第17話
「どうして、私が記憶を取り戻していることを驚くの? タリアが神様に頼んでくれたんでしょう? ……頼んでくれたんじゃないの?」
頼んでいない。
私はこの世界のロザリーが一度目の千年の記憶も、二度目の千年の記憶も、思い出さないことを望んでいた。千年を生きるバケモノだと知らないまま、普通に、幸せに暮らしてほしいと願っていた。
それなのに、〝神〟はどうして。
「……いや」
答えはなんとなくだがわかっている。
ロザリーが千年を生きるバケモノになったのが偶然か、〝神〟の意思かはわからない。でも、〝神〟にとって千年を生きるバケモノになったロザリーは特別な存在だった。〝あの子〟と呼んで特別視するくらいには。ロザリーのために、ロザリーを殺すための聖剣と〝勇者〟を用意するくらいには。
そんなロザリーが二度目の千年の終わりに口にした願いを〝神〟が聞き逃さず、叶えたことに不思議はない。
そして――。
「タリアは、頼んでいないのね。……頼まなかったのね」
察しのいいロザリーが私の表情を見て、そう察したことも不思議はない。
「もう一度、千年をやり直すのなら二度目の千年の記憶を取り戻せるようにしてほしいって。神様に頼んでほしいって言ったのに……どうして……」
黒く太い棘に背中を貫かれ、高く突き上げられた私を見上げ、ロザリーはますます目つきを鋭くする。一度目の千年で何度も見た冷酷な目。ただ、仲間たちに向けるのを見たことはあっても自分自身に向けられたことはなかった。
私に向けられる表情はいつだって大輪のバラのような、艶然とした微笑み。怒りなんて見せずに余裕たっぷりの表情をしていた。
二度目の千年のロザリーが怒ったときもにーっこりと微笑み、あるいは拗ねたような表情をし、あるいは真顔だった。
だから――。
「私を置き去りにして、私から私の大切なタリアとの記憶を奪って、私以外の人間を殺して、私との約束を破って……絶対に許さない……許せない。……許せないっ!」
これは多分、きっと、今までで一番、怒らせてしまったのだろう。背中を丸め、金色の艶やかな髪を掻きむしり、ロザリーはしぼり出すように、吠えるように言った。
黒く細く鋭い、何百、何千の棘が次々に私の体を襲う。怒りを叩き付けるかのように次々と。
「許せない! 許せない! 許せない……!」
死んでは生き返り、また死んでは生き返り――。
一体、どれだけそうしていただろう。
「……っ、……っ」
ようやく何百、何千の黒い棘の攻撃が止んだ。ロザリーは肩で息をし、拳を握りしめ、歯を食いしばり、それでもまだ私を睨み付けている。一本、また一本と黒く細い棘が煙のように消えていく。残ったのは私を背中から貫き、突き上げる黒く太い棘だけ。
深呼吸を一つ。乱れた呼吸が落ち着くのを待ってロザリーは背筋を伸ばした。
「どうして、私を置き去りにしたの?」
一歩。足元の黒い影がロザリーを呑み込む。
「どうして、私から私の大切なタリアとの記憶を奪ったの?」
一歩。黒い影をカーテンのように背に払ったロザリーは一度目の千年の魔王に似たドレス姿に変わっていた。影と同じ黒色のドレスも高いヒールの靴も豊満な肉体と〝女〟を強調するようなデザインだ。
「どうして、私以外の人間を殺したの?」
一歩。優雅な足取りで黒い棘に串刺しにされて身動きの取れない私の目の前までやってきて腕を伸ばした。
「どうして……私との約束を破ったの?」
両手で私の頬を撫で、私の唇の端から流れる赤い血を指でぬぐって尋ねる。
でも――。
「いいえ、タリアの考えなんてわかってる。普通に、幸せに生きてほしいって思ったんでしょう? タリアのためのこの世界の勇者にも、人間にとっての魔王にもなってほしくないって思ったんでしょう?」
答えなんて聞く気もないと言わんばかりに私の唇を指でふさぐ。
そして――。
「何が〝幸せに〟よ。私の幸せを勝手に決めないで。タリアのいない人生が私にとって幸せだと本気で思ってるの? 何度も言わせないで。私の、タリアに対する執着心、舐めないでくれる?」
私の頬に爪を立て、肉をえぐる。
「大体、タリア一人で人間を滅ぼせるわけないじゃない。たった一人で、聖剣一本で、一人一人斬って殺してまわるなんて、そんなちんたらしたやり方で滅ぼせるわけがない」
息が掛かるほどに顔を近付け、ロザリーは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。烈火のような怒りはおさまったようだが赤い瞳はまだ冷たく静かに怒っている。
「タリアが村一つ、街一つを滅ぼしてるあいだに世界中でその何倍、何十倍、何百倍の人間が生まれてる。タリアのやり方じゃあ、千年かかったって人間を滅ぼすことなんてできないわ。一度は人間を滅ぼしたことのある魔王の私が保証する」
「保、証……っ」
苦笑いでつぶやいた拍子に唇から血が泡になってこぼれた。ロザリーは私の唇を親指の腹でぬぐうと――。
「だから、一度目の千年の魔王の本気、見せてあげる」
冷ややかな表情のまま、そうささやいた。その唇が何かをつぶやくように動く。
「そういえば、額はあったけど唇はなかったわね。一度目の千年でも、二度目の千年でも。初めてが無理矢理っていうのが不満だけど、まあ、いいわ」
人の心を操る魔王の能力を使ったのだと気が付いたのは私の意志に反して体が動き始めたから。腕はロザリーの腰を抱き寄せ、まぶたは閉じる。
「何を……するつもり、なんだ」
痛みと失血、何度も死んで生き返った疲労でいまいちまわらない頭で必死に考える。
閉じた視界に映し出されたのは数十万、数百万の光る点。人間の居場所を把握できる能力が私の意志に反して使われている。体だけでなく私の能力すらも魔王の能力で操っているのだと察してますます混乱する。何をしようとしているのか想像ができない。
と――。
「よそ見しない。余計なことを考えない。タリアは私にとびきりのキスをすることだけ考えればいいの。お姫様の眠りを覚ます、王子様のようなとびきりのキスをすることだけ」
ロザリーが不機嫌そうに鼻を鳴らす。体はますます自由がきかなくなり、私の腕はロザリーの腰をさらに強く引き寄せ、あごに指をかけ――。
「……っ」
唇が触れた。
「……はい、おしまい」
ほんの一瞬、触れただけ。たったそれだけでロザリーはそう言って私の胸を押すと腕の中から逃れた。
ふ……と体が重くなる。体の自由が戻ったらしい。目を開けるとロザリーは背中を向けたところだった。
黒く太い棘が煙のように消えて私は地面にどさりと落ちた。大穴の開いた体からはどんどんと血が失われ、意識も遠のいていく。いくらもしないうちにまた死んでしまいそうだな、と思いながらロザリーの背中を見つめる。
「何を……したんだ、ロザリー」
「教えてあげない。気になるなら追いかけてくれば? タリアが私を置き去りにしていったあの国境近くの街の教会まで。……それじゃあ、私は教会に戻るわ。子供たちが待っているもの」
それきり。ロザリーの声も気配もしなくなり、私も意識を失った。
真っ白な空間に虹色に光り輝く水晶が浮かんでいた。今日、死んだのはこれで何十回目だろうか、何百回目だろうか。そんなことを考えているうちに〝神〟が無言で明滅する。
まばたきを一つ。私は体を起こすとあたりを見まわした。
魔王にはどこにでも一瞬で移動できる能力がある。その能力を使ってさっさと教会に戻ったのだろう。ロザリーの姿はなかった。
千年を生きるバケモノである私は死んで生き返れば病気は治り、毒は解毒され、傷もふさがる。黒い棘によって体に開いた大穴も死んで生き返り、ふさがっていた。それでも、何度も死んだダメージは精神的にも肉体的にも残っている。
ふらつきながら立ち上がり、一歩、どうにか足を前に出す。
「……」
二歩、三歩。顔をあげる。徐々に早足になり、小走りになる。気持ちが急く。
糸がぷつりと切れてしまったのだ。我慢の糸が。
「ロザ……リー……」
三度目の千年ではあの教会に連れて行っただけの、ほぼ赤の他人の関係で終わらせる。会ってはいけない。次に会うのは殺すとき。
そう言い聞かせて押さえ込んできたけれど本当はずっと会いたかったのだ。ロザリーと会えずにいたこの二十年間、ずっと、ずっと。
「ロザリー……」
この街から国境近くの街まで急いでも三か月ほどがかかるだろう。一日でも早く会いたくて。例え、また何十回も何百回も殺されることになっても会いたくて――。
「ロザリー!」
私はいつの間にか駆け出していた。




