第15話
『あの子を殺したのですね、〝勇者〟よ』
真っ白な空間に虹色に光り輝く水晶が浮かんでいる。水晶のような形をした〝神〟を私はぼんやりと見上げた。
一度目の千年ではしょっちゅう魔王や魔獣に殺されてこの真っ白な空間に来ていた。今回は何百年振りだろうか。一度目の千年の魔王の記憶をロザリーに見せることができるかを聞きに来たとき以来だろうか。だとしたら、九百年以上が経っていることになる。
『〝勇者〟よ、これで旅を終わりにしますか? それとも、もう一度、千年をやり直しますか?』
〝神〟の言葉を聞きながら二度目の千年の終わりに自分自身がつぶやいた言葉を思い出す。
――〝神〟はこの結果を見てどう思うんだろうな。
そんな風につぶやいたけれど、実際のところ、〝神〟がどう思うかなんてどうでもいいのだ。千年をやり直すか、やり直した千年で何をするか。答えはもう出ている。
『終わりを受け入れるのならあなたに安らかな死を与えます。やり直すのならば前の千年と同じようにあなたが生また時と場所にあなたを生き返らせましょう』
神の言葉を聞くともなしに聞きながら私は握りしめていた手のひらを開いた。握られていたのはロザリーの瞳の色と同じ、深紅色の宝石。
答えはもう出ている。それなのに迷うのは怖いからだ。千年という長い時間をたった一人で生きていくことが怖いから。
迷いを振り払うように顔をあげると〝神〟を真っ直ぐに見つめた。
「やり直す。もう一度、あの千年を」
『わかりました。準備はよろしいですか』
〝神〟に聞かれ、私は深紅色の宝石に微笑みかけた。
――すまない。
心の中で謝る。
そして――。
「ああ、すぐにでもやり直してくれ」
深紅色の宝石を手放した。ロザリーの二度目の千年の記憶を閉じ込めた宝石は真っ白な空間を転がって行く。
『わかりました。あなたが生まれた時と場所にあなたを生き返らせます』
水晶のような形をした〝神〟はそう言ってゆっくりと明滅した。
***
王都のはずれにある小さな、ただ土が盛ってあるだけの墓の前に金色の、艶のない髪の少女が座り込んでいた。
一度目の千年では魔王となり、二度目の千年では私と出会った十二才のあの日、ロザリーは傷一つない真っ白な肌をしていた。でも、それは商品としての価値をあげるため。身なりばかり良い下品な貴族に高く売りつけるためだ。
それまでのロザリーは私と同じように親とは名ばかりのロクデナシに殴られ、蹴られ、罵倒される日々を送っていた。だから、今、私の目の前にいる十才のロザリーは傷だらけ、あざだらけの貧相な姿をしていた。
小さな墓に眠っているのは小さな女の子だ。
二度目の千年のロザリーが〝裏口のおつとめ〟を始めたきっかけは教会の炊き出しやバザーでもらった形が崩れたり焦げたりした菓子を近所の子にあげたらすごく喜んでくれたから。そして、その子が七才になる前にケガと空腹の中で死んでいったからだ。
一度目の千年の魔王の記憶を見ている私は知っているのだ。その子が数日前に死んだことを。今、ロザリーが見つめている小さな墓に眠っている女の子こそがその子であることを。
何時間も微動だにせずにその子の墓を見つめているロザリーの背中を見つめて思い出す。二度目の千年のロザリーがよく言っていた。
――仲間の誰それが言っていたとか、仲間の誰それと見たとか。
――いいかげん、嫉妬でどうにかなっちゃいそう。
にーーーっこりと微笑んでそう言うロザリーに当時の私は困り顔になるばかりだった。でも、今ならわかる。自分の知らない時間を、共有することのできなかった時間を共有している誰かの存在に嫉妬する気持ちが、今なら。
苦笑いを一つ。
「この街を出て、親元を離れて働かないか。教会に、住み込みで」
声をかけると十才のロザリーはゆっくりと振り返った。
一度目の千年の記憶も二度目の千年の記憶もない。今、目の前にいるロザリーにとって私は初めて会う見知らぬ同年代の少女でしかない。困惑した表情で私の顔と差し出した手を交互に見つめる。
一度目の千年の魔王の記憶を見ているから知っている。一度目の千年の私も同じことをしていたからわかる。
親に殴られ、蹴られ、罵倒され、似た境遇の子供たちがケガや空腹に苦しみながら惨めに死んで行くのを見るたびに街の外へと続く道を見つめる。このまま真っ直ぐに歩いて行けばここよりはマシなどこかにたどり着けるかもしれない。
そう思いながらも結局、一歩を踏み出せないのは子供の自分が大人の庇護なしに何ができるだろうと思うから。そして、淡い期待もあるから。あのロクデナシの親たちが殴りも蹴りも罵倒もしなくなり、いつか自分のことを愛してくれるんじゃないか。そんな期待を捨てきれずにいるからだ。
でも――。
「小さな教会なんだが年を取った修道女様一人では段々と手がまわらなくなってきている。キミには修道女様の手伝いをしてもらいたい。わずかな給金だが衣食住は保証される。……どうだろうか」
きっかけがあれば一歩を踏み出せる。
十才のロザリーは唇を引き結ぶと私の手を取り、小さくうなずいた。
二度目の千年の後、久しぶりに触れるロザリーのぬくもりに唇を噛んでうつむきかけ、しかし、どうにか目をそらさずに微笑む。
「それじゃあ、行こうか」
手を強く握り返すとロザリーの手を引いて歩き出した。
「私はロザリー。……あの、あなたは?」
尋ねられて振り返ると私は薄く微笑んだ。
「目的の教会は国境近くの街にある。馬車も使うがかなりの距離を歩くことになる。ゆっくりと、無理をせずに行こう」
質問に対する答えがないことに戸惑いながら、それでもロザリーは手を引かれるままについてきた。二度目の千年のロザリーならにっこりと笑って問い質したところだろうが、今、私と手をつないでいるロザリーがそれ以上、追及することはなかった。
それはこの十年間、余計なことを聞けば殴られ、蹴られ、罵倒されてきたから。そして、初対面の私がロクデナシの親と同じように殴り、蹴り、罵倒する人間なのかどうかわからないからだ。
だから、国境近くの街までの一か月の旅は二度目の千年での旅とは比べ物にならないほどに静かで淡々としたものだった。
***
二度目の千年のロザリーと初めて暮らしたあの、国境近くの街を選んだのはある程度の事情がわかっているから。たった一人で小さな教会を切り盛りする修道女が穏やかで人の好い老婦人だということをわかっているから。
そして――。
「もちろん構いませんよ、と言いたいところなのですが……」
裏庭で幼い子供たちの子守りをするロザリーを窓越しに見つめて老婦人が困り顔になる理由が金銭的理由だということもわかっているからだ。
教会のすみにあるキッチン。そこに置かれた作業用の木のテーブルも、イスも、座っているとぐらぐら揺れる。調理器具はどれも古びているし、食器も割れたり欠けたりしたものまで使っている状態だ。木箱に入った野菜は残りわずかな上、すっかりしなびている。
裏庭で遊んでいるのは教会で世話をしている親を亡くし、あるいは親に捨てられた子供たちだ。下はトウモロコシの皮を編んで作られたカゴに入っている乳飲み子からロザリーと同じくらいの十才頃の子供まで十人ほど。
教会の財政状況と次から次にやってくる子供たちのことを考えると働き口がギリギリある十才を過ぎた子供をいつまでも教会に置いておくことはできない。手一杯ではあるけれど働き手を一人増やすこともできないのだ。
だから――。
「事情は存じ上げています。……ですので」
私は金貨の入った巾着袋をテーブルにざらりと置いた。二度目の千年であのボロ宿からロザリーを助け出したあと、最初に向かった山奥の神殿。あそこで採取した薬草や水晶を売って手に入れた金だ。
目を見開いた老婦人はそのままの表情で私の顔を見つめる。
「この金貨に見合うだけの事情があるとお察しください。ただし、こちらの教会にご迷惑がおよぶことは決してありません。保障いたします」
とある下級貴族の家に生まれ、未亡人となったのちにこの教会にやってきた老婦人は訳知り顔でうなずいた。
王都からこの街にやってくるまでの一か月のあいだにロザリーも私もすっかり身ぎれいになった。元々、整った顔立ちをしているロザリーと年令不相応な物言いをする私を見ていいように深読みし、勘違いしてくれたようだ。
「わかりました。このお金は教会への寄付として遠慮なく使わせていただきます」
〝だから、安心してください〟と言うように微笑む老婦人に安堵とほんの少しの罪悪感を感じながら私は微笑み返した。
***
「もう行っちゃうの? ここでいっしょに働くんだと思ってたのに」
老婦人との話が終わるなり教会を出て行こうとする私を追いかけてきて、ロザリーは不安げな表情で言う。
「行かなければいけないところがあるんだ。ロザリーのことは修道女様に頼んでおいた。優しい人だ。殴られることも、蹴られることも、罵倒されることもない。……叱られることはあるかもしれないが」
「……そう」
私の言葉にあいまいに微笑んだあと、ロザリーはためらいがちに尋ねた。
「どうして私をここに?」
魔王が生まれないように。ロザリーが魔王へと生まれ変わらないように。それが一番の理由だ。
でも――。
「頼まれたんだ、大切な人に」
それもまた、嘘ではない。
――次もまた、私のことを助けに来てね、タリア。
――あのボロ宿で魔王になってしまう前に、必ず。
そう、二度目の千年の終わりにロザリーに言われたからだ。
いくつもしたロザリーとの約束のほとんどを破ることになる。
――もしも、もう一度、千年をやり直すつもりなら三度目の千年の私にも今回の千年の記憶を見せて。
――記憶を取り戻せるようにしてほしい。そう、神様に頼んでおいて。
その約束は守れない。
――私はタリアに殺された最初で最後で、唯一の相手でいたい。
――だから、タリア。この先、未来永劫、私以外の人間を殺さないで。絶対に殺さないで。
その約束も守れない。
だから、せめて一つくらいは約束を守りたかった。
自嘲気味に笑う私を見上げてロザリーがきょとんとしている。その表情に苦笑いして私はゆっくりと目を閉じた。
勇者である私が神に与えられた能力の一つ。それがあらゆる人間の居場所を把握できる能力がある。一度目の千年の終わりには絶望的な現実を突き付け、二度目の千年の終わりには罪悪感を刻み付けた能力。
二度目の千年の途中からずっと思っていた。
一度目の千年で私は勇者だったけれど、それは人間のための〝勇者〟だったのかもしれない。人間は滅ぶべきだったのかもしれない。人間を滅ぼした一度目の千年の魔王こそがこの世界にとっての〝勇者〟だったのかもしれない、と――。
その思いは二度目の千年の終わりには確信に、そして、罪悪感に変わった。なぜなら、魔王が存在しない世界、人間が絶滅しない世界を選択したのは私だから。二度目の千年の世界は私が選択した結果だから。
だから、もう一度、千年をやり直すと決めたときにこの三度目の世界で何をするかは決めていた。そして、ロザリーを遠ざけることも。
――人間たちの魔王になるつもりも、この世界の勇者になるつもりもないわ。
――でもね、タリアがそんな顔をするのなら私、タリアのための、この世界の勇者になったって構わない。
――いつだって勇者になれるわ。
大輪のバラのように艶然とした微笑みを浮かべるロザリーを思い出す。二度目の千年の記憶を取り戻したらロザリーは私の胸の内を見透かして、あのときの言葉通りに私のための、この世界の勇者になるだろう。
人間にとっての魔王になるだろう。
でも――。
「ロザリー! 早く、こっちに来て遊ぼうよ!」
能力によって近づいてくる気配に気が付いた私はゆっくりと目を開いた。見れば裏庭から駆けてきた小さな女の子がロザリーの腰にしがみついている。短時間ですっかり懐かれたようだ。
「はいはい、もうちょっとだけ待ってね」
女の子の頭をそっと撫でて目を細めるロザリーの横顔に口元を緩めた。二度目の千年で裏口にやってくる子供たちに向けていたのと同じ、優しい微笑みに思うのだ。
このまま一度目の千年の記憶も、二度目の千年の記憶も、私のことも忘れたまま。私のための勇者にも、人間にとっての魔王にもなることなく普通の人間として生きてほしい。千年を生きるバケモノだとロザリーも周囲も気が付く前に、私が聖剣で殺す、いつか、その日まで。
だから――。
「……っ」
私はロザリーの額にキスを落とした。
殺し、殺された一度目の千年の魔王と、共に暮らし、旅をした二度目の千年のロザリーにおやすみのキスを。
そして――。
「元気で。幸せに」
三度目の千年のロザリーにさよならのキスを、そっと落とした。




