第16話
一度目の千年の魔王は自身の影を操り、死体を操り、攻撃を行っていた。影でできた黒い棘が放射状に伸び、広範囲を串刺しにする。魔法使いが使う範囲攻撃魔法と同じようなものだ。そうして、殺す相手の顔をろくに見ることもなく大勢の人々を殺し、街や村を焼き、最後には人間を絶滅させた。
片や、私が出来ることと言えば剣を振るうことだけ。聖剣にも〝魔王を殺すことができる〟という以外、特別な力はない。勇者である私が神に与えられた力と言えば、あらゆる人間の居場所を把握できる能力、それと――。
「なんなんだ、コイツ……! 何度、殺しても……殺したはずなのに……!」
「バケモノだ……不死身のバケモノだ!」
何度、殺されても生き返るという能力だけ。
「確かにバケモノだな」
この街にやってきて何回目か何十回目か何百回目か。殺され、生き返り、ゆらりと立ち上がる私を見て剣や槍を握りしめて取り囲んでいた兵士たちの表情が恐怖に染まっていく。
自嘲気味に笑って聖剣を握り直す。何人斬っても切れ味が落ちないというのは特別な力かもしれないな、などと思いながら目の前の兵士へと聖剣を振り下ろす。
十才のロザリーを国境近くの教会に託してから二十年ほどが経とうとしていた。
一度目の千年では百年、二度目の千年では三百年かけて手に入れた〝天空の神殿〟に隠されている聖剣を三度目の今回は十年で手に入れた。迷うことも、美しい景色や美味しい果物を楽しむこともなく、最短ルートで。
聖剣を手に入れた後、〝天空の神殿〟の扉から一番近い村に向かい、滅ぼした。次は隣の村、さらに次は隣の村、さらに隣の街。そうやっていくつもの村や街を滅ぼし、一つの国を滅ぼし、何百、何千の人を殺し――。
「魔王だ……コイツが隣国を滅ぼしたっていう魔王に間違いない……!」
今では魔王と呼ばれるようになっていた。
呼ばれるようになりはしたけれど一度目の千年の魔王とは違う。どこにでも一瞬で移動できる能力があるわけではない。村から村へ、街から街へ、国から国へは自分の足で歩くか馬や馬車に乗って移動するしかない。
だから、国境近くの教会の様子を気安く見に行くこともできない。今もロザリーはあの教会にいるのだろうか。
そろそろ会いに行かなければと思う。でも、なかなか足が向かない。次に会いに行くときは私がロザリーを聖剣で殺すときだ。千年を生きるバケモノだとロザリーも周囲も気が付く前に殺す、そのとき。魔王に滅ぼされた街に暮らす、魔王に殺された哀れな一市民として彼女の人生を終わらせる、そのときだ。
「この、バケモノが……!」
「……っ」
後ろから槍で突かれてふらつく。勇者だからと言って体力や俊敏さが人並外れてあるわけでもない。一度目の千年の知識や経験のおかげで素人に毛が生えた程度の動きが出来るだけ。
女の細腕では鍛えている兵士たちに押し負けもするし、背後を取られもする。
「……っ」
振り返り、切り返す。しかし、聖剣を盾で受け止められ、押し返された。よろめき、地面に転がった私は眼前に迫る刃を苦々しく見つめた。
死ぬ瞬間の痛みや気持ち悪さ、恐怖を克服することはいまだにできない。それでも、ことさらに騒ぐほどのことではない。子供の頃から慣れている。殴られ、蹴られ、罵倒され、苦痛と恐怖にただ耐えることには。
ただ――。
「ロープだ! ロープを持って来い!」
「死なないならひとまず身動きできないようにするんだ!」
死んで生き返る、そのあいだに拘束されてしまっては厄介だ。いつか逃げ出せる機会もあるかもしれない。しかし、そのいつかまでに人間はきっと、今まで私が殺した以上に数を増やす。
「……っ」
石畳に落ちる兵士の影を見つめる。剣を振り上げるようすに逃げなければ、避けなければと思うのだがふらついて体が思うように動かない。目をつむり、来るだろう痛みに備える。
でも――。
「……?」
襲ってくるはずの痛みも、死んだときに聞こえてくるはずの〝神〟の声も、いつまで待ってもしない。顔をあげて振り返った私はそこに立つ人影を見て呆然とした。
「ねえ、タリア。私ね、ずっとあの国境近くの街の教会で待っていたのよ。タリアが私を迎えに来てくれるのを。私のところに帰ってきてくれるのを」
「……ロザ、リー?」
黒い修道服に身を包んだロザリーがそこには立っていた。
「きっと聖剣を取りに行ったんだろうって。聖剣を手に入れたら迎えに来てくれるんだろうって。そう思ってずっとずっと待っていたのに」
兵士が振り下ろした剣を影でできた黒い腕で受け止め、私を冷ややかな表情で見下ろしている。
「それなのに、どうしてこんなところにいるの? 聖剣を手に入れたのに、どうして真っ直ぐに私を迎えに来ないの? 私のところに帰ってこないの? 魔王の噂なんてものが流れているの?」
状況を呑み込めないながらも不穏な空気を感じて思わず後ずさる。そんな私を見てロザリーは不満げに鼻を鳴らした。
と――。
「修道女?」
「でも、どこから……いつの間に……?」
「いや、もしかして……聖女様、じゃないか?」
怯む私の様子を見てか、忽然と現れたロザリーに動揺していた兵士たちの空気が変わった。
「きっと、そうだ! 魔王を倒すために神様が遣わしてくれた聖女様だ!」
「そうだ、聖女様だ!」
沸き立つ兵士たちの声に顔をしかめながらロザリーはあたりをぐるりと見まわした。その宝石のように美しい深紅色の瞳が何かに気が付いてゆっくりと見開かれ、すぐさますーっと細くなる。
「……言ったのに」
ギリッ、と奥歯を噛みしめてロザリーが押し殺した声で言う。足元の影が不自然に揺れた。
次の瞬間――。
「前の千年で言ったじゃない。私はタリアに殺された最初で最後で、唯一の相手でいたいって」
紙にインクの染みが広がっていくように影は地面を黒く染めていく。地面に点々とできた血だまりも、私が殺した兵士たちの死体も、黒く染め、呑み込んでいく。
そして――。
「ずっとずっと、唯一の相手でいたいって。だから、未来永劫、私以外の人間を殺さないで、殺したら許さないからって……そう、言ったのに……!」
猫が毛を逆立てるように、ハリネズミが針を立てるように。ロザリーが目をつりあげ、あごをあげるのを合図に影に染まった黒い地面から幾千、幾万の黒い棘が生え、あたりにあるものすべてを串刺しにした。
木と土でできた兵舎や武器庫を。私が殺した兵士たちの死体を。剣や槍を手に私を取り囲み、聖女が助けに来てくれたと沸き立っていた兵士たちを。
そして――。
「……っ」
私を。
黒く太い棘は私の体を背中から貫き、高く突き上げる。咳き込んだ拍子にコポッと音がした。口の中に血が溜まっているのだろう。まばたきを一つ。
真っ白な空間に虹色に光り輝く水晶が浮かんでいた。水晶のような形をした〝神〟を見て、死んだのだと気が付く。
「……なぜ」
なぜ、ロザリーが二度目の千年の記憶を取り戻しているのか。私は頼まなかったのに、なぜ。
そう尋ねるよりも早く――。
『……』
〝神〟が無言で明滅する。まばたきを一つ。次に目を開けると薄い青色の空が広がっていた。黒い棘は今も私の体を貫いたまま。
今にもあの真っ白な空間に逆戻りしてしまいそうな意識の中でそういえば、と思う。一度目の千年では魔王や魔獣との戦いの中、死んでは生き返り、死んでは生き返りを何度となく繰り返していた。私が死んで生き返る、そのわずかな時間に仲間たちは死んでいく。死んで生き返る、その時間を少しでも短くしたくて〝神〟に頼んだのだ。
魔王や魔王に連なる者たちに殺されたときには一切の確認なく、即座に生き返らせてほしい、と――。
まさか二度目の千年では一度も使うことのなかったそのルールを〝神〟が律儀に覚えているとは。頼んだ当の私はすっかり忘れていたというのに。
「なぜ……記憶、が……」
苦々しい気持ちのまま。薄い青色の空の、さらに向こうから見ているかもしれない〝神〟に向かって吐き捨てるようにつぶやく。
でも――。
「それ、どういうこと?」
「……っ」
すぐに後悔した。
「どうして、私が記憶を取り戻していることを驚くの? タリアが神様に頼んでくれたんでしょう? ……頼んでくれたんじゃないの?」
何十、何百の黒く鋭く細い棘が私の体を貫き、ロザリーが怒りに爛々《らんらん》と輝く赤い瞳で私を睨み上げたから。




