
人間は必ず死ぬ。
新しい命が生まれてこなければ、いずれ人間という種は滅ぶ。
私が持つ能力を使ってすべての人間の居場所を把握し、ロザリー自身が持つ能力を使って居場所を把握したすべての人間の心を操り、〝子孫を残そうとする本能〟を奪う。あの瞬間、母親のお腹にすでに宿っていた子供たちを最後に新しい命は――人間は一人も生まれていない。
子供が生まれないことに疑問や危機感を抱いた者もいただろう。でも、多くの人は日々を生きることに必死で気にもとめなかった。
「めっきり小さい子を見かけなくなったわね」
「そういえばそうねぇ」
と世間話に出る程度。
一度目の千年よりも、二度目の千年よりも、ずっと早く、ずっと穏やかに終わりが近付いてくる。
「それじゃあ、行ってくるわね。おやすみ、タリア」
おやすみのキスの後、そう言ってロザリーが姿を消すようになったのも教会から子供たちが巣立ち、二人暮らしになった頃。
私の能力を使ってすべての人間の居場所を把握し、魔王の能力を使って一瞬で移動し、人が少なくなった街や村の様子を見に行き、世話をし、時には看取る。
修道服姿で忽然と現れるロザリーのことを聖女と呼ぶ人も死神と呼ぶ人もいたようだけれど、一度目の千年の魔王のようにそのうわさが人々のあいだで広まることはなかった。
人は減り、国同士、街同士、人同士の行き来も減る一方なのだから当然だ。
教会は子供ではなく老人の世話をする場所になり、彼ら彼女らも一人死に、二人死に――。
「昔、ロザリーに聞いたことがあったでしょう? お母さんが小さい頃から二人は全然、変わらない。二人はいくつになるの、って」
最後に残ったのは私とタリアと、髪は真っ白に、顔はしわくちゃになったウアラとリンだった。




